第29話 いつもの声で、友達と
二日後の夜、開始まで二十分というところで、三浦の声がヘッドホンから聞こえる。
あいつは自分の部屋にいて、俺も自分の机に座っている。隣にはいつものしっぽ用の場所を空けた。今日は布も図も出していないので、画面に映るのは机へ置いた俺の手と、横のクッションに載ったしっぽだけだ。
「何か喋って」
「今、喋ってるだろ」
「そうだけど。もうちょっと続けて」
三浦は、夕飯に何を食べたかを話し始める。俺が今日の配信のために早めに夕飯を済ませたと言うと、じゃあ終わる頃には腹減ってるな、と返ってくる。
声の大きさを揃えながら、俺は少し安心した。二人分の声が入る録画を短く作って確かめても、片方だけ聞こえないことはない。
問題は、それを聞き返したときだ。
三浦の低い声に、俺が返事をしている。机の前では普通に喋っていたのに、録画の中では、女の子が男友達へ夕飯の話をしている。
自分の声には、前より慣れている。けれど、よく知っている声が隣へ並ぶと、昔との違いがはっきり分かった。
「聞こえた?」
「うん。ちゃんと入ってる」
「なら大丈夫だな」
大丈夫だと思う。そう返してから、机のノートを手前へ寄せる。
昨日、話す順番を少し足しておいた。最初に挨拶。そのあとに弁当と服の話。最後はコメントから質問を拾う。何もないところから話し始めるより、三つ決まっているほうが落ち着く。
「呼ぶとき、からあげでいいんだよな」
「お前がそれで紹介するって言ったんだろ」
「一応、確認」
「弁当係よりはいいよ」
配信用の呼び名は、昨日の連絡で決めた。
本名に似せるのは避けたいと言ったら、俺が最初に思いついたのが弁当係だった。三浦に、今後も弁当を持ってくる役なのか、と聞かれて、持ってきてもらった中身へ変える。
本人は特別気に入っているわけではなさそうだが、これなら俺も呼び間違えにくい。
開始時刻になり、俺は三浦へ声をかけてからボタンを押す。
「こんばんは。今日は友達と喋ります。前に、服を選ぶのを手伝ってもらった人です」
挨拶の文字が届き始める。ねじまきと糸日和、その下にパンのみみ。麦茶も来ていて、ゲスト待ってた、と書く。
俺はそれを読み、三浦へ話を渡す。
「呼び名は、からあげです」
「こんばんは。由来は、初めて手伝いに行ったときに持ってった弁当です」
『名前がおいしそう』
『クッションの友達?』
『服を買ってくれた人だ』
「そうです。買い物はお願いして、お金はあとで返してます」
「そこはちゃんとしてもらってます」
三浦の返事に、俺は笑う。
手伝ってもらった話をすると、どこまでしてもらったかが曖昧になることもある。あいつが同じところで頷いてくれるだけで、今日は説明しやすかった。
*
最初の弁当の話は、思ったより早く脱線した。
唐揚げがいつもより大きく感じられて、食べるのに時間がかかったと話したら、三浦が、梅干しは最初に避けてたけどな、と付け足したのだ。
「それ、言わなくてよくない?」
「弁当の話だろ」
「唐揚げの話をしてたんだよ」
『梅干し嫌い?』
『蓋に置く派だ』
『からあげさんが食べたんですか』
「俺が食べました。ご飯が酸っぱくなるの嫌だって、毎回先に移すんで」
「嫌いじゃない。ただ、ご飯と混ざるのが嫌なんだよ」
「梅干しだけでも食わないじゃん」
「……お前が持ってくからだろ」
三浦の笑い声が聞こえる。俺も笑ってしまい、ノートから手を離す。視聴者にはどうでもよさそうな癖まで話しているのに、コメントはさっきより増えていた。
『ずっと仲いいんですね』
『普段の会話、こういう感じなんだ』
『しっぽ揺れてる。楽しそう』
俺はありがとうございますと答えかけ、楽しそうと言われたのは三浦ではなく俺なのだと気づく。
ずっと友達だったことは、同じ弁当を食べていた話から伝わる。男同士だったと話さなくても、俺たちが覚えている出来事まで違うものになるわけではない。
『彼氏さんかと思ってた』
文字を見た瞬間、指がノートの端で止まる。
昨日までに、聞かれるかもしれないとは考えていた。それでも、実際に書かれると、隣に座っていない三浦のほうを見そうになる。
「友達です」
返事が重なった。
三浦も同じタイミングで答えたので、俺は一度黙る。あいつが、さっきから弁当の話しかしてないですけど、と続け、俺も息を吐いて笑った。
『ごめんなさい、早とちりしました』
『友達との雑談って告知に書いてあったよ』
「いえ。声だけだと、分かりにくいですよね」
俺はそう答え、梅干しの話を終わらせるためにノートへ目を落とす。自分で思っていたより、声は普通に出た。
男だった頃なら、三浦と付き合っていると思われる心配なんてしなかった。今は同じ話をしていても、初めて聞く人には違う組み合わせに聞こえる。それを確かめたうえで、また続けられたことに少しほっとした。
「服選んでもらったときも、似た感じでした。俺が写真見て迷ってると、この色でよくない、って決まる」
「だいたい同じ色選ぶからな。グレーか、暗いやつ」
「明るいの着ると落ち着かないんだよ」
「でも、フードは気に入ってたじゃん」
しっぽがクッションの上で動く。糸日和から、試作品の形、かわいかったです、と届く。俺は礼を言い、二日前に載せた説明の動画も見てもらえたかと聞く。
『見ました。声ついてると分かりやすい』
『あの動画から来ました』
『写真のより話してるほうが好き』
初めて見る名前の人もいた。説明を短く残したことで、配信へ来るきっかけが一つ増えたらしい。
俺は嬉しくなって、フードを見せたときの図は同じ投稿にあると伝える。それから、手元の人数表示を見る。五十人を超えている。
次に何を話すかとノートへ戻ったところで、パンのみみが質問を書く。
『からあげさんから見て、きつねさんはどんな人ですか?』
「待って。それ、俺がいるところで聞く?」
「いるから聞けるんじゃないの」
三浦は即答せず、少し考える。
その間が気になり、俺はペンを持ったり置いたりした。悪いことを言われると思ったわけではない。でも、三浦が知っている俺と、ここで見られている俺には、見た目も声も違うところがある。どこを話すのか分からなかった。
「自分のことだと、困ってても少し待つんですよ。このまま何とかなるかもって。でも、ほかの人が困ってると、早いです」
「そんなに待つ?」
「助け呼んだあとに、ごめん、大丈夫かもしれない、って追加で送るだろ」
覚えがあって、言い返せなかった。
糸日和から、相談のときも、すみませんって言ってましたね、と届く。ねじまきは、ハサミ出すのは早かった、と別のことを覚えている。
「それは止めてもらったので、今は出す前に聞きます」
「前より、人に聞くようになったと思う。俺にも」
三浦がそう言い、俺は手を止める。
困ることが増えたからだと答えようとして、その言葉は飲み込んだ。配信に一緒に出てほしいと頼んだのは、座れないからでも、服が足りないからでもない。
「今日も、俺から誘いました」
「うん。ちょっと意外だった」
「そんなに?」
「いつもはお前のほうが、俺には用事あるだろって言うから」
聞いている間に、ノートの最後の一行が目に入った。
弁当の話へ戻るつもりはなかったけれど、言ってもいい気がする。
「最初に来てくれたとき、嬉しかったんだよ。飯もそうだけど、いつもどおり食べようって言ってくれたのが」
三浦の返事が一瞬遅れた。
その沈黙で、自分の言い方を意識する。今の声で嬉しかったと言うと、男だった頃に礼を言うのとは違って聞こえるのかもしれない。けれど、あのとき嬉しかったのは本当だった。
「……あの日、そんな余裕なかっただろ」
「だから、あとから言っとこうと思って」
「この前も聞いたけど」
「今日のは、みんなにも言っとくやつ」
三浦が笑う。
俺も笑い、しっぽが机へ当たる前に位置を直す。コメントには、いい友達だ、と書かれている。もう一つ、素直に言えるのいいな、と続く。
読んだらまた照れそうだったので、そこは目で追うだけにした。
*
予定していた時間を少し過ぎてから、最後の質問を一つ選んだ。
ほかにも聞きたいことは残っていたが、俺も三浦も、明日の朝まで空いているわけではない。
『一緒にいるとき、しっぽって邪魔にならないんですか?』
三浦は、狭いところだと先にどこへ置くか聞きます、と答える。
初めて部屋へ来たときには通り道を塞いでいたし、今も椅子の横へ場所を取る。それは俺が急に上手に片づけられるようになったわけではない。
「でも、本人も動かすから。俺が全部避けるんじゃなくて、こっち通るって言えばいいんで」
「勝手に引っ張らないでくれるのは助かります」
「人のものを引っ張らないのは普通だろ」
その答えに、俺は少し笑う。
しっぽがあると珍しいことに思われるが、三浦は、俺が嫌がることはやめて、してほしいことは聞いてくれる。ずっとそうやって付き合ってきた。その中へ、耳としっぽの分も足してくれたのだと思った。
終わると伝えると、また二人で話してほしいという文字が届く。
俺は三浦へ、どう、と尋ねる。次があるかどうかを、自分だけで決めたくはない。
「日が合えば。今日は俺も面白かった」
「じゃあ、また誘う」
「うん。梅干しの話以外も考えといて」
「そっちが始めたんだろ」
最後まで笑って、俺は挨拶をして配信を切った。
画面が閉じたあとも三浦との通話は残っている。ヘッドホンをつけたまま背を伸ばすと、急に部屋が静かになった気がする。
「お疲れ。喉、大丈夫?」
「大丈夫。結構喋ったな」
「ノート、使った?」
「半分くらい。後半は見てなかった」
言いながら、机の一行を見る。消さずに残した言葉を、今日はちゃんと話せた。
そのあと、録画の扱いを三浦へ説明した。全編は自分だけが見られる設定へ戻す。ただ、また二人の会話を聞きたいという人がいたので、短いところだけ残してもいいかと尋ねた。
「どこ?」
「最後の、また誘うって話したところ。そこなら、俺以外の話はほとんど出てないし」
「いいよ。先に見せて」
俺は通話を終える前に、使いたい部分を切り出して送る。
三浦の声と俺の声が、短い映像の中で返事をする。梅干しの話になるところで二人とも笑っていて、手元の俺も少し揺れている。
見直していると、これならいいよ、と返ってきた。
通話を終え、動画へ「友達と初めて雑談しました。また日が合ったら」と説明を添えてSNSへ載せる。
今日は、困りごとを解決する手順ではない。何の作り方も載っていない。それでも、見返したときの俺は楽しそうだった。
水を飲んで戻ってくると、早速返事がついている。
配信を見ていた人に混じって、紹介された動画だけを見たらしい人が、こう書いている。
『この子、笑うと一気に楽しそうになるね。次、聞いてみたい』
女の子のこととして、俺が話されている。
前なら、その受け取られ方だけで落ち着かなくなったと思う。今も、書き直すなら何と説明すればいいのかは分からない。男だったことまで、短い返事で話せる気はしなかった。
でも、動画を開くと、俺が笑った理由はちゃんと思い出せる。
三浦がいつもの調子で言い返して、俺も同じ調子で返した。その続きへ、また来てほしいと思っている。
俺は「ありがとうございます。次も楽しく話せたら嬉しいです」と返した。
送ってから、自分の言葉を読み直す。助けてほしいと頼むだけだった場所で、今は、次に会うのを楽しみにしている。
机のノートへ「次は俺が飯を作る」と書いた。弁当の話をしていたら、久しぶりに二人でゆっくり食べたくなっていた。まだ何を作るかは決まっていないけれど、今度は俺が、あいつに食べてもらうものを選びたかった。




