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男だった俺の、しっぽのある暮らし  作者: あわいしゅん
第章4「この暮らしが誰かに届く」

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第57話 まずは、この服で

 配信の支度をしていたら、机が服で埋まった。

 グレーのパーカーと青いTシャツだけを出すつもりが、比較するならこっちも、とカーディガンを足し、昔のTシャツまで引っ張り出している。ノートを置こうとして、ようやく広げすぎだと気づいた。


「服屋じゃないんだから」


 独り言を言いながら畳み直すと、しっぽが椅子の脚を撫でる。今日は俺一人なので、横から片づけろと言う三浦はいない。

 その代わり、スマホには、引き出し閉まった? と届いていた。告知へのねじまきの返事を見たらしい。


『閉まった。机が使えない』

『順番に出せば』


 もっともなので、今着ている青いTシャツと比べる一枚だけを残す。パーカーとカーディガンは、手の届く横へ置いた。

 下はいつもの茶色の巻きスカートだ。立って全身を見せる予定はなく、胸より下と手元、椅子の横のしっぽが映るように確かめる。服を持ち上げる高さも見てから、画面の端へ今日の話題を出した。

 外へ出る一回分の服。書いてみると、ずいぶん小さな荷物で済みそうな言葉だった。


     *


「こんばんは。今日は、外へ出るときの服の話をします。身体が変わって、前の服が合わなくなったとき、俺がどこで困ったかから」


 挨拶に続いて、ねじまきが、机が見える、と書く。

 糸日和と夕凪へも返事をしながら、俺は机の端を軽く叩いた。


「片づけました。全部出したら、話す場所なくなったので」

『服を紹介する人が追い出されてる』

「まだ俺の部屋です」


 笑って返すと、さっきまで気にしていたノートの書き出しを、読まなくても話せそうになった。

 以前から持っているTシャツを広げる。今着ているものと肩を揃えると、袖も裾も外へはみ出した。


「これ、前は普通に着てたんです。今は着られるけど、肩がここまで落ちる。最初、入るならいいだろって思ってました」

『大きいのは着られそうって思うね』

「そう。小さかったら無理だって分かるんですけど。大きいと、何とかなる気がする」


 俺は袖口から手を入れ、布の余るところをつまむ。

 男だったときの服を、今の女の身体へ通す。慣れてきた今でも、畳んだ二枚の差には、ときどき手が止まる。これが俺の肩幅だったのかと考えるより、着る前のほうがよほど同じ人間の服に見えた。


「家で着るなら好きなんです。でも、買い物で手を伸ばしたときとか、鞄を持ったとき、どうなるかは別でした」


 パーカーへ持ち替え、青いTシャツの上から羽織る。いつもどおり袖を折って、机のコップへ手を伸ばした。片方は何ともない。反対側は折り方が浅く、指を伸ばすと袖口が手の甲へ下りてくる。


「あ。今日もこっちが負けた」

『袖に勝ち負けがある』

「今はあります。右、もう一回」


 折り直す間に、糸日和から、鞄を持った状態でも試してみると違いますね、と届いた。

 用意していた鞄を膝へ載せる。片手で支えて財布を取り出そうとすると、袖より先に、しっぽへ乗った裾が気になった。後ろを直したくても両手が空いていない。


「……今、支払う前にやることが三つあります」

『財布まで遠い』

「家の中なのに」


 いったん鞄を机へ置き、裾をよけてからやり直す。できなくはないが、最初の日にこれを店先でやっていたら、たぶん誰かの視線が気になって、余計に手間取っただろう。


「俺はしっぽがあるから、後ろも引っかかるんですけど。そこがなくても、手を使いやすいかは、着て座ってるだけじゃ分かんないですね」


 誰から聞いた困りごとかは言わず、身体が変わって服を選び直す人から、何を着ればよいか迷うという話をもらったと伝える。

 画面には、俺も買う前は立って鏡しか見ないな、とコメントがついた。


「俺は、このしっぽ用の工夫まで全員にいるわけじゃないです。今日は、そのまま同じ服を買ってくださいって話じゃなくて。自分なら、どこを試すか考えてもらえたら」


 言いながらパーカーを脱ぐと、腕が急に軽くなる。

 青いTシャツの袖は、そのままで手首にかからない。鞄を持ち直し、財布を開けるところまでやってみせると、ねじまきが、会計できた、と書いた。


「まだ何も買ってないです」

『じゃあ卵焼き一個』

「服の話です」


 声に出して笑う。今日は誰かの助けになる話をすると決めていたのに、いつものコメントで、いつもと同じように脱線する。

 でも、今の動作を誰かと笑えるくらいのほうが、俺は続きを話しやすかった。


     *


『上下まとめて変えないと変でしょうか。上だけ前の服だと、ちぐはぐに見えそうで』


 知らない表示名から届いた問いを読み、俺は横へ置いたパーカーを見る。

 その人がどんな姿で、何を持っているかは分からない。ハルかどうかも、名前だけでは決められなかった。


「俺、これ、前から着てたものです。下は今の身体に合わせてます。ちぐはぐに見えるかは、組み合わせ次第だと思うけど、全部買い直さないと出ちゃ駄目ってことは、ないと思います」

『好きな服だったら残したいよね』


 夕凪の返事に、俺は頷いた。


「残したいです。今の身体でも着られるなら、着たい。逆に、好きでも外だと使いにくいのは、家で着るほうへ回しました」


 昔のTシャツを畳み、机の脇へ戻す。

 手放すか残すかだけを考えていた頃より、置き場所が増えた気がした。家なら着たい、短い買い物なら使える。そうやって分ければ、今日の外出へ全部連れて行かなくて済む。


『買うならサイズはどうやって決めましたか』


「俺、最初は友達に手伝ってもらいました。ただ、前に買ってた大きさは、もう当てにならなくて。今の服でも、同じ表示なら全部同じ、とはいかなかったです」


 糸日和が、手持ちで楽な服の寸法と、買うものの寸法を比べる方法もあります、と続ける。別の人からは、店で試着できるか聞いた、と届いた。

 俺はノートの余白へ、今、楽なもの、と書き足す。


「分かんないまま売り場へ行くの、怖かったです。どれを手に取ればいいかも分からないし。だから、今日はこの一枚に合わせるもの、って決めて行くのは、俺にはよさそうです」


 カーディガンを取り、Tシャツの上へ羽織った。これは袖を折らずに手が出る。財布を出し、戻し、鞄の持ち手を握っても、途中で布を直さずに済んだ。


「この組み合わせは、前にも出かけたので。飲み物買うとき、袖を押さえなくていいの、結構助かりました」

『その色、やっぱり好きです』


 夕凪の文字を見て、俺は生成りの袖を見下ろす。


「俺も、これ、好きです。青いのと合わせると、何か、顔の下が明るくなる感じがして」

『顔は想像します』

「そこは引き続き、それでお願いします」


 口元が勝手に緩む。男だった頃、上着の色を変えただけでこんなに見てもらうとは思っていなかった。今の姿に似合うと言われると嬉しくて、返事をしてから、自分が嬉しそうな声を出したことにも気づく。

 椅子の横でしっぽが動き、ねじまきが、色の感想はそっちにも出る、と書いた。


「それ、服を選ぶ基準にはしないでください」


 笑ったあと、カーディガンの前を少し整える。


「好きかどうかまで、最初の一回で決めなくてもいいと思うんです。でも、楽だからこれにしようって選んだ中で、ちょっと好きなのがあったら、それも着る理由にしていいんじゃないかなって」


 俺自身、最初はしっぽを通せるものと、身体へ入るものを探すだけで手いっぱいだった。今は明るい色をまた着たいと思っている。その順番まで、誰かが一度に追いつく必要はない。


 さっき上下の服について聞いた人から、まず今の上着で鞄を持ってみます、と届く。


「はい。俺も今日、財布出すまでやってよかったです。袖折ったから大丈夫って思ってました」


 別の人は、靴も履いて玄関まで行くと、裾の長さが気になる、と書いていた。

 俺は頷き、しっぽのある自分の場合は後ろへ布が寄るので、座り直すことも試したと返す。みんなの話を全部ノートへ写そうとすると、もう行が足りない。今日の自分に使えそうなものを選んでもらえればよいのだと、ペンを置いた。


「今日出した中だと、俺はこれで出かけたいです」


 カーディガンの袖を軽く持ち上げる。

 パーカーも残すし、家ではまた着る。けれど、次に外へ着ていく一組は、今、膝の上にある鞄と一緒に決まっていた。


     *


 配信を終え、全編の履歴を自分だけが見られる状態へ戻す。

 マイクを切って鏡の前へ立つと、座っていた間についたスカートの皺が見えた。撫でて直し、鞄を肩へ掛けてみる。耳を隠す帽子はまだ机の横だが、明日、着る服にはもう迷わなくてよさそうだった。


 スマホが鳴り、ハルからの文章を開く。


『聞いてました。自分の服でも、やってみました』


 俺は椅子へ戻り、続きを待つ。


『前のTシャツ、立ってると大丈夫そうだったんですけど、鞄を持つと肩からずれて、首のところが気になりました。上着で隠せばいいと思ってたけど、歩くたび直すのは嫌だなって』


 俺が袖に手を取られている間、ハルも自分の服へ腕を通していた。

 画面に映らなかったその動作を思うと、すぐに返す言葉を選びたくなる。


『試すと分かるところ、ありますよね。ほかに着られそうなの、ありました?』

『一枚だけ、家で着てるのが。そっちはずれませんでした。今日はそれで靴履いて、玄関まで行きました』


 玄関の外へ出たとは書いていない。

 それでも、手持ちの服を眺めていた人が、その一枚を着て、外へ行く支度を試したのだ。


『石田に、このTシャツに合わせる下を見たいって送りました。店も一緒に調べるって返ってきました』


 俺は足元の鞄へ目を落とした。

 自分が見せたスカートを、ハルも選ぶとは限らない。俺には合う首元が、相手にも楽だとは限らない。それでも、鞄を持ってみることは、向こうの部屋でもできた。


『下、まだ何にするか分かんないです。でも、店で困ってるって言うより、何を見るか言えました』

『うん。それなら、一緒に探し始められそうですね』


 送ったあと、ハルから、ありがとうございました、と届く。

 俺も、試した話を聞けて嬉しいです、と返した。買い物へ行く日はこれからで、そこでまた迷うこともあるだろう。今日は、その前に着ていく一枚が見つかった。


 三浦へは、配信が終わったことと、明日はカーディガンを着ていくつもりだと送る。


『服の相談して、自分の明日の服も決まったの』

『決まった。財布も出しやすい』

『じゃあ昼飯の会計は早いな』

『何食うかで迷うかもしれない』


 返事をしながら、俺は笑う。

 ハルの話を聞くために出した服で、俺も明日の昼飯へ行く。似合うと言われた上着を着て、たぶんメニューの前で三浦を待たせる。

 机を片づけ、青いTシャツとカーディガンだけを、明日の分として脇へ置いた。さっきハルが選んだ一枚は何色だろうと、畳んだ袖へ触れながら思った。

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