第46話 残しておきたい顔
翌朝、昨日の写真を見返してから、大学へ行く支度をした。
小山と森野の間で、俺が少し笑っている。帽子をかぶった顔を、鏡ではなく、二人と並んだ一枚の中で見るのは、まだ落ち着かなかった。
でも、消そうとは思わない。
別に、うまく写った自分だけを残したいわけではなかった。
ケーキを分けて、話して、小山に言われてレンズのほうを見た。その間に森野が何か返して、俺も笑った。見返すと、そこまで思い出せる。
朝食を食べながら、森野へ、写真見たらまたケーキ食べたくなりました、と送る。
返事は家を出る前に届いた。
『私も。次は、瀬川さんが違うの頼む番ですね』
俺は、また同じの選ぶかもしれないです、と返した。
昨日の出来事が終わったあとにも、続きを話せる。それが嬉しくて、スマホをしまう前にもう一度写真を開きかけ、時刻を見てやめた。
*
昼休み、小山が食堂の前で俺を見つけた。
今日は友達と別の場所で食べるらしく、挨拶だけしてから、昨日の写真、と言いかける。
「送ったほう、保存できました?」
「はい。ありがとうございます」
「よかった。瀬川さん、見返してるとき、結構嬉しそうだったから」
俺は少し返事に詰まった。
帽子の下へ顔を隠すように俯きかけ、ただ、見たの分かりましたか、と聞く。
「見てましたよ。撮ったあと、もう一回画面開いてた」
「……見てました」
認めると、小山が笑う。
俺も笑ってから、写真を残すのって、いいですね、と返した。相手は、また撮りましょう、と答えて、待っていた友達のところへ戻る。
友達の視線が俺のしっぽへ下がった。
小山が何か短く話し、二人で別の建物へ向かっていく。見えたこと全部を追いかけても、どんな言葉を交わしたかまでは分からなかった。
俺は食堂へ入り、今日は一人で昼食を買う。
ひとりになってからも、小山の、また撮りましょう、という声は、ちゃんと嬉しい言葉として残っていた。
午後の講義を終え、帰宅した。
今日の夜なら少し話せそうだったので、SNSへ、外出したときの話をすると告知する。写真を映す予定ではなく、昨日、自分も記念写真に入ったことを話してみたかった。
森野と小山へ、二人の名前や場所は出さず、友達と写真を撮って嬉しかったという話をしてもよいか尋ねる。
二人から返事が来て、写真を見せない形ならいいと答えてくれた。俺は礼を返し、ノートへ、写真の話、と一行書く。
家族や三浦と話すだけだった頃より、誰かと一緒に過ごした話が増えている。その相手にも伝えてから、自分の言葉で残していきたかった。
*
「こんばんは。今日は、友達と出かけた話を少しします」
配信を始めると、糸日和とパンのみみが挨拶をしてくれる。
夕凪からは、ケーキの写真、待ってました、と届いた。俺は料理だけを撮ったほうを画面へ出し、店で聞いてから撮ったものだと伝える。
「チーズケーキと、ココアの焼き菓子です。前と違うやつがあったので」
『また二つとも食べたんですね』
「はい。友達が分けてくれました」
この前も分けた話をしたので、夕凪は同じ相手だと思ったかもしれない。
俺は今回は別の友達と行ったと付け足す。誰が何人一緒だったかまでは細かく言わず、その人たちと店へ入るのは初めてだったと話した。
「あと、食べたあとに、友達と一緒に写真を撮りました。俺の顔も入ってるやつです」
コメントが増える。
今の姿で撮ったのかと聞かれ、はいと答えた。
「帽子かぶったままですけど。今の俺で」
『見てみたい』
『顔出すってこと?』
俺は首を振ってから、マイクへ返す。
「今日は見せないです。その人たちと持ってる写真なので。撮って、あとで見返したら、結構嬉しかったって話です」
そう答えると、パンのみみが、思い出の写真ですね、と書いた。
俺は頷き、画面へ出していたケーキの写真を閉じる。映っているのは、またいつもの胸より下と手元、椅子の横のしっぽだった。
「撮る前は、どんな顔すればいいか分かんなくて。真剣になりすぎてるって言われました」
『証明写真の顔になってた?』
「多分、それに近かったです。記念に撮るだけなのに」
まめもちの返事を読んで、俺は笑う。
レンズの位置を教えてもらい、森野の言葉で笑った。その会話を、そのままここで繰り返さなくても、あのとき嬉しかったことは話せた。
『自分の写真、あとで見ると変な感じしません?』
別の人から届いた問いに、俺は少し考えた。
「します。まだ、今の顔を見て、俺だって思うのが遅れるときはあります。でも、昨日のは、どこで何してたか思い出せたので」
自分で言ってから、なるほど、と頭の中で続ける。
顔だけを見ていると、以前と違うところばかりを探してしまう。昨日の写真なら、二人と一緒に店にいたのを、俺も覚えている。
「この顔で、楽しく出かけてたんだなって。そう思える写真があるのは、いいなと思いました」
糸日和から、残しておきたい一枚になったんですね、と届く。
俺は、はい、と答えた。顔を見せて褒めてもらわなくても、その一枚が嬉しいと話すことはできた。
『前の姿に戻れたら、その写真はどうする?』
問いを読んで、手元へ目を落とす。
以前なら、そこまで考えていないとだけ答えたかもしれない。今も、戻ったあとの自分の気持ちは分からなかった。
それでも、昨日の出来事をなかったことにはしたくない。
「残すと思います。昨日一緒に出かけたのも、写真撮って楽しかったのも、俺がしたことなので」
返したあと、少し照れた。
写真には顔が写っている。だからこそ、今の姿を好きになったと思われるかもしれない。でも、戻り方を知りたい気持ちがなくなったわけでもない。
全部を一つの返事で片づけようとすると、また話せなくなりそうだった。
「今の顔が気に入ったかって聞かれたら、まだ、うまく答えられないです。でも、あの写真は好きです」
そう付け足すと、まめもちが、それなら撮ってよかったね、と書く。
俺は礼を言い、また少し笑った。
そのあと、コメントには、自分も残している写真の話が届いた。
旅行で風が強すぎて髪が全部乱れた一枚。友達と買ったものを持って笑っている一枚。ピントが合っていないのに、消さずに置いている一枚。
俺は幾つかを読み、何をしていた写真か尋ねる。
今日の話が、俺の顔の話だけから離れて、画面の向こうの人の思い出へもつながっていった。
「見返したら、また会いたくなる写真ってありますね」
そう言ってから、終わりの挨拶をした。
顔と耳の公開範囲は何も変えていない。それでも、昨日の楽しい出来事を、今日はここへ持ってこられた。
俺は配信を終え、履歴を自分だけの公開へ戻した。
*
マイクを切ってから、雨待ちの個別メッセージに気づいた。
『少しだけ配信を聞けました。写真の話、よかったです。あと、前に約束していたフード、時間が合うときに見せてもらえますか』
俺は、そうだった、と椅子から立つ。
額より上だけなら、かぶったところを次の通話で見せると約束していた。フードを見せた配信では紙の耳を使ったので、本人がかぶったときの形は伝えられていなかった。
『今夜なら、もう少し空いてます。よければ、今からでも』
そう返すと、お願いします、と届く。
俺は棚から試作フードを取った。いきなり全部を映さず、通話をつないでから、かぶった頭の上だけ見せる形でいいか確かめる。雨待ちがいいですよと答え、互いに録画はしないことも確かめた。
フードをかぶり、私下の映像をつなぐ。
顔は入らず、耳のところの二つの膨らみが見える位置にする。雨待ちは自分の顔を映していないが、声は前に会ったときのままだった。
「なるほど。前より、耳の先が押されてない感じですね」
「はい。ただ、長くかぶると後ろが気になるので。そこは、まだ相談してます」
首を少し左右へ向け、前がずれるところも見せた。
どちらにも同じものが合うわけではない。それでも、一緒に帽子を選んだ相手には、俺が何を試しているかが伝わりやすかった。
映像を切り、フードを脱いでから、雨待ちの帽子のことも聞く。
以前買ったものは、今も使っているという。何度もかぶり直さずに歩ける日が増えたと聞き、俺は、それはよかったです、と答えた。
「実は、会社の人に、帰りにご飯食べないかって誘われて」
雨待ちが少し間を置く。
「行こうか、迷ってます。帽子を取る場所だったら、どうしようって」
俺は自分が座っている椅子の横を見る。
雨待ちにはしっぽがない。帽子で隠せば、俺より気づかれずに歩ける。でも、それで誰とでも気楽に店へ入れるとは限らなかった。
「俺、最近行った店では、かぶったまま座ってました」
「そうなんですね」
「先に店の様子を見られるなら、行きやすいかもしれないです。俺も、椅子の場所が分かったら、二回目は少し楽でした」
雨待ちが、そういうのなら聞けそうです、と答える。
俺は全部大丈夫だとは言えずに、相手の続きを待った。
「写真も、同じかもしれないですね。撮っても、今の耳を全部見せなきゃいけないわけではないので」
昨日は俺も帽子をかぶったままだったと話すと、雨待ちが、ああ、と少し明るい声を出す。
「行くなら、帽子のまま入れるところがいいって、まず言ってみます」
俺は、それなら、と頷く。
相手も分からないことが残ったまま、自分が伝えられる言葉を選んでいる。俺が昨日したことが、その言葉を考える材料になったのなら嬉しかった。
「また、私たちでもご飯食べたいですね」
雨待ちに言われ、俺はすぐに返した。
「食べたいです。今度は、帽子を探す用事がなくても」
相手が笑い、休日なら予定を合わせやすいと言う。
俺も空いている日を後で送ると答えた。場所と日時はまだ決めず、今日は通話を終える。
フードを畳み、昨日の写真をもう一度開いた。
次に雨待ちと会ったら、写真を撮りたいかどうか、聞いてみてもいいかもしれない。相手が撮りたくなければ、一緒に食べるだけでもよかった。
俺はスマホを置き、カレンダーを開く。
誰かと会う日を選ぶのが、次に困ることを考える時間だけではなくなっていた。




