第28話 その声も、俺なんです
昼休みに講義棟を出たところで、佐伯に呼び止められた。
黒田の友達で、同じ講義の発表では別のグループにいた男子学生だ。今日は隣に女子学生がいて、二人ともスマホの画面を見ていたらしい。
佐伯がそれを下ろし、俺の頭へ目を向ける。
「今日、なんか形違うな」
「昨日、作ってもらった。まだ試作だけど」
フードの縁を持って見せると、隣の女子学生が、写真の、と小さく言う。
俺が顔を上げると、彼女と目が合う。そのまま彼女は、自分のスマホをこちらへ向ける。
画面には、昨日の俺の投稿が出ていた。糸日和が、耳の空間を考えた試作として紹介してくれたものだ。
紹介したいと個別に聞かれ、写真と俺が書いた説明なら構わないと返していた。その投稿を、大学で見ている人がいる。
俺は頷いて、それですと答える。
「この人、知ってるって言ったら、本人が出てきた」
「別に、呼んだから出てきたわけじゃないだろ」
佐伯に返すと、女子学生も笑う。
彼女は佐伯と同じ講義を取っている人で、先日のフードの相談配信を途中から見たことがあるという。昨日、糸日和の紹介で写真にも気づいたらしい。俺が机に出していた図が、分かりやすかったと話してくれた。
「今日、またやるんですよね」
「夜に。これ、手元で見せるつもりです」
「見ます。昨日の写真、かわいかったので」
耳のある形を褒められただけなのに、俺はすぐ返事ができなかった。
配信へ文字が届くのと、同じ大学の人から、見ますと言われるのは少し違う。佐伯が俺のしっぽへ目を向けたので、そちらが動いていたことにも気づく。
「……ありがとうございます」
「声まで配信と一緒だ」
言われて、俺は、それは俺なので、と答える。
二人が笑い、佐伯は、じゃあ今夜、と手を上げる。俺も手を上げてから、食堂へ向かう道を歩き始める。
見に行くと言われたことを食堂で三浦へ話すと、お前も見に来てほしくて告知してるんだろ、と返された。確かにそうだった。どこかの知らない人だけが、見るとは限らない。
*
帰宅してから、配信に使う場所を片づける。
フードは俺の頭から下ろし、机へ広げる。耳の位置が分かるよう、紙を丸めて中へ入れる。顔を映さずに形を見せるなら、昨日、写真を撮ったときと同じやり方がよかった。
高瀬先輩へ、帰り道と今日の講義で使った感想を送る。
横を向くたびに引き上げずに済んだが、風が入ると前が少しずれる。長くかぶると、後ろの縫い目が気になることもあった。
先輩からは、分かるように印をつけて次に持ってきて、と返ってきた。直す場所を一つの図へまとめ、布の横へ置く。
夕飯を食べてから、SNSの告知を確かめる。
いつも見に来る人たちの返事に混じって、糸日和の投稿から知ったという人の反応が増えている。俺は開始時刻をもう一度書き、配信チャンネルを開く。
「こんばんは。昨日の写真のやつ、実際にかぶって帰れました」
話し始めると、挨拶の文字が続いた。
ねじまき、糸日和、パンのみみ。麦茶も来ている。初めて見る名前がその間へ入り、布を見たかったと書く。
少し遅れて、雨待ちからも、こんばんは、と届く。俺はほかの挨拶と同じように返し、誰から帽子の相談をもらったかは話さなかった。
机の布を両手で持ち上げる。
最初は大きくすれば済むと思ったが、前が落ちて見えなくなったこと。額のところを直し、耳の横には余裕を残したことを、図と交互に見せた。
『最初の状態も見たい』
『顔が布に埋まってたのか』
「見えなくなったので、すぐ外しました。歩いて試す前でよかったです」
答えると、麦茶が、ちゃんと前見て歩いて、と書く。
黒田が言いそうな言葉だった。俺は今は見えますと返し、フードの前側を指した。
『この形、紙の耳なら試せそうですね』
糸日和のコメントを読み、中の紙を動かした。横へ広げると前の形も変わる。写真だけでは分からなかったところを、今は手を動かして見せられた。
表示される人数は、四十人を超えている。
俺は数字を見て手を止め、今来た人には、まだ試作で、俺が短い外出に使ったところまでの話ですと説明した。全員のコメントへすぐに返せないので、ひとまず布の話を終え、それから質問を読む。
『しっぽ、説明してる間ずっと揺れてる』
『今日、声が嬉しそう』
『作ってもらったの、気に入ってるんだね』
「気に入ってます。今まで、首を動かすとこっちまで引かれてたので」
図の耳を指すと、パンのみみから、よかったです、と来る。
俺は礼を言い、布を机へ戻す。一緒に喜んでもらえたことが嬉しくて、次のコメントを探す手が遅れた。
『この声、ずっと聞いてられる』
『帽子は作れないけど、話が好きなので来ました』
俺はその二つを読み、どちらから返せばいいのか迷う。
「……作るの見たい人だけじゃ、ないんですね」
言うと、ねじまきから、今さら気づいたのか、と返ってきた。
俺は笑い、分かってたけど、言われると嬉しいですと答える。
前にも、優しい声だと書いてもらった。それでも、今日は初めて見る名前から同じことを言われ、自分の声を急に意識してしまった。
普段どおりのつもりで礼を言ったのに、最後が少し高くなる。俺は咳払いをして、次のコメントを読んだ。
『その声、作ってるんですか?』
聞かれた瞬間、さっきより低く喋ろうとしていた自分に気づいた。
朝、初めて配信をしたときも、こうやって言い直した。顔を映さなければ昨日までの俺で話せる気がして、声が出るたびに、それは無理だと分かった。
「作ってないです。今のが、普通の声です」
答えると、そうなんですね、と返ってきた。
責めるような質問ではない。かわいい声なので気になった、と続けて書かれたのに、俺はすぐ返事ができない。
男だったことは話していない。顔も映していない。相手には、狐のしっぽをつけて生活の工夫を話す女の子として見えているのだろう。
それは、俺の全部ではない。でも、今ここで喋っているのも俺だった。
「……ありがとうございます。たまに返事遅くなるんですけど、褒められるのには、まだ慣れてなくて」
『慣れてないところもかわいい』
『今、しっぽで返事した』
『言われた直後に動くの、分かりやすすぎる』
読んでいる間にも先が揺れて、俺は片手で押さえた。すると麦茶が、押さえたところまで映ってる、と書く。
黒田だと思うと、余計に恥ずかしかった。
「見えてるのは知ってます。止めたら余計に言われるのも、分かりました」
笑ってしまうと、ねじまきから、学習が遅い、と来る。
俺はそれにはちゃんと言い返し、机の上の布を直す。声を気にして黙っているより、このくらい喋ったほうが楽だった。
フードの材料についての質問へ戻り、余り布を使わせてもらったことと、詳しい人に縫うのを手伝ってもらったことを説明した。
縫い目を見たい人も、図との違いを尋ねる人もいる。答えるうちに、話す速さはいつもの感じへ戻った。
『作業しない日も配信しますか?』
布を畳んだところで、その質問が届く。
俺は手を止める。今日は試作を見せる用事があった。今までも座り方や服の相談があって、その続きとして話してきた。
「何も見せるものがないと、俺が喋るだけになりますけど」
『それが聞きたい』
『作業しながら聞いてるので、雑談でも嬉しい』
『困ってない日の話も聞きたいです』
返事を待たずに文字が続いた。
俺は畳んだ布を膝へ移し、画面の向こうにいる人たちのことを考える。助言が欲しくて始めた場所へ、今は俺の話を聞きたくて来ている人もいる。
「じゃあ、次は少し雑談する時間を取ってみます。何話すか、考えておくので」
楽しみにしています、と届いて、またしっぽが動く。今度は押さえずに、質問をもう一つ読んだ。
今日来られなかった友達にも説明を見せたい、という人がいた。全編を公開するのはまだ落ち着かないが、布と図で形を説明したところなら、写真に足して見てもらえそうだった。
「説明の部分だけ、短く切って載せてみます。手伝ってもらった試作なので、そこも書いておきます」
俺は最後の質問へ答え、挨拶をして配信を終える。
画面が閉じても、さっきの返事をまだ読みたい気がしていた。
*
履歴を本人だけの公開へ戻し、説明に使った部分を見直す。
図を指している俺の手に、自分の声が重なる。最初は画面の中から聞こえるだけで落ち着かなかった声を、今日は別の理由で何度か止めて聞く。
かわいいと言われるために、語尾を変えた覚えはない。耳も顔も映していない。それでも見に来てもらえて、俺が返した言葉で笑ってくれる人がいた。
女の子だと思われているから見てもらえるのか、俺の喋ることを気に入ってもらえたのか。どちらかだけを確かめることはできない。でも、声を褒められたところを消したくはない。
三浦から、終わったか、と連絡が来る。
通話しても大丈夫かと聞くと、いいよ、と返る。つないでから、俺は今日、大学で配信を見た人に会ったことと、雑談を聞きたいと言われたことを話す。
「へえ。じゃあ、困ることなくても続けられるな」
「そうなんだけど。俺、何を話せばいいんだろ」
「今、俺に話してるじゃん」
「お前相手なら、考えなくても話せるから」
三浦が少し笑う。俺は机の布を指で押さえながら、考えていたことを口にした。
「一回、一緒に話してくれない?」
「配信で?」
「うん。名前は出さずに。服持ってきてもらった話とか、俺がまだちゃんとできてないこととか。その辺なら話せると思う」
返事を待つ間に、別の心配も浮かんだ。
今は当たり前に三浦と喋っている。でも、俺が前は男だったと知らない人には、男と女が二人で話しているように聞こえる。いつもの距離が、そのまま伝わるとは限らなかった。
「……変なふうに見えるかな。俺とお前が喋ってたら」
「変って?」
「付き合ってるとか。声だけだと、そういう感じに取られるかも」
三浦は少し黙り、それから、友達って言えばいいだろ、と答える。
「何回も聞かれたら、お前だけで返事しなくていいよ。俺も友達だって言うから」
「そこ、ちょっと心配してた」
「俺が言わないと思ったのか」
「思ってない。けど、俺が気にしすぎて、いつもの感じで話せなくなりそうで」
言うと、三浦は、じゃあ今の話は配信の前にしといてよかったな、と返す。
俺は頷きかけて、音声だけなのを思い出し、うん、と答える。男友達へこんな相談をする日が来るとは思わなかった。でも、何も言わずに避けるより、ずっと話しやすくなった。
日程を確かめ、二日後の夜なら互いに空いていると分かる。
先に音声を試し、呼び名は配信用に決める。大学や本名は出さず、話したくないことがあれば途中でも言ってほしいと伝える。
「それで、お前は何を話したいんだよ。服の話だけ?」
「最初に来てくれた日の話はしたい。俺、一人じゃ何買えばいいかも分かんなかったし」
「弁当持ってった日か」
「うん。あれ、本当に嬉しかったから」
三浦が、そんな真面目に言うなよ、と笑う。
俺も笑ってから、腹が減ってたのに全部食べられなかった、と続ける。そういえば唐揚げ残してたな、と返ってきて、あのときの机の上が浮かんだ。
覚えているのは同じ出来事だった。声も身体も変わった俺が話しても、三浦には、その続きを話せる。
通話を終えて、フードの説明を短く切り出す。
協力してもらった試作品で、自分が使った感想だと文字を添え、SNSへ載せる。すぐに、途中から見ていたので助かります、と返事が来る。
礼を返してから、次の配信の告知を書く。
『二日後の夜、いつも助けてくれる友達と話してみます。作業の相談より、最近の暮らしの雑談になる予定です』
三浦にも文章を送り、いいよ、と返ってから載せる。ねじまきが、最初に手伝ってた友達か、と書いている。
そうです、と返すと、話を聞きたいという反応が続いた。
履歴の続きを再生すると、褒められた俺が返事に詰まり、そのあと自分で笑っていた。
顔を映していなくても、そこにいるのは今の俺だった。この声を聞かれるたびに男だった頃から遠ざかるような気がしていたのに、今日は、その声で次の話をしたいと思っている。
二日後に話すことを、ノートへ三つ書いた。
最後に「来てくれて嬉しかった」と足してから、さすがにこれは本人へもう言ったと思い、線を引いた。けれど、消すのはやめておいた。
配信で話せたら、そのときは三浦がどんな顔をするか、少し見てみたかった。




