第64話 今度は、私も話します
投稿をまとめ始めてみると、俺のSNSには思っていた以上に食べ物があった。
帽子の話を探しているのに、生姜焼きが出る。その前には飲み物の話があり、ようやく見つけたフードの写真の下で、俺は褒められて照れていた。
昼の講義を終えたあと、廊下の端でそれを三浦へ見せる。
「困ってる人、ここまで遡るの大変だよな」
「腹減るだろうな」
「そうじゃなくて」
言い返してから、俺も笑ってしまった。
座るとき、服を選ぶとき、帽子をかぶるとき。必要な話へ直接行ける投稿を一つ作り、見つけやすい位置へ置くつもりだった。でも、日付順に並べるだけだと、俺の夕飯も一緒についてくる。
「話ごとに分けたら? 俺なら、今探してるやつだけ見たい」
「うん。全部順番に見てくれって言うのも違うし」
スマホをしまい、二人で歩き出す。向かいから来た学生がしっぽへ目を落としたので、俺は廊下の壁から少し離れ、先を踏まれない位置へ寄せた。
三浦が、飯の話も残しとけよ、と続ける。
「残すよ。俺、あれも見てほしいから」
返事は、思ったより早く出た。
*
帰宅後、公開済みの動画や写真への案内を一つの投稿へまとめた。
座るときの支え、服や袖の工夫、帽子とフード。それぞれ何を見られるか短く書く。未公開の配信履歴へはつながず、見られるものだけを確かめてから投稿し、プロフィールからすぐ開ける位置へ固定した。
帽子の項目を見直していると、雨待ちから個別のメッセージが届いた。
『帽子の話、懐かしいです。あのとき買ったの、まだ使っています』
雨待ちは、耳が変わったことで知り合った女性だ。俺と違って、声や身体のほかの部分は変わらず、しっぽもない。以前、一緒に帽子を探しに行き、そのあとも食事をする友達になった。
まだ使えているならよかったと返すと、少し間を置いて、もう一通来た。
『きつねさんには入らなかったことも、書いてあるんですね』
同じ帽子を試した俺は、高い狐耳が途中でつかえた。あれを誰にでも使える帽子として残すわけにはいかなかった。
そう返してから、おかげで自分も形をよく見るようになったと付け足す。
『私も、買って終わりじゃなかったので。その後のこと、話せるかもしれません』
俺は椅子へ座り直した。
雨待ちが、少しだけ通話できるかと尋ねてきたので、できますと返す。つながった声は、いつもの食事の約束より少し硬かった。
「配信で、です。きつねさんが話してくれるのも嬉しいんですけど、自分で説明したほうがいいところもあるかなって」
「一緒に話してもらえるなら、俺は嬉しいです。でも、耳のこと、今までは名前を出してなかったので」
「はい。そこ、考えてました」
雨待ちは一度息を整えた。
同じ表示名で話せば、以前コメントしていた自分ともつながる。声を聞いた知り合いに気づかれるかもしれない。それでも、帽子を探していたのが自分だと話すところまでは、やってみたいという。
「顔と耳の映像は、まだ出したくないです。仕事の話も。買った帽子を使って、何が楽で、何は変わらなかったかだけなら」
「分かりました。俺も、そこから外れることは聞きません」
俺は机のメモに、本人が話したいことだけを書いた。姿を見せなくても、使った人の言葉は聞ける。
日程を合わせると、二日後の夜が空いていた。音声のつなぎ方を先に試し、話している途中で止めたくなったら、俺へそう言ってもらうことにする。
「私、きつねさんみたいに、しっぽで返事できないので」
「俺も、返事は口でしてます」
思わず言い返すと、向こうで笑い声がした。ようやく、いつもの雨待ちの話し方になった。
*
配信当日、机へ帽子の形を描いた紙と、自分が使っているフードを置いた。
雨待ちは自宅から音声だけで参加する。始める前に挨拶を一度練習すると、俺より落ち着いた声で、こんばんは、と返ってきた。
「俺のほうが緊張してる気がする」
「私は、緊張すると遅くなるんです」
そう言われて、返事を急いで埋めないようにしようと思った。
約束の時間に配信を始め、俺はまず、今日は帽子を試した経験を友達と話すと伝える。
「雨待ちさんです。映像はいつもの俺の手元だけで、声で参加してもらってます」
「こんばんは。雨待ちです。私も耳が変わって、きつねさんに帽子の相談をしました。今日は、そのあと使ってみた話をしに来ました」
言い終えたあと、少しだけ間が空く。
糸日和が、こんばんは、と返した。ねじまきも挨拶をし、以前名前を見たことがあるというコメントが続く。
『耳、きつねさんと同じですか』
その問いに、雨待ちは自分から答えた。
「形は違います。きつねさんのほうが高くて、私が使えた帽子は入りませんでした。今日は画像は出さないんですけど、帽子のどこが当たったかなら話せます」
俺は紙を中央へ寄せる。雨待ちがかぶった帽子を描いたものではなく、上が狭い形と、横へゆとりのある形を並べた簡単な絵だ。
「俺、最初は大きいのにすれば入ると思ってました」
「私もです。でも、頭の周りを緩くしても、耳の横が押されるのは同じで」
雨待ちが言葉を選ぶ間、俺は図の横を指した。
店で試したときは、かぶれた瞬間より、そのまましばらくいて、どこを直したくなるかを確かめたという。俺も隣にいたが、本人が何を気にしていたかは、こうして聞くまで知らないところがあった。
「鏡だと、見た目はちゃんとかぶれてたんです。だから、直したくなる自分のほうがおかしいのかなって」
「外から見えないですもんね。俺も、平気そうだと思いそうです」
「はい。でも、買ったあとも一日中平気になったわけじゃなくて。途中で外して休むのは、今もしています」
俺はフードを手に取った。
自分も、形を直してもらって楽になったあとに、風や縫い目で気になるところがあった。できたものを見せた回だけでは、その後も全部うまくいったように見えたかもしれない。
「俺も、作ってもらったら完成、じゃなかったです。使ってから、ここが気になるって伝えました」
糸日和が、かぶれたことと使い続けられることは別ですね、と返す。雨待ちは、そうなんです、と少し声を強めた。
「だから、私は途中で外せるかも気にします。帽子が見つかったから、休まなくてよくなったわけではないので」
*
その話をしていると、こよりのコメントが届いた。
『私、外せないなら外へ出られないと思ってました。帽子をかぶって行くって決めたら、帰るまでそのままじゃないとって』
俺は文章を読み上げ、雨待ちへ問いかけた。
「雨待ちさんは、どうしてます?」
「外したいとき、人のいるところで平気な日ばかりじゃないです。だから、出かける先とか、一緒に行く人に、途中で休みたいって言うことがあります」
声が一度止まる。
俺は相槌だけ打ち、待った。
「耳を見せたくない気持ちは、今もあります。でも、ずっと我慢できるって言ってしまうと、そっちがつらくなるので」
こよりは、姉となら買い物へ行けそうだと書いた。身体の変化は姉も知っていて、誘ってくれている。でも、帽子をかぶり続けられる自信がなく、返事を決められずにいるという。
『買うもの決めてから行こうって言われてて。どの帽子なら大丈夫か、先に答えないといけない気がして』
雨待ちが、私、と言いかける。
俺は紙から手を離し、続きを待った。
「私がきつねさんと行った日は、買えるものがあるかも分からなかったです。形を見に行って、試せたら試すつもりでした」
「俺も、自分の分は買えなかったです」
あの店で雨待ちに合った帽子が俺には入らず、店員へ返したときのことを話す。何も買わなかった俺も、そのあとの昼飯には一緒に行った。
「買わないと、一日失敗ってわけではなかったです。俺にはこの形じゃ足りないんだなって分かったので」
雨待ちが笑い、私だけ買ってすみませんって言いそうになりました、と続けた。
「覚えてます。俺、飯誘ってもらって嬉しかったんですけど」
「じゃあ、誘ってよかったです」
普通の返事なのに、言い合ってみると少し照れる。机の横でしっぽが動き、パンのみみから、今日はお友達にも返事してる、とコメントが来た。
「口でもしてますからね」
返すと、雨待ちまで笑った。緊張すると遅くなると言っていた声が、今は俺の返事へすぐ重なる。
こよりから、新しい文章が届く。
『まず試しに行きたいって言ってみます。休むことも。姉、今なら連絡つくので、ちょっと抜けます』
「はい。ゆっくり話してください」
雨待ちが先に返し、俺も頷いた。
相手の返事は、俺たちには決められない。でも、何を頼みたいかは、さっきより具体的になっていた。
*
待つために配信を止めることはせず、俺たちは帽子以外の服の話もした。
雨待ちは耳が変わっても着続けている服が多い。俺は身体の大きさもしっぽも変わったので、以前のものをそのまま使えないことが多かった。
「でも、全部違うものにしなくてもよかったです。今も好きで着るパーカー、あるので」
「あのグレーのですか」
「そうです。あれ、袖が余るけど好きで」
雨待ちが知っているのは、以前見せた配信からだった。相談した人の話を聞くだけでなく、俺の服の話も覚えていてくれる。
俺はフードを畳み、次はそのパーカーで話す日もあっていいなと思った。
終わりの挨拶へ移ろうとしたところで、こよりが戻ってきた。
『電話してきました。姉、靴も見ようとしてたみたいです。今度は帽子を試すだけってお願いしました』
続いて、二人の予定が合う休みに行くことになったと届く。休む場所は一緒に探し、きつくなったらその日は帰ると話せたらしい。
『姉が、何をするのが大変なのか分からなかったって。店をたくさん回るつもりだったみたいで、言えてよかったです』
雨待ちが小さく息を吐いた。
「話せてよかったですね。私も、少ししか見てないのに帰りたいって、言いにくかったので」
『帽子が決まってなくても約束できました。ありがとうございました』
その返事へ、雨待ちは、こちらこそ、と言った。俺も同じ言葉を言いかけ、先を譲る。
「私の話を聞いて試してもらえるって、思ってなかったです。今日、来てよかった」
俺は頷いたあと、声でも、また話してください、と伝えた。
*
配信を終えて全編履歴を自分だけに公開し、雨待ちとの通話だけを残した。
向こうで、終わった、と長い息が聞こえる。俺も肩を下げ、コップへ手を伸ばした。
「途中、俺が答えるより、待っててよかったです」
「私も、言っていいんだと思いました。きつねさんの配信だから、ずっと補足だけするつもりだったんですけど」
俺は、あの帽子を使っているのは雨待ちさんですから、と返す。
上手に全部説明できたわけではない。それでも、俺に入らなかった帽子を使う人にしか話せないことが、今日はあった。
雨待ちは考え、途中で休む話なら文章でも残したいと言った。俺が短く書き起こし、本人に直してもらってから、まとめの投稿へ足すことにする。
声を切り抜いた動画の公開は、今夜はしない。雨待ち自身が、まず文章がいいと選んだ。
「それと、次は配信じゃなくて、ご飯行きませんか」
通話を切る前に、雨待ちが言った。
俺は笑って、行きたいです、と答える。今度はきのこのほうのパスタを食べたいと伝えると、向こうも前とは違うものを頼むつもりだという。
話すために会う用事と、ただ会いたい用事が、両方増えていた。
通話のあと、俺は机の紙へ、雨待ちさんに確認、と書いて印をつけた。
これからこの投稿を見つける人は、俺の話だけを手がかりにしなくていい。助けてもらった日を覚えている別の人が、今日、自分の声で話してくれた。
俺は固定した投稿を開き、帽子の項目の下へ足す文章を、自分の言葉でまとめ始めた。




