第44話 俺から、話しておきたい
小山から、配信をしているかと尋ねられた。
昼食を一緒に食べた日の夜だった。帰宅して鞄を置き、届いたメッセージを開くと、短い文章の下に、見覚えのある動画への案内がある。
『友達が、しっぽのある人の配信があるって教えてくれて。声が似ている気がしたんですけど、これ、瀬川さんですか?』
俺が三浦に服の感想を聞いている動画だった。
現在の顔も耳も入っていない。でも、昼には俺と話した人が、夜には俺の声を聞いている。服やしっぽが似ているだけでなく、喋り方も知っていた。
机へスマホを置き、椅子を引く。
答えないままにしておけば、確かめようがないだろうか。そんなことを考えてから、すぐに、自分が何を避けようとしているか分かった。
動画が俺のものだと答えると、身体の説明も読まれる。
小山は、俺が以前は男だったことをまだ知らない。
『俺の配信です。森野さんにも、まだ話してなかったです』
そこまで書き、送った。
返事を待つ間、説明文を開き直す。自分で選んで残した文章なのだから、小山が読むことも当然あり得る。なのに、昼に向かいで魚を食べていた人へ伝わると考えると、また違う緊張があった。
『やっぱり。声がそうかなって思いました。説明も少し読んだんですけど、どこまで聞いていいのか分からなくて』
俺は画面を見たまま、しばらく考えた。
文章で全部答えようとすると、また言い方ばかり迷いそうだった。
『明日、少し話せますか。俺から話しておきたいです』
小山は明日の昼なら空いていると返してくれる。
森野も一緒でいいかと聞かれ、俺はいいと答えた。二人へ別々の言い方をしてしまうより、同じところで話したかった。
昼食の前に、講義棟の脇で会うことにする。
*
翌日の朝、三浦へも連絡した。
小山が動画を見つけ、本人かと聞いてきたこと。今日、森野と二人へ話すこと。
『一緒に行く?』
返事を読んで、少し迷う。
あいつがいてくれれば安心する。でも、今回は俺が普段付き合っている相手に、自分から話すと決めた。
『今日は俺から話す。あとで聞いてもらえる?』
『うん。終わったら連絡して』
そう返ってきて、俺はスマホをしまった。
午前の講義では、途中で時刻を何度か見てしまった。それでも、ノートへ書くことを一つずつ追い、終了してから待ち合わせ場所へ向かう。
二人は建物の脇のベンチの近くにいた。
森野が先に気づいて手を上げ、小山も顔を向ける。俺が近づく間、階段を下りてきた学生がしっぽを見たが、二人はそちらへは目を向けなかった。
「来てくれて、ありがとうございます」
俺が言うと、小山が首を振る。
「私、急に見つけたって言って、ごめんなさい」
「いえ。自分で出した動画なので」
答えてから、ベンチを指す。
三人で座るには狭いので、俺は端へ腰を下ろし、しっぽを背もたれの脇から逃がした。小山が隣、森野は少し斜め向かいのベンチへ座る。
小山はスマホを鞄へしまった。今ここで動画を再生されるより、ずっと話しやすかった。
「配信、家でしてます。前に話したしっぽとか、暮らしで困ったことを相談したのが最初で」
二人が頷く。
俺は帽子の縁を直し、続きの言葉を探した。
「説明に書いた、前は男だったっていうのも、俺の話です。そういう役を作って喋ってるわけじゃなくて。朝起きたら、今の身体になってました」
小山の手が止まる。
森野も、すぐには返事をしなかった。俺が一息ついても、二人の表情が変わるまでには少し間があった。
「身体が……変わったんですね」
森野が、言葉を確かめるように話す。
「はい。声も、そのとき変わりました。耳としっぽも、その朝からです」
小山は俺の顔を見てから、視線を膝へ落とした。
「読んだんですけど、最初は、配信でのお話なのかなって思って。設定とか、前の活動の話とか」
「そう思いますよね」
答えると、小山が慌てて顔を上げる。
「嘘だと思ったって言いたいわけじゃなくて」
「分かります。俺も、知らなかったらそう考えると思うので」
俺は一度、ベンチの足元へ目を落とした。
今の顔と声だけを知って、変わる前の俺を想像するのは難しい。今の姿で知り合った二人なら、なおさらだった。
「病院へは、相談してます。でも、どうして変わったかは分からなくて。戻れるかも、まだ」
小山が小さく息を吸い、森野が、そうなんだ、と答える。
納得した声ではなかった。ただ、次に何を聞くかを考える前に、いったん受け止めようとしているように見えた。
通りかかった学生が、俺たちの横で足を緩める。
俺はしっぽを足元へ寄せ、その人が通り過ぎるまで口を閉じた。森野も一度そちらを見てから、こちらへ戻る。
「前に、外せないって聞いたときも、どういうことか全部は分からなかったんです。でも、身体の一部なんだって、そこだけ考えてて」
森野が言う。
「それと、今聞いたことが、まだうまくつながらなくて。変な聞き方をしちゃいそうです」
「俺も、全部うまく説明できるわけじゃないです。分からないことは、そう言います」
返すと、相手は頷いた。
ここで昔の写真を見せようとは思わなかった。二人が見たいと言ったわけでもない。それでも、証明できるものを探したくなる気持ちは、少し残っていた。
俺は膝の上の手をほどき、それ以上スマホへ伸ばさずにいる。
*
小山が、何か言いかけて止まった。
俺が顔を向けると、相手は少し迷ってから、昨日のことなんですけど、と話し始める。
「女同士だし、ケーキ食べに行くのも気楽かなって、私、勝手に思ってました」
俺は返事をする前に、一度瞬きをした。
昨日、食堂で感じていたことを、向こうも違う形で考えていたのだ。
「私がそういうつもりで誘ったら、困りますか」
聞かれて、すぐには答えられなかった。
男だった頃の自分なら、女子二人と出かけると聞いて、今より構えていたと思う。昨日も、隣に座る距離や周りからどう見えるかが気になった。
でも、昼食は楽しかった。甘いものの話をして、また誘ってほしいとも思った。
「……俺も、いつもと違う感じはしました。前は、男友達といることが多かったので」
小山は黙って聞いている。
「でも、昨日一緒に食べたのは、嬉しかったです。ケーキの話も、行ってみたいと思ってました」
「じゃあ、誘ってもいい?」
「はい。ただ、女同士なら平気っていうのは、俺にはまだ分かんないです」
言ってから、少し声が固かったかと気になる。
小山は考えるように頷き、じゃあ、瀬川さんと行きたいから誘う、でいいですか、と聞いた。
俺はその言葉を頭の中で一度繰り返した。
自分のことをどう受け取ってほしいか、全部決まっているわけではない。でも、それなら、返事ができる。
「それは、嬉しいです」
声に出すと、小山の肩が少し下がった。
森野も、昨日の昼食が嫌だったわけじゃないんですね、と聞く。俺は首を振り、嫌だったら次もって返さないです、と答えた。
「そうですよね。こっちも、何でも聞き直しすぎました」
森野がそう言って少し笑う。
俺もつられて笑い、三人の間へようやく違う空気が入った。
元の身体だった頃の話を知ったからといって、昨日の魚の味や、締切の話が変わるわけではなかった。
でも、何も変わらないと言い切るのも、今は早い。二人とも、俺の声や顔を見るたび、少し考えることが増えているのだと思う。
俺も、その時間を待ってみたかった。
「配信、また見てもいいですか」
小山から聞かれ、俺は頷いた。
「公開してる動画と、その時間の配信なら。終わったあとの全部の録画は、自分だけにしてます」
「分かりました。顔は映してないんですね」
「耳もです。名前とか大学のことも、出してないので」
森野が、昨日一緒に食べたとかもコメントには書かないほうがいいですよね、と確かめる。
俺はそうしてもらえると助かると答えた。
「ただ、飯がうまそうとか、そういうのは普通に書いてくれていいです」
言うと、小山が少し笑った。
「友達といるとき、返し方、ちょっと違いますね。動画では、もっとすぐ言い返してた」
「三浦とは、前からああなので」
口にしてから、友人の実名を今ここで使っていたと気づく。
画面ではなく、同じ大学へ通う二人と向き合っている。小山はそれを動画の友達の名前として聞いたが、配信で呼んでいる名前を尋ねたりはしなかった。
森野が、自分も慣れた友達へはもう少し雑だと話す。
小山が、私には結構雑だよ、と返した。森野はそうかなと笑い、俺も少しだけ気が楽になる。
俺だけが、相手ごとに違う話し方をしているわけではない。
*
気づけば、昼食を買う列が伸びる時間になっていた。
小山が時刻を見て、そろそろ食べないと午後に間に合わないと言う。俺も鞄を持って立ち、しっぽをベンチの脇から戻す。
「今日は、どこで食べます?」
森野の問いに、俺は食堂へ行きたいと答えた。
小山は、今日も魚だったらまた同じかも、と笑う。昨日と同じものを選ぶ話が出て、俺はじゃあ、見てから決めましょうと返した。
食堂へ向かう途中、すれ違った学生が後ろを振り返る。
二人もそれに気づいたが、俺から離れたり、見られないように前へ立ったりはしなかった。小山が通路の狭いところで少し歩く位置を変え、そのまま午後の講義の話を続けた。
列へ並んでから、俺は三浦へ短く連絡する。
『話した。今から一緒に昼食食べる』
返事は、うん、あとで聞く、と届いた。
俺はスマホをしまい、二人へ何を選ぶか尋ねる。小山は今日も焼き魚を指し、森野は、昨日より列短いから定食にしようかな、と言った。
食べ始めてからも、最初は少しぎこちなかった。
小山は話す前に一度俺の顔を見て、森野は、これ聞いてもいいのかなと口にしかける。でも、別の講義の先生が言ったことや、明日の予定を話しているうちに、少しずつ間が短くなった。
俺も食べながら、次にケーキを食べに行くなら午後の講義がない日がいい、と伝える。
「お二人の予定、あとで教えてもらえますか」
自分から言うと、小山が顔を上げた。
「はい。送ります」
森野も同じように頷き、俺は茶碗を持ち直した。
全部分かってもらえたとは思わない。それでも、次に一緒に過ごす日の話を、事情を聞いたあとにも続けられた。
昨日まで、二人が知っていた俺の姿に、前は男だったという話が加わった。
その上で、また昼食を食べ、次の約束をしようとしている。
俺は魚の骨を端へ寄せ、残りの一口を口へ運んだ。今食べているものを、ちゃんとおいしいと思えた。




