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男だった俺の、しっぽのある暮らし  作者: あわいしゅん
第3章「街にも、俺の居場所を」

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第40話 次は、何を頼もうか

 午後の講義が終わると、三浦から、正門のほうで待ってる、と連絡が来た。

 俺はノートを鞄へしまい、建物の外へ出る。門へ向かう途中、ベンチに座っていた学生が顔を上げ、隣の人の袖を引いた。

 声までは聞き取れなかったが、二人の視線が腰の後ろへ向いているのは分かる。


 しっぽを自分の側へ寄せ、そのまま歩く。

 今朝聞いた話のせいで、誰かが顔を寄せ合っているだけでも気になってしまう。けれど、目が合うたびに立ち止まっていたら、門へも着けなかった。


 三浦は掲示板の横にいた。

 俺が近づくとスマホをしまい、今日、あの店寄る、と尋ねる。


「時間ある?」

「うん。お前は?」

「ある。今日は、見てから決めたい」


 気になっていたのは、大学から駅へ向かう途中の小さな喫茶店だった。

 窓際に丸いテーブルが並び、入口の黒板には飲み物と、その日の焼き菓子が書いてある。変わる前から前を通ったことはあるが、入ったことはない。

 最近、帰り道に見えるチーズケーキの文字が、ずっと気になっていた。


 門を出ると、自転車を押していた人が俺の後ろを見て、通る幅を空ける。

 俺は会釈し、三浦の隣へ戻った。今日は生成りのカーディガンを羽織っている。歩きながら袖を気にしなくていいのは助かるが、後ろを見られることまで減るわけではなかった。


「入れそうだったら、入ろうか」


 三浦がそう言ったので、俺は頷いた。

 店の前まで行くと、黒板にまだチーズケーキとある。ガラス越しには二組の客が見え、窓際の席が一つ空いていた。


「ある」

「何が?」

「ケーキ」


 三浦が黒板を見て、じゃあ行くか、と扉へ手を掛ける。

 俺はちょっと待ってと言いかけたが、窓際の空席をもう一度見て、後ろへついていった。


     *


 扉の上の鈴が鳴る。

 カウンターにいた女性が顔を上げ、いらっしゃいませ、と言った。俺たちよりずっと年上に見える人で、短い髪を耳へ掛け、濃い色のエプロンをつけている。


「お二人ですか」

「はい」


 俺が答え、扉が閉まる前にしっぽを寄せる。

 女性の目がそちらへ下がり、持っていた布巾を畳む手が止まった。


「あ……後ろの、それ」


 店内の客も、入口へ目を向ける。

 窓際にいた女性二人のうち一人が、小さく、しっぽ、と口にした。俺は鞄の紐を掴み、立ったまま、邪魔になりそうなところを探した。


「すみません。椅子の横へ出すので、広めの場所、空いてますか」


 カウンターの女性が、俺の顔へ視線を戻す。


「ええと……こちらなら」


 窓際ではなく、壁沿いの席を示された。

 丸いテーブルと、背の低い椅子が二つある。横には少し余裕があり、しっぽを通路へ出さずに済みそうだった。

 俺はそちらを見て、ありがとうございます、と答えた。


 移動する間も、客の視線がついてくる。

 椅子を少し引き、腰を下ろす前にしっぽを脇へ逃がした。三浦は向かいへ座り、俺の足元を見てから自分の鞄を椅子の下へ置く。


「これなら、通れますか」


 水を持ってきた女性へ聞くと、相手はテーブルの横を確かめて頷いた。


「はい。そこなら大丈夫です。……動くんですね」

「はい」


 答えると、女性はもう一度しっぽを見た。

 そこへ、窓際の客の声が届く。


「すごい。あれ、どうなってるんだろう」


 俺はメニューへ手を伸ばしかけ、止める。

 耳を帽子へ収めていても、声は聞こえていた。相手は聞かれていると思っていないらしく、連れへ小さく笑っている。

 女性は水を置き、困ったように俺へ顔を向けた。


「聞いてもいいのか迷ったんですけど、何かの衣装なんですか」


 俺は膝の上で手を組み、少し息を吸う。


「外せるものじゃないんです。詳しいことは、ちょっと、説明しにくくて」


 女性は、そうなんですね、と答えてから黙った。

 それで全部分かった顔ではなかった。けれど、しっぽを引っ張ってみようとしたり、帽子も取るように言ったりはしない。


「座るとき、ここが痛かったりします?」

「背もたれへ押しつけると、少し。今の位置なら平気です」

「分かりました。椅子、動かしてもらって大丈夫ですから」


 メニューを二人へ渡して、女性はカウンターへ戻った。

 俺は水を一口飲み、ようやく肩の力を少し抜く。


「どうする?」


 三浦がメニューを開く。

 俺も手元を見ると、目当てのチーズケーキが載っていた。飲み物は紅茶にしようと思ったが、セットの説明を二度読んでも頭へ入らない。

 しっぽが床を擦る音に反応して、窓際の客がまたこちらを見たからだった。


「先に、決めよう」


 自分でそう言い、メニューの一行を指す。


「これ、食べたい」

「いいじゃん。俺、コーヒーだけでいいかな」

「ケーキ、食わないの?」

「晩飯、早めに食べる予定だから」


 俺は頷き、店の女性へ声をかけた。

 チーズケーキと温かい紅茶を頼むと、女性は一度俺の顔を見てから、はい、と注文を書いた。三浦はコーヒーを頼み、メニューを返す。

 注文を言う間は、しっぽの説明を考えずに済んだ。


     *


 待っていると、小さな男の子が母親らしい女性と入ってきた。

 子どもは店内を見回し、俺のしっぽに気づいたところで足を止める。


「きつね?」


 声が店の中へはっきり響いた。

 俺は顔を上げ、母親と目が合う。相手は慌てて子どもの肩へ手を置き、すみません、と頭を下げた。


「見えたんだよね。でも、指ささないで」


 子どもが手を下ろす。

 まだ見ていたいらしく、席へ向かう途中も何度か振り返った。俺はどうしていいか分からず、小さく手を振る。子どもも、母親の服の裾を握ったまま手を振り返した。


 三浦がそのやり取りを見てから、俺へ目を戻す。


「大丈夫?」

「びっくりした。でも、あの反応は、分かる」


 俺が初めて自分のしっぽを見たときも、何度も確かめた。

 触られるのは困るけれど、子どもが驚いて声を出すことまで、やめてほしいとは言えなかった。

 帽子の縁を直し、また水を飲む。店へ入る前より、コップの中身がずいぶん減っていた。


 ほどなく、ケーキと飲み物が届いた。

 白い皿に載ったケーキは、思ったより厚い。焼き色のついた上の面から、端へ向かって少しだけひびが入っている。

 女性が紅茶を置き、砂糖とミルクはこちらです、と小さな器を寄せた。


「これ、お店で焼いてるんですか」


 気になって聞くと、女性は頷く。


「はい。私が焼いてます。昨日焼いて、一晩冷やしたものです」

「黒板で見て、気になってたんです」


 言ってから、声がさっきより自然に出たことに気づく。

 女性も少し笑って、ありがとうございます、と返した。


「初めてですよね、お店へ入るのは」

「はい。店の前は、何度か通ってます」

「私も、通りでお見かけした気がして。しっぽが見えたので、覚えてたんです」


 俺はフォークへ伸ばした手を止める。

 大学の入口でも、何回か見たと聞いた。店の前を通るだけでも、俺が気づかないうちに覚えられている。

 女性はそれを見て、じろじろ見てすみません、と続けた。


「いえ。ただ、俺からは、見られてたって分からなかったので」

「そうですよね。私、杉原といいます。店にいるのは、だいたい私なので」


 俺は頷いて、よろしくお願いします、と答えた。

 ここでは名前を聞かれなかったので、先に自分の姓まで言うかは迷った。杉原はそのまま、熱いので気をつけてくださいね、とカップを指し、カウンターへ戻る。

 俺のしっぽを覚えていた人に、今度は俺も名前を覚えることになった。


 フォークで端を切り、口へ運ぶ。

 表面は少し香ばしく、中はしっとりしていた。甘さのあとに酸味が残って、俺は飲み物を取る前にもう一口食べたくなる。


「うまい」


 声にすると、三浦がこちらを見る。


「よかったな」

「今度、これも食べれば」

「今、勧めるのか」


 俺は笑って、皿を見る。

 出てきてよかったと、ようやく店の中で思えた。しっぽに向けられた声や視線が消えたわけではない。さっきの子どもは、今も時々こっちを見ている。

 それでも、目当てのケーキを食べる時間まで全部なくなるわけではなかった。


 三浦の課題の話を聞き、俺も今日の講義のことを話した。

 森野から提出日を聞かれたところまで言うと、三浦が、もう普通の講義の話してるな、と頷く。


「次も、そうだといいけど」

「会ったら、聞けばいいんじゃない。課題、進んだかって」

「俺も聞かれたら困るから、先に進めとく」


 返すと、あいつが笑った。

 俺も紅茶を一口飲み、残りのケーキをゆっくり食べる。外へ来た話を配信でするなら、今日はこの味のことも話したかった。


     *


 会計へ立つとき、椅子を戻す前にしっぽの位置を確かめた。

 通路の客がこちらを見ていたので、小さく会釈し、三浦とカウンターへ向かう。それぞれの分を払うと、杉原がレシートを渡してくれた。


「ケーキ、どうでした?」

「おいしかったです。あの、いつもあるんですか」

「だいたいあります。焼き菓子のほうは、日によって替えてるので」


 横のケースには、小さなパウンドケーキが並んでいる。

 杉原が、今日はレモンです、と教えてくれた。俺はそれを見て、今度はそちらも気になる、と答えた。


「また来てください。席、空いてたら、さっきのところ使えますから」


 俺は壁沿いのテーブルを振り返る。

 初めての店で、どこへしっぽを置くか説明した場所が、次は座れると分かっている席になる。そのことが嬉しかった。


「ありがとうございます。また、来たいです」


 扉へ向かうと、子どもがこちらを見て手を振った。

 俺も一度だけ返し、しっぽを扉へ挟まないよう外へ出る。歩道にいた人が入口のほうを見て、俺を目で追った。店を出れば、また初めて見る人の中へ戻る。


 少し先で、三浦と並んだ。


「次は、レモンのやつ?」

「まだ決めない。同じの、もう一回でもいいし」

「俺は、晩飯まで時間ある日に来る」


 俺はいいね、と返した。

 しっぽが目立つ場所へ出ることと、また行きたい店ができることは、同じ日に起きるのだと分かった。


 駅へ向かう間、スマホを出そうとしてやめる。

 歩きながら書くより、帰ってから今日の話を残したかった。店の場所や名前を出すかは、まだ考えていない。

 それでも、ケーキの味と、次も座れるかもしれない席のことなら、今夜は自分の言葉で話せそうだった。

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