第62話 机に戻れる場所
料理配信の翌朝、SNSに知らない名前からメッセージが届いていた。
表示名は、こより。昨夜はコメントを書かずに見ていたという。
『料理と関係ないことで、すみません。座っているところを、もう少し下まで見せてもらうことはできますか』
俺は朝飯の箸を置き、続きを開いた。
『私にもしっぽがあって、椅子に座ると挟みます。横へ出すと引っ張られる感じがします。昨日、きつねさんが両手で小鉢を持っているのを見て、どうやって置いてるんだろうと思いました』
画面の下で、自分のしっぽへ目が向く。横の支えに預け、俺はずっと両手を使っていた。今では置いたことを忘れて、箸もスマホも持っている。
でも、最初の配信では、それができなくて困っていた。
俺は夜なら話を聞けると返し、支えに使っているものは見せられると添えた。
*
その夜につないだ音声通話で、こよりは、しっぽ以外に耳も変わったと話した。
もともと女性で、声は変わっていないという。俺より少し慎重な話し方で、何か言う前に、短く息を吸う癖があった。
「病院には行ってるんですけど、家では、とりあえず立ってれば挟まないので。でも、ご飯も本も、ずっと立ったままは嫌で」
俺は、そうですよね、と答える。原因や戻り方は、本人もまだ分からないという。姿を見たわけではないが、座ろうとして腰の後ろを気にする感じは、説明を聞くとよく分かった。
「今、何に座ってます?」
「背もたれのある椅子です。横へは出せます。でも、手で持ってないと落ち着かなくて」
「俺、横に置く場所を作ってます。最初に見に来てくれた人が、箱とタオルを使ったらどうかって」
「箱でいいんですか」
「俺が使えたのは、それでした。椅子もしっぽも違うと思うので、同じ高さがいいかは分からないですけど」
通話しながら、足元の支えを少し引く。
こよりのしっぽは俺ほど毛が厚くなく、長さも違いそうだった。形を動物の名前へ当てはめることはせず、先がどこに触れるのかを聞く。横へ出したあと、先のほうが床に届くらしい。
「私、本を読みたいんです」
話の途中で、こよりが言った。
「スマホなら片手で見られるんですけど。買った本、開いたところ押さえないと閉じるから。しっぽ持って、本押さえて、ページめくってって、手が足りなくて」
俺は机にある講義の資料を見た。しっぽを支えながらでは、紙を揃えるだけでも面倒だったはずだ。
「じゃあ、手を離せる置き方を、一緒に考えたいです。俺のやり方、次の配信で見せてもいいですか。名前も、今聞いた話も出さずに」
「見たいです。文章だと、椅子のどっち側かも迷うので」
明日の夜なら見られるという返事をもらい、俺は時間を決めた。こよりは見るだけでもよく、試して話せそうなことがあったらコメントしてもらう。
通話を終えてから、SNSへ、明日は座るときのしっぽの置き場所を見せると告知した。初回に助けてもらった話もしたいと書くと、ねじまきが、あの箱の続きか、と返してくれた。
*
翌日は帰宅してから、カメラをいつもより下へ向けた。
机を動かす前に、鞄とコードを脇へ片づける。顔を入れず、椅子の座面と横の支えが見える位置を探すと、映像の大半がしっぽになった。
俺は座り直して確認し、少しだけカメラを引く。横へ置いたクッションの端が、ようやく画面へ入った。
配信を始めると、パンのみみが、今日はしっぽ近い、と書いた。
「いつも下が切れてるので。今日はそこを見せたくて」
『ふわふわの置き場』
『本体より場所取ってない?』
「取ってます。俺が遠慮して浅く座るくらいには」
答えると、笑った、とコメントがつく。自分でも少し笑いながら、支えの上に載せた手を動かした。
しっぽはクッションへ預けたまま、俺の両手が空く。
「最初は、これができなかったんです。ねじまきさんに教えてもらって、家にあった箱とタオルを使いました。今も、横に置く場所があると楽です」
『あのときは外せない衣装だと思ってました』
ねじまきの返事に、俺は頷く。
「そうでしたね。俺も、どう説明したらいいか分かんなくて。でも、座れなくて困ってるのは聞いてもらえて」
あの頃の自分が今の配信を見たら、ずいぶん喋るようになったと驚くかもしれない。男だった声も身体も戻っていないのに、笑いながらしっぽを見せている。
俺は膝へ手を戻し、置き方の説明を続けた。
「箱に座ってるわけじゃなくて、俺は椅子です。横のこれは、しっぽを持ち続けなくていいように。椅子とくっつけすぎると、立つとき邪魔なので」
一度立ち、足を引くところも見せる。しっぽが支えから離れると、さっきまで隠れていた箱の上が見えた。
そのとき、こよりの名前がコメント欄へ出た。
『私もしっぽがあって、座る場所に困ってます。空き箱とタオル、用意して見てます』
俺は椅子へ戻った。本人が今ここへ書いた範囲で話せばいい。昨夜の通話を説明する必要はなかった。
「こんばんは。俺のが合うかは分からないですけど、何か使えそうなら。無理な姿勢はしないでくださいね」
こよりから、今置いてみます、と届く。
待つ間、俺はクッションを少しずらして、箱との位置関係を見せた。ねじまきが、最初はバスタオルだった、と補足する。今のクッションは友達が持ってきてくれたものだと話すと、パンのみみが、からあげさん?と尋ねた。
「そうです。飯と一緒に、これも」
『いい差し入れだった』
俺が頷いたところで、こよりの返事が来た。
『ちょっと高いかも。座ると、根元が持ち上がる感じです』
俺は画面へ寄りかけて、見えないのだと思い直す。こちらのしっぽの下が見えても、向こうの椅子は見えていない。
「それなら、いったん戻したほうがよさそうです。俺の高さに合わせなくていいので。何を重ねてます?」
『箱に、タオルを何枚か。きつねさんのクッションくらいまで』
俺は隣の紺色を見下ろした。
「あ、これ、しっぽを載せると結構沈みます。見たままの高さじゃなかったですね」
手で表面を押すと、布がへこむ。使っている自分には当たり前でも、画面では毛に隠れて見えなかった。
糸日和から、布を足す前の高さで確かめられそうですか、とコメントがつく。こよりは、箱だけなら低いです、と返したあと、しばらく書き込まなくなった。
俺は説明のために上げていたしっぽを支えへ戻す。いつもの位置へ落ち着くと、先がゆっくり揺れた。
『そこ、気に入ってるんだね』
パンのみみに言われ、俺はしっぽを見る。
「俺が気に入ってるんです。こいつに別の意見があるみたいに言わないで」
否定した途端に先がまた動き、ねじまきに、意見は一致してそう、と返された。俺は笑って、まあ、そこは、と認めた。
*
『タオル一枚にしたら、さっきより楽です。でも先が落ちます』
こよりのコメントを読んで、俺は自分のしっぽの置き方を見直した。
こちらは毛のある部分がクッションへ広く載る。こよりの先まで同じ場所に収まるとは限らない。
「箱の上から、先がはみ出す感じですか」
『はい。私のはもう少し細くて長いので。先が床に触ると、そっちが気になって本に戻れません』
俺はクッションの端を指でなぞった。高さが合えば済むと思っていたが、載せる場所の広さも違うのだ。
「横へ広いほうがいいのかな。俺のも、端へ寄りすぎると落ち着かないです」
『箱、長いほうを横にしてみます』
こちらが続きを考える前に、こよりが書いた。
しばらくして、まだ少し出る、と届く。そこで糸日和が、ほかにも家にある箱は使えそうかと尋ねた。
『低いのなら、もう一つあります』
俺は二つを同じ高さにする案を言いかけた。でも、こよりは、先のほうは低くてもよさそう、と続けた。
「じゃあ、そっちの置き方で試せそうですか。俺のしっぽと同じ並びじゃなくていいと思います」
画面の向こうで何が動いたか、音も映像もない。俺は待ちながら、自分の椅子から机へ向き直るところを見せた。支えがあっても、椅子を引くと位置は変わる。座ったまま腕だけ伸ばして無理をするより、俺は一度立って置き直すことがある。
説明を終えると、こよりから短い返事が届いた。
『手、離せました』
俺まで両手を膝へ置いていた。
「よかった。机のほうも向けそうですか」
『向けます。今、本開いてます』
コメントが途切れる。
俺はその続きを急かさず、机から自分のノートを取った。支えの位置が分かるよう、椅子の絵へ四角を二つ描く。こよりの部屋を想像で描くのでなく、今の俺の椅子と箱だけだ。
次に見せるときは、毛で隠れるところも分かるようにしたい。
『一ページ読めました。両手使えます』
届いた文章を読んで、俺は顔を上げた。
「おかえり、って言うのも変か。ずっといたんですよね」
『いました。でも、久しぶりに机に戻った感じです』
その返事に、用意していた説明が出てこなくなる。
俺が最初に座れたときも、椅子が使えるだけの話ではなかった。飯を置ける。友達と向かい合える。両手で何かを持って、しばらくそちらを見ていられる。
「じゃあ、続きも読んでください。こっちへの返事は、あとで大丈夫なので」
こよりは、ありがとうございます、と書き、そのあとはしばらくコメントしなかった。
俺は画面へ向かって、嬉しいですね、と言った。しっぽが動くのを止める気にもならず、ねじまきからの、最初の一回が役立ったな、という言葉へ大きく頷いた。
*
配信を終え、履歴を自分だけが見られる設定へ戻してから、こよりの個別メッセージを開いた。
二つの箱で先まで置けたこと。立つときには低いほうが足へ近かったので、少し離したこと。そのあとも座り直して、本の続きを読めたと書いてある。
長く座れるかはまだ分からず、今日は途中で休んだという。
『明日は、ここでお茶も飲みたいです。しっぽから手を離せるので』
俺は、俺もよく机で飲みます、と返した。
何の耳なのか、どうしてしっぽが生えたのかは、今日も分かっていない。でも、明日お茶を置く場所ができた。
続けて、自分の箱の並べ方も、同じように先が落ちる人には話していいと届く。俺は礼を言い、まず自分の支え方を見せた短い説明を作りたいと返した。今日のコメントをそのまま載せず、高さも広さも人によって違うと、自分の説明へ書き足す。
ノートの椅子の絵を見ながら、三浦へ、今日、座れたって言ってもらえた、と送った。
少しして、よかったな、と返る。その次に、じゃあお前もそろそろ飯、と続いた。
俺は時計を見て笑い、炊飯器へ向かう。
自分のしっぽを支えから持ち上げながら、次はカメラをどこへ置けば箱が見えるかを考えた。俺が楽になったやり方を、まだ手でしっぽを持っている人にも見えるように残したかった。




