第25話 画面の外で、待ち合わせ
「今日は、帽子を探してる人から相談をもらったので、俺も耳のところを確かめます」
机にフードを広げ、配信を始める。
昨日描いた図と、折ったタオルも並べてある。普段はしっぽを置くのに使っているものとは別だ。今日は、頭と耳の代わりに、布の中へ入れるつもりだ。
ねじまきが来て、パンのみみが挨拶し、その下へ、こんばんはという文字が続く。配信が始まる前から待っていてくれた人もいたらしい。
『今日はしっぽ、席ある?』
「あります。自分の席もあります」
答えると、画面の端でしっぽの先が揺れる。
そこへ、あった、とコメントがつく。帽子の話を始める前に、いつもの場所を確認されている。
少し笑ってから、俺はタオルを丸めた。
糸日和の助言を読み、フードの中へ頭の代わりの丸を入れる。耳はタオルの端を折って作ったが、片方が大きく、もう片方はすぐ倒れた。
『左右で別の生き物』
『片耳、寝ました』
「本物も寝るけど、こういう寝方ではないです」
直している間に、視聴している人数が増えていった。以前なら手を止めて数字を見ていたが、今日は手元の耳が倒れるほうが忙しい。
ようやく形になったところで、フードの前を引く。昨日、自分でかぶったときと同じように、後ろ側の布がタオルへ寄った。
「深くすればいいと思ってたんです。でも、前を動かすと、後ろが近くなって」
『布の量だけじゃなくて、頭のどこで支えるかもありそうですね』
糸日和のコメントを読んで、俺は一度手を止める。
耳へ当たらないよう全部を大きくしたら、今度は顔の前へ落ちてくる。余るところと、支えてほしいところは、同じではない。
相談した人も家で試しているはずだと思いながら、布をゆっくり動かす。
ただ、タオルでは、耳が押されて嫌な感じになることまでは分からない。俺はそのことを言い、いったん画面の外でかぶってみると伝える。
カメラへ顔が入らない位置でフードをかぶり、首を横へ向ける。机へ戻って、触れたところを図に書き足す。
『今、画面の外で耳ぴこぴこしてたのか』
「してたかもしれないけど、そこを想像する回じゃないです」
『想像は止められない』
ねじまきに続いて、笑っている顔の絵が並んだ。
俺まで笑うと、しっぽが動く。パンのみみが、こっちは見える、と書いたので、俺はしっぽを押さえかけてやめる。手元を見せるのに両手が要る。
「……好きに見てください。帽子のほうも見て」
そう言ったあと、糸日和から、帽子なら同じサイズ表記でも頭の上の広がり方がかなり違う、と届く。
俺は手を止めて読み返す。
前に試した帽子が入らなかったので、普通に売っているものは全部無理だと思っていた。けれど、雨待ちの耳は俺より低く見えたし、今も帽子の中へ入っている。
押される場所さえ違えば、作り直す前に、選べるものがあるのかもしれない。
「店で試してみるほうが早い、ってこともありますか」
『あると思います。サイズだけで選ばず、上の部分が広いものをいくつか比べると違いが分かりやすいです』
俺は図の下に、店で比べる、と書く。
完成した帽子はない。けれど、次に何をするかは、最初より具体的になっている。
終わる前に、今の図をあとでSNSへ載せると伝える。
誰かが、耳の相談なのにしっぽばっかり見てしまった、と書く。その下に、説明も分かった、と付け足されていたので、俺はちゃんと礼を言えた。
配信を切ると、部屋が急に静かになった。
履歴を本人だけの公開へ切り替え、机のタオルを片づける。二十人を超えていたことを、ここでようやく確かめる。
今日は、見られているより、一緒に手を動かしている感じがしている。
雨待ちからのメッセージは、そのあとに来る。
『私のフードだと、真上は空くんですけど、横が近かったです。帽子も、上が広いものを探してみようと思います』
俺は自分の図を送り、そちらもどこが触れるか分かったら教えてくださいと返す。
文字を打っている途中で、もう一通届く。
『もし、そんなに遠くなければ。一緒に見に行ってもらえませんか』
俺はスマホを持ったまま、椅子へ座り直す。
*
俺は届いた文章をもう一度読んだ。
一緒に見に行く。それは、画面をつながずに、雨待ちと会うということだった。
お互いの顔はまだ知らない。でも、帽子を何度も直しているという彼女のことが気になっていたし、俺も自分以外の耳を実際に見てみたかった。
『いいですよ。いつ頃なら行けますか』
そう返すと、雨待ちは翌日が休みだと教えてくれた。
俺は机の脇に置いていた講義の予定を確かめる。明日は大学へ行く予定がない。書きかけのノートも、今夜のうちに残りを写せば持ち越さずに済みそうだった。
昼前なら行けます、と送ってから、互いに利用しやすい駅を挙げる。一つだけ、二人とも乗り換えが少なく、家から一時間以内に着ける場所があった。
『そこの駅なら、前に買い物に行ったことがあります』
雨待ちの返事に続けて、駅につながる商業施設の案内が送られてきた。
店の一覧には、三階に帽子の店、一階に喫茶店が載っている。改札から入口までの図も確かめる。
喫茶店の前で十一時に、と提案すると、雨待ちからお願いしますと返ってきた。
時間を決めたところで、ようやく明日の予定が形になった。
これまでは三浦に駅まで付き添ってもらい、母さんに買い物を手伝ってもらっていた。今度は俺が、誰かと待ち合わせて、その人の買い物へ付き合う。
嬉しかったが、頼まれたからには役に立たなければという気持ちも、少し出てきた。
『俺も選び方が分かってるわけじゃないですけど、それでよければ』
『私も分からないです。一人で鏡を見ていると、どこまで我慢できるかばかり考えてしまって』
帽子に詳しい人だから呼ばれたのではない。同じように耳のある俺と、一緒に行きたいと言ってもらったのだ。
三浦にも、明日会うことを伝える。
彼は昼から予定があるらしく、一緒に行くとは言わなかった。店の入った建物で待ち合わせると話すと、帰ったらどうだったか聞かせて、と返ってきた。
最後に、最初から二人分の帽子を買う気になるなよ、とついている。
俺はそんなつもりはないと返し、財布の中を確かめる。
交通費と昼飯の分はある。財布を鞄へ戻し、明日の支度を終えてからノートの残りを写した。最後のページを閉じると、もう寝る時間だった。
翌朝、いつもの服を出してから、二枚あるTシャツのうち、洗濯したばかりのほうへ替えた。
しっぽも毛の向きを直す。絡んでいたところをほどいているうちに、少し時間がかかった。
これまでの外出では、歩けるか、座れるか、持てるかを先に考えていた。今日はそこへ、会ったときに変に見えないかが加わっている。
鏡の前で裾を整えながら、別のところで気を使えるようになったんだなと思った。
出発前に服装と鞄の色を知らせると、雨待ちからは、明るい色の上着と帽子で行きますと返ってきた。
駅へ向かう道は、もう何度か歩いている。
いつもの角を曲がり、階段の手前でしっぽを抱え直す。電車では座らず、車両の端で手すりを持つ。座席を探すより、降りる駅を確かめながら立っているほうが、今日は落ち着いた。
乗り換えたあと、雨待ちから、私も電車に乗りましたと届く。
俺は返事をして、窓に映った自分のフードを直す。待ち合わせの場所へ、別の方向から彼女も向かっている。そのことを考えると、車内の視線より、あと何駅あるかのほうが気になる。
*
駅に着くと、改札を出て、案内板で建物へ続く通路を探す。
人の流れについて歩き、一階の店の看板を順に見る。喫茶店は入口に近いところにあった。ガラス越しに席が見え、まだ空いているテーブルも多い。
時計は十時五十五分だった。
俺は通路を塞がないよう店の入口の横へ寄り、傘の絵がついたアカウントとのやり取りを開く。到着しました、と打ちかけたところで、少し離れた場所から声がかかった。
「……配信の方、ですか」
振り向くと、柔らかい帽子を深くかぶった女性がいた。
髪は肩より少し長く、明るい色の上着に、濃い色のパンツを合わせている。片手に小さな鞄を持ち、もう片方は帽子の横へ添えられている。
通話で聞いた声だった。
「雨待ちさん?」
「はい。初めまして、って言うのも変ですけど」
「初めましてでいいと思います。俺も、顔は今日初めてなので」
俺が答えると、彼女は少し笑う。
雨待ちも、俺の顔を見るのは初めてだ。視線が耳のところで止まり、それから、横へ回していたしっぽへ下がる。
「本当に、ついてるんですね」
「そこは、この前の通話で、だいぶ話したはずですけど」
「分かってたつもりなんです。でも、画面よりずっと……」
彼女はそこで言葉を止め、俺の顔へ目を戻す。
「ふわふわですね」
しっぽの先が揺れる。
雨待ちの目がそちらへ動く。画面越しならコメントが来てから気づくのに、向かいにいると、見られた瞬間まで分かってしまう。
俺は腕の中へしっぽを寄せ、先に座りませんかと入口を示す。雨待ちは頷いたが、歩き出す前に、帽子の横を一度押さえた。
通話で聞いた、何度も直してしまうという動きだった。
店員に二人だと伝えると、壁際の席へ案内された。
俺は向かいの椅子を少し引き、しっぽを膝へ回して座る。雨待ちはその様子を見ていたが、俺が落ち着くまで鞄を置くのを待ってくれた。
俺はメニューから温かい飲み物を選び、雨待ちも同じものを頼んだ。
店員が離れてから、彼女は帽子の縁へ両手を添えた。すぐには取らず、隣の席との距離を確かめるように、少し顔を動かす。
「ここで、取っても大丈夫でしょうか」
俺には店の決まりまでは分からなかった。ただ、周りへぶつかる位置ではないし、通路にも面していない。
「俺もフード、下ろそうと思ってます。今、耳の先が触ってるので」
そう言って自分のフードの端を持つと、雨待ちは俺の手元を見てから、小さく頷く。帽子を両手で持ち上げ、膝へ置く。
猫に似た耳が、ゆっくり立ち上がった。
帽子の中へ収まっていた片方の毛が、少し寝ている。雨待ちは指先でそこを整え、ようやく息を吐く。
「今、外せてよかったです」
俺は自分のフードを後ろへ下ろす。
彼女の目が動き、俺の耳を見る。俺も彼女の耳を見ている。
「やっぱり、俺のほうが高いですね」
「その帽子は、難しそうです」
「今、はっきり無理だって分かりました」
二人で笑ってから、周りを少し見る。
近くの席の人がこちらを見ている。耳のある女が二人で向かい合っていれば、気にもなるだろう。けれど、飲み物を運んできた店員は、カップを置く場所を確かめてから、普通に注文の名前を言う。
雨待ちは礼を言い、その声は、入口で話しかけてきたときより自然だった。
「一人だと、帽子を取るのに、もっと迷います」
「俺も、最初は友達が横にいないと外へ出られなかったです」
「友達って、前に言ってた、最初に来てくれた方ですか」
「そうです。三浦っていうんですけど。初日は座る場所もなくて、クッション持ってきてもらいました」
「椅子だけじゃ、駄目だったんですね」
俺は膝に置いたしっぽを少し持ち上げ、背もたれとの間を示す。
「ここへ挟むと痛いので。最初は、どう座ればいいかも分からなかったです」
雨待ちは俺の椅子を見てから、自分の帽子へ目を落とす。
「私は朝、これを何回もかぶり直してます。玄関の鏡で、耳が目立たないようにすると、今度は内側で曲がってて」
「直したら、また形が変わります?」
「はい。それで、もう一回。気づくと、乗るつもりだった電車の時間になってるんです」
彼女は困ったように笑い、カップを両手で持つ。
俺も、玄関を出るまでに何度も裾を確認した日のことを思い出す。雨待ちが説明を続ける前に頷くと、彼女は、それです、と言って少し笑う。
画面で文章を送り合っていたときには見えなかった表情だった。
「あの、なんて呼べばいいですか。配信では名前を言ってないですよね」
尋ねられて、まだ自己紹介もしていなかったことに気づいた。
「瀬川です。姓だけですけど」
「じゃあ、瀬川さん。私は、まだ雨待ちのままでもいいですか」
「もちろん。俺も、そう呼ぶつもりで来たので」
答えると、雨待ちは、ありがとうございますと言った。お互いの呼び方が決まると、次に声をかけるときに迷わずに済みそうだった。
画面越しに会っていた人と、今日は同じテーブルを囲んでいる。まずは、それが嬉しかった。




