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男だった俺の、しっぽのある暮らし  作者: あわいしゅん
第3章「街にも、俺の居場所を」

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第47話 用事のない待ち合わせ

 二人の予定が合う休日に、雨待ちと待ち合わせた。

 場所は、前に帽子を買いに行った商業施設の入口。駅からの行き方を知っているので、今回は途中で案内図を開かずに済んだ。


 電車を下りると、向かいに立っていた人が俺の腰の後ろを見る。

 改札へ向かう間にも、子どもが連れの大人へ何か言い、こちらを指しかけた。俺はしっぽを人の流れから外し、壁に近い側を歩く。

 今日は、誰かを手伝うための買い物ではない。そう思っていても、外へ出れば見られることは変わらなかった。


 入口では、雨待ちが先に待っていた。

 以前一緒に選んだ帽子をかぶり、俺に気づくと手を上げる。近づいてから、こんにちは、と声をかけた。


「今日は、買うもの決めてきてないです」


 俺が言うと、雨待ちは少し笑う。


「私もです。まず、ご飯でいいですか」

「はい。食べたいものは、考えてきました」

「それは、何ですか」

「パスタ。前、ここの案内で見たので」


 答えると、相手が、私もいいです、と頷く。

 前は三階の帽子の店へ向かった。今日は二階の飲食店を見に行く。エスカレーターへ並ぶとき、雨待ちはしっぽのある側を少し空けてくれた。


 入口の近くにいた人が、俺たちを目で追っている。

 視線は主に俺のしっぽへ向いていたが、雨待ちの帽子へも一度動いた。布の下の膨らみを、髪か何かだと思ったのかもしれない。相手が何を考えたかまでは分からず、俺は前へ向き直る。


「帽子、使えてるんですね」

「はい。今日は、これで来たかったので」


 雨待ちがつばへ軽く触れた。

 耳を収めるために必要なものでも、自分で選んで気に入ってかぶっている。俺はそれを、今日は少し違う気持ちで見た。


     *


 パスタの店は、まだ混み始める前だった。

 入口へ来ると、案内する店員の目が俺のしっぽへ下がる。いらっしゃいませのあとで言葉が止まり、俺は先に、椅子の横へ出せる席があるか尋ねた。


「二名様ですね。少々お待ちください」


 店員が奥を確かめ、壁沿いの席へ案内してくれる。

 しっぽを寄せて通路を歩くと、既に座っていた客が会話を止めた。雨待ちもそれに気づいたらしく、俺のほうへ一度顔を向ける。俺は大丈夫と口だけで答え、椅子を少し引いた。


 店員へ邪魔にならないか確かめ、向かいに雨待ちが座る。

 帽子はかぶったままでもよいか尋ねると、店員は大丈夫ですと頷き、メニューを置いた。


「今日は、二人とも、まずこのままで」


 雨待ちが言い、俺も頷いた。

 前に一緒に食べたときは、彼女は帽子を外していた。同じようにしなければならないわけではなく、今日どうしたいかは今日選べばよかった。


 メニューを開き、俺はトマトソースのパスタを選ぶ。

 雨待ちはきのこのクリームソースにした。互いに写真を見せながら迷い、注文を済ませると、雨待ちが水を一口飲んでから、会社の人との食事へ行けたと教えてくれた。


「帽子のまま入れるところがいいって、先に言ってみたんです」

「言えたんですね」

「はい。相手が、じゃあ気軽なお店にしようって。理由は、それ以上聞かれなかったです」


 俺は、よかったです、と答える。

 相手が耳のことを知っているかまで、今は尋ねなかった。雨待ちは、食べている間も帽子を直す回数が少なくて助かった、と続ける。


「写真を撮ろうって話にもならなくて。構えてたのは、私のほうだったかもしれません」

「でも、先に言っておいたから、安心できたんじゃないですか」


 返すと、彼女は少し考えて頷いた。

 俺も友達との写真へ入る前、載せるのかと尋ねた。聞いて答えをもらってから、撮りたいと思えたのだった。


「また行こうって、言われました」


 雨待ちの声が少し明るくなる。

 俺は笑って、じゃあ次は食べるものも考えられますね、と返した。彼女も、今回は緊張してメニューをあまり見てなかったので、と笑う。

 今日は二人とも、何を食べたいかから選べた。それが前と違うところだった。


 料理が来ると、俺たちはいただきますと言い、フォークを持った。

 トマトソースは少し酸味があり、昼食を待っていた腹にはちょうどよかった。雨待ちも一口食べ、こっちもおいしいです、と顔を上げる。


「今度、そっちも頼みたいです」

「もう次を考えてます?」

「おいしいと、別のも気になるので」


 俺が答えると、彼女は分かります、と頷いた。

 帽子の形を試す話ではなく、食べたものの続きを話している。元の身体に戻るかどうかを決めなくても、次に何を食べたいかは考えられた。


     *


 食後、店を出てから、本屋へ寄らないかと雨待ちに誘われた。

 今日は急いで帰る予定もないので、俺も行きたいと答える。彼女は時々、用事の前後に店を覗くのだという。


「買うって決めてなくても、表紙を見てるだけで面白いので」


 三階へ上がり、並んで店へ入る。

 前に帽子を探して歩いた通路だが、今日は店の前で立ち止まらず、その先の書棚へ向かった。


 棚の端へ回ると、俺のしっぽを見た女性客が少し道を空ける。

 俺は礼を言い、腰の後ろを確かめた。狭い通路で急に向きを変えると、先が棚へ当たりそうだった。

 雨待ちも一度振り返り、人の少ない側へ先に進む。


 俺は暮らしや料理の本が並ぶ棚で立ち止まった。

 写真に目が行っただけだったが、ページをめくると、家でも作れそうな料理が載っている。以前なら、仕事をしている雨待ちのほうが料理のことも詳しいのかと、勝手に思ったかもしれない。

 隣で彼女が、それ、私にも作れそう、と言ったので、俺も、手順少ないのいいですね、と返した。


 近くの棚では、子どもが本の表紙を見せながら、連れの人へ話している。

 しっぽへ気づくと声が少し大きくなったが、俺が会釈すると、相手の大人も会釈して子どもを連れて別の棚へ行った。

 雨待ちは俺の反応を見てから、自分の帽子へ手を添える。


「私も耳が見えてたら、あんなふうに声かけられるんでしょうね」

「見えてなくても、気になる人はいると思います。俺も、全部隠れるわけじゃないですし」


 返すと、彼女は頷いた。

 普段の雨待ちがどれくらい見られているかは、俺には分からない。しっぽがないから平気だと、決めてしまうこともできなかった。


 そのとき、店内の放送が流れた。

 新刊の案内らしく、通路の上から声が響く。俺は反射的に肩を少し上げ、棚へ向いていた顔を上げた。


 雨待ちも、帽子の横へ触れている。


「今の、気になりました?」


 俺が尋ねると、彼女は小さく頷いた。


「急に始まったので。ちょっとびっくりしました」

「俺もです。上から来ると、ついそっち向いちゃって」


 俺には言葉の内容が強く耳へ残り、雨待ちは最初の音が気になったという。

 同じ放送に反応しても、気になったところまで同じではなかった。前に通話で、感覚にも違いがあるかもしれないと話したことを思い出す。


 放送が終わってから、俺は本を棚へ戻した。

 別の棚も見たいと思っていたが、周りの話し声へ注意が向き始めている。雨待ちがこちらを見て、少し外へ出ましょうか、と尋ねた。


「はい。俺、今、別の声まで拾おうとしてる感じがして」

「私も、ちょっと落ち着いてから見たいです」


 彼女が先に出口の方向を確かめ、俺もついていく。

 何か大きなことが起きたわけではない。それでも、全部見終わるまで我慢する必要はなかった。


     *


 施設の案内図で、休憩できる場所を探した。

 吹き抜けの近くは人も音も多そうだったので、少し離れた通路のベンチへ移る。俺が端に座ってしっぽを寄せると、雨待ちも隣へ腰を下ろした。


 帽子の位置を直し、水を飲む。

 まだ、人の声は聞こえる。でも、次の棚を探したり、誰かが通る場所を確かめたりしなくていいだけで、気持ちは少し楽だった。


「俺、同じように耳が変わってたら、同じ音が気になるのかなって、思ってました」


 雨待ちへ話すと、彼女は自分の帽子の横を押さえる。


「私もです。でも、瀬川さんが話した声の聞き分け方は、私にできるか分からないです」


 俺は頷いた。

 以前、泣き声に気づいて人を探した話は、彼女にもしている。だからといって、二人に同じ耳の働きがあるとは決まっていなかった。


「今日だけでも、違いましたね」

「はい。似てるから、全部分かるわけじゃないんですね」


 雨待ちの言葉を聞き、俺は膝へ手を置いた。

 同じことができるか確かめるために会ったのではない。それでも、一緒に歩いたから、通話のときより具体的に分かったことがある。


「でも、一緒に休もうって言ってもらえたの、助かりました」


 俺がそう言うと、彼女は少し笑う。


「今日は、私のほうから言えました」

「はい。俺も、ついてきたら楽でした」


 前の外出では、俺が帽子の店へ付き添った。

 今日は雨待ちが本屋へ誘い、休む場所も一緒に選んだ。片方がずっと助ける側でなくても、一緒に出かけられた。


 少し休んでから、このあとはどうするか相談した。

 雨待ちは見たかった棚をもう一つ思い出し、俺は今日は本屋へ戻らず、飲み物を買って帰りたいと答える。


「じゃあ、先に飲み物買いましょう。私、本は次でもいいです」


 そう言われ、俺は次に本屋へ来る予定もできたのだと思う。

 全部を今日終わらせなくても、また会えばよかった。


     *


 帰りの電車へ乗る前、雨待ちと入口の近くで別れた。

 写真を撮りたいか聞こうと考えたが、今日は食事と本屋で十分話せた気もする。代わりに、俺はまたご飯を食べたいと伝えた。


「今度は、きのこのほう頼むかもしれないです」

「じゃあ、私はトマトにしてみようかな」


 彼女が笑い、俺も頷く。

 今日、新しく買った帽子はない。何かを完成させたわけでもなかった。でも、それだけで会ってよかったと思える日になっていた。


 改札へ向かう途中、誰かが、しっぽ、と小さく言った。

 俺は歩く位置を少し変え、駅員のいる側の広い通路を通る。帰りも見られることは同じだったが、耳のことや、座って休んだ時間まで、今日会った相手へまた話せると思った。


 家へ着くと、雨待ちから帰宅したと届いた。

 俺も着いたと返し、少し迷ってから、もう一つ送る。


『今日の音のこと、次に病院へ行くとき、俺の分は話してみようと思います』


 雨待ちも、自分が気になったことはメモしておくと返してくれた。

 同じ原因だと決める話ではない。帽子で耳を守る工夫だけでなく、何が気になるのか、自分の感覚を少しずつ伝えていくことも必要なのだと思った。


 机のノートへ、今日の放送で言葉が耳に残ったことを書いた。

 その下に、次はきのこのパスタ、と足す。

 困ったことも、楽しかったこともあった。次に雨待ちと話すなら、どちらの続きも話したかった。

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