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男だった俺の、しっぽのある暮らし  作者: あわいしゅん
第2章「いつもの場所に、今の俺で」

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第27話 今日は、かぶって帰ります

 雨待ちから、予定していた電車に乗れたと連絡が来る。

 新しい帽子はまだ気になるものの、玄関でかぶり直す回数は減ったという。俺はよかったですと返し、大学へ持っていくノートを鞄へ入れる。今日は、大槻と一緒に取っている講義へ出る。


 担当の先生とは、水野さんに相談したあとで、出席と座る場所について個別に話してある。教室へ入ると、大槻が端の席から手を上げる。

 借りていたノートを返し、隣へ座る。しっぽを置く椅子の位置を確かめ、今日の資料を開く。


 耳へ向く視線はあった。それでも、先生が説明を始めると、俺も手元へ目を戻す。

 写しただけでは分からなかったところに、説明を書き足す。途中で図が切り替わり、俺が書き切れずにいると、大槻が自分のノートを少し寄せてくれた。

 声を出さずに頷き、先生のほうを向く。このやり取りは、前にもしていた。


 講義のあと、横の椅子を戻してから、二人で廊下へ出た。

 食堂へ向かう途中で、大槻が昨日の買い物について尋ねた。俺は、配信で帽子の相談をもらった人と会い、その人には入るものが見つかったと話す。名前や身体の変化までは出さない。


「瀬川の分は?」

「耳の上で止まった。帽子を置いた、って感じ」

「それ、見たかった」


 大槻が笑うので、俺も笑う。昨日の雨待ちと同じ反応だった。

 食堂で三浦と合流し、昼飯を買う。俺は大槻に汁物だけ頼み、残りのトレーを両手で運んだ。しっぽは短い間なら持ち上げられたが、席へ着いたときには腰の後ろが少し疲れている。

 座って息をつくと、大槻が器を戻してくれた。


「帽子じゃなくて、耳のところが広いフードなら作れないかな」


 箸を取りながら、彼女が言う。


「作れたら助かるけど。俺、短パン直すだけで大変だったし」

「私も服は縫えない。でも、サークルに布のもの作ってる先輩がいる。聞いてみる?」


 大槻のサークルは、紙や布、木で小物を作るところだった。彼女自身は、開くと花が立ち上がるカードなどを作っているという。

 俺は午後の予定を確かめる。次の講義はない。今日行けるかと聞くと、大槻はスマホを出し、先輩へ連絡してくれた。

 返事は、食べ終える前に来る。二時からなら部屋にいるらしい。


「行ってみる」

「うん。じゃあ、食べたら少し購買寄っていい?」

「接着剤だろ、また」


 三浦に言われ、大槻が頷く。

 彼には午後の講義があるので、食堂の外で別れた。俺たちは購買でそれぞれ必要なものを買い、サークルの部屋がある建物へ向かった。


     *


 大槻が扉をノックすると、中から女性の声がした。

 部屋には大きな机が二つあり、棚には布や紙が並んでいる。奥にいた男子学生と女子学生が俺を見て手を止める。俺は入口で軽く頭を下げ、瀬川ですと名乗った。


「高瀬です。三年で、布のものを作ってます」


 机の脇にいた女性が立ち上がった。

 長い髪を低く結び、腕まくりしたシャツへペンを挟んでいる。高瀬先輩は大槻から接着剤を受け取ってから、俺の耳を見る。


「あ、思ってたより、高い」


 言って、いきなりごめんね、と笑う。耳に合う服の相談だということは、大槻が先に伝えてくれていたらしい。

 俺は大丈夫ですと答え、フードの縁へ指を添えた。


「普通の帽子は無理でした。これも、前を引くと後ろが当たって」

「見てもいい? まず、どこが近いか教えて」


 しっぽを置くために椅子を一脚借り、座って説明した。

 高瀬先輩は、俺が触って示した場所と縫い目を見比べる。大槻も隣へ来て、横を向くと布が引かれるところを見てくれた。


「この服を広げることもできるけど、いきなり切りたくはないよね」

「はい。今、これで外に出てるので」

「じゃあ、別の布で試そう。ひとまず、かぶれる形になるかだけ」


 先輩は棚から、柔らかい無地の布を出す。自分の作品に使った残りで、試作には足りるという。

 俺が材料代を尋ねると、今日は余り布だから要らない、その代わり気になるところは我慢せず言って、と返ってきた。

 はいと答えたところで、先輩はもう机を空け始めている。


 最初は紙で、頭を横から見た形を確かめる。

 紙の端が耳へ近づくと、俺は思わず首をすくめる。先輩がすぐ離し、大槻が定規を持って、触れない位置から高さを見てくれる。

 俺は耳を押さえる代わりに、いつものフードのどこが当たるかを指で示す。


 形を写した布を切るとき、俺は机の端で押さえる役になった。

 先輩がはさみを動かし、大槻が小さな切れ端を片づける。布を引っ張ると線がずれるので、俺は言われた位置へ手を置き直す。

 相談に来たのに、待っているだけではなくなっている。


 先輩は机の端のミシンを出し、二枚の布を縫い合わせる。縫っている間、大槻が俺へ椅子を寄せる。しっぽを置く椅子も一緒に動かしてから、俺たちは手元を覗く。

 前後に布が垂れる、大きな袋に似たものができる。先輩は糸を切り、仮の形だから、顔の前が広すぎるかもしれないと言う。


「かぶってみても、いいですか」

「もちろん。耳は自分で入れたほうがいいよね」


 受け取り、両手で内側を広げる。

 布を耳の先へ引っかけないよう、頭の上からゆっくり下ろす。大槻が鏡を持って、俺の正面に立つ。


 耳は入った。

 けれど、手を離した途端、前の布が額から目のところまで落ちてきた。


「……見えなくなりました」

「大きくしただけだと、そうなるか」


 先輩の声に、大槻が笑う。俺も布の下で笑い、前を持ち上げる。

 その姿を鏡で見ると、耳を入れる場所を作ったというより、頭全体を包んでいる。さすがに、これで歩くのは難しい。


「今、後ろのほうはどう?」

「前を上げると、付け根に寄ります。でも、さっきよりは空いてます」


 先輩は頷き、外してもらってから、布の前側へ印をつけた。

 額に載る部分の幅を変え、耳の横は余裕を残す。俺は今度こそ待つだけかと思ったが、大槻に、こっち押さえて、と布を渡された。

 言われたところを持ちながら、先輩がどこを変えているかを見る。


 縫い直したものを受け取り、もう一度かぶる。

 今度は目の前へ落ちなかった。耳の上には布が触れているが、先が曲がる感じはない。

 俺は顔を右へ向け、左へ向ける。いつもなら手を伸ばして直すところで、そのまま横を見られた。


「どう?」

「……これ、横向けます」


 言うと、大槻が鏡を少し離してくれた。

 俺は首を戻し、もう一度確かめる。布の下で耳が動くと上が少し持ち上がったが、頭全部を引かれるような感じはなかった。


「今まで、首を動かすたびに直してたから」

「そっか。じゃあ、その動きは残せたほうがいいね」


 高瀬先輩は、まだ縫い目の始末もしていないことを言い添えた。これで長時間大丈夫かは、使ってみないと分からない。

 俺は頷く。それでも、かぶって横を向けたことだけで、もう持って帰りたくなっている。


 大槻が鏡越しに、上が二つ膨らんでる、と言う。

 確かに、耳のあるところだけ布が持ち上がっている。完全に普通のフードに見えるわけではないが、先を無理に押さえるより、俺にはずっと楽だった。


「それ、かわいいと思う」

「実用品のつもりなんだけど」

「実用品でも、かわいくていいでしょ」


 返す言葉を探しながら、鏡の中の自分を見る。女の顔の上に、二つ膨らんだフードが載っている。さっきまでは横を向けるかばかり確かめていたのに、今は大槻の言う形のよさも分かる気がした。


「これで配信出たら、また言われそう」

「かわいいって?」

「うん」

「嫌なの?」


 すぐに首を振ってから、俺は少し笑う。前なら服を選ぶときに、かわいいと思われるかなんて考えなかった。最初のスカートも、しっぽを出せるから履いたものだった。それが今は、この形で見てもらったら、どんな返事が来るだろうと考えている。

 しっぽが隣の椅子の上で動き、高瀬先輩が、あ、気に入ったんだね、と笑う。


「気に入りました。使うのも、見せるのも、楽しみです」


 そう答えてから、もう一度鏡を見る。男だった頃と同じものを選ばなくても、俺が選んだことには変わりない。帰り道で使いたいと思っていた布を、今度は配信でも見せたくなっている。


     *


 縫い残したところを先輩が整える間、俺はスマホで配信の図を見せた。

 生活の工夫を話していると説明すると、大槻が、私も見てます、と付け足す。先輩は、じゃあ図と今日のもの、比べて見せられるね、と言う。


「写真、載せてもいいですか。場所とか、先輩の顔は入れずに」

「いいよ。まだ試作品だって書いてね。誰にでも合うものではないから」

「はい。今日、俺がかぶれたところまでにします」


 机を片づけてから、布だけを撮った。

 奥の女子学生が、耳のところ分かるように置いたら、と丸めた紙を二つ貸してくれる。中へ入れると、膨らみ方が見える。

 礼を言い、写真を撮ってから紙を返す。


 帰る前に、部屋の中を少し歩いてみた。

 足元を見るために首を傾けても、布を引き上げる手を出さずに済む。先輩が俺の歩く様子を見て、今日はそれで帰ってみる、と聞く。

 俺は、はい、と答える。


 建物の外へ出ると、風で布の端が揺れる。

 大槻と並んで歩き、門の手前で一度だけ位置を直す。首を横へ向けて彼女と話すときには、直さなかった。

 前のフードは鞄へ入れてある。持ち物が増えたけれど、それを重いとは思わなかった。


「相談した日に、かぶって帰れると思ってなかった」

「私も。次に来たら、使った感想教えてあげて」

「うん。ありがとう、連れてってくれて」


 駅へ向かう分かれ道で、大槻が手を振った。

 俺は帰りの電車でも試作品をかぶっていた。窓に映る頭の上を見て、確かに二つ膨らんでいると思ったが、先へ布が食い込んでいないことのほうが嬉しかった。


 帰宅してから、雨待ちへ写真を送る。

 彼女からは、一日仕事で使ってみても、帽子を直す回数が減ったと返ってきた。午後には一度外して休んだという。全く気にならなくなったわけではないが、前より楽だったらしい。


『こっちも、今日、一個できました』

『早いですね。かぶったところ、見てみたいです』


 俺は笑い、額より上だけなら、今度の通話で見せますと返す。

 そのあと、SNSに試作品の写真を載せる。作るのを手伝ってもらい、耳を押さえず首を動かせたことを書く。


 糸日和から、形、見せてもらえますかと届いた。写真を引用して紹介したいとも書かれていたので、投稿に書いた範囲ならお願いしますと返す。

 手伝ってくれた先輩や大学のことは載せていない。写真の布と図だけでも、考えたことを伝えられるなら嬉しかった。

 ねじまきは、ついに頭の席もできたな、と書いている。返事をしているうちに、写真を紹介してくれる人も出てきた。

 俺は明日の予定を確かめ、夜に配信で試作品を見せると告知した。


 明日の話題は、まだできないことではなく、今日できたものだ。

 机へ広げた布の膨らみを整え、俺は写真をもう一度見た。帰り道で何度も耳を直さずに済んだことを、今度は自分の言葉で話したかった。

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