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男だった俺の、しっぽのある暮らし  作者: あわいしゅん
第3章「街にも、俺の居場所を」

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第51話 耳のない人から

 小山に、昨日の配信を見たと言われた。

 昼休み、森野と三人で食堂へ向かう途中だった。俺が帽子へ手をやると、小山は、そのままでいいです、と慌てて付け足す。


「ここで見たいって話じゃなくて。あの、三浦さんに言い返してるところ、面白かったです」


 俺は手を下ろし、少し笑う。

 頭の上へカメラを向ける間、画面を見ようとして何度か顔を上げかけた。三浦に止められ、コメントを読もうとしたんだよと返した。そのところを覚えられていた。


「耳を見せるより、姿勢保つほうが大変でした」

「分かりました。途中、友達が画面見てくれるって言ってたから」


 森野も一部を見たと話す。

 彼女は俺の帽子を一度見てから、実際に映ると、帽子を選ぶ話も分かりやすかったと言った。


「顔は、まだ映してないんですね」

「はい。今は、そこまでで」


 答えると、二人は頷き、昼食の列へ進む。

 以前なら、二人にも耳を見せたほうがいいのだろうかと迷ったかもしれない。今日は、画面でどんな話が伝わったかを聞けたことが、先に嬉しかった。


 食堂では俺を見て、耳の人、と小さく言う声がした。

 どこで見た人なのかは分からない。写真かもしれないし、昨夜の配信かもしれない。その呼び方を気にしながらも、俺は森野から渡されたメニューを見て、今日は何を食べるか考えた。


     *


 帰宅後、昨日の録画を開いた。

 耳を映す前、俺が今日見せるところを説明している。三浦が画面を確かめ、俺が頭を傾けると、髪の上へ耳が入った。

 顔は映っていない。それでも、自分がどんな姿勢で喋っていたかは、昨日の首の疲れでよく覚えている。


 写真の返事をするだけではなく、耳と帽子の話をしたかった。

 その部分を残せば、昨日来られなかった人にも伝わるかもしれない。


 三浦へ、耳の形と帽子の余裕を説明したところを短くまとめたいと送る。

 返事は、先に見せて、と届いた。俺は自分が映す範囲を話すところから始め、耳の映像と、手元の紙の耳、フードの説明へ続くようにした。

 コメントの名前は入れない。顔が出ていないことも、もう一度確かめる。


 切り出したものを三浦へ送ると、声だけの返事が途中で切れていたと指摘された。

 そこを直し、見てもらってから、SNSへ載せた。


『耳と帽子の話をした部分を、短く残しました。紙で考えていた形と、実際にかぶるときの違いです』


 耳の写真が流れたから、何でもいいので自分の映像を置きたかったわけではない。

 俺が何を考えて、何を試しているかが分かる形を残したかった。


 夕飯を食べ、机へ戻ると、返事がついている。

 形が分かったという人も、かわいいという人もいた。糸日和は、布の当たり方まで話したところがよかったと書いてくれた。

 俺は礼を返し、今日の録画を閉じる。


 そのとき、見覚えのない名前から個別のメッセージが届いた。

 表示名は、ハル。


『急にすみません。昨日の配信と、今の動画を見ました。説明も読みました。男から女の身体に変わったという話は、本当に起きたことなんですよね』


 俺は読み終わってから、椅子へ座り直した。

 真偽を尋ねる文章なら、これまでも届いている。でも、今夜のものは、確かめる言葉のあとに、もう一行あった。


『自分もそうなりました。でも、耳もしっぽもありません』


 机の横へ載せたしっぽを見る。

 それがない人。頭の上にも、何もない人。

 俺が姿を変えて外へ出ると、まず珍しいしっぽへ目が向く。この人には、そもそもその目印がない。


『俺が話したのは、自分に起きたことです。そちらのことは、まだ分かりませんが、話を聞くことはできます』


 そう返すと、すぐに次の文章が来た。


『ありがとうございます。耳の映像を見てから、連絡してみようと思いました。姿が変わっても、その声で普通に話していたので』


 俺は自分の最初の配信を思い出した。

 普通に話せたわけではなかった。声を低くしようとしたし、何をどこまで言うか分からなかった。でも、昨日の俺は三浦に言い返し、形を説明し、最後には笑っていた。

 それを見た人が、今、連絡してきている。


『文章だと、書いているうちに消してしまうので。もしよければ、少し声で話せませんか』


 時計を見る。

 明日の講義は午後からで、今日はまだ時間があった。俺は、顔を映さない音声通話ならと答え、相手もそれでお願いしますと返す。

 通話を始める前に、俺は三浦へ短く連絡した。


『身体が変わったっていう人から連絡きた。今から少し話す。まだ、その人のことは分かんないけど』


 返事は、終わったらお前の様子だけでも聞かせて、と届く。

 俺は頷き、相手との通話をつないだ。


     *


 ハルの声は、女性の声に聞こえた。

 それだけなら、俺がいつも配信で使っている声も同じだ。今聞こえるものから、以前がどうだったかは分からない。


「こんばんは。きつねさん、でいいですか」

「はい。ハルさんで、いいですか」

「はい」


 相手はそのあと、少し黙った。

 俺もすぐに質問を重ねず、机へコップを置く。マイクの小さな音へ、向こうで息を吸う気配がした。


「変わったのは、少し前です。仕事を休んでて、家からあまり出てません」


 働いている人なのだと分かった。

 年齢や職種、家がどこかまでは聞かず、俺は病院へ相談したか尋ねる。


「行きました。そこで、原因は分からないって言われて。普通に暮らせるか聞かれても、普通って何だろうって思って」


 相手の声が、途中で少し詰まる。

 俺も分からなかったです、と返す。初めは着るものと座る場所だけで、一日が終わっていた。


「きつねさんには、友達がいるんですよね。動画に出てた人、前から知ってるって」

「はい。変わった日の最初に、連絡しました」


 ハルは、そうなんだ、と小さく答えた。


「自分は、電話したんですけど。知らない女の人が出たって思われて」


 俺は喉の奥へ、昔の声が戻らなかった朝の感じを思い出した。

 相手は友人へ連絡し、名前を名乗っても冗談だと受け取られたという。それからうまく説明できず、次の電話をかけられていない。


「自分も、最初、声だけでは俺だって分かってもらえなかったです」

「どうやって、信じてもらったんですか」

「俺は映像をつないで、顔を見せて。それでも、すぐには無理でした」


 変化前の記憶や、二人で知っていることを話した。

 三浦も驚いたまま、それでも弁当を持って来てくれた。その一連のことを、名前を出さずに伝える。


「会ったら、もっと知らない人だと思われませんか」


 ハルから聞かれ、俺はすぐには答えられなかった。

 耳としっぽまである俺を見た三浦は、確かにもっと驚いた。絶対に大丈夫だと言えば、そのときのことを軽く扱うことになる。


「驚かれるとは思います。俺もそうでした。でも、声が変わったら、知ってることまで全部なくなるわけではないので」


 向こうで、少し息が漏れた。


「自分、姿が変わったら、元の自分の話をするのが嘘みたいで」


 俺は机の端へ目を向ける。

 森野たちと撮った写真を、今の姿でも自分がしたこととして残していた。昨日までの俺と今日の俺を、自分で切り離せないまま、毎日を過ごしている。


「俺は、男だった頃の話もします。今の声で。慣れたわけじゃないですけど、同じ俺が覚えてることなので」


 返すと、ハルはしばらく黙った。

 何か言わなければと思いかけ、水を一口飲む。その音のあとで、向こうから小さく笑う声がした。


「さっきから、普通に男だったって言うんですね」

「俺、今はそれを話すほうがいいと思ってるので」


 そう答えてから、俺も少し笑った。

 最初から言えたわけではない。配信でつい口から出して、そのあと、うまく説明できずに困った。その話もすると、ハルは、あの落ち着いた動画だけじゃ分かんなかった、と返した。


 俺が見せた短い時間の外にも、俺の暮らしはある。

 相手が話している短い時間の外にも、まだ分からない暮らしがあるのだと思った。


     *


 通話の途中、ハルが一つだけ違う話をした。


「耳とか、しっぽがないから、自分には何も起きてないみたいに見えるんです」


 俺は自分の頭の上へ手を添える。

 帽子が飛んだ日は、見られたくなくて耳を隠した。でも、この人は、見てもらえる目印がないことにも困っている。


「外へ出れば、誰も自分に変なことが起きたとは思わない。そうなのに、知ってる人へは、前の自分だって分かってもらえない」


 言葉を聞いて、俺はもう一度しっぽを見た。

 目立って困ることと、分かってもらえなくて困ること。その両方が、同じ身体の変化から起きることもある。


「耳がないなら平気とは、俺も思わないです」


 答えると、ハルが、ありがとうございます、と言った。

 俺には相手の姿が見えていない。変化の話を確かめたわけでもない。それでも、今困っていると伝えられたことを、雑に片づけたくはなかった。


「今日は、友達へ送る文章を一つだけ書いてみます」


 ハルが言う。


「知らない人みたいに電話して終わったままだと、向こうも分からないままなので。自分から、声が変わったって、最初に書いてみようと思います」


 俺は頷いて、はい、と声に出した。

 送ったらどうなるかは、まだ分からない。返事が来ないかもしれないし、相手がまた戸惑うかもしれない。でも、今夜ハルが選んだのは、その友人へもう一度言葉を届けることだった。


「また、話してもいいですか」

「はい。今日、すぐに全部分かったわけではないですけど。続きは聞きたいです」


 答えると、ハルは、助かります、と返した。

 そのあとは、今日は水を飲んだか、夕飯は食べたかという短い話をする。相手は買ってきた弁当を食べたと言い、俺も今日は自分の夕飯を済ませていたと話した。

 困った身体の話をしている相手も、飯を食べて今日を過ごしている。

 それを聞いてから、通話を終えた。


     *


 三浦へ、終わったと連絡した。

 相手の事情はまだ伝えず、自分も聞いていて考えることがあったと書く。

 返事は、疲れてないか、と届いた。


『少し。でも、話せてよかったと思う』


 そう返してから、今日公開した短い動画を開く。

 画面の中には俺の耳がある。この見た目が、珍しさとして知らない人を呼んだ。今夜は、耳のない人からも、話したいと思ってもらえた。


 通知が一つ届く。

 ハルから、友達へ文章を送りました、とある。まだ返事は来ていないという。

 俺は、知らせてくれてありがとうございます、と返した。


 そこから先を、俺が代わりに決めることはできない。

 でも、次に相手が話すとき、俺には今日の続きとして聞ける。

 俺はスマホを机へ置き、ノートの新しいページを開いた。耳の形ではなく、ハルが最後に言った、もう一度連絡してみるという言葉を、まず自分の記憶として残した。

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