第22話 見つけてもらったのは、俺も
大槻から送られてきた写真を開く。最初は、誰が写っているのか分からない。
本屋の棚の横で、女の子と向き合っている人がいる。グレーのTシャツにパーカー。横へ流れたしっぽの毛先に、子どもの小さな手が触れている。
写っているのは、昨日の俺だった。
自分の頭の上に耳があるところを、こんな角度から見たことはなかった。
鏡ではいつも正面を向く。配信では顔も耳も映さない。この写真ではフードが少し下がっていて、子どもへ顔を向けた俺の横顔が見えている。
思ったより、柔らかい顔をしている。
そう考えてから、人に撮られていたことに気づく。
『昨日、同じ店にいた人みたい。写真のついた投稿が、私のところにも流れてきた』
大槻の文章を読み、写真ではなく元の投稿を開く。
『本屋で迷子の子に付き添っていた、狐耳のお姉さん。お母さんが来るまでしっぽを触らせてあげていて、見ていてほっとしました』
続きには、子どもが無事に保護者と会えたことも書いてあった。
返事が何件かついている。かわいい、いい人だ、こんな衣装で出かけている人がいるんだ、と短い言葉が並んでいる。
写真を気に入って紹介している人もいた。
俺はもう一度、写真へ戻った。
子どもの顔には印が重ねられている。俺の顔は、そのままだった。横顔なので誰でもすぐ本人と分かるわけではないだろうが、黒田や三浦なら分かると思った。
写真そのものを嫌だと思ったわけではない。
あの子が泣き止んだところが残っているのは、少し嬉しい。ただ、昨日は人助けをして帰ったつもりだったのに、今日は知らない人が俺の顔を見ている。その違いに、まだ気持ちが追いつかなかった。
『悪く書かれてないけど、顔、出てる。どうする?』
大槻から続けて届く。
俺は写真を閉じ、机の上へスマホを置く。自分のしっぽは、いつものクッションの上にある。
投稿した人も、あの場面を見て安心したのだろう。何か言うとして、そこを責める言い方にはしたくなかった。
『顔は、分からない形にしてもらいたい。そうお願いしてみる』
大槻へ返してから、投稿した人への連絡を書く。
昨日、しっぽを触ってもらっていた本人です。温かく書いてくださってありがとうございます。ただ、顔を出して活動していないので、写真の顔が分からない形にしてもらえませんか。
送信する前に読み返し、最後にお願いの一文を足した。
そのあと、昼飯を用意した。
返事を待っている間、ずっと写真のページを開いていたら、何も手につかなくなりそうだった。冷蔵庫から食材を出し、卵を焼く。器へ移す頃には、スマホが気になる回数も少し減っている。
*
返事は、昼飯を食べ終える頃に来る。
投稿した人は、まず謝っている。子どもの写真には気をつけたが、俺については衣装で人前へ出ている人だと思い、そこまで考えていなかったという。
顔が分からないよう直し、元の写真をつけた投稿は取り下げると書かれている。
俺はお礼を返す。
すぐあとに修正した投稿への案内が来たので、開いてみる。今度の写真では、俺の顔も分からなくなっている。子どもの小さな手としっぽ、しゃがんで向き合っている姿は残っている。
文章には、本人の希望に合わせて写真を変更したと、短く付け足されている。
画面を見て、ようやく息が抜けた。
一度見られたことまで消せるわけではない。けれど、俺から希望を伝えて、次にどう載せるかを話すことはできた。
投稿した人から、もう一通来る。
『迷子のことを書かれていた投稿を見つけました。同じ方だったんですね。普段は配信をされているんですか?』
俺のSNSには、昨日の人助けの話と、しっぽを載せた写真がある。そこへ本人だと連絡したのだから、つながるのは当然だった。
俺は配信をしていると答える。顔は映さず、暮らしの中で困ったことや試したことを話している。
そう書くと、今度見に行きます、と返ってきた。
知られたくなかった部分を直してもらったあとに、見てもらいたい場所を、自分で伝える。
その順番なら、俺にも選べた。
大槻へ、写真を直してもらえたと知らせる。
よかった、と返ってきてから、もう一通届く。
『あの写真、優しい顔だったね』
俺はスマホを机へ伏せた。
自分でも同じことを思ったので、なおさら返しにくかった。少ししてから、子どもに話してたから、とだけ送る。
修正された投稿には、俺のSNSから短く返事をした。
写真への配慮のお礼と、係の人や一緒にいた友人と探したこと。あの子が保護者と会えてよかったこと。
自分一人で見つけた話にはしたくなかった。
返信をすると、俺の投稿にも知らない名前が増え始める。
人助けの話から、しっぽの台の写真を見る人もいる。そこから配信チャンネルまで見に来たと書いてくれる人もいた。
昼のうちに全部へ返そうとして、文章が似たものになりかける。俺は一度画面を閉じ、先に鞄の図を仕上げることにした。
買った小さなノートへ、財布を入れる場所と、パンを入れる空間を描く。
絵だけでは何の袋か分からなかったので、横に文字を添えた。紙袋が斜めになっているのを直し、俺の手が余分に二本生えているように見えないか確かめる。
右上に、しっぽを抱えている腕も描こうとして、やめる。持ち方は次のページに分けたほうが伝わる。
写真の話で俺を知った人にも、今度は自分が見せたいものを見てもらえる。
図を撮ってSNSへ載せたあと、今夜は短く配信すると告知した。
*
始める前に、いつもの画角を確かめる。
手元としっぽ。ノートには図しかない。今日連絡をくれた人の文章も、大槻とのやり取りも、画面へ出さない。
顔を映すつもりは、今日もなかった。
配信を始めると、ねじまきとパンのみみが来る。
続いて初めて見る名前が二つ並び、挨拶が届く。片方は、本屋の話を見て来ました、と書く。
昼に連絡した人かどうかは、名前だけでは分からなかった。
「こんばんは。今日は鞄の図を描いたので、それを見せようと思ってます。あと、昨日は迷子の子を探すお手伝いをしました」
普段より、最初の言葉をゆっくり話す。
写真から来た人も、前の相談から来た人もいる。どちらか一方だけに話すつもりで始めると、途中で説明が足りなくなりそうだった。
『写真の方なんですね』
「はい、俺です。今は顔を出してないので、写真もそのように直してもらいました。話を聞いてもらえて、助かりました」
『しっぽ、配信でも見られる』
『昨日の記事で見た。かわいい』
記事ではなく個人の投稿だったが、そこから来たことは分かる。
俺はお礼を言い、椅子の横へ目を向ける。しっぽの先は、まだじっとしている。
昨夜の配信ではよく動いた。今日は、初めて見る人へ話すことで、肩に力が入っているのかもしれなかった。
『こんばんは。図、持ち方もある?』
麦茶が来る。
俺は、あります、と答える。黒田がいつもの調子で図の話をしたので、目をカメラの先ではなく、机のノートへ戻せた。
糸日和も挨拶し、こはるから『今日も見に来ました』と届く。
画面の数字は、前回の六より増えていた。
見直しても、すぐには減らない。コメントのない人も、何人か聞いているらしい。
「ちょっと待ってください。今日、人数が」
言いかけてから、何を待ってもらうのか自分でも分からなくなった。
ねじまきから『図は逃げないから、ゆっくり』と来る。俺は笑って、水を飲んだ。
鞄の図を机へ出す。
財布をすぐ出せる場所へ入れること。書類がある日は、その上へ食べ物を詰め込まないこと。買ったものを入れる空間を、出発前に作っておくこと。
自分が買い物で困った順番で説明した。
『そこまで準備して出かけるんだ』
「今は、両手が空かないので。前はお店で鞄を開けて、そこで色々動かしてました」
『大きいリュックなら楽そうだけど』
初めて来た人のコメントを読み、俺は肩の後ろへ手を回しかける。
「リュックは、底がしっぽの根元に当たって。家で試したやつは、だめでした。だから今は、この鞄を前に持ってます」
肩掛け鞄を机へ置くと、糸日和が『当たる場所を避けて選ぶんだね』と書く。
俺が返事をする間にも、別の挨拶が流れた。全部を見落とさずに読もうとして、図を示す手が止まる。
前は、コメントが一つ来たら、それへ答えて次を待てばよかった。
今日は、一つ話している間に別の質問が来る。
「すみません。先に鞄の話を最後までします。そのあと、読めるところから返しますね」
言ってから、ノートの次のページを出す。
麦茶が『了解』と書き、パンのみみも『聞いてます』と返してくれた。
それでよかったらしい。俺は左腕でしっぽを抱える図を指し、トレーは途中で店員に頼んだことまで話す。
最後のページには、買い物の前にメモを見る、と大きく書いてある。
「ここ、俺が一番忘れたところです。朝のパンを買うつもりで行って、昼のパンだけ買って帰ってきました」
『しっかり準備してるのに』
『そこは普通に忘れるんだ』
初めて来た人にも笑われた。俺は頷き、そうなんです、と答える。
上手に暮らしている人として来られていたら困ると思っていたが、この部分まで聞いてもらうと、少し気が楽になった。
*
図をしまってから、迷子のことについて来ていた質問を読んだ。
『どうやって気づいたんですか?』
「小さな泣き声が聞こえて。最初は、姿は見えませんでした。一緒にいた友人に話して、係の人に知らせました」
『耳がいいんだ』
俺は返事の前に少し考える。
「音が気になることはあります。でも、どっちから聞こえるか、すぐ分かったわけじゃないです。近くへ行って、係の人と一緒に探して見つかりました」
遠くの声が何でも聞こえると話したら、昨日できたこととは違ってしまう。
分かったところだけ説明する。子どもの名前や店は、出さないで済んだ。
『見つかってよかった』
『泣いてた子もしっぽで落ち着いたの、いいね』
「それは、ちょっと嬉しかったです。最初は、俺を見てびっくりするかと思ったので」
話しながら、あの子が自分の頭の上に両手で耳を作ったところを思い出す。
俺が手で形を示すと、こはるから『それ、想像できた』と来る。彼女は実際に見ていたのだが、配信ではそれ以上書かなかった。
『きつねさん、優しい声してる』
初めて見る名前から、コメントが届く。
俺は机に置いた手を見る。自分では、普通に話しているつもりだった。
変わったばかりの頃は、聞くたびに男だったときの声を探していた。今も戻り方は知りたい。それなのに、この声が好きだと言われると、すぐに否定したくはならなかった。戻りたい気持ちと、今の俺を気に入ってもらえた嬉しさは、同じところにあるらしい。
「そうですか? いつも、こんな感じなんですけど」
『落ち着く。しっぽ見ながら聞けるのもいい』
『話してると動くんですね』
俺は横を見る。
いつの間にか、しっぽの先が少し揺れている。子どもの話をしている間に、身体へ入っていた力も抜けていたらしい。
『動いたの見てから自分でも確認するの、好き』
パンのみみまで書く。俺は手を伸ばしかけ、また机へ戻す。
「見ないで動かしてることもあるので。毎回、教えてくれなくても大丈夫です」
『じゃあ黙って見てる』
ねじまきのコメントに、俺は笑う。
黙って見られるのも、それはそれで気になる。
でも、止めるためだけに力を入れるより、今日は揺れたまま話してみようと思った。
誰かが、次も来たいと書く。
図が分かりやすかったという人も、しっぽを見に来たという人もいる。昨日の写真では、俺はあの子を見つけた人だった。ここでは財布の場所に困り、朝のパンを忘れ、褒められると返事に詰まる俺も見られている。
それでも、また来ると言ってもらえる。
俺はコメントを読みながら、ありがとうございますと答える。
配信が終わる頃、画面の数字は二十になっている。
一度増えて、途中で減り、また少し戻る。その動きを見ていたが、誰が最後まで聞いているかまでは分からない。
ただ、今日は話す相手が、前よりずっと多かった。
次の時刻はまだ決めていないと伝え、SNSで知らせると話す。
図は既に投稿してあるので、あとから見られる。パンのみみが『今度は見返せる』と書き、麦茶からも『朝のパンのところまで残ってる』と来る。
「そこも大事なので。次は忘れないようにします」
俺は笑って、手を振った。
*
配信を終え、履歴をいつもの設定へ戻す。
使ったノートを閉じ、水を飲む。机の横のクッションを直そうとして、しっぽがまだ小さく動いているのを見る。
「今日は、俺にも分かる」
嬉しいのだと思った。
人助けの話を聞いてもらえたことも、図を見てもらえたことも。知らない人から、また来ると言われたことも。
写真の顔を隠してもらったのに、配信で楽しそうに話しているのは、変ではなかった。見せたいところと、まだ見せたくないところがある。それだけだった。
スマホには黒田から連絡が来ている。
『途中からコメント速くなってたな。お前、話しながら全部読もうとするから』
俺は返事を打った。
『今まで、全部読めたんだよ』
『今日は増えたってことだろ。お疲れ』
大槻からも届く。
『写真のあとに、自分の言葉で話せてよかったね』
俺はその文章を二度読んだ。
写真を見て来た人の中には、これからも俺を衣装の人だと思う人がいるかもしれない。今日話したことだけで、全て分かってもらえるわけではない。
でも、自分が何をしているかを、自分の声で少し伝えられた。
SNSを開くと、配信の告知に返事が増えていた。図を紹介してくれた人もいる。
俺はすぐ次の企画を考えかけ、まず今夜の道具を片づけることにした。鞄からノートを出しっぱなしにしていると、明日の外出でまた探すことになる。
小さなノートを引き出しへ入れ、財布を定位置へ戻す。
最後に、写真を直してくれた人へ、今日は配信を見に来てくれたかは分からないが、お礼の返事を送った。俺のSNSを紹介してよいかと尋ねられていたので、投稿に載せている内容ならと答える。
自分からつながりを広げることにも、少し慣れていけるかもしれなかった。
明日の予定を確かめてから、パソコンを閉じた。
机の上には、カメラと、水の入ったボトルが残っている。次に誰かが来てくれるときも、ここから話せる。
しっぽを抱えて立つと、今日はその重さまで、少しだけ頼もしく感じた。




