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男だった俺の、しっぽのある暮らし  作者: あわいしゅん
第3章「街にも、俺の居場所を」

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第43話 隣に座っても、いい?

 森野と同じ講義へ出る朝、教室の前で、俺から声をかけた。

 相手は鞄から資料を探していて、顔を上げると、瀬川さん、と少し笑う。


「おはようございます」

「おはようございます。課題、出しました?」

「昨日、何とか」

「私もです。提出日、聞いておいてよかった」


 しっぽの話からは始まらなかった。

 そのことが嬉しくて、俺は返事を急ぎ、途中で言いかけたことを忘れてしまう。森野は気にした様子もなく、教室の扉へ手を掛けた。


 席へ向かう途中、何人かがこちらを見る。

 俺は通路へしっぽを出さずに座れそうな場所を選んだ。森野も同じ列へ鞄を置き、少し離れた椅子を引く。


「ここ、大丈夫ですか」

「はい。そっちには出さないので」


 答えると、相手は資料を机へ広げた。

 俺もノートを出す。前に話しただけの人の隣へ座るのは、男だった頃にも少し落ち着かなかった。今は、自分の声がどんなふうに聞こえるかまで、余計に気になる。

 でも、森野は俺がページを開くのを待って、今日の資料の場所を教えてくれた。


 講義が終わる頃には、隣を意識するより、板書を写すほうへ気持ちが向いていた。

 鞄へノートをしまっていると、森野から、このあと食堂へ行くかと聞かれる。


「行くつもりです」

「よかったら、一緒にどうですか。友達も来るんですけど」


 俺は一度、スマホを見た。

 三浦とは今日は一緒に食べる約束をしていない。黒田からの連絡もなかった。予定は空いているのに、その場ではすぐ返せずにいる。


「あ、先に誰かと約束してたら」

「いえ。大丈夫です。……俺も一緒にいいんですか」

「だから、誘ってます」


 森野がそう答えてから笑ったので、俺も少し笑う。

 そうですよね、と返し、椅子を戻した。しっぽを足元へ寄せると、森野は通路を歩く人を先に通し、俺が出るまで待ってくれた。


     *


 食堂の入口で、森野の友達が合流した。

 肩にかかる髪を下ろした女子学生で、俺を見ると、あ、と声を出す。前に森野から提出日を聞かれたとき、一緒にいた人だった。


「この前、廊下で会いましたよね。小山です」

「瀬川です」


 俺が返すと、小山は腰の後ろへ一度目を向けた。

 前より短かったが、見ないように頑張っている感じもする。森野が、同じ講義で、今日一緒に来たんだと話すと、相手は頷いて列の最後尾へ並んだ。


 俺も二人の後ろへつく。

 周りの目が、普段より気になった。三浦や黒田と歩いているときと違って、女子学生二人と一緒に昼食を買う姿になっている。

 これだけを見た人には、普通に女友達といるように見えるのだろうか。


「何にします?」


 森野に尋ねられ、メニューへ目を上げる。

 迷った末に焼き魚の定食を選ぶと、小山も同じものにした。森野は麺のほうへ進み、先に買った俺たちは空席を探す。


 小山が四人掛けのテーブルを指した。

 俺は片側の端へ回り、椅子を少しずらす。向かいに座ろうとした小山が、俺の後ろを見てから尋ねた。


「森野は、隣でいいのかな」

「はい。俺、こっちへ寄せておくので」


 しっぽの先を椅子の脇へ置くと、小山はそれを見たまま少し黙る。

 俺も何か説明しようかと迷ったが、先に相手が、ありがとうございます、とトレーを置いた。


 森野が来て、三人でいただきますと言う。

 女子二人と並ぶと、男だった頃より体格の差を感じなかった。箸を持つ手や、トレーの置かれた距離が妙に近い。

 ただ、食べ始めれば、俺の腹も普通に減っていた。


「瀬川さん、同じ講義、ずっと取ってたんですか」


 小山から聞かれ、俺は頷く。


「はい。途中、休んでた時期はありますけど」

「そうなんだ。最近、森野と知り合ったって聞いたので」


 森野が、建物では見かけてたんだけど、話したのはこの前、と付け足す。

 小山はそれを聞いてから、少し声を落とした。


「私、友達からも話を聞いてました。しっぽのある人が大学にいるって」


 俺の箸が止まる。

 森野がこちらを見たが、小山は続けて首を振った。


「身体の詳しいこととかじゃなくて。見かけたって話だけ。森野に会ったあと、ほかの子からも聞いて、同じ人かなって」


 俺は頷き、茶碗を置く。

 目撃した人が話す相手は、一人とは限らない。その相手にもまた友達がいる。森野と話す前から、小山は俺を知らずに俺の話を聞いていたのだ。


「その友達は、俺を見たんですか」

「見たって言ってました。何の集まりなのかなって、気にしてて」


 集まり、という言葉で、帽子の中の耳を意識する。

 ほかにも同じような姿の人が一緒にいると思ったのだろうか。撮影か、行事か、宣伝か。俺が普通に通学している姿へ、理由をつけようとする人は多いのかもしれない。


「俺は、普通に講義に来てます。何かの活動で、こうしてるわけではないです」


 そう答えると、小山は、分かりました、と頷いた。

 すぐに全部理解した顔ではなかったが、それ以上の理由を尋ねる前に、魚へ箸を戻す。


「……いきなり、その話しちゃったね」

「俺も、気になったので。どんな話になってるか」


 答えてから、俺も一口食べた。

 怖くて聞けないのと、聞いたら気になるのと、両方ある。それでも、勝手に何かの参加者だと思われているより、自分で違うと言えるほうがよかった。


 少し間が空くと、森野が、今日の課題、どう書いたかと尋ねる。

 俺は提出した内容を思い返し、最後の段落を直したことを話した。小山はその講義を取っていないので、森野が何をまとめる課題だったか短く説明する。

 相手は、私の講義にも似たやつある、と自分の提出物の話を始めた。


 しっぽへ一度目が向いても、話題はまた戻る。

 小山が魚の小骨を取っている間、俺と森野で資料の話をし、森野が麺を食べる間は、小山と締切の話をする。

 全員が同じ事情を知っていなくても、昼食の時間は進んでいた。


     *


 食べ終え、トレーを返して外へ出ると、小山がスマホを見て立ち止まった。

 俺も先へ行きかけて止まり、森野と待つ。


「次の講義まで、ちょっと空いてます?」


 小山に聞かれ、俺は時刻を確かめた。

 まだ余裕があると答えると、売店へ寄りたいので一緒に行かないかと言う。森野も行くつもりらしく、俺もついていくことにした。


 売店の前には、学生が何人か集まっていた。

 俺たちが近づくと、一人が小山へ手を振る。男子学生で、小山が、さっき話した友達、と俺へ小さく言った。

 相手は挨拶のあと、俺を見て、あ、と顔を変えた。


「本当に一緒にいた」


 その言葉で、小山が少し眉を寄せる。


「同じ大学の人なんだから、一緒にいるでしょ」


 男子学生は、それはそうだけど、と俺の後ろへ目を向けた。

 俺はしっぽを壁側へ寄せ、小山の隣へ立つ。見ていた話の本人がいる、と思われていることが、声からも目からも分かった。


「瀬川です」


 先に名乗ると、相手も少し姿勢を直す。


「中井です。すみません、前に見かけて、びっくりして」

「小山さんから聞きました」


 俺が答えると、中井は小山へ目を向けた。

 相手が頷くのを見てから、もう一度俺へ戻る。


「変な意味で話してたわけじゃなくて。どうなってるのか、気になっただけで」

「はい。目立つので、気になるとは思います」


 そう言うと、中井は少し息をついた。

 でも、俺はそこで話を終えず、自分からもう一つ尋ねた。


「何かの集まりに来てるって、話になってるんですか」

「俺が、そうなのかなって言っただけです。毎回同じ格好でもないし、違うのかなとも思ってました」


 俺は自分のカーディガンを見る。

 しっぽだけではなく、服が違うことまで覚えていた。何を見られているか、本人には分からないものだった。


「普通に、ここの講義を取ってます。服も、自分が着るものを選んでるだけです」


 中井は、そうだったんですね、と答える。

 俺は頷き、友達に話すなら、そこは間違えないでほしいと伝えた。身体のことを一から説明する気にはまだなれない。でも、分からないところへ適当な理由が足されていくのも嫌だった。


「分かりました。何かの活動の人って、決めつけないようにします」


 返事を聞き、俺は少し肩の力を抜く。

 中井が周りへ何を話すか、これで全て分かったわけではない。ただ、今目の前にいる人へは、俺の言葉を伝えられた。


 ほかの学生もこちらへ目を向けていた。

 一人が、写真撮ってるのかと思ってた、と呟き、もう一人は、小山に、同じ講義なの、と聞く。森野が、私と同じ講義です、と答えた。

 本人が隣にいても、周りの人へ話が回ることはある。その輪の端で黙っているより、俺も一緒に立っていたかった。


「次の講義、そろそろ行きますね」


 時刻を見てそう伝え、俺たちは店へ入る。

 小山が飲み物を選び、森野はノートを探した。俺は棚の焼き菓子へ目が向いたが、昼食を食べたばかりなので今日は買わない。


「甘いもの、好きですか」


 小山に聞かれ、俺は頷いた。


「最近、ケーキ食べに行って。結構、好きだなって思いました」

「いいな。私も好きです」


 森野も棚を見て、今度、講義のあとにどこか寄るのもいいね、と言う。

 俺はすぐに店名を出しかけ、少し迷う。配信で場所を話すのと、ここで一緒に行く相手へ教えるのは同じではない。それでも、気に入った店へ初めて知り合った人たちと入るところを、まだうまく想像できなかった。


「……また、時間が合ったら」


 そう返すと、小山は、無理に今日じゃなくていいですよ、と笑った。

 連絡できるようにしておこうかという話になり、三人で個別の連絡先を交換する。配信用のSNSではなく、普段、知り合いと使っているほうだった。

 中井とは挨拶だけのままで、店を出るときにもう一度会釈した。


     *


 次の教室へ向かう道で、俺は森野と小山へ礼を言った。

 昼食へ誘ってもらったことと、間に入って話してくれたこと。


「私、何か話しちゃって、大丈夫だったかなって気になってました」


 小山が言うので、俺は首を振る。


「どんな話をしてたか、聞けてよかったです。俺、知らないまま考えてると、何でも怖くなるので」


 答えると、相手は頷いた。

 森野も、また何か言われたら、まず普通に学生だって話します、と言う。俺は、詳しい身体のことは自分で話すので、と添え、二人が分かったと返すのを聞いた。


 分かれ道で挨拶し、それぞれの建物へ向かう。

 鞄からスマホを出すと、小山からもう連絡が来ていた。


『今日はありがとうございました。またお昼、一緒に食べましょう』


 俺も礼を返し、森野へも同じように送る。

 遠くでこちらを見ていた学生の視線には、まだ気づく。今日話した人たちが全員、しっぽを見慣れたわけでもない。

 それでも、次の昼食の話をする相手が増えた。


 教室の前でスマホをしまう。

 俺のいないところで、どんな話が続くかは分からない。でも、小山からの次の連絡なら、俺のところへ直接届く。

 その違いを少し嬉しく思いながら、俺は扉を開けた。

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