↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
男だった俺の、しっぽのある暮らし  作者: あわいしゅん
第2章「いつもの場所に、今の俺で」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
35/40

第35話 今日は、服の話を

 翌朝、昨日の説明文に、見覚えのない名前から返事がついていた。

 耳としっぽのある人だと聞いて来た、という人。男から女になったとはどういうことか、と尋ねる人。少し下へ送ると、別の人が俺の投稿を紹介しているのも見つかる。


『昨日、配信で本人が話していました。事情はまだ驚いてるけど、そのあと友達と普通に弁当を食べてた』


 その文章に、弁当、という短い返事がついていた。

 俺は画面を見たまま、ちょっと笑う。変わった身体のことを説明したら、そこから夕飯へ話がつながるのは、聞いた人にも妙だったらしい。


 紹介された先には、次はいつ話すのかという問いもある。

 自分で書いた説明が、自分の知らない相手まで届いていた。いつもの告知にも知らない人が来ることはあったが、今日は服の写真でも、三浦と笑っている動画でもない。

 男だった俺のことを知りたくて、ここを開いている。


 返せそうなものへ短く返事をしてから、朝飯を食べた。

 大学へ行く支度の途中、引き出しからTシャツを取ると、その下に畳んだパーカーが見える。服の片づけは終わったのに、着てみた話は、まだ途中のような気がした。


 昼休み、三浦へ、今夜は服の話をするつもりだと送った。

 今日は夕方から用事があるという返事に、一人でやるつもりだから大丈夫と返す。あいつが来られる日まで話せない、と決めたくはなかった。


『あの袖、また落ちてくるんじゃない』

『昨日は着てなかったから、今日は確かめる』


 やり取りを終え、配信用のSNSへ告知した。

 今夜は前から持っている服と、今着ている服の話。顔を映す予定はなく、いつもの手元の画角で話します、と添える。送信してから、最初に来た人にも分かるよう、昨日の説明文をプロフィールから開ける場所へ置いた。


     *


 帰宅後、夕飯を済ませてから、机へ二枚の服を並べた。

 グレーのパーカーと、今の身体に合わせて買った薄い青のTシャツ。どちらも自分で着るものなのに、畳んだ大きさまで違う。

 袖だけなら大きいほうでも折ればいい。でも、肩の位置や、動いたときに裾がしっぽへ乗る感じは、着てみないと分からなかった。


 最初はTシャツを着て座り、パーカーを膝へ置いた。

 カメラには胸より下と手元が入る。服を持ち上げるときも顔が入らないよう、映る端を一度確かめておく。椅子の横にしっぽを置き、ノートへ「袖」「裾」「色」と三つ書いた。

 説明する順番まで決めると、またそれを読むばかりになりそうで、今日はそこまでにする。


「こんばんは。今日は、服を二つ出してます」


 配信を始めると、挨拶が続けて届いた。

 ねじまきへ返事をしようとしたところで、別の文字が下から増える。昨日の投稿から来たという人と、紹介を見たという人が、続けて初めましてと書いている。


「初めまして。来てくれてありがとうございます」

『男だったって書いてあった人?』

『声、今のままなんですか』


 俺ははいと答え、声を変えるものは使っていないと伝える。

 次に年齢を聞かれ、詳しくは出していないと返した。どのくらい前に変わったのか、昔の写真はないのか。見覚えのある問いが、知らない名前から届く。


「前の写真は出してないです。身体のことは、プロフィールから説明を読めるようにしました」


 そこまで言ってから、糸日和の挨拶を見落としていたと気づく。

 慌てて返事をすると、今日は青い服ですね、と届いた。俺は胸元を見下ろし、はい、これ、と話し始める。


「前に買ったもので、今はこれくらいの大きさが――」

『耳は見せないんですか?』


 言葉が止まる。

 画面に映っていない耳へ、つい意識が向いた。今まで見せていないことを、今日来た人は当然には知らない。


「顔と耳は映してないです。今見えてるのは、胸から下と、しっぽの一部です」

『しっぽは自分で動かせる?』

「少しなら。まだ、思ったとおりにいかないこともあります」

『動くところ見たい』


 見せようかと思って、椅子の横を見る。

 クッションに載せた先が、少しだけ動いた。画面の中では端が揺れるくらいだったが、動いた、とコメントがつく。もう一度、と続いたところで、俺は膝のパーカーを掴み直した。

 今日は、何をしようとしていたのだったか。


 ノートには、まだ一つも話せていない言葉が三つ並んでいる。

 変化の説明を聞いて来てくれたのだから、気になるのは分かる。初めての人には、俺が何度答えたかも関係ない。それでも、一つ返すたびに次が届き、俺の服は膝の上から動かないままだった。


『服の話の途中だったかな。ごめん』


 耳について尋ねた人の名前だった。

 俺はすぐに、大丈夫です、と返しかけて口を閉じる。困っていないふりをしたら、またどの質問へも順番に答えようとしてしまいそうだった。


「聞きたくなるのは分かります。俺も、知らなかったら聞くと思うので。ただ、今日はこの服の話もしたくて」


 パーカーを机へ載せる。

 画面の真ん中にグレーの袖が広がり、さっきまで自分の手があった場所を隠した。


「身体の話で、今答えられることは説明文に書いてあります。今日は、こっちを先にやってもいいですか」


 言ってから、返事を待たずに袖を一本持ち上げた。


「これ、前は普通に手が出る長さだったんですけど」


 顔を画角の外に保ったまま羽織り、肩へ布を落とす。

 Tシャツの上からでも、袖は手をすっぽり隠した。腕を前へ伸ばすと、指の位置より先で布が垂れる。


『あ、思ったより余る』

『今のTシャツと全然違うね』


「そうなんです。だから、こうして折って」


 片方の袖を折り、もう片方も揃える。

 昨日までに何度かやっているので、今日はそれほど手間取らない。両手を並べると、糸日和から、今日は左右が揃っていますね、と届いた。


「練習しました」

『袖を折る練習?』

「はい。一昨日、片方だけ深かったので」


 答えながら少し笑う。

 個別に見てもらった写真の話まではしなかったが、糸日和には伝わったらしい。よくできました、と返され、俺は、そこまで褒められることですか、と机へ手を置く。


 袖口の折り目を見ていると、知らない名前からコメントが届く。

 表示名は『夕凪』。今日、投稿を見て来たと挨拶していた人だった。


『手を使うときは、青いほうが楽そう。大きいのは家でゆっくりするときによさそうです』


「確かに。食べるときは、青いほうがいいです」

『袖にソースつきそう』

「昨日、それ考えて着ませんでした」


 ねじまきが、卵焼きまで袖に取られるところだった、と書く。

 初めて来た人から疑問符が届いたので、昨日、弁当の卵焼きを最後まで残していた話をする。二個あるなら一個先に食べればと教えてもらった、と続けると、夕凪が、服も二つあれば使い分けられますね、と返した。


「じゃあ、飯食うときはこっちで、食べ終わったら羽織る感じで」


 前を開け、下のTシャツを指す。

 しっぽの付け根に布が寄っていたので、後ろへ手を回して裾を直した。そこまでして着たいのかと聞かれたら、今日は、着たいと答えられる。


「楽なのは新しいほうなんですけど。これは、前から好きだったので、残しました」

『前の身体へ戻ったとき用?』


 俺は袖へ目を落とす。

 そういう気持ちも全くなかったわけではない。でも、それだけなら、わざわざ今夜出してこなくてもよかった。


「戻ったら着るかもしれないです。でも、今も着たいです。今の俺には、こんなに大きいんだなって思いますけど」


『ぶかぶかで着るのも似合ってる』


 夕凪の文字を読んで、袖を折り直しかけた手が止まる。

 この人は、男だったという話を先に知ってから、今日ここへ来た。その人にも、今の俺が服を着ているところを、そう言ってもらえる。


「……ありがとうございます。こっちも、結構気に入ってます」


 自分の声が少し高くなった気がして、水へ手を伸ばした。

 コップには袖がかからない。何でもないことだが、折った分だけ使いやすくなっているのが嬉しかった。


『顔は見えないけど、今の返事は照れてた気がする』

「そこは、想像でお願いします」


 そう返すと、笑う文字が届く。

 顔を出さずに話すことが、相手の想像する余地にもなるのだと初めて思った。俺が実際にどう見えるかまでは、画面の向こうには分からない。それでも、返事をした声は届いている。


 ノートの最後の言葉へ目を移す。

 色については、まだ話していなかった。


「前は、こういうグレーばっかり選んでました。青いほうは、今の服を買うときに、少し違うのも着てみようと思って」


 袖を並べて見せると、画面の上では色の違いがはっきりする。

 ねじまきから、グレー好きだったな、と届いた。前に三浦と話したときのことを覚えているらしい。俺が頷くと、夕凪は、青いほうも見たいので少し前を開けてもらえますか、と書いた。


 ファスナーは留めていなかったので、左右の布を少しよける。

 カメラの高さは変えず、Tシャツの色が見えるくらいにした。淡い色もいいですね、と言われると、買うときに迷ったことまで思い出す。

 今なら、もう一枚違う色を選ぶのも面白いかもしれない。


 気づけば、予定していた終わりの時間が近かった。

 結局、最初に用意した話の半分くらいしかできていない。けれど、膝で丸まっていたパーカーは、今は俺の肩に掛かっていた。


「今日はここまでにします。最初、質問に答えてるうちに何の話するか見失って、すみません」

『途中からでも服の話、聞けてよかったです』


 夕凪の返事を読み、俺は礼を言う。

 同じ人が、また服を選ぶときも見たいです、と続けたので、今度はもう少し比べられるようにしてみます、と答えてから配信を終えた。


     *


 履歴を自分だけの公開へ戻し、マイクを切る。

 椅子へ深く座ったところで、三浦から連絡が届いた。今終わった? とあるので、終わったと返す。用事のあとに告知を見直して、気にしてくれたらしい。


『どうだった』

『説明してたら、服の話する時間が半分になった』

『袖、落ちた?』

『今日は落ちなかった』


 そこで笑ってから、もう一つ送る。


『知らない人に、似合うって言われた』

『よかったじゃん』


 短い返事が来て、俺は少し照れた。

 困ったことと嬉しかったことを、続けてあいつへ送っている。配信前にどちらか一つを予想しようとしても、きっと当たらなかった。


 ノートの「色」の横へ、手持ちの服をもう少し並べる、と書く。

 今日は変わった身体について聞かれるたび、用意した話を後ろへ押していた。次は最初から、何をする時間なのかが見えるようにしたい。

 説明文への案内も、口で何度も繰り返さずに済む場所を考えようと思う。


 SNSへ今日のお礼を書き、次は手持ちの服を合わせてみたいと添えた。

 送ってから着たままの服を見下ろすと、青いTシャツの裾が、パーカーの下から覗いている。次に着るならどれと合わせようか。袖を畳むより先に、俺は引き出しをもう一度開けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。