Ⅰ
「ゆ、ユウ君まってー!」
そんな情けない声を聞きながら、俺は森を歩いていた。
背中には旅に必要な荷物、ではなく少女。先日、ジュピテルの町に侵入してきた人狼の子だ。
「ほら、急げ急げ。早く歩かないと人狼の里にいつ到着するか分からないぞ」
「そ、それは困るね! 急ご!」
案外と余裕はあるらしく、ミドリは気合を入れ直して足を上げる。
しかしまあ、彼女の文句は分からないわけでもない。俺達が今歩いている森は、まったく人の手が入っていない場所だ。足元は凸凹しているし、体力の消耗は大きくなるだろう。
出来れば俺がミドリを背負ってやりたいが、今は生憎と不可能だ。
人狼の少女が目を覚ましてくれればいいんだが、それも期待できない。人の姿に戻って以降、彼女はずっと眠ったままだからだ。ジュピテル医者は、そのうち起きると言っていたけど。
「……でも、皆あっさり送り出してくれたね」
一旦横に並んだミドリは、惜しむように後ろへ振り向いた。
木々に覆われて、今は見えないジュピテルの町。数時間前に交わしたやりとりは、俺も確かに覚えている。
「行ってらっしゃい、って……何だか実家みたいだったね。もう少し重い空気になるかとおもってたけど」
「別に一生の別れじゃないしな。ドヴェルグから貰った転移の魔石もある。帰ろうと思えばいつでも帰れるぞ」
「じゃあ純粋に新婚旅行を楽しんでいい、と?」
「ま、また気の早いことを……」
まあ、ミドリらしいと言えばミドリらしいかもしれないけど。
そんな風に喜んでいる彼女を横目に、俺は背中で穏やかな寝息を立てている少女の顔を覗き込む。
銀髪の、やや小柄な少女だった。歳は俺やミドリより一つ二つ下だろう。甘えるように背中へ喉を擦りつけてくるのがくすぐったい。
「……起きないね、その子。早く私の特等席を返して欲しいんだけど」
「ミドリの場合は単に歩き疲れただけだろ? まあこの子に起きてもらった方が、道案内とかは楽なんだけどさ」
「たたき起こす?」
「止めい」
今のあどけない寝顔を妨害するなんて、文字通り目覚めが悪くなりそうだ。
「でもさ、人狼の里って大体の位置しか分からないんでしょ? 関係者がいない状態で、ずっと歩き続けるのも危険だと思うんだけど……」
「まあ延々と探し続けるのはな。でも里の近くじゃ魔力濃度が上がる筈だから、近付けばそれとなく分かるぞ。今も正面に、妙な圧迫感がある」
「そ、そうなの? 私には全然分んないけど……」
「はは、鍛えれば分かるようになるさ。何なら今度特訓してやろうか?」
「本当!? よ、よろしくお願いします、師匠!」
冗談半分のつもりが、本気で受けとめられてしまった。
でも最低限、魔力を感知する能力は鍛えておいた方がいいかもしれない。危険を察知する上では、魔術師としてもっとも重要な能力だし。
「……いいかミドリ? 俺は戦って欲しくて魔術を教えるわけじゃないからな? あくまでも自衛の手段にしてくれよ?」
「分かってるってー。ユウ君に迷惑をかけないため、しっかり勉強します!」
「本当に分かってんのか……?」
間違いなく分かってない気がする。
それでも今は本人の言葉を信じるしかあるまい、と俺達は再び歩き始める。鬱蒼とした森の中、人狼の住処を探して。
直後。
誰かの悲鳴が、森を揺さぶった。
「ユウ君、今の……」
「ちょっと背中の子、頼む。様子見てくるから」
「う、うん、分かった!」
少女を下ろし、代わりに掴むのは冷たい剣の柄。
悲鳴が聞こえたのは丁度正面。意識を向ければ、魔力の塊がいくつも察知できる。うちの一つは特に濃度が濃い。人狼だろうか?
それ以外の魔力は低濃度だ。恐らく人間だろう。
果たしてどちらが狩り、どちらが追われているのか。
第六感がよこす情報に眉を広めながら、全力で森を駆ける。
「誰か、誰か……!」
いた。
人狼の少女と同じ、銀髪の女の子。やはり人間の形態だ。
ただし年齢は、彼女よりも更に幼い。恐らく十歳にも満たないだろう。視界の左から右へ、息を切らしながら走っていく。
そんな彼女を追うのは、白い甲冑の騎士達。
どう解釈しても多勢に無勢。しかも年端の行かない少女を追いかけ回すとは、欠片ほどの誇りも無いのだろうか。
「……ならこっちも、情けは無用だな」
神魔剣の封を解く。
溢れ出る魔力が、空気を切り替えるその瞬間。一人の騎士が俺の方へと振り向いた。上官と思わしき者の指示を受け、迷わず両手に大剣を構える。
そのまま躊躇わず、一直線に突撃した。
「おおお!」
「……」
雄叫びと共に振り上げられる大剣。――無論、そこに乗っている敵意は構う程のものではない。
一振り。刃と刃がぶつかった、金属音が響く。
直後には、大剣が粉砕される快音が鳴っていた。
「え――」
「ま、こんなもんだよな」
愕然とする甲冑の騎士へ、即座に一閃を叩き込む。
短く悲鳴が聞こえた後、彼は森の奥へ吹き飛ばされていた。自慢の甲冑は痛々しく拉げ、本来の機能を成していない。中に入っている人間も無事では済まないだろう。
無論、その辺りは敵の問題。
俺がするべきことは、少女を救い出すその一点だ。
「た、隊長! コイツは……!」
「ちっ、ギルドが人狼どもの支援を始めたのか……!? 構わん、殺せ! ギルドとの衝突を恐れる必要はない!」
「は、はっ!」
残る数名の騎士も、次々に狙いを変えていく。これで逃げていた少女も、多少は安全な状態となったろう。
あとは全員、戦闘不能な状態へ追い込んでしまえば終了だ。
「いけっ! 今こそ王に、我々の忠義を見せる時だ!」
鼓舞する台詞に押されて、四人の騎士が列を組んで襲ってくる。
だが。
「届くと思うのか?」
「っ!?」
近付く前に、ただケラウノスを振った。
大気そのものが破裂したような爆音が、直後に森林を揺さぶる。
襲ったのはケラウノスの起こした風。されど神の力。四人の騎士は例外なく吹き飛ばされ、その鎧にも無数の爪痕が走っている。
人狼に撃った斬撃と似たようなものだ。とはいえ今回は威力を落とし、その分範囲を広げている。
「っ、いま一体何を……」
「お、恐らく高密度の魔力を飛ばしただけではないかと……古の武具は、一振りしただけで大地を抉り、敵を滅ぼすと聞いたことがあります」
「ば、馬鹿げたことをぬかすな! こんな小僧が神の武具を持っているわけがない!」
「ですが今の攻撃は、紛れもなく――」
「ええい、さっさと仕掛けろ! このまま手ぶらで帰れるものか!」
激高する隊長格の指示に従って、騎士たちは重い腰を上げていく。
……見るからに、彼らからは戦意が欠け落ちていた。これで戦ったとしても興醒めでしかない。次にケラウノスの風圧を浴びせれば勝利が確定する。
それは向こうも分かっているんだろう。剣を構えるだけで、誰一人踏み込もうとはしてこない。
「役立たずどもめ! もういい、私がやる!」
「隊長!?」
苛立ちを吐き捨てながら、男が取り出したのは一丁の拳銃だった。
銃身にはびっしりと文字が刻まれている。魔術にも使用する、神々が使っていたとされる古代言語だ。
「お、お待ちください! その銃は――」
「滅却魔術が入っていることぐらいは知っている! これが掠りでもすれば、相手が死ぬこともなあ!」
「……」
吐き捨てる隊長格に対し、俺は冷え切った目を向けていた。
撃てるものなら撃ってみろと。
お前に俺は殺せないと、挑発さえも込めながら。
「死ねええぇぇぇええ!!」
引き金を絞る。火薬による銃声が、森の中に反響する。
「ユウ君っ!!」
いつの間にか来ていたミドリが、絶叫に近い悲鳴を上げた。
無論。
「――え」
滅却魔術とやらは、俺に触れる直前で砕け散ったが。
二発目はないらしく、隊長格の男は棒立ちしたまま動かない。何が起こったのか理解できず、口を開けたまま固まっている。
「悪いな、俺には最上位の神の加護がついてる。人間が作り出した魔術じゃ、俺には通用しないぞ」
「っ……だ、誰か、剣をよこせ! コイツを叩き切って――」
「それこそ無理だな」
瞬きすらしない一瞬のうちに、隊長格の正面へ移動する。混乱と絶望が入り乱れた表情が、嫌悪感を掻きたてるぐらいによく見えた。
ここから切るのも吹き飛ばすのも、完全に俺の自由。
「ふ……!」
「ぐああああっ!?」
二度目となるケラウノスの風圧が、男を襲った。
一切の抵抗か許されず、彼は奥の大木に激突する。
か、と息を吐いてそれきり。重力に引かれて落ちる上官へ、戦意を失った部下達が近付いていく。
彼らは何度か声をかけた後、こちらを警戒しながら去っていった。先ほどの少女を再び追おうとする危害は見せない。
「ゆ、ユウ君大丈夫!?」
人狼の少女を背負ったまま、意外と余裕のありそうな動きでミドリがやってくる。
「い、今、銃で撃たれて……」
「当たる前に砕け散ったから心配すんな。それよりもさっきの子は……」
「あっちにいるよ」
ミドリが指差したのは、戦場の横にある木の影。そこから、銀髪の少女が顔を覗かせている。
警戒心があるようで、こちらが一歩近づいただけでもビクリと身体を震わせていた。無理に近付こうとすれば逆効果だろう。
しかし、この少女が人狼である可能性は極めて高い。ミドリに預けている少女と同じで、耳と尻尾もある。
「あの、君……」
「は、はいっ!」
警戒を解くわけではないが、少女はきちんと言葉を返してくれた。
思わず安堵の息が零れる。が、まだ問題が解決したわけではない。向こうが警戒している以上、直ぐに人狼の里について聞くかどうかは別だ。
しかし、
「あの、そちらのお方が背負っているのは……」
「ああ、近くの町で保護したんだ。なんで、この先にある人狼の里に送り届けようと思ってさ」
「そ、そうなんですか!?」
途端、隠れていた少女が前に出てくる。
質素なワンピースを着た彼女は、それまでの躊躇いが嘘に思えるほどあっさり近付いてきた。背中の少女が、それだけ大切なのかもしれない。
「あ、ありがとうございます」
思い出したように足を止めると、彼女は深々と一礼する。
「わ、わたし、イーサって言います。背中にいる人の妹です」
「この子、君のお姉さんなのか?」
「はい。先月、町に行ったら行方不明になってしまって……多分、さっきの人達に攫われたと思うんですけど」
「……何者なんだ? 連中」
「長は、セイオウ教会の人達だって言ってました。あ、これから里の方に案内しますね。ついてきて下さい」
もう一度ペコリと頭を下げて、イーサは森の奥へと向かっていく。
その足運びは実に軽やかだ。森という環境自体に慣れているんだろう、流れるように駆けていく。もちろん人の姿のままで。
「……とりあえず行くか」
「そだね。あー、私もう疲れてきちゃったよ。恩人なんだし、何か美味しい食べ物とか、ご馳走してくれたりするかな……?」
「まあ頑張って交渉しろ。あ、俺は腹減ってないから」
「えっ、手伝ってくれるんじゃないの!?」
ミドリからイーサの姉を受け取りつつ、ああ、と無慈悲に返答する。
……それから人狼の里へ移動するまで、ミドリから駄々をこねられたことは言うまでもない。
それぞれにサブタイトル、入れようか入れまいか……




