第30話 今度は、俺が作る
雑談配信の翌日、昼休みに三浦へ連絡した。
『今度、うちで飯食わない? 俺が作るから』
送ってからスマホを伏せたものの、すぐにもう一度持ち上げる。誘い方が変だっただろうか。男だった頃にも、うちで食べようと言ったことはある。そのときは、何か買って帰るか、冷蔵庫にあるものを一緒に片づけるくらいだった。
自分で作るとわざわざ書くと、今の姿では別の意味がつくような気がする。
返事は、午後の講義が始まる前に来る。
『いいよ。明後日なら夕方から空いてる。何作る?』
そこには、俺が勝手に心配していたような含みはなかった。
俺は少し考え、生姜焼きと返す。唐揚げを作れば弁当の話につながるけれど、二人分を揚げながら片づけるのは大変そうだった。生姜焼きなら前にも作っているし、肉とキャベツと味噌汁があれば、夕飯になる。
『米、多めで』
『分かってる』
返してから、三浦へもう一つ聞く。
食べ始めるところだけ、配信をしてもいいか。作っている間ではなく、料理を机へ置いて、最初の十五分くらいを話す。そのあと切って、普通に食べたい。
『いいよ。俺が食べるとこ、顔出さなくても映る?』
『皿と手だけ。喋るほうで出てもらうつもり』
『なら大丈夫』
了承をもらい、SNSへ短い告知を書く。
前回一緒に話した友達へ、今度は俺が夕飯を作ること。料理の手順を教える配信ではなく、できたものを見せて少し話す予定だと添えた。
糸日和から、楽しみです、と届く。その下に、ねじまきが、からあげに唐揚げを出すのか、と書いている。
『生姜焼きです』
そう返すと、パンのみみから、それもご飯に合いますね、と来る。
以前なら、うまく作れるか分からないと先に書いていただろう。今日は予定を知らせるだけにした。まだ何も困っていないのに、失敗するかもしれない話から始める必要はなかった。
*
約束の日の夕方、買ってきた肉を冷蔵庫から出す。
キャベツを切り、味噌汁に入れる豆腐とねぎを用意する。米は三浦の分を多めに炊いた。俺自身は、昔のつもりで盛ると多すぎることがあるので、茶碗を並べてから自分のほうを少し小さくする。
台所へ立つ前に、髪を後ろでまとめた。
最初の頃より手早くできるようになったが、ゴムを結んだあと、鏡へ目が向くのは変わらない。いつものTシャツと部屋着でも、髪を上げると顔の見え方が違った。
誰に見せるための格好でもないと思いながら、襟のよれを直す。
どうせ顔は映さない。三浦だって、今さら服を変えたくらいで何か言うとは思わない。それなのに、友達が来ると決まった今日は、寝起きのまま迎える気にはならなかった。
調味料を混ぜておいたところで、廊下に足音が聞こえる。
手を洗って拭き、呼び鈴が鳴ってから玄関へ向かう。ドアを開けると、三浦が買い物袋を片手に立っている。
「何、それ」
「飲み物。飯作ってもらうし」
「お茶あるのに」
「知ってる。これは食ったあと」
袋には小さな紙パックのジュースと、二人分のプリンが入っている。
受け取って冷蔵庫へしまうと、三浦は鞄を置いてから台所を覗く。生姜の入った調味料を見て、もういい匂いする、と言う。
「まだ焼いてないけど」
「じゃあ、焼いたらもっとするな」
その返事がおかしくて、俺は笑う。
今日は、俺が座れないから来てもらったわけではない。しっぽの場所を確かめながら部屋へ上がったあいつに、できるまで待ってて、と言えることが嬉しかった。
フライパンへ肉を広げ、火をつけた。
今の身体になってからも、自分の夕飯は何度か作っている。けれど、二人分を一度に並べると、置ける場所が足りなかった。重なった肉を無理に広げようとして、俺は一度手を止める。
「二回に分けたら?」
「うん。今、そう思った」
「最初のほう、皿に取る?」
「そこの白いやつ、出して」
三浦が皿を置き、俺は先に焼いた分を移した。
全部一人でやると言わなくてよかった。作りたいのは夕飯で、三浦を座らせたまま動かさないことではない。あいつが箸を二組出している間に、残りを焼く。
肉に火が通ってから先の分を戻し、調味料を回しかける。
湯気が上がり、三浦が少し近づく。俺は味見のために端を一切れ切り、皿へ置く。汁を少しつけて食べると、思っていたより生姜がはっきりした。
「どう?」
「ちょっと強いかも」
「俺は好きだけど」
あいつにも小さな一切れを渡すと、熱いと言いながら食べ、これくらいでいい、と返ってきた。俺はもう一口確かめ、火を止める。
キャベツを添えた皿へ肉を分けた。二枚並べると、同じものを作っているのに、片方は三浦のための夕飯になっている。
*
机を拭き、いつもの道具を端へ寄せる。
三浦は部屋の折りたたみ椅子を開き、机の短い辺へ置く。俺は普段の椅子に座り、しっぽの先を横のクッションへ載せる。皿が二つ入るよう、カメラの角度を少し変えて確かめる。
頭は映らない。三浦も肘から先だけなら入る。
ヘッドホンは今日は使わず、机のマイクで二人の声を拾う。三浦に一言喋ってもらってから、配信を始める。
「こんばんは。できました。今日は食べ始めるところだけ、少し話します」
「こんばんは。食べる係です」
『からあげさんだ』
『もうできてる!』
『生姜焼き、おいしそう』
「作ってる途中は、二人分でいっぱいだったので」
「俺、皿出しました」
「それと箸も。助かりました」
最初からカメラをつけていたら、返事をするたびに火から目を離していたと思う。今はもうできたものが置いてあって、二人で座れている。それだけで、落ち着いて話せた。
糸日和とパンのみみの挨拶へ返事をし、いただきますと言う。
三浦が先に肉を取る。俺はつい、箸を持ったままそちらを見ている。味見はしてもらったけれど、夕飯として食べた感想はまだ聞いていない。
「うまい。ちゃんとご飯に合う」
「よかった」
「お前も食べろよ。冷めるぞ」
返事をする間に、コメントが増える。
『感想待ってたんだね』
『褒められて声が嬉しそう』
『作った子のほうが緊張してる』
俺は肉を取り、一口食べてから返す。
「作ったら、感想は聞きたいです」
「俺、味見でもうまいって言っただろ」
「味見と、座って食べるのは違うんだよ」
そう言うと三浦が笑い、分かった、うまいです、ともう一度言う。
言わせたようになって恥ずかしかったが、嫌ではなかった。前にも飯を作ったことはある。それでも、今の俺があいつへ皿を出し、うまいと言われて喜んでいるところを見られるのは、少し違う気がする。
母さんが何かを作るとき、食べた人の顔を確かめていたことを思い出す。
俺も同じように三浦を見ていた。女の身体になったから急に料理が好きになったわけではない。あの日、飯を持ってきてくれた相手へ、今度は自分が食べてもらいたかった。その相手が目の前で箸を進めているから、嬉しいのだと思う。
『二人とも、お腹減ってた?』
麦茶が書く。黒田だと分かっている俺は、当然だろ、と言いかけて、画面へ返す言葉に変える。
「夕飯なので、普通に減ってます」
「本人、始める前に時間ばっか見てました」
「熱いうちに食べたかったんだよ」
『だったら食べよう』
『コメントはゆっくりで大丈夫』
『こっちも今からご飯にします』
最後の一つを読んで、俺は箸を置く。
この時間に見ている人は、全員もう食べ終えていると思っていたわけではない。でも、同じ画面を見ながら、それぞれ夕飯を用意しているところは、あまり想像していなかった。
「そっちも夕飯ですか」
『一人なので、今日は買ってきたやつです』
『残業帰り。ご飯だけ炊けてた』
『俺も生姜焼きにすればよかった』
三浦が、買った飯もうまいですよ、と言う。
俺も頷き、初日は自分も弁当を持ってきてもらった、と続ける。今日作ったことを褒めてもらえるのは嬉しい。でも、作らない日も飯は食うし、誰かと喋りたくなることはある。
「じゃあ、まだ食べてない人も、いただきます。もう食べた人は、あと少し付き合ってください」
『いただきます』
『お茶だけど、いただきます』
『こういう配信、仕事終わりに助かる』
文字を読んでから、俺はまた肉を取る。
さっきまでは自分が作ったものを見せる時間だった。それが、別の場所で食べている人とも、夕飯の話をする時間へ変わっていた。
三浦がご飯の残りを見て、あとでおかわりしていいか、と聞く。
多めに炊いてあると答えたら、ねじまきが、用意がいい、と書く。俺はそちらの食べる量くらい知ってます、と返しかけて、少し照れた。
「友達の分を作るので、そこは多めにしました」
言い直すと、三浦が、俺から頼みました、と付け足した。
俺は笑って、ちゃんと肉の残った皿を確かめる。画面の外で、あいつが箸を動かしている。見られているからといって、いつもの食欲まで変わるわけではなかった。
十五分を少し過ぎたところで、俺は終わりの挨拶をした。
コメントには、短くても一緒に食べられてよかった、と届いている。定期的にやるのかという質問もあった。
「毎回料理を作って、とは決められないですけど。こういう時間は、またやってみたいです」
三浦も、ごちそうさまはまだです、と言って笑わせてから、また、と挨拶した。
俺は配信を切り、履歴の設定を確かめてから、ようやく椅子へ深く座り直す。
*
「ご飯、よそう?」
「自分でやるよ。お前、まだ食ってるだろ」
三浦が茶碗を持って立ち、炊飯器のところへ向かった。
俺は残った肉を食べながら、机の端へ寄せたスマホを見る。配信を終えたばかりなのに、SNSには、同じ時間に食べた人の夕飯の写真が届いていた。三浦が戻るのを待って、その一つを見せる。
「向こうも生姜焼きだったって」
「偶然?」
「買ってきたやつらしい。見てたら食べたくなって、冷蔵庫から出したって」
自分の皿と似たものが別の机へ載っているのがおかしかった。
料理を教えたわけでも、誰かの困りごとを解決したわけでもない。それでも、今夜の配信から、別の人の夕飯の話が返ってきている。
「お前、次もやりたいんだろ」
「うん。一人で食べる日でも、少しなら話せそう」
「俺がいなくても、飯は食えるしな」
「それは、前から食えてる」
俺が返すと、三浦は、知ってる、と笑う。
そのあとも配信をつけ直さずに食べる。講義の課題が一つ増えたこと、黒田が前の雑談を見て何と言っていたか。名前をそのまま呼べる話をして、空いた皿を台所へ運ぶ。
俺が洗い、三浦が拭くことにした。
狭いところで交代するとき、あいつはしっぽの位置を聞く。俺は自分の足元へ寄せて、こっち通って、と答える。女になった俺を前にしても、三浦は皿を拭くためにここへ立っている。俺も、あいつが気を遣っているかどうかばかり考えずに、次の皿を渡せた。
冷蔵庫のプリンを食べてから、三浦は帰った。
玄関で、また何か作る、と言うと、次は俺が持ってきてもいいだろ、と返される。俺はもちろんと答えて、廊下へ出る背中を見送る。
部屋へ戻り、配信チャンネルの紹介欄を開く。
暮らしの工夫を相談することは、これからもある。でも、それだけを書いておくと、今日みたいな配信をする理由が抜けてしまう気がする。
『耳としっぽのある暮らしを、工夫したり、喋ったり。ときどき一緒にご飯を食べます』
書いてから読み直した。料理を作る日も、買って帰る日も、これならここへ来られる。
SNSには、お茶だけで参加した人から、次も時間が合ったら行きます、と届いていた。
俺は今日のお礼と一緒に、また食事の時間に短く話すつもりだと返した。
今度作るものは、まだ決めなくてもいい。次の夕飯に話したいことなら、もう一つできていた。




