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男だった俺の、しっぽのある暮らし  作者: あわいしゅん
第1章「しっぽのある暮らしを始めます」

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第4話 穴を開ける前に聞いてください

 目を覚まして最初に思ったのは、まだ戻っていない、ということだった。

 頬に髪がかかっているし、身体の後ろにはしっぽの重みがある。指先でクッションの端を探ると、その上に毛が広がっていた。眠る前と同じ位置に収まっているらしく、根元も痛くなかった。


「起きた?」


 声のしたほうへ顔を向けると、三浦が床でノートを閉じていた。枕元のスマホには、二十分より少し長く寝ていたことを示す時刻が出ている。


「起こした?」

「一回。あと五分って言われたから待った」

「それは俺だな」


 記憶にはないが、よく言う言葉だった。俺は肘をついて起き上がり、しっぽをクッションから下ろしてからベッドの縁へ座った。朝よりも身体を動かす順番が分かってきたのが、少し複雑だった。

 元へ戻っていてほしかった。その一方で、起きるたびに痛い思いをするのは嫌だ。慣れることまで拒んでいたら、今日一日すら暮らせないのだろう。


 三浦から水の入ったコップを受け取り、少し飲んでから、病院へ電話をかけた。昼寝の前に言おうと決めていたことを、メモで確かめる。


「初めてなんですけど、受診の相談をしたくて」


 電話口の人は、落ち着いた声で話を聞いてくれた。俺は今朝から身体の見た目が変わってしまったことと、手持ちの本人確認書類の情報と合わないことを、先に伝えた。

 何が変わったのか尋ねられて、女の身体になっている、と答えたところまでは何とか言えた。耳としっぽの話になると、自分の声が小さくなるのが分かった。


「その、動物みたいな耳が、頭にあって。あと……しっぽも」


 電話の向こうで返事が止まった。隣の三浦は口を挟まず、俺の手元のメモを見ていた。

 自分でも変な説明だと思います、と付け加えそうになったが、言っても状況は変わらない。口を閉じて待っていると、少し確認するのでそのまま待ってほしい、と言われた。


 保留の音楽が流れ始めたところで、俺はスマホを少し離した。


「今の、通じた?」

「少なくとも、切られてない」

「そこ基準なのかよ」


 三浦の返事に少し笑うと、さっきまで喉に詰まっていた感じが薄れた。メモに置いていた指をずらし、書類のことをもう一度確かめる。電話口だけでは判断できないのだろうし、それはそうだと思った。


 戻ってきた相手からは、実際の状態を診ないと分からないので、まず来院してほしいと伝えられた。書類の扱いも、受付で確認するという。電話で名前や連絡先を伝えるあいだ、耳としっぽがあることを改めて説明させられることはなかった。

 今日の遅い時間か、明日の午前中なら来られるかと聞かれ、俺は隣を見る。三浦が自分の時間割を開いたので、少し待ってもらってから、明日の午前中を選んだ。


 電話を終えると、背中が妙に疲れていた。ずっと姿勢を正していたらしい。三浦は俺がメモした時刻を見て、自分のスマホにも入れた。


「明日、一緒に行ける。俺の講義は午後からだから」

「頼む。……なんか、怒られると思ってた」

「嘘ついてると思われるかも、って?」


 頷くと、三浦は少し考えてから、現物があるんだから、と言った。俺は膝へ乗せたしっぽを見た。電話では言いづらかったものが、ここにはちゃんとある。

 明日、これを抱えて出かけるのかと思うと気は重かったが、誰かに診てもらう予定が入ったことで、朝より先のことを考えられるようになった。


「じゃあ、服と靴。今日中にどうにかしたいな」


 三浦がメモに戻ったので、俺も頷いた。腰の後ろだけを下げたスウェットでは、さすがに病院まで行けそうになかった。


     *


 机へ並べたのは、古い短パンと裁縫道具、それから小さなハサミだった。

 裁縫道具は引っ越したとき、母さんが荷物に入れたものだ。取れたボタンを直せるようにと言われて、そのまま引き出しの奥へしまっていた。今になって役に立ちそうなのが、少し悔しい。


「後ろに穴を開ければ、出せるんじゃないか」


 三浦が短パンを広げながら言った。俺も最初はそう思ったのだが、しっぽの根元と先を見比べるうちに、簡単ではないような気がしていた。


「これ、先から通すんだろ。結構でかい穴いるぞ」

「毛は縮むんじゃない?」

「縮むけど、ぎゅうぎゅう押し込むのは嫌だ」


 自分の身体にあるものを服の穴へ押し込む、という発想にまだ馴染めなかった。穴を小さくしすぎて、途中でしっぽが抜けなくなるところを想像すると、切る前から不安になる。

 大きく開ければよさそうだが、それでは今の服とあまり変わらない。二人で短パンを眺めているうちに、三浦がハサミを机へ戻した。


「これ、俺らが考えるやつじゃない気がする」

「だよな」


 俺はカメラへ目を向けた。さっき話していた服の直し方なら、聞ける人がいるかもしれない。

 もう一度配信することを口に出すと、三浦は机に置いた病院のメモを裏返し、カメラに映らない位置へよけた。俺も弁当のレシートを片づけ、画面に机の上だけが入るように調整する。


「三浦、名前呼ぶなよ」

「お前もな」


 二人とも相手を何と呼ぶか決めていないことに気づき、少し顔を見合わせた。ひとまず、三浦はカメラの横でコメントを読む役になった。机の上の物を取ってもらうなら、指を差して頼めば済む。

 配信タイトルには、『しっぽを出せる服に直したいです』と入れた。今朝よりも何を聞きたいかはっきりしている気がして、俺は少しだけ気楽に開始ボタンを押せた。


 しばらくは誰も来なかった。服を広げ直しながら待っていると、視聴者が一人になり、見覚えのある名前が現れた。


『座れた?』


 ねじまきだった。まさかまた来ると思っていなかったので、俺は思わず三浦を見る。あいつは画面を指で示し、俺の返事を待っていた。


「座れました。箱の上に、クッションも追加しました。今、両手空いてます」


『よかった』


 短い返事を読んでから、俺は机の短パンを持ち上げた。しっぽを通す穴を作りたいこと、どのくらいの大きさにすればいいか分からないことを話す。

 ねじまきから『縫うのは詳しくない』と返ってきたので、分かる範囲で大丈夫だと言いかけたところで、別のコメントが出た。


『まだ切ってませんか?』


 表示名は『糸日和』だった。視聴者数を見ると、二になっている。俺はハサミを脇へ押し、まだです、と答えた。


『よかった。まず、どこから着る想定ですか』


「普通に脚から……あ、でも、しっぽは後から通すことになるのか」


 言われて初めて、着るときの順番を考えた。今のスウェットは、腰の後ろを下げたまま脚を通し、しっぽの下まで持ち上げている。後ろが閉じた短パンに穴を開けたら、途中で手を後ろへ回して、しっぽを探さなければならない。

 服を広げたり折ったりしていると、三浦が横から小さく言った。


「立ってる途中で、それできる?」

「俺も今、それ思った」


 マイクに入ったらしく、ねじまきから『手伝いの人いるんだ』とコメントが来た。友達が来ていると答えると、三浦は無言で短パンの裾を押さえてくれた。


『大きな丸い穴より、腰から開く形のほうが着やすそうです』

『最後に留める部分を作る感じ。衣装の仕組みとしてですが』


 糸日和の説明を読みながら、俺は短パンの後ろの縫い目を指でなぞった。腰のところから開けられれば、脚を通すときにしっぽを無理に押し込まずに済む。穿いたあとで閉じる仕組みを作るのか、と口にすると、三浦も頷いた。


「なるほど。穴じゃなくて、入口なのか」


『そうです。でも、その短パンをすぐ切るより、まず紙で形を試したほうがいいかも』


 机の裁縫道具を見てから、俺はハサミをしまった。母さんに入れてもらった糸も針も、今日はまだ出番がなさそうだった。

 代わりに、三浦が裏の白いチラシを持ってきた。俺の部屋にあるものなのに、どこに置いてあるかよく覚えている。机へ広げてもらい、短パンの後ろを簡単な絵にしてみた。


 絵を描くと、急に相談しやすくなった。しっぽの根元に当たる位置はこの辺で、穿いたあとに留めるならここ。口だけでは説明できなかったことが、指で示せる。

 糸日和は、俺が描いた細すぎる留め部分を見て、引っ張られるとずれそうだと教えてくれた。ねじまきは、留め具が座ったときに当たらないかと聞いた。

 二人のコメントを読んで描き直すと、最初の絵とはだいぶ違う形になった。服として作れるかはまだ分からないが、丸い穴を一つ開けるより、着るところを想像できた。


『今日は何を着てるんですか?』


 糸日和に聞かれ、俺は手を止めた。画面に身体を映す代わりに、今穿いているスウェットの後ろを下げ、上着の裾で隠していることを説明する。


『なるほど。応急処置ですね』


「はい。できれば、明日はもうちょっとちゃんとした服で出かけたくて」


 言ってから、そこまで今日中にどうにかできるか不安になった。二人に話を聞いてもらえて嬉しくなっていたが、こちらには縫い物の経験がない。短パンの改造を始めて、今より着られる服を減らしてしまうかもしれない。


 糸日和から届いた次の提案は、改造とは違うものだった。


『明日用なら、まず腰まわりに余裕のある巻くタイプの服も候補にしては。しっぽの分だけ開け方を調整できます』


 俺はその文章を二度読んだ。横で三浦が検索を始め、画面をこちらへ向ける。そこに並んでいるのは、見慣れない服だった。


「……スカートか」


 自分の声が少し小さくなった。昨日までなら、着る候補に入らなかったものだ。糸日和は次に『一案なので、無理にとは』と送ってくれた。

 俺は首を振りかけて、カメラに映っていないことを思い出した。


「いや、嫌というか。まだ、俺が着るところが想像できなくて」


 しっぽを出すために服を直したい。そう言えば簡単な相談に聞こえるが、結局はこの身体で何を着るかという話になる。病院に行くとき、自分がどんな姿で玄関を出るのか、ようやく少し具体的に見えてきた。

 三浦が見せている画面には、暗い色の長めの服があった。ひらひらした飾りはなく、俺が勝手に想像していたものより、落ち着いて見えた。


「ちょっと、候補に入れてみます。どこを見て選べばいいか、聞いてもいいですか」


 そう答えると、糸日和から、重なる部分の余裕や丈を確かめるとよさそうだ、と返事が来た。三浦はその言葉をメモに入れ、今日見に行ける店を調べ始めた。


 まだ何も縫っていないのに、机の上には絵を描いた紙が三枚も並んでいた。俺は一番最初の、後ろに大きな丸を描いただけの紙を脇へよける。


「切る前に聞いてよかったです」


『本当にそれ』


 糸日和の返事のあとに、ねじまきからも『ハサミしまったのはえらい』と届いた。三浦が肩を揺らしているので、俺は机の下から軽く足を小突いた。

 今の身体に合う服は、まだ一着も用意できていない。それでも、何を買って、何をあとで考えればいいかは、配信を始める前より分かっていた。


 終了する前に二人へ礼を言い、短パンの改造はもう少し調べてからにすると伝えた。配信を終えてマイクを抜くと、三浦が広げた紙を一枚ずつ揃えてくれた。


「俺、買い物行ってくる。靴も要るし。色とか丈、画面見ながら選べる?」

「うん。サイズ、先に測ろう」


 二人で足を紙に乗せて長さを確かめ、必要なものをメモへ追加した。三浦が店に着いたら、服の候補を写真で送ってもらうことにする。

 母さんへの連絡は、その前に済ませようと思った。今なら、少なくとも病院へ行く予定と、三浦がそばにいることを伝えられる。


 スマホの連絡先を開くと、さっきよりは指が動いた。三浦へ少し待っていてほしいと頼み、母さんの名前を押す。

 呼び出し音を聞きながら、今朝送れなかった言葉を頭の中で並べた。電話に出たら最初に、俺だと分かってもらわなければならない。


「もしもし?」


 聞き慣れた声に、危うく普段どおり返事をしそうになった。息をひとつ吸い、俺はスマホを持ち直した。


「母さん、俺。先に言っとくけど、今から話すこと、冗談じゃないから」


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