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男だった俺の、しっぽのある暮らし  作者: あわいしゅん
第3章「街にも、俺の居場所を」

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第56話 俺にできること

 配信の翌日、昨日の相談をした人から個別のメッセージが届いた。

 午前の講義が終わり、廊下へ出たところだった。俺は人の流れから少し外れて、文章を開く。


『会ってきました。食べたいものを聞いたら、前によく買っていた弁当がいいと返ってきました。顔を見たときは驚いたんですけど、その弁当を食べながら、少し話せました』


 俺はそこで一度読む手を止めた。

 昨日の画面にあった、何を言えばいいか分からないという文章が、今日は、会って話したという続きを持ってきている。


『ちゃんとした言葉を考えて行ったのに、結局うまく言えませんでした。でも、味変わってないねって相手が言ったので、そこから話せました。まだ分からないことはあります。また来ると言って帰りました』


 俺はもう一度、最初から読んだ。

 知らない二人が弁当を食べている場面を想像する。俺はそこにいなかったし、どんな顔で言葉を探したかも見ていない。

 でも、会う前に止まっていた人が、帰るときには、また来ると言えたのだ。


『知らせてくれて、ありがとうございます。うまく言えなくても、話を続けられたんですね』


 そう返すと、少しして、はい、と届いた。


『昨日の話を聞いていなかったら、信じられるかどうかばかり考えていたと思います。先に、本人へ何をしてほしいか聞いてもよかったんですね』


 俺はスマホを持ったまま、しばらく立っていた。

 相手が信じたかどうか、身体の変化が本当にあったかどうかを、この文章だけで俺が決めることはできない。

 それでも、二人が次にまた会うと話せたことは、今、聞けた。

 そのことが、ちゃんと嬉しかった。


「瀬川さん」


 顔を上げると、森野がノートを持って立っている。


「このあと、お昼行きます?」

「はい。行きます」


 俺はスマホをしまい、森野と歩き始めた。

 今日も、通りかかった学生がしっぽを見る。昨日の返事を思い出していても、人の目が急に平気になるわけではなかった。

 ただ、今朝の俺には、その視線とは別に考えたいことがあった。


     *


 その週の日曜、ハルからも連絡が来た。

 石田が家へ来て、食事をしたという。俺は自分の夕飯を作る前で、空いているので少し話せると返した。


 つながった声は、少し疲れていた。

 でも、最初の一言で、会えました、と聞いたとき、俺も笑って返せた。


「どうでした?」

「玄関では、また固まってました。映像で見たのに、直接だと違うって」


 ハルが少し笑う。

 俺も、そうなるかもしれないと思ってました、と返した。


「でも、石田が飯持ってるの見たら、あ、来たんだなって思って。とりあえず入ってって、言えました」


 相手は部屋を片づけ、飲み物を用意して待っていた。

 何を着るか迷い、鏡を何度か見てから、家で普段着ているものを選んだという。俺にも覚えのある支度だった。


「前の家へ遊びに来たことある人だから、部屋は知ってるんです。顔だけ知らないみたいな、変な感じで」

「うん」

「最初、石田、どこ見たらいいか分かんないって言って。自分も、じゃあ何見てればいいんだよって返して」


 その答え方で、俺は笑ってしまった。

 ハルも笑い、そこから少し話しやすくなったと続ける。


「飯、温めようって。冷めてたので。レンジ動かして待ってる間も、何を話せばいいか考えたんですけど、結局、お前の冷蔵庫、今どうなってるって聞かれて」


 相手は買い置きのものや、自分で作った残りを見せたらしい。

 石田は昨日までのハルがどんな暮らしをしていたかを、部屋の中で少しずつ知った。以前と同じものも、今は違うものもある。

 顔だけを見て本人かどうか考えている時間から、今日何をしているか聞く時間へ変わったのだと思う。


「全部、前どおりじゃなかったです。石田も、今の姿のことは気になるって言ってました」


 ハルが一度間を置く。


「でも、次に買い物行くとき、時間合ったら一緒に行こうって。自分、服がまだ足りなくて、それ話したら」


 俺は机の端へ手を置いた。


「今着られる服、少ないんですか」

「前のは、大きすぎるものが多くて。外で着るものが、自分では何を選べばいいか分からないです。店へ入って、どこを見ればいいかも」


 次に困ることが、一つ言葉になっている。

 電話ができたら全部終わりではなく、会えたら全部元どおりになるわけでもない。昨日まで自分だけで考えていたことを、今日は石田へ話せた。


「きつねさんが話したみたいに、俺、今日はここが困ってるって言ってみました。分かんないこと全部じゃなくて」


 俺は、はい、と返した。

 誰かへ話してもいい困りごとがある。その続きを考える相手がいる。

 そこまで行けたことを、相手が今、自分の声で知らせてくれている。


     *


 通話を終える前に、俺は服の話をもう少し聞いた。

 外へ出たいのは、まず家の近くの買い物だという。家へ閉じこもったまま仕事のことを考えても、先へ進まない気がしていると話す。


「俺も、最初は外へ出るための服から考えました。全部揃える前に、まず一回、買い物へ行ける分を」


 伝えると、ハルが、それ、聞きたいです、と返す。


「どういうものを選んだかとか。どこが合わなかったかとか。自分も、石田に何を一緒に見てほしいか、考えたいので」


 俺はノートを開く。

 前から着ていたTシャツ、腰で留まらなかった服、しっぽのために変えた形。ハルには耳もしっぽもないので、俺のもの全部が役に立つわけではない。

 でも、何をするために服を選ぶか、どこを測って、何から試したかなら話せる。


「それ、次の配信で考えてみたいです。俺の経験と、今着てるものを使って。ハルさんの名前や、今日の詳しい話は出さずに」


 言うと、相手が少し明るい声で答えた。


「はい。自分が困ってるのは、外へ出る一回分の服なので。そこを匿名で話してもらえるなら、聞きたいです」


 俺はその範囲を確かめ、ノートへ短く残した。

 今から買い物へ連れて行く約束でも、正解の服を全部選ぶ約束でもない。まず、本人が何を試したいか考えられる時間を、自分の配信で作ってみたい。


 ハルへ礼を言い、今日は挨拶をして通話を切った。

 夕飯の支度を再開し、鍋へ火を入れる。自分の飯を後回しにして電話へ出たので、腹はもう減っていた。

 食べながら、今夜聞いたことを思い返す。

 俺が何かを治したわけではない。石田と話したのも、玄関で迎えたのも、服に困っていると伝えたのも、ハルがしたことだ。

 その前へ、俺の経験を少し置けた。

 それなら、次にも置けるものがあるかもしれない。


     *


 食後、三浦へ今から話せるかと聞いた。

 つながった通話で、俺はノートを前へ置き、次に外へ出るための服を考える配信をしたいと伝える。


「いきなり服の相談?」

「この前、最初の日の話を聞いてくれた人から、続きが届いて。今、外へ出たいけど何を着ればいいか迷ってる人もいるので」


 相手の名前や詳しい事情は、ここでは話さない。

 俺がどうして次にそれをしたいかを、先に言葉へする。


「俺、配信で、同じように困ってる人の助けになることをしたい」


 声に出すと、少し背筋が伸びた。

 相談に来る人は、自分と同じ姿ではないかもしれない。友達や家族が代わりに聞きに来ることもある。

 それでも、自分がここまで来るのに使った経験は、ほかの誰かにも渡せると、今は思えていた。


「何て言えばいいか分からなくて止まってる人に、俺も分かんなかったって話せる。服なら、最初にどこが困ったかも。全部の答えはないけど、次を一緒に考えることなら、できるかもしれない」


 三浦は最後まで聞いてから、うん、と返した。


「じゃあ、次は服、実際に並べてみればいいんじゃない。お前、昔のも残してるし」

「うん。合わなくなったのも、今着てるのも出せる」

「買い物で何聞いたかも、思い出せるだろ」


 俺はノートへ一つずつ書く。

 目標の言葉だけなら、大きすぎて何をすればいいか分からなくなる。次に机へ出すものと、話すことが決まると、少し具体的になった。


「飯食う配信とか、普通の雑談も続けたい」

「続ければいいだろ。俺、毎回、最初の日の話ばっかりはしないぞ」


 返事がおかしくて、俺は笑う。


「分かってる。俺も、今日食ったものとか、面白かったこと話したい」

「それがあるから、次の相談もできるんじゃないの」


 俺はその言葉を聞き、しっぽを椅子の近くへ寄せた。

 人を助けるために、自分の暮らしを置き去りにしたいわけではない。この姿で食べて、外へ出て、照れて、失敗して笑う。その続きを、誰かに見つけてもらえたらと思う。


 三浦へ礼を言い、次の配信の日を決めた。

 最初は俺一人で服を並べ、三浦は時間が合えば見に来ることにする。今回はゲストとしての参加を決めず、友達が買い物へ付き添うときの話は、また別に考えたかった。


     *


 通話を切り、SNSの入力欄を開いた。

 次に何をするかを書く前に、今、自分が話したいことも残しておきたかった。


『俺は、身体が変わって困ったところから配信を始めました。最近、自分の経験を聞いて、次に誰かへ話しかけたり、外へ出ることを考えたりした人がいると知りました。これからは、同じように困っている人と、そのそばにいる人の助けになる話もしていきたいです』


 読み返し、その下へ続ける。


『次は、まず一回、外へ出るための服を考えます。自分が合わなかったものと、今着ているものを並べます。全部同じようにはいかなくても、何から試すか一緒に考えられたら嬉しいです。いつもの雑談や食事も、またやります』


 告知する時刻を添え、送った。

 名前や個別の経験を出さなくても、俺が次に何をしたいかは書けた。


 しばらくして、糸日和から、楽しみにしています、と届いた。

 ねじまきは、昔の服、引き出し閉まる分だけ出せよ、と書いている。夕凪は、前みたいに色を合わせる話も聞きたいと返してくれた。

 俺は笑い、全部を一晩ではできませんけど、と答える。

 その続きへ、ハルから、聞きに行きます、という個別の返事が来た。


 机の横の引き出しを開く。

 グレーのパーカーと、今の大きさに合ったTシャツ。腰の形を変えた服も、前から使っているものも、俺が暮らすために選んできたものだった。

 まず二枚を取り出し、机の上へ置く。


 誰かに見られることが、いつも嬉しいわけではない。

 街でも画面の向こうでも、俺の姿を先に面白がる人はいる。理由は今も分からず、元へ戻る方法も知らない。

 それでも、ここから誰かへ渡せる話がある。


 俺はノートの新しいページへ、外へ出る一回分、と書いた。

 男だった俺が、しっぽのある暮らしで覚えたことを、次は誰かが自分の暮らしへ持って行けるように。

 最初の配信で助けを求めた机に、今日は、俺から話したいものを並べていた。

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