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男だった俺の、しっぽのある暮らし  作者: あわいしゅん
第3章「街にも、俺の居場所を」

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第50話 今日は、俺が映す

 翌朝、大学へ着くまで、帽子へ何度も手をやった。

 風は強くない。つばが浮く感じもしない。それでも、角を曲がるたびに指で押さえてしまう。


 講義棟の前では、知らない学生が俺へ顔を向けた。

 しっぽを見ているのか、写真を見たことがあるのか、それだけでは分からない。俺は挨拶する相手を探すように建物へ目を向け、入口へ歩いた。


「あの、写真の人ですか」


 声をかけられ、足を止める。

 男子学生が一人、スマホを持って立っていた。画面を俺へ向けかけたので、手で小さく止める。


「ここでは、見せなくていいです」

「すみません。耳、すごかったから」


 俺は帽子へ手を置いたまま、少し息を吸う。


「あの写真は、俺がお願いしたものじゃないです。元の投稿は消してもらいました」

「あ、そうだったんですね。知りませんでした」


 男子学生はスマホを下げた。

 写真は友達から見せられ、元の投稿は見ていないという。俺の配信についても知らなかった。昨夜、俺が何を話したかなんて、ここでは当然に伝わっていない。


「帽子、取ってみてもらえたりは……」

「今日は、このままで」


 答えると、相手は頷いた。

 すぐに離れようとした俺へ、最後に、かわいかったです、と言う。俺は返事に詰まり、ありがとうございます、とだけ返して入口へ向かった。


 褒められたことは嬉しい。

 でも、朝から知らない人へ、写真は頼んでいないと説明するために来たわけではなかった。

 教室へ入って鞄を置くと、ようやく帽子から手を離せた。


     *


 昼、三浦と黒田に会った。

 二人とも写真のことは知っている。黒田は昨夜の配信も少し聞いたと話し、朝、何か言われたかと尋ねた。

 俺は講義棟の前のやり取りを伝える。


「写真だけ見た人には、昨日話したこと、分かんないんだよな」


 三浦が頷く。


「ここで会ったら、見せてもらえると思う人もいるんだろうな」

「俺、朝から展示されてるみたいだった」


 言ってから、思ったより強い言葉になったと気づいた。

 黒田は笑わずに箸を置き、俺を見た。三浦も、そうか、と短く返す。


「それで、嫌になった?」


 黒田に聞かれ、俺は少し考えた。

 外へ出るのも配信するのも全部やめたい、とは思わなかった。ただ、見たいと言われるたび、断る言葉を探すのは疲れる。


「嫌なのは、俺が決める前に見せられたことなんだと思う。耳を見られること自体は、全部嫌ってわけでもなくて」


 口にしてから、昨日の自分へ聞かせたくなる。

 帽子が飛んだ瞬間は、隠すことしか考えられなかった。今は、何を見られたら嫌で、何なら自分で話したいのかを、少しずつ分けて考えられた。


「俺、耳のこと、ずっと話してるだろ。外せないとか、帽子が合わないとか。でも、配信で見せたことはない」

「紙のやつと、図だけだよな」


 三浦が答える。

 俺は頷き、茶碗を持ち直した。


「顔は、まだ出したくない。でも、頭の上だけなら。雨待ちさんには、フードかぶったところ、見せたし」


 名前を口にしてから、詳しい事情は続けずに止める。

 三浦は以前からその交流を知っている。黒田へは、耳のことで相談している相手だとだけ補足した。


「耳、配信で見せたいの?」


 三浦が聞く。

 俺はすぐには答えず、一口食べてから、はいと頷いた。


「少し、見せてみたい。俺が話して、ここはこうなってますって言う形で」


 黒田は何か言いかけて、口を閉じた。

 俺が顔を上げると、好きにやれって簡単に言うのも違うな、と返す。


「でも、お前が決めるなら、見てるよ。写真の続きを見たいんじゃなくて、お前がどう話すか」


 俺は礼を言い、三浦へ向き直った。


「今夜、画角、見てもらえる?」

「行ける。映す前に、一回確かめよう」


 返事を聞いてから、俺はスマホを出した。

 すぐ告知するのはやめ、先に家でどこまで映るか確かめることにする。これは昨日の写真を仕方なく認めるためではなく、俺が今、やりたいことだった。


     *


 帰宅後、机の上を空けた。

 いつもの手元の位置からカメラを少し上へ向けると、試しに座った俺の口元が入ってしまう。すぐに表示を閉じ、角度を戻した。

 配信はまだ始めていない。


 三浦が来てから、もう一度二人で確かめる。

 普段の画角と、耳だけを見せるときの画角は、一つの位置で両方やろうとしないほうがよさそうだった。

 カメラを高めに置き、俺が頭を少し前へ傾ける。画面には髪の生え際より上と、頭の上の耳だけが入った。目も鼻も口も見えない。


「もう少し横向くと、どうなる?」


 三浦に言われ、ゆっくり首を動かした。

 その範囲でも顔は入らない。姿勢を戻すと顔が画面へ入りそうなので、映す間は位置を保つ必要がある。

 姿勢を変える前には、いったん映像を切ることにした。


 自分の耳が画面へ出ている。

 写真で勝手に見られた姿と同じもののはずなのに、今は俺がどこへ座り、何を話すか選んでいる。その違いで、少し息がしやすかった。


「これなら、やってみたい」


 俺が言うと、三浦は頷いた。

 試しの映像を閉じ、SNSへ告知する。


『今夜は、俺の耳のことを少し話します。頭の上だけ、映すつもりです。顔は映しません。いつもの配信から、俺が選んだ形で話したいです』


 送ると、返事はすぐに届いた。

 楽しみという人も、無理しなくていいという人もいる。俺はそれを読んでから、ノートへ話すことを短く書いた。

 帽子の形。触ると感覚があること。音が気になる日もあること。

 証明するために何かを引っ張ったり、わざと驚いたりするつもりはなかった。


     *


 始まった配信には、いつもより挨拶が多かった。

 手元の画角で話し始めると、耳はまだかというコメントも届く。俺は三浦へ目を向け、ここから話すからと小さく言ってから、マイクへ戻った。


「こんばんは。今日は、自分で耳を見せてみようと思いました。まず、俺から話します」


 三浦も挨拶し、俺の隣で画面を見ていると伝える。

 俺は今までの公開範囲と今日の違いを短く話した。耳の上の部分は見せる。顔や、本名や、どこで暮らしているかは出さない。


「昨日の写真が出たから、全部見せると決めたわけではないです。今日、俺が話したいところを映します」


 言ってから、いったん映像を切る。

 帽子を外し、確かめた位置へ頭を傾けた。三浦が画面を見て、大丈夫、と言うのを聞き、耳用の映像へ切り替える。


 コメントが増えた。


『出た』

『ほんとに頭の上にある』

『思ったより大きい』

『かわいい』


 俺は画面を見ようと顔を上げかけ、途中で止めた。

 三浦がいくつか読み上げてくれる。かわいい、と聞いたところで耳の位置が気になり、余計に意識してしまった。


「ありがとうございます。今、ちょっと変な姿勢なので、画面は友達に見てもらってます」

「本人、顔上げたくなるみたいです」

「コメント読もうとしたんだよ」


 返すと、三浦が笑う。

 コメントにも笑う文字が増える。その中へ、動いた、という短い言葉が続いた。


 何かをやったつもりはなかった。

 声のするほうへ耳が向いたのかもしれない。俺は動かそうと力を入れる代わりに、今のは勝手に反応したと思います、と話す。


「まだ、自分で何でもできるわけじゃないです。触ると、ちゃんと感覚はあります。帽子が当たると気になるし、押すと痛いこともあります」


 引っ張ってみて、というコメントが来たと、三浦が小声で知らせる。

 俺はそれはやらないですと返し、紙で作った耳を机から取ってもらった。


「前、説明に使ってたのが、これです。こういう形で帽子の中へ余裕があればいいと思ったんですけど、実際は横も当たるので」


 三浦が手元へ紙を置く。

 俺はいったん映像を切って姿勢を戻し、普段の画角で図を広げた。糸日和から、実際に見ると余裕の要る場所が分かりますね、と届く。

 俺も頷き、試作フードの布を並べて説明を続けた。


 かわいいという声も、形の違いを気にする声もある。

 初めて来た人が、これ、いつから相談してるんですかと尋ねるので、最初は椅子の座り方からでしたと話す。


「耳を見せると、最初から全部分かってたみたいに見えるかもしれないですけど。俺、最初、しっぽ挟んで座れなかったので」


 ねじまきが、そこから見てる、と書いた。

 パンのみみは、今も工夫中ですもんね、と続ける。写真で知った人の間へ、俺がここで話してきた時間も、少しずつ入っていく。


 最後に、もう一度だけ耳の画角へ切り替えた。

 俺は今日映したところまでにしますと伝え、自分で映像を切る。普段の席へ戻ると、三浦が、顔、入ってないよ、と答えてくれた。


「……結構、緊張しました」


 俺が言うと、夕凪から、話してる声はいつもの感じでした、と届く。

 まめもちも、カメラへ顔上げそうになって言い返すところ、いつもどおり、と書いていた。


「そこまで見なくていいです」


 返した自分がもう笑っていて、俺は水を飲んだ。

 頭の上が写っても、俺の話し方まで別の誰かにはならなかった。


「今日は、見てくれてありがとうございました。ここから先は、また俺が決めます。次も、話を聞きに来てくれたら嬉しいです」


 挨拶をし、配信を終えた。


     *


 終了を確かめ、履歴は自分だけへ戻す。

 三浦がカメラをいつもの位置へ戻し、俺は帽子を持ち上げた。まだ、外ではこれをかぶるつもりだ。


「疲れた?」

「うん。でも、やってよかった」


 答えてから、配信中の自分を思い返す。

 引っ張れと言われても、それはしなかった。姿勢を戻したいときには映像を切り、最後も自分で終えた。誰かの写真の中で何をしていたか想像する時間とは違い、俺が何をしたか、ちゃんと覚えている。


「全部公開しなくても、見せたいところはあるんだな」


 俺が言うと、三浦は、うん、と返す。


「今日の説明、分かりやすかったと思う。紙だけのときより」


 俺は少し笑い、ありがと、と答えた。

 顔を見せるか、耳の映像を後から残すかは、まだ決めていない。今日の全編を誰でも見られるようにするつもりもない。

 でも、耳の形と帽子の工夫を話した部分なら、自分で見返して、残したいと思うところがあるかもしれなかった。


 SNSへ今日のお礼を書いた。

 返事には、耳を見に来たけれど帽子の話も面白かった、と届いている。俺はその文章を三浦へ見せ、二人で少し笑った。

 写真の続きを探しに来た人へ、今日は俺から話の続きを渡せた気がした。

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