第37話 その続きを、聞きに来た
部屋へ戻ると、机には畳んだグレーのパーカーが残っていた。
俺は帽子を外し、買ってきた紅茶のカップを置く。氷はほとんど溶けていたが、袖には一滴もこぼしていない。三浦がそれを見て、今日は大丈夫だったな、と言った。
「多分って言ったけど、大丈夫だった」
「そこ、自信持つところか?」
笑ってから、カーディガンを脱ぐ。
外では人の目を気にして何度か肩が強張った。それでも、自分で選んだ服を着て出られたことは、やっぱり嬉しかった。
SNSへ、先ほどの配信で合わせた服で外出したことを書く。
店の名前や道の写真は載せず、袖が邪魔にならずに財布を使えたことと、飲み物を持つのも楽だったことを添えた。撮影を頼まれて断ったことは、しばらく迷ってから今回は書かない。
写真を断った相手の話を、すぐに大勢へ話すのも違う気がした。
『こぼさず帰りました』
最後に一行足すと、三浦が横で笑う。
「本当に、それ報告するのか」
「言われたから。気をつけてって」
送ってから、録画の一覧を開いた。
さっきは楽しかった。それを、見に来られなかった人にも少し聞いてもらいたい。全編を公開するつもりはまだなかったが、短い会話なら残せるところがあるかもしれない。
「今日の、ちょっとだけ動画にしてもいい?」
「どこ使う?」
「俺が、どっちがいいか聞いたところ」
答えた途端、自分で恥ずかしくなる。
三浦は何も言わずに画面へ近づいた。俺は録画をそのあたりまで戻し、二人で見る。
画面の中では、生成りのカーディガンを羽織った俺の手が、前の端を掴んでいる。顔も耳も見えない。それでも、三浦へ感想を聞いたあと、返事を待って手が動かなくなるのはよく分かった。
「……こんなに待ってた?」
「待ってたな」
録画の三浦が、何するとき、と聞き返す。
俺は、出かけるなら、と答えている。声だけ聞くと、もう少しはっきり聞けばいいのにと思う。けれど、そこを自分で言えるくらいなら、さっきも困っていなかった。
夕凪のコメントで三浦がこちらを見るところまで来て、俺は一度止めた。
「コメントの名前とかは、入れないようにする」
「うん」
「会話の途中だから、短くしすぎないで。服を選んで、感想聞いてるって分かるくらい」
三浦は頷き、もう一回見せて、と言う。
前後を残して短くまとめたものを再生すると、俺が、そこまで言ってないです、と返したあと、三浦が、じゃあ言わなくていい、と聞き返す。
画面の中の俺は、すぐに、それも違うだろ、と言っていた。
「ここ、何回見ても恥ずかしい」
「嫌なら、別のとこでもいいよ」
俺は最後まで見てから、首を振る。
三浦が似合っていると言い、俺が礼を言うところで、会話がひと区切りになる。恥ずかしいけれど、その返事を消してしまいたいとは思わなかった。
「これでいい。俺、楽しそうだし」
「じゃあ、俺もいいよ」
できた動画を三浦へ送り、内容を確かめてもらってから、SNSへ載せる。
手持ちの服を友達と合わせてみました、と説明を書いた。変わった身体のことは、プロフィールから読める場所にある。今日の動画には、服を選んでいる俺の会話を残したかった。
三浦が帰ったあと、洗濯物を片づけて戻ると、動画への返事が増えていた。
『感想待ってるところ、かわいい』
『言わなくていい? に即答してるの好き』
『この二人、ほかにも話してる?』
最後の問いへ、日が合うと一緒に話しています、と返す。
顔を見せてほしいという文章もあった。今はこの範囲で話していると答えてから、動画をもう一度開く。
画面の中で俺が笑うと、手元も少し揺れた。
*
二日後の夜、一人で夕飯の配信を始めた。
今日はうどんにした。冷凍の麺を温め、つゆと刻みねぎを入れた、ごく普通の一杯だ。手間をかけて料理する日ばかりにはできないけれど、これを食べる間なら少し話せそうだった。
告知には、服を合わせてから外へ出た話もする、と書いておいた。
机の端には説明文への案内を出し、丼と手元が映るようにする。カーディガンは椅子の背へ掛け、青いTシャツで座った。
「こんばんは。今日は、一人でうどん食べます」
挨拶が流れ始める。
糸日和とパンのみみへ返事をし、夕凪の名前にも気づいた。続けて見覚えのない名前が並び、俺は箸を持ったまま画面へ少し顔を近づける。
『服の動画から来ました』
『友達は今日いない?』
『こんばんは。声、動画のままだ』
「友達は、今日はいないです。また日が合ったら。声は、はい、この声です」
返したところで、別の人も動画を見て来たと書く。
全員の挨拶へ答えようとしているうちに、夕凪の、こぼさず帰れたんですね、という文字が見えなくなった。少し上へ戻し、何の続きか分かってから笑う。
「はい。あの服で出て、紅茶買ってきました。袖、すごい楽でした」
『紅茶?』
今日初めて来たらしい人へ、配信で合わせた服を着て、あとで飲み物を買いに行ったことを説明する。動画に映っていたのは外出前の部屋での会話で、外では撮っていないとも添えた。
夕凪が、前の配信の続きです、と短く書いてくれる。
いつもの人だけに分かる話をしていたのだと気づき、俺は丼のほうへ目を戻す。
「先に、いただきます。麺、のびるので」
パンのみみから、いただきます、と届く。
ほかにも食べている人がいるらしく、丼を持つ間に、こちらも夕飯です、と続いた。今から食べる人には同じ挨拶を返し、俺も一口すすった。
『動画の服、今日も着てるんですか』
「下の青いほうは、これです。上着は、食べ終わってから」
『褒められてたやつだ』
麺を飲み込んでから、少し笑う。
表示名は『まめもち』。先ほど、動画から来たと書いていた人だった。
「上着も、よかったんですよ。外で財布出すとき、袖を引っ張らなくて済んで」
『出かけるなら、って聞いてたから、本当に出かけたんだね』
「はい。見てもらったら、着て行きたくなって」
そこまで言うと、コメントに、いいな、と届いた。
服が似合っているかどうかを聞いて、着て出かけた。それだけの話を、今日初めて来た人も聞いてくれる。その人は、俺が男だったという話を先に知っていたのだろうか。
気になったが、確かめる前に、しっぽについての質問が届く。
『あの横にあるの、本当にしっぽ?』
俺はクッションへ載せた先を見る。
「しっぽです。座るときは、ここへ置いてます。顔と耳は映してないので、今見えてるのは身体の下のほうと、これだけです」
『普段も、そのまま外を歩いてるの?』
麺を取る手が止まる。
部屋で見えるこの範囲から、外でどう見えるかを想像しているのかもしれない。俺は箸を丼へ置き、帽子で耳を覆って外出していると答えた。
「しっぽは出してます。隠しきれないので。だから、この前も結構見られました」
『やっぱり、目立つよね』
「はい。俺は着た服のこと考えてたんですけど、向こうから来る人は、まずしっぽ見てました」
通りで聞いた、動いてる、という声を思い出す。
俺が笑って歩いていても、初めて見る人は足を止める。帽子をかぶれば普通の買い物になる、と言うことはできなかった。
『怖くなかった?』
「ちょっと、緊張しました。友達が一緒だったのは助かりました」
答えてから、カーディガンへ目を向ける。
「でも、あれ着て出たのは、よかったです。店で注文して、飲み物持って、ちゃんと歩けたので。次も着たいです」
夕凪から、着心地まで聞けてよかった、と届く。
俺は礼を言い、またうどんへ箸を伸ばした。外で見られた話をしている間も、どこを歩いたかや、どの店へ入ったかを答える必要はなかった。
『からあげさんがまたいてくれるといいね』
「また誘います。服の感想も、言ってもらったので」
『あの、言わなくていい? って返し、普段からするの?』
まめもちの問いに、俺は少し考える。
「普段も、俺が遠回しに聞くと、ああなります」
『じゃあ、普通にかわいい? って聞けばよかった?』
画面を見たまま、返事が詰まった。
それを男友達へ真っ直ぐ聞けるなら、俺もあんなに袖を触っていなかったはずだ。
「……その聞き方は、ちょっと、難しいです」
『今の間、動画と同じだった』
笑う文字が続き、俺もつられて笑った。
パンのみみまで、答えてほしいのは分かりました、と書くので、そこは分かりすぎなくていいです、と箸を持ち直す。
しっぽの先がクッションから少し滑り、俺は手を伸ばして載せ直した。
その動きを見た人から、今動いた、と届く。俺は返事をしようとして、丼の麺が残っていることに気づいた。
「しっぽの話は、あとで。今、一口食べます」
そう言ってから食べると、夕凪が、麺の順番も残してあげて、と返す。
まめもちが、伸びちゃうもんね、と続けた。俺の説明を待っている人たちが、今度は、俺がうどんを食べる時間を待ってくれている。
急いで飲み込まずに済んだ。
箸を置く頃には、常連と初めての人の名前が交互に流れていた。
誰がどこから来たか、全部は覚えられない。それでも、まめもちが今日の麺の話に返事をしたことや、夕凪が前の服を覚えていたことは、ちゃんと分かる。
「ごちそうさまでした。皆さんは、もう食べ終わりました?」
『こっちも終わった』
『まだ半分。話聞きながらだとゆっくりになる』
俺は空の丼を少し端へ寄せた。
残っている人の飯が冷めないよう、短く挨拶をして終わることにする。次もこういう時間があるのかと尋ねられ、毎回は約束できないけれど、また食べながら話したいと返した。
『動画から来てよかった。また時間が合ったら来ます』
まめもちの言葉を読んで、俺はマイクへ顔を向ける。
「はい。今度は、そっちが何食べてるかも聞かせてください」
そう言ってから、配信を終えた。
*
履歴を自分だけの公開へ戻し、マイクを切る。
椅子の横からしっぽを下ろすと、ようやく部屋が静かになった。丼を洗いに立つ前に、今日来た名前を思い返してみる。
男だったという文章で知った人。服の続きを見に来た人。三浦との短い会話を面白がった人。
誰も同じところから来ているわけではなかった。
三浦へ、動画から来た人がいた、と送る。
返事は丼を洗っている間に届き、手を拭いてから開いた。
『よかった。服の話できた?』
『できた。俺が感想待ってた話も、またされた』
『そこ使ったんだから、されるだろ』
正しい返事で、俺は笑ってしまう。
あいつに褒めてもらいたくて待っていたところを、自分で選んで人へ見せた。それを見た人が、今夜は俺のうどんの話にも付き合ってくれた。
『今度、また一緒に飯食わない? 配信も少し』
送ると、日が合えば、と返る。
候補の日を二つ書いてから、俺はSNSへ今日のお礼を載せた。返事には、今日は焼きそばでした、と夕飯の話が届いている。
次に人が来るとき、全部を初めから説明しなければならない、と思っていた場所に、今日の話の続きを持って来る人が増えていた。




