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男だった俺の、しっぽのある暮らし  作者: あわいしゅん
第3章「街にも、俺の居場所を」

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第39話 俺のいないところで

 次に大学へ行った日、講義棟の入口で、俺の話が聞こえた。


「昨日じゃないけど、ここ通ってたよ。しっぽのある子」

「本当に学生なの?」

「教室入ってったから、そうじゃない?」


 ガラスの扉へ手を伸ばしかけて、止まる。

 少し先の案内板の前に、二人の学生が立っていた。長い髪を後ろで結んだ女子学生と、紙のカップを持った男子学生。どちらも、俺のほうはまだ見ていない。

 俺は別の扉から入ろうかと考え、そのために歩く向きを変える自分まで想像して、足を出せなくなった。


「衣装ってこと? 何かの宣伝かな」

「分かんない。でも、普通に鞄持ってた」


 その言葉を聞き、肩へ掛けた鞄の紐を掴む。

 俺が誰かに覚えられるなら、しっぽだろうと思っていた。普通に鞄を持っていたことまで、見た人の話に残っている。

 自分では講義を受けに来ただけの姿が、別の人には説明したくなる出来事だった。


 後ろから来た学生が、もう一枚の扉を開ける。

 立ち止まっていては邪魔になるので、俺も扉を押した。その音で二人が振り向き、女子学生の目が俺の顔から腰の後ろへ動く。

 男子学生もそちらを見て、持っていたカップを少し下げた。


「あ……」


 女子学生が、そこで口を閉じる。

 目が合ってしまい、俺は小さく会釈した。相手も会釈を返したが、男子学生の視線はまだしっぽに残っている。

 帽子の中に耳を収めていても、後ろは隠れない。扉が閉まる前にしっぽを自分の側へ寄せ、二人の横を通った。


「すみません」


 背中へ声が届き、振り向く。

 女子学生は一歩こちらへ近づいてから、距離を残して止まった。


「今、聞こえてましたよね」

「……少し」

「ごめんなさい。見かけたことあったので、つい話してて」


 俺は、どう返せばいいか迷う。

 聞こえなかったことにはできないし、悪口を言われたわけでもなかった。謝られると、自分のことを話されるのは全部嫌だった、と答えることになりそうだった。


「びっくりは、しました」


 言うと、相手の肩が少し下がる。


「そうですよね」

「俺がいないところでも、そういう話になってるんだなって」


 男子学生が、すみません、と続けた。

 女子学生は鞄を持ち直して、何かの活動でそういう格好をしているのかと思った、と言う。俺は帽子の縁へ触れかけ、手を下ろした。


「宣伝とかではないです。今日は、講義に来ました」

「あ、そうなんですね」


 二人とも、まだしっぽを見ないようにしているのが分かった。

 全部を説明しようとすると、今度は、帽子を取って耳も見せなければならない気がした。そんなつもりで来たのではない。

 俺は時刻を確かめ、そろそろ教室へ行きます、と伝えた。


「引き止めてごめんなさい」

「いえ。……じゃあ」


 歩き始めても、後ろが気になった。

 振り返れば、今どんな顔で見られているか分かる。でも、確かめたらまた足が止まりそうで、そのまま階段を上がる。

 鞄の中には、いつものノートがある。俺は今日の教室の番号を頭の中で繰り返した。


     *


 教室では、通路へしっぽが出ない席を選んだ。

 鞄を置き、椅子の横へ先を寄せていると、後ろの席から、ここ、ぶつからないですか、と尋ねられる。振り向くと、知らない男子学生が椅子を少し引いていた。


「そっちは大丈夫です。こっちへ置くので」

「分かりました」


 返事を聞いて、俺もノートを出す。

 それだけのやり取りでも、さっきよりは息がしやすかった。何も気にされないわけではなく、座る場所を確かめてから、それぞれ講義の支度へ戻れた。


 開始の少し前、扉から入ってきた女子学生が、俺を見て一度止まる。

 入口で話していた人だった。

 同じ教室なのか、と俺も顔を上げてしまう。相手は空席を探すように見回し、二列ほど前に座った。こちらへは来ずに、資料を出している。


 講義が始まると、俺は黒板とノートの間へ視線を戻した。

 時々、前の席の人が振り返る。入口の人とは別だったが、目が合うとすぐに前を向いた。気にしていないふりを続けると疲れるので、しっぽが動いて通路へ出ていないかだけを確かめる。

 あとは、今の説明を書こう。

 先生が話した例を一つ写し、その下へ、自分で考えた疑問を残した。


 終了後、資料をしまっていると、さっきの女子学生が通路の端へ来た。


「同じ講義だったんですね」


 俺が先に言うと、相手は頷く。


「私も、入ってきて気づきました。森野です」

「瀬川です」


 名前を返したあと、少し緊張する。

 配信では、顔も耳も、名前も出していない。けれどここでは、同じ講義を取っている学生同士だった。名前を言うことまで避けたら、どうやって話しかければいいのか分からなくなる。


「前に見かけたのも、ここの建物です。今日、話してたの、それで」

「そうだったんですね」


 森野は鞄を肩へ掛け、少し言葉を探す。


「一緒にいたのは、別の講義の友達で。ここで何回か見たって言ったら、気になったみたいで」


 何回か。

 俺はその言葉で、また自分のしっぽを見る。

 俺が気づかないうちに、森野は何度も俺を見かけて、覚えていた。その話を聞いた友達も、俺のことが気になっていた。二人が話しているところへ、今朝、俺が通りかかったのだ。


「……動くので、びっくりしますよね」


 口にすると、森野の視線が腰の後ろへ移る。


「はい。さっきも、扉が閉まるときに動いたから。どうなってるのかなって」

「身体につながってるので。外すとかは、できないんです」


 相手の返事が止まった。

 俺は、それ以上を急いで足さずに待つ。配信でも、すぐに分かってもらえたわけではない。


「えっと……触ったら、分かるものですか」

「触られると、びっくりするので」

「あ、ごめんなさい。触って確かめたいって言い方でしたね」


 森野が両手を自分の鞄へ置く。

 俺は、聞いてくれたのは助かります、と答えた。相手は一度頷き、離れたまま、帽子のほうも何かあるんですか、と尋ねる。


「耳です。でも、今はかぶったままで」

「はい」


 帽子を取ってほしいとは、続かなかった。

 それでも森野は、どういうことか頭の中で組み立てようとしている顔をしている。俺にも原因は分からないと伝え、鞄の持ち手を握り直した。


 教室を出る人が、俺たちの間を通る。

 森野が壁側へ寄ったので、俺も通路を空けた。廊下へ出ると、足音も話し声も増え、さっきほど静かには話せなくなる。


「今日、もう一つ講義あります?」


 森野に聞かれ、午後もあると答える。

 相手も同じらしく、昼食を買いに行くところだと言った。俺も食堂へ向かうつもりだったので、階段を下りる間、並んで歩くことになる。

 自分の知らないところで俺の話をしていた人が、今は俺へ話しかけている。その違いには、まだ慣れなかった。


     *


 外へ出ると、何人かの視線がこちらへ向く。

 階段の先にいた二人連れが会話を止め、後ろへ回るしっぽを目で追った。森野もそれに気づいたらしく、途中で言いかけたことを止める。


「結構、見られるんですね」

「はい。まだ、気になります」


 俺が答えると、相手はすぐに、私も見てました、と言う。

 その返事で少し笑ってしまい、俺は、分かってます、と返した。森野も困ったように笑う。


「目立ちたくて、そうしてるのかと思ってたんです。でも、今日、ちょっと違うのかなって」

「隠したくても、全部は隠れないので」


 人の流れへ入る前に、しっぽを体の近くへ寄せる。

 森野はその動きを見て、隣の間隔を少し空けた。わざわざ大きく避けるのではなく、鞄同士がぶつからないくらいの距離だった。


「さっきの話、友達にも訂正しときます。宣伝じゃなくて、同じ講義の人だったって」


 俺は頷きかけて、止まる。


「……身体のことは、俺が話すので。そこまでは、広げないでほしいです」


 森野が俺の顔を見る。


「分かりました。今聞いたこと、詳しく話さないようにします」

「ありがとうございます」


 頼んだあとも、もう話されていることが消えるわけではなかった。

 あの子、何の活動なのだろう。帽子の下はどうなっているのだろう。本人を知らないまま、話せることはたくさんある。

 それを全部止めてほしいと言う言葉は、俺には出てこない。でも、自分で伝えたいところがあることは、今、言えた。


 食堂の前で、三浦からスマホへ連絡が届く。

 今日は昼が少し遅くなるという。俺は先に買って待っていると返し、森野へは、友達と食べる予定だと伝えた。


「じゃあ、私も先に買ってきます」


 そこで別れると、相手はしっぽをもう一度見る代わりに、俺の顔へ会釈した。

 俺も返し、列へ並ぶ。何を食べるか決めるまで、頭の中ではまだ、森野の言葉が続いていた。


     *


 昼食を買って座ると、三浦が少し遅れて来た。

 隣の椅子を引く前にしっぽの位置を確かめる。その仕草を見て、さっき森野にも説明したことを思い出す。


「今日、入口で、俺の噂聞いた」


 声を落として言うと、三浦が顔を上げる。


「何て?」

「しっぽの子、学生なのかって。宣伝か何かだと思われてた」

「……何回も来てるもんな」


 俺は頷き、相手と同じ講義だったことも話す。

 悪い人だったわけではない。会って話したら、少し分かったこともある。それでも、自分がいないところでどれくらい話されているかを考えると、箸を持つ手が止まった。


「この前、配信に来た人は、投稿見て知ったんだろ。俺が何を書いたかは分かるけど」

「外だと、何見て何話したか、分かんないな」

「うん」


 三浦はすぐに大丈夫とは言わず、俺の返事を待った。

 俺は一口食べてから、森野に身体の話までは広げないでほしいと頼んだことを伝える。


「言えたなら、よかったんじゃない」

「そうかな」

「そいつとは、また会うんだろ。同じ講義なら」


 そう言われて、来週もこの教室へ来ることを思い出す。

 今日限りなら、驚かれたまま別れて終わる。でも、森野とは次にも会うかもしれない。そのとき、また最初からしっぽの説明をするのだろうか。

 それとも、講義の話から始められるのだろうか。


 午後の教室へ向かう途中、廊下の角で森野を見かけた。

 今度は別の女子学生と並んでいる。俺が先に気づいたが、声をかけるか迷う間に、向こうが顔を上げた。


「瀬川さん」


 呼ばれ、俺は足を止める。

 隣の学生がしっぽを見て目を丸くしたので、体を少し壁側へ寄せた。森野はそちらを見てから、俺へ話しかける。


「さっきの講義、最後に言ってた提出日って、来週でしたよね」

「はい。次の講義までに、だったと思います」

「ありがとうございます。メモしそびれて」


 俺はノートを開き、書いていた一行を見せる。

 相手もスマホへ日付を残し、じゃあ、また、と言った。隣の学生の目はまだしっぽへ向いていたが、森野は、自分の教室のほうへ歩き始めた。


 俺も鞄へノートを戻す。

 今日、初めて俺を見た人は、まだ驚いている。同じ日に二度話した人は、提出日を聞いてきた。

 どちらも、同じ廊下で起きたことだった。


 次の教室の扉を開ける前に、俺は帽子の位置を少し直した。

 自分の知らないところで育っている話は、まだ気になる。それでも、次に森野へ会ったら、俺から挨拶してみようと思った。

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