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男だった俺の、しっぽのある暮らし  作者: あわいしゅん
第2章「いつもの場所に、今の俺で」

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第23話 外せないのは、俺だけじゃない

 朝飯を食べたあと、SNSを開くと、いくつもメッセージが届いている。

 鞄の図が分かりやすかったという人。次の配信を楽しみにしているという人。俺は一通ずつ読みながら返事を打っていく。

 昨日、写真を載せた人が俺のアカウントを紹介してくれたらしく、知らない名前からの連絡も増えている。

 その中の一通で指が止まり、俺は何度も読み返す。


『急な連絡でごめんなさい。配信のしっぽは、本当に身体から生えているものですか。答えにくかったら無視してください』


 表示名は『雨待ち』だった。

 画像は傘の絵で、文章だけでは、男か女かも、どのくらいの年齢の人かも分からない。投稿は少なく、どこで暮らしているか分かるようなものはない。

 俺はスマホを置く。


 配信では、しっぽを作ったとも、身体から生えたとも説明していない。聞かれたら服や生活の話へ戻してきた。

 昨日、人助けのことを話したときも、音に気づいたとだけ言った。そこから本物なのか気になった人がいても、おかしくはない。

 ただ、俺が本当のことを書いたら、その文章は相手の手元へ残る。


 顔の分からない相手へ、どこまで返せばいいのだろう。

 そう考えているうちに、もう一通届く。


『私も、外せない耳があって困っています。帽子で隠していると、内側に毛が擦れて痛くなることがあるんです。昨日の配信で音の話を聞いて、もしかしたらと思いました』


 俺は自分の耳へ手を近づけた。

 フードに毛が擦れて落ち着かなくなったことはある。帽子をかぶろうとして、耳が引っかかって諦めたこともあった。

 知っている言葉が、知らない人の文章の中に並んでいる。


 どちらも、俺の配信や投稿から想像できない話ではない。それでも、読み終えたあと、朝飯の皿を片づける手が止まる。

 俺と同じようなことが、誰かにも起きているのかもしれない。


     *


 返事を打つ前に、三浦へ連絡した。

 届いた文章をそのまま転送するのはやめ、似た変化で困っているという人から話しかけられたと伝える。

 彼は講義の前だったらしく、短く電話をかけてきた。


「耳が生えたって?」

「そう書いてある。ほんとかどうかは、まだ分かんない」

「知ってる人ではないんだよな」

「うん」


 俺は机の横のしっぽを見る。

 初日に三浦へ話したときも、向こうから見れば、何を言い出したのか分からなかったはずだ。今は俺が、相手の話を聞く側にいる。


「すぐ信じろって言われたら無理だけど、最初から嘘だって決めたくもない」


 三浦は少し黙り、それから、そうだな、と答える。


「まず話せばいいと思う。お前のこと、全部一度に言わなくてもいいだろ」

「うん」

「今日、午後なら空く。何かあったら連絡して」


 俺は礼を言い、電話を切った。

 相手へ返す文章を、短く書く。


『連絡ありがとうございます。俺の耳もしっぽも、自分では外せません。原因が分からなくて、病院に相談しています。帽子はまだ使えていなくて、外ではゆとりのあるフードにしています』


 送ってから、こちらも原因が分からないので、解決方法を知っているわけではないと続ける。

 相手が探しているのが元へ戻す方法なら、俺は答えを持っていなかった。


 返事が来るまで、借りた講義ノートを写した。

 資料の余白へ大槻が描いた矢印の意味を思い出す。書いてあるところと、先生が口頭で補ったところを分けてメモする。

 スマホが気になって何度も手を伸ばしたが、返事が来るまでは、俺ができることはない。


 昼前に、雨待ちから届く。


『ありがとうございます。私も、原因は分かっていません。三週間くらい前からです。耳以外は変わっていなくて、しっぽはありません』


 俺より前に、変わった人がいた。

 その一文を読んだだけで、机の上の紙が少し遠く感じる。

 相手は、帽子の下で片方の耳が折れたままになることと、仕事中に気になって何度も直してしまうことを続けている。病院で説明したが、その場で原因は分からず、相談を続けているという。


 俺はフードを出して、裏側の縫い目を見る。

 帽子なら布が近いので、そこへ毛が押されることもあるかもしれない。けれど、俺の耳と同じ形かどうかも、まだ知らなかった。


『耳の形で、楽なものが違うかもしれません。俺は最初、普通の帽子が引っかかりました。フードも、中の縫い目が触れると気になります』


 そう返すと、少しして、分かります、と来る。

 耳の先ではなく付け根の近くに縫い目が当たると、帽子をずらすまで気になる。帽子を取ったあとに毛の向きを直すと、少し楽になる。

 俺はその文章を読みながら、何度も頷いている。


 いつもの配信では、話したことを理解してもらうために、まず状況を説明する必要があった。

 今回は、最初の説明の途中で、相手から同じ場所の話が返ってくる。


 まだ本当だと確かめたわけではない。

 それでも、俺が手入れで困ったことを、相手は自分の言葉で話している。


     *


 午後、雨待ちから、もしよければ通話できませんかと届く。

 文章だけでは説明しにくく、俺の耳と形が似ているかも見たいという。顔は映さず、耳のところだけでも構わないと書かれている。

 俺はすぐには返事をせず、今日の予定を確かめる。

 次の受診は明日だった。持っていくメモを整理しておくつもりだったが、夜には少し時間がある。


 似た変化の人がいるなら、話したい。

 考えてみると、俺自身も相手の耳を見たかった。疑っているからだけではなく、どう違うのか、どんなふうに動くのか、知りたかった。


 今夜、短く話すことにした。

 配信ではなく、二人だけの通話。こちらも顔を映さない形で始めたいと伝え、録画や画像の保存はしないことを互いに確かめる。

 相手は、ありがとうございます、と返す。


 俺は三浦へ、夜に通話することを知らせた。

 彼からは、終わったらどうだったか聞かせて、と来る。本人から聞いたことをどこまで話してよいかは、通話で確かめようと思った。


 夕飯を早めに食べ、机を片づける。

 いつもの配信用の角度では頭が映らないので、カメラを上へ向ける。自分の顔を見ながら、どこまでなら耳だけを見せられるか試す。

 カメラに頭を近づける姿勢は首が疲れそうだった。結局、額より上が入る角度にして、椅子を少し下げる。

 しっぽの台も、椅子へ合わせて動かした。


 通話の時刻が近づくと、耳が部屋の小さな音へ何度も向いた。

 水を飲み、手を机へ置く。三浦に初めて姿を見せた日のことが、なぜか浮かんできた。

 あのときは、俺を俺だと分かってもらうことが先だった。

 今日は、同じように困っている人がいるのかもしれない。その人と、これから話す。


     *


「こんばんは。聞こえますか」


 つながった通話から、女性の声がした。

 俺もこんばんはと返す。相手の画面は、最初は切られている。


「雨待ちです。今日は、ありがとうございます」

「こちらこそ。俺も、同じような人から連絡が来たの、初めてだったので」


 少し間があり、向こうから短く息を吐く音がした。


「私もです。あの写真を見て、配信を見に行ったんですけど、衣装なのか、分からなくて」


 雨待ちは、会社で事務の仕事をしている女性だった。

 声は落ち着いているが、俺の返事を待つ間が少し長い。耳が変わる前から女性で、身体も声も、それ以外は変わっていないという。

 本名や勤め先は聞かなかった。俺も大学の名前は話さず、学生だとだけ伝える。


「帽子をかぶれば、ぱっと見は分からないんです。でも、丸一日かぶってると、だんだんつらくなって」

「ずっと触られてるみたいになります?」

「そうです。布が当たってるだけなのに、ほかのことをしていても気になるんです」


 その返事で、俺の肩が少し下がった。

 衣装を身につけている場合の話ではなく、触れると自分にも感覚がある場所の話だった。


 相手がカメラを入れると言い、俺も耳を映した。

 雨待ちの画面に、頭の上の部分が出る。耳は俺と同じように二つあったが、先の形も、毛の生え方も違った。狐より、猫の耳に近く見える。


「形、違いますね」

「はい。写真を見たときも、少し違うと思いました」


 彼女は指で耳の横を示す。

 触れると、耳が一度そちらへ傾く。俺もつられて自分の耳へ手を近づけ、画面の中で動いたのを見る。

 向こうから、小さく笑う声がした。


「今、同じように動きました」

「自分で動かしたつもりはないんですけど」

「それも、分かります」


 俺は手を下ろす。

 映像だけで何もかも確かめられるわけではない。けれど、毛に触れる指と、触られた場所を気にして動く耳を見ていると、俺の頭の上で起きていることに、ずっと近かった。


 雨待ちは帽子を見せた。

 深さのある柔らかいものだったが、俺の耳をその中へ入れたら、先まで収まりそうになかった。彼女の耳も、かぶると一方が内側へ押されるらしい。

 帽子の内側へ指を入れて説明する間、耳だけを映していた画面が少し揺れる。


「すみません。片手だと、見せにくいですね」

「俺も配信で、よくそれやります」


 俺は笑い、いったん机へ置いてもらった。彼女もカメラを下げて、帽子の内側を見せる。

 当たるところが分かっても、すぐ直し方が出るわけではなかった。縫い目へ布を重ねたら、かえって中が狭くなるかもしれない。


「俺、服のことで相談に乗ってもらってる人がいます。帽子の形だけなら、聞けるかもしれません」


 糸日和のことを思い出して話す。

 相手の名前や事情を勝手に伝えるのではなく、耳を押さえずにかぶれる形があるか、まず俺の相談として聞く。そう説明すると、雨待ちはお願いしますと答える。


 俺はメモへ、帽子の深さと、布が当たる場所を書く。

 最初の配信で座り方を尋ねたときには、俺が相談される側になるとは思っていなかった。


     *


 耳の話が一段落すると、相手がしっぽについて聞く。

 邪魔になることが多いのかと聞かれ、俺は服、椅子、洗ったあとの乾燥について話す。昨日までに投稿した図の説明も少しする。


「そこまで身体が変わっているなら、外へ出るの、大変ですよね」


 雨待ちはそう言う。

 俺はしっぽを見てから、画面へ目を戻す。これまで話したことより、もう一つ、大きく変わったところがある。


「俺、耳としっぽだけじゃないんです」


 言うと、相手は黙って待った。


「元は男でした。今は、女の身体になってます。声も顔も、前と違います」


 雨待ちから返事が出るまで、少し時間がかかった。

 俺は水へ手を伸ばしたが、口へ運ぶ前に、彼女が言う。


「……そうだったんですね。さっき、学生さんって聞いて、普通に女の子だと思って話してました」

「そう見えるので。気にしないでください」


 俺は水を飲んだ。

 また驚かせた。でも、相手も同じだからといって、全て同じだと思っていてほしくはなかった。


「私は仕事をしてて、家でも前と同じ服を着られて。帽子の話ばっかりして、ごめんなさい」


 俺は慌てて首を振り、額しか映っていないことを思い出す。


「いや、帽子も大事ですよ。困ってるのがそこなら、そこを話していいと思います。俺も、座れないっていう話から始めたので」


 雨待ちが、そうですね、と答える。

 声が少し柔らかくなったので、俺も息を吐けた。


 俺は昨日の迷子の話をした。

 小さな声に気づき、探したあと少し音が気になったこと。明日の受診で話すつもりだと伝えると、彼女も、前より音へ気を取られることがあると言う。

 ただ、俺と同じことができるかは分からない。耳の形が違うように、感覚も違うかもしれなかった。


「どこまで同じなんでしょうね」


 雨待ちの言葉に、俺は、分からないですね、と答える。

 分からないことが、増えている。

 そのはずなのに、病院から原因が分からないと言われたときとは、少し違った。


「でも、俺だけじゃないかもしれないって、今日、初めて思えました」


 向こうから、小さく息を吸う音がした。


「私も、連絡してよかったです」


 俺は頷き、今度は、はい、と声にも出す。


 通話を終える前に、病院でほかにも耳が変わった人と話したと伝えてよいか尋ねた。名前や画像、住む場所は出さない。

 雨待ちは、耳だけ変わった女性がいるというところまでなら構わないと答える。相手も自分の受診先で俺のことを話すかもしれないというので、同じ範囲で、顔やアカウントを勝手に見せない形にした。

 公開する話ではなく、診察で相談するための説明だった。


 帽子について分かったら、また連絡する。

 彼女はありがとうと言い、俺も礼を言う。終わる前に、またしっぽを褒められた。


「配信で見たとき、嬉しいと動くの、いいなと思いました」

「隠せなくて困ることもあるんですけどね」

「私の耳も、たぶんそうです。仕事中、嫌な顔をしないつもりでも、耳が伏せてるって言われたことがあって」


 俺は笑う。

 帽子で隠すことに慣れている人でも、完全に見せずに暮らせるわけではなかった。


「次の配信、都合が合ったら来てください。帽子の相談は、相手の事情が分からない形で話します」


 雨待ちは、楽しみにしていますと答える。

 画面が切れてから、俺は机のメモを見る。帽子についての項目が、しっぽの図の隣へ増えている。


 三浦へ、話せたと連絡する。

 相手にも耳があり、元から女性で、しっぽはない。違うところもあるが、触れる感覚は似ている。本人が相談先へ話してよいと言った範囲と、俺自身の感想を分けて伝える。


『どうだった?』


 三浦に聞かれ、俺は少し考えてから書く。


『まだ分からない。でも、一人じゃないかもしれないのは、嬉しい』


 返事を送ると、しっぽの先が動く。

 今度は画面へ映っていない。それでも、俺は動いていることに気づく。


 明日持っていく病院のメモへ、今日の話を追加した。

 相手の耳を見たこと。変わった範囲が俺とは違うこと。音が気になる感覚にも、似たところがあること。

 書き終え、帽子の相談は別のページへ残す。


 俺は糸日和へ、耳を押さえずにかぶれる帽子の形を相談したいと送った。自分一人の都合で急がせるつもりはなかったので、時間のあるときにと添えた。

 スマホを置き、しっぽを抱えて椅子から立つ。

 誰かと同じではない。でも、自分だけでもないかもしれない。今日はそのことを持って、眠れそうだった。

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