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男だった俺の、しっぽのある暮らし  作者: あわいしゅん
第2章「いつもの場所に、今の俺で」

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第24話 帽子の中にも、居場所がいる

 病院へ持っていくメモは、前より一枚増えている。

 耳としっぽの困りごとを書いた紙に、大学へ行った日のことと、買い物に出た日のことを加える。最後の一枚には、昨日、雨待ちと話した内容をまとめた。

 書いた順に全部読んだら、診察の時間がそれだけで終わってしまいそうだった。俺は朝飯の皿を流しへ運んだあと、聞きたいところへ丸をつけた。


 検査の結果。音が気になること。ほかにも、耳が変わった人がいること。

 丸を三つつけてから、元に戻る方法についての行へ目を戻す。そこにも、小さく丸を足す。

 昨日、同じような人と話せて嬉しかった。それと、戻れるなら戻りたいという気持ちは、どちらか片方にしなくてもいいはずだった。


 三浦とは駅で待ち合わせる。

 今日は診察のあとに講義があるので、帰りは途中で別れることになっている。俺が少し早く着くと、彼も改札の手前でスマホを見ている。


「早いな」

「家を出る前に鞄詰めたから」

「それ、普通のことだぞ」

「その普通が、最近できるようになったんだよ」


 俺は鞄の口を指で押さえた。財布を出すたびに書類まで引っ張り出さなくていいよう、今日は仕切り代わりの薄い袋へまとめてある。

 三浦が、じゃあ進歩だな、と笑ったので、俺も頷く。


 電車では二人分並んだ席は空いていなかった。三浦は俺に一つだけ空いたところを示し、自分はその前に立つ。

 俺はしっぽを抱えて座り、鞄を膝の端へ寄せる。こちらを見ていた隣の人が、しっぽの先のために少し身体をずらしてくれたので、礼を言う。

 耳へ視線が来るのは、今日も分かる。でも、それを一つずつ気にしていると、病院へ着く前に疲れてしまう。駅名の表示を確かめ、乗り換えのところだけ三浦へ聞く。


     *


 相原先生は、前の検査の結果を机へ置いてから、食事と睡眠について尋ねた。

 朝昼晩は食べている。しっぽの置き方を変えてから、夜中に起きることは減った。ずっと座っていると腰が疲れるが、大学の発表は最後までできた。

 話すと、先生は前回の記録を見直していた。


「前に伺ったときより、外で過ごす時間が増えていますね」

「はい。ずっと家にいるのも、嫌になってきたので」


 三浦が隣で笑いかけたが、口は挟まなかった。

 前は、困ったことを話している途中で、彼へ何度も目を向けていた。今日は、俺がどう過ごしたかを、まず自分で説明できていた。


 結果について、先生は項目を示しながら話す。

 今回調べた範囲には、今すぐ対応が必要な大きな異常は見つからなかった。ただ、それで身体に起きた変化を説明できたわけでもない。

 俺は紙へ目を落とし、一度、はいと返す。


「じゃあ、元へ戻すほうは」

「今のところ、方法をご案内できる段階にはありません」


 予想していた返事だった。それでも、聞くと胸のあたりに少し重さが残る。

 先生は、院内で相談したものの、この変化を何として調べればよいか、まだ判断がついていないと続ける。次の検査を何でも増やせば答えへ近づくわけではなく、今起きていることをもう少し確かめたいという。


「……分かりました」


 俺はメモの一つ目と四つ目に、小さく線を引く。

 聞けたことと、解決したことは違う。それでも、聞けずに持ち帰るよりはよかった。


「それと、音のことがあるんです」


 買い物に出た日に、小さな泣き声へ気づいたことを話す。

 周りにも音はあった。最初から居場所が分かったのではなく、同行していた友達と立ち止まり、聞こえるほうを確かめた。子供が見つかったあとには、店の音楽や話し声が、いつもより気になっていた。

 先生は、どのくらい続いたか、その場を離れたあとも残ったかと、順に聞く。


「耳がよくなった、って言っていいのかも分からなくて」

「聞き取れる音の変化と、音で疲れることは、分けて確かめたいですね」


 俺は頷いた。小さな声を聞けた日は、帰ってから少し得意になっていた。でも、聞けることが増えたなら、その全部を聞き続けたいわけではなかった。

 先生は耳の感覚について院内で相談し、確認できる検査と担当を調整すると話す。今日は、音の出る場面や、そのあとどう感じたかを聞いて記録するところまでになった。


 俺はそこで、雨待ちの話をした。

 耳だけが変わったという女性と、昨日、二人で通話したこと。俺より前から変化があり、しっぽも、声や身体のほかの変化もないということ。

 相手の名前も、画面も出さずに説明すると、先生は手を止め、俺を見る。


「その方も、医療機関へ相談されているんですね」

「そう聞いてます。俺が診察で話すのは、いいって言ってくれました」


 先生は、分かりましたと答え、相手についての記録は本人から確認した情報ではないことも添えておくと言う。

 俺には本当のように見える。でも、先生にとっては、俺が通話で聞いた話だ。その違いは分かる。


「もし向こうの先生と話せたら、何か分かったりしますか」

「参考になる可能性はあります。ただ、同じ原因の変化かどうかは、今は分かりません。相手の方が希望されるなら、まず受診先で相談していただく形がいいと思います」


 紹介の話を俺が決めてしまうわけにはいかなかった。雨待ちには、今日そういう話が出たとだけ伝え、どうしたいか聞こうと思った。

 先生も、連絡先を預かる話を急いではしなかった。


「帽子で、耳が痛くなるそうなんです。俺はフードにしたんですけど、仕事では、そうもいかないみたいで」


 言うと、先生は俺のフードへ目を向ける。

 中のどこが触れるか、俺にも痛みが残るのかを聞かれたので、自分の分かる範囲を答える。相手のことは、聞いていないところを埋めずに話す。

 耳のことを調べる相談が、帽子の縫い目の話になった。それでも、先生はメモを取りながら聞いていた。


「自分だけだったら、普通の帽子は無理なんだな、で終わってたんですけど」

「今は、別の形を探しているんですね」

「はい。詳しい人に、聞いてみようと思ってます」


 言い終えると、三浦が横で一度頷く。

 昨日から、俺と同じように困っている人がいると考えていた。けれど、俺の相談を聞いてくれる相手も、一人増えたのだった。


     *


 診察室を出たあと、俺は壁際でメモを鞄へ戻す。

 今日は、新しい検査をその場で受けることにはならなかった。耳についての相談を進めてもらい、予定が決まったら連絡を受ける。受付でその手順を確かめ、次に持ってくるものを紙へ書き足す。


 玄関を出ると、三浦が時計を見る。

 駅まで一緒に歩いても、講義には間に合うらしい。俺は母さんへ、診察が終わったことと、詳しくは帰ってから話すことを送る。


「どうだった?」


 三浦に聞かれ、俺は歩きながら考える。


「戻し方は、やっぱり分かんなかった」

「うん」

「でも、耳のことは、もうちょっと調べてもらえそう」


 病院の門を出るところで、風がフードの裾へ入った。耳の先が布へ触れたので、少し引き上げる。

 その動きを三浦が見ていた。


「雨待ちさんは、それを一日やってるのか」

「帽子だから、もっと近いと思う」


 俺はフードから指を離した。三浦も、そりゃ気になるな、と答える。

 いったん気になり始めると、授業中でも、耳へ手が伸びそうになる。俺はそこを想像できた。


 駅前の店で、それぞれ昼に食べるものを買った。

 三浦は大学へ持っていくおにぎりを選び、俺は家で食べるパンにした。今日はトレーを持つ店ではないので、袋に入ったものを取り、会計を済ませる。鞄の上に作っておいた空きへ入れると、三浦が俺の手元を見る。


「それ、今度の配信で話せば」

「何を?」

「最初からパンの場所、空けてあること」

「そんなに大したことじゃないだろ」

「この前、空いてなくて困ってた人が言う?」


 俺は反論しかけて、やめる。

 当たり前になると、うまくできたことを忘れる。三浦の言うことも、少しは分かる。


 改札を通り、違う路線へ向かう階段の手前で別れた。

 俺は付き添いの礼を言い、三浦は、帰ったら昼飯ちゃんと食えよと言う。買ったばかりだろ、と返すと、パンを置いたまま忘れた前例があると言われる。

 その件では、まだ勝てなかった。


     *


 帰って昼飯を食べ、母さんへ電話したあと、糸日和からの返事を開く。

 昨日の相談に、帽子の形はいくつか考えられるが、どのくらい余裕が必要なのか知りたいと書いてあった。

 続く文章を読んで、俺は椅子へ座り直す。


『耳を外へ出す形と、中に収める形では、考えるところが違いそうです。目立たせたくないなら、中で耳が動ける空間が要りますね。深いだけだと、横から押すかもしれません』


 そうだった。

 俺は、耳の入る深ささえあればいいと思っていた。けれど、雨待ちの帽子にも深さはあった。問題は、その中で片方の耳が押されていたことだ。

 帽子を作る技術の前に、どんな形なら楽なのかを確かめなければいけない。


 俺は雨待ちへ診察の報告を送り、そのあとで、帽子について糸日和から聞かれたことを伝える。

 すぐに返事が来る時間ではないので、待つ間に講義の資料を読んだ。三浦からも、講義に間に合ったと届く。

 俺は礼を返し、途中まで写したノートを開く。


 夕方、雨待ちから連絡が来る。

 受診先へ情報の相談ができるかは、次に行ったときに聞いてみるという。帽子については、できれば耳を中へ収めたいと書かれていた。


『隠さなきゃいけない決まりがあるわけではないんです。ただ、自分がまだ落ち着かなくて。いつも使っていた帽子に近い形だと、出かけやすいです』


 俺はその文章を二度読んだ。

 帽子を脱いで過ごせるなら、そのほうが楽だろうと思っていた。でも、身体が楽なことと、安心して外へ出られることは、いつも同じではなかった。

 俺だって、フードをかぶる前は玄関を開けるだけで時間がかかった。今、外へ出られるからといって、昨日の相手にも同じことを言う必要はない。


『分かりました。耳を収める形で考えてもらいます。形の確認だけなら、俺のフードで試せるかもしれません』


 送ってから、まだ試し方も分かっていないのに言いすぎたかと、フードを見る。

 俺と雨待ちの耳は違う。俺に楽でも、相手に合うとは限らない。

 そのことも追加すると、彼女は、試してもらえるだけで助かりますと答える。


 糸日和へ、分かった範囲をまとめて送る。

 相手の仕事や変化の時期には触れず、耳が内側で折れない帽子を探している人がいることと、普通の帽子では横から布が当たることを伝える。

 糸日和の返事は、夕飯の支度をしている途中に来る。


『まず布を増やさずに、空間の形だけ見てみませんか。手持ちのフードで、触れるところを確認できると思います。耳の形が違うなら、それぞれ確かめたほうがいいです』


 俺は火を止めてから読み返す。

 いきなり新しい帽子を縫う話ではなかった。それなら、裁縫の上手くない俺にも参加できそうだった。


     *


 夕飯のあと、フードをかぶって鏡の前に立つ。

 普段は布へ触れたら直し、それで済ませている。今日は、どこが触れたのかを、指で確かめる。

 前を少し引くと、耳の先には余裕ができた。その代わり、後ろの布が付け根へ寄る。顔を横へ向けると、左右の耳へ同じようには当たらなかった。


「……こんなに動いてたのか」


 俺は片手で布を持ち、もう片方でメモを取ろうとして、無理だと気づく。

 机へ戻り、フードを外してから図を描く。頭の丸の上に耳を二つ足したところで、どう見ても、前に配信で描いたしっぽの図と同じくらい頼りなかった。

 少し迷い、糸日和へ送る。


『絵が下手ですけど、前へ引くと後ろが当たります。横を向くと片方だけ近くなります』


 返事には、図で分かりましたとあった。

 そのあとに、小さく、耳がかわいいです、とついていた。

 俺は絵のことだろうと思ったが、それでもしっぽの先が机の横で動く。見られていなくても、褒められると同じらしい。


 何度かやり取りしたあと、次の配信でフードの余裕を確かめることにした。

 帽子を探している人から相談をもらったので、俺も手持ちの服で試す。表へ出すのはそこまでにする。雨待ちに連絡すると、自分もフードなら一枚あるので、家で試してみたいと返ってきた。

 配信では名前を出さない。彼女が見に来ても、誰なのかを俺から明かすことはしないと伝える。

 雨待ちから、お願いします、と来る。


 俺は次の夜の予定を確かめ、SNSへ告知を書く。


『明日は、耳の居場所を増やします。フードと帽子の相談回です。まだ作れるか分かりませんが、まず形を確かめます』


 投稿して少しすると、ねじまきから返事がついた。


『しっぽの次は耳か。席が要るところが多いな』


 俺は笑い、帽子の中まで席取りです、と返す。

 パンのみみからは、耳は映りますかと来る。俺は顔を映さないので、着たところの全体は見せられないが、図と服で説明する予定だと答える。

 それでも見たいです、という返事が来て、少し肩の力が抜けた。


 前は、映せないところが多い配信を、わざわざ見てもらえるのかと思っていた。

 今は、まだ答えのない相談でも、一緒に考えようとしてくれる人がいた。


 病院の紙をしまい、明日の配信に使うフードを椅子の背へかける。

 検査で戻り方が分かったわけではない。次に何が分かるのかも、まだ知らない。

 それでも今日は、耳のことを調べてもらう話と、帽子の中を広げる話が、別々に一歩進んだ。


 雨待ちから、明日は帰宅してから見に行きますと届く。

 俺は、無理のない時間にどうぞ、と返し、図へもう一本だけ線を足した。布を前へ引いたとき、どこが狭くなるのかを示す矢印だった。

 今度は、誰かに伝えるために描いている。

 俺の耳と同じ形でなくても、相手が自分の帽子を見直すときに、少しでも役に立てばいい。


 フードの裾を整え、明日は机に置いて説明しようと思った。

 そのまま画面の前でかぶったら、耳のことを話す前に、カメラの角度を直すところから始まってしまう。

 俺はメモの一番下へ、顔を映さない、と書き足した。

 新しいことをやってみたいのと、うっかりするのは、別の話だった。

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