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男だった俺の、しっぽのある暮らし  作者: あわいしゅん
第3章「街にも、俺の居場所を」

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第55話 今日の飯からで、よかった

 開始の二十分前に、三浦との通話をつないだ。

 あいつは自宅から声で参加する。俺も夕飯を済ませていて、今日は食べるものを机へ並べていない。置いたのは、ノートと水のコップだけだった。


「こっち、聞こえる?」

「聞こえる。そっちは?」

「大丈夫」


 一度だけ声を合わせ、いつもの手元の画角を確かめる。

 耳の映像を見たいという返事も告知へ来ていたが、今日はそちらを映す予定はない。頭の上はカメラへ入れず、今の俺の声で、最初の日の話をしたかった。


 ノートには、電話、部屋、飯、と三つ書いてある。

 初めはもっと細かく書こうとした。低く喋ろうとしたこと、写真を送ったこと、長いクッションを買って来てもらったこと。

 でも、全部を書き終えてから話すのでは、三浦が何を覚えているかを聞く余地もなくなる。


「俺、最初に何て言ってた?」


 通話へ尋ねると、三浦が少し笑う。


「それ、今聞いちゃう?」

「……配信で聞くつもりだった」

「じゃあ、あとで」


 俺も笑い、ノートを少し横へ寄せた。

 今日話すのは、うまくできた手順ではない。男だった俺が、変わった声で友達へ電話し、結局その日の昼飯を食べるまでの話だ。

 それを、自分の言葉で渡せたらと思っていた。


     *


「こんばんは。今日は、身体と声が変わった最初の日に、友達と何を話したかを話します」

「こんばんは。からあげです」


 挨拶が届き、俺も幾つかを拾う。

 ねじまきが、初日のクッション係、と書く。三浦は、そうです、弁当も買いました、と返した。


「今日は、俺がどう説明して、どこで通じなかったかも聞きたいので。まず、電話したときのことから」


 俺はマイクへ向き直る。

 低くしようとした声のことを思い出し、普段より少しだけ喉へ力を入れかけた。今やって見せなくてもいいと思い、いつもの声へ戻して続ける。


「俺、まず、俺だよって言ったと思うんですけど」

「本人だと思わなかったから、誰って聞きました」

「何回も、俺だって言った」

「うん。だから、スマホを誰かに渡したのかなって」


 コメントに、分からなくなるよね、と届く。

 三浦は、普段知っている声と違うので、名前が合っていてもすぐには結びつかなかったと話す。


「こっちは、俺が困ってるんだから分かってくれよって思ってたんです。でも、向こうには、誰が困ってるかも伝わってない」


 言うと、三浦が、そう、と返した。


「最初に、声が変わったって聞いてたら、また違ったとは思う。でも、あの日、本人も何が変わったか整理できてないだろ」

「できてなかった。椅子にも座れないし、服も変だし、声も違うし」


 書き始めようとした手を止める。

 今思えばこう言う、ということと、あの朝できたことは違う。それでも、できなかった理由まで覚えているなら、そのまま話せた。


「今だったら、最初に、声が変わったけど俺ですって言います。でも、当日は、そう言うのも思いつかなかったです」


 糸日和から、説明する前にも生活の困りごとがあったんですね、と届く。

 俺は頷き、しっぽを置いていた段ボールの話をした。ねじまきが、タオル敷いた、と続けたので、そうです、と返す。


「俺だけで考えたわけじゃないです。最初の配信で聞いて、教えてもらって。原因より先に、今座る場所が必要だったので」


 初めて来たという人が、耳を見せる配信から知りました、と書く。

 俺は礼を言い、最初は耳を映していなかったことも伝えた。全部見せて説明できるようになる前から、生活の工夫を聞いていたのだ。


     *


 次に、写真と映像の通話で三浦へ姿を見せた話をする。

 前の顔の写真を出す予定はなく、二人で何を話したかだけを伝えた。


「シャツのこと、聞かれたよな」

「ああ。前に一緒に買ったやつに見えたから」

「二枚で安くなるから、まとめて買って」

「俺のほう、洗濯でティッシュ入れちゃったんですよ」


 俺はそのときの返事を思い出して笑う。

 三浦も笑い、画面の俺がその話を言い返すので、喋り方は本人みたいだと思ったと続けた。


「それで、全部信じた?」

「そこでは、まだ無理。でも、お前が困ってるのは分かった」


 短い返事を聞き、俺はノートへ目を落とす。

 来てもらう前に、全部を納得させたわけではなかった。三浦も分からないまま、今ここで俺と何をするかを選んでくれたのだ。


「見て分かったら来る、じゃなくて、来てからも考えてくれたんですね」


 パンのみみのコメントを読むと、三浦が、そうです、と答える。


「行っても、俺に原因は分かんないです。ただ、座れないとか、飯まだとか、そういうのなら聞けるので」


 俺は、それで助かったんです、と返した。

 今、何に困っているかを尋ねられると、全部を一度に説明しなければという気持ちが少しほどけた。


「弁当も、いつもの好きなやつでした。今の見た目で、何を食べるか決められなくてよかった」

「聞いたら、いつものにしてって言ったから」


 当たり前のような返事が、今も嬉しい。

 女の身体になった俺が、何を食べたいかまで自動的に変わったわけではない。量は後から違うと気づいたが、あのときは、以前好きだった飯を友達と食べられた。


『服の好みも、全部変わるわけじゃなかったんですね』

「はい。グレーの服も、今も残してます。違う色も着てみたくなりましたけど」


 夕凪から、青の服も好きなんですね、と届く。

 俺は、はい、と返して少し笑った。男だった頃のものを残すことと、今の姿で違うものを選ぶことを、どちらか片方へ決めなくてもよかった。


 暮らしの話は、その日だけでは終わらない。

 でも、あの昼にまず食べたことがなければ、服や病院や、次の配信を考える余裕もなかったと思う。


     *


 コメントへ、少し長い文章が届いた。

 見たことのない表示名で、周りの短い返事の間に残っている。


『身近な人から、身体と声が変わったと言われています。明日会う予定なんですけど、正直まだ信じきれません。何を言ったらいいのか考えてしまって』


 俺は読み終えてから、三浦へ尋ねる。


「今、読めた?」

「うん」


 相手がどんな変化をしたかも、二人がどういう関係かも、その文章だけでは分からない。

 場所や名前を尋ねる代わりに、俺は自分たちの話へ戻した。


「俺の友達も、最初から信じきってたわけじゃないです。今の話を聞くと、会って何かするのは、そのあとからでもよかったんだなって思います」


 三浦が、俺の場合は、と言って続ける。


「何て言えば正しいかより、今日、何が要るって聞きました。俺が驚いてるのは、本人も分かってたと思うので」

「分かってた。顔見せたら、もっと驚いたし」


 俺は笑ってから、画面の文章をもう一度読んだ。


「信じられないから嘘だって決めるのは、俺はきつかったと思います。でも、分からないまま聞いてくれてるなら、俺も話したかったです」


 返事が来るまで、少し間が空いた。

 俺は焦って言葉を足さず、水を飲む。


『何か気の利いたことを言わないとって思ってました。明日、食べたいものあるか聞いてみます』


 文章を見て、俺は少し息を吐いた。

 その人が誰に会うかは、まだ知らない。明日どんな反応があるかも分からなかった。でも、今ここで、相手へ何を聞きたいかが一つできた。


「その人が、食べられるものとか、今欲しいものを話せるといいですね。俺たちも、最初、そこからでした」


 答えると、三浦も頷くような声で、うん、と続けた。


 まめもちから、本人に聞けばいいんだな、と届く。

 別の人は、困っている家族にもつい原因ばかり聞いてしまう、と書いた。俺は原因も知りたいけれど、今日何を食べるかも大事でした、と返す。

 身体が変わった本人だけでなく、どう接したらいいか迷う人も、ここにいるのだと分かった。


     *


 残りの時間は、服や寝る場所を決めていった話をした。

 靴の大きさが合わなくなっていたのを、三浦へ言われるまで確かめていなかった。外へ出られないなら靴なんて要らないと思ったが、いつか買うためにも、今の足の大きさは必要だった。


「今日と明日のこと、先に書いたんだよな」


 俺が言うと、三浦が、その先も考えたけど一度に無理だろ、と返す。


「服、寝る場所、連絡。全部一緒に考えると、何から手をつけるか分かんなくなるので」

「俺、原因はって聞いたけど、あのときは、まず明日の講義の連絡だった」


 そこから、言える理由と、まだ説明できない事情を分けて考えた話をする。

 大学の名前や担当者のことは出さず、自分が欠席や課題の連絡をしたところまでを伝えた。


 誰かのために話そうと思って始めたのに、俺自身も、あの日助かったことを改めて聞いている。

 三浦が全部を知っていたわけでも、ねじまきが俺の身体を見ていたわけでもない。それでも、聞いて、試せる言葉を渡してくれた。


「今も、これで全部できるようになったわけじゃないです。でも、最初の一日を過ごせたら、次に考えることもできました」


 俺はそう話し、ノートへ視線を落とした。

 電話、部屋、飯。書いたときには昔の出来事だった三つが、今日は誰かの明日の話にもなっている。


「今日、聞いてくれてありがとうございました。俺の経験なので、同じようにいかないところもあると思います。でも、まだ話せることはあるので、また考えたいです」


 三浦も挨拶をし、配信を終えた。


     *


 履歴を本人だけ公開へ戻し、三浦との通話だけを残す。

 俺は椅子へ座り直し、昨日より書き込みの増えたノートを見る。


「今日の、長いコメント」


 俺が言うと、三浦は、明日会う人、と返す。


「うん。何を聞くか決めてくれたの、少し嬉しかった」

「俺が昔お前に聞いたことだからな」

「そう。それを、ほかの人にも使えるかもしれないって、今日思えた」


 三浦が少し笑う。

 俺も笑い、今度はどう話すかを考えるとき、耳をどう見せるかだけじゃなくて、何を聞いてもらいたいかを先に考えたくなった。


 写真から知った人も、雑談が好きで来た人もいる。

 その中には、自分や身近な人が困っていて、今夜の話を必要としていた人もいるかもしれない。

 全員へ同じことをしてあげられるわけではない。でも、俺が経験した失敗と、そのあと何をしたかは、話せる。


「明日、どうなったか、知らせてくれるかな」

「来たら、また聞けばいい。今日、話した人も、自分で会いに行くんだろ」


 返事を聞き、俺は頷いた。

 まだ何も解決したと決まっていない。その人たちが次に話すところまで、俺が一緒にいるわけでもない。

 それでも、明日会う相手へ聞きたいことができたなら、今日の話は届いたのだと思う。


 三浦へ礼を言い、通話を切った。

 SNSへ今日のお礼を載せると、先ほどの表示名から、聞いていてよかったです、と返事が来る。

 俺は、話してくれてありがとうございました、と返した。


 コップを洗いに立つ前に、ノートの端へ一行足す。


 困っている本人と、そばにいる人へ。


 書いた言葉を見て、俺は少しだけ背筋を伸ばした。自分がこの声で話せる相手は、思っていたより広いのかもしれなかった。

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