↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
男だった俺の、しっぽのある暮らし  作者: あわいしゅん
第2章「いつもの場所に、今の俺で」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/34

第20話 しっぽは、正直すぎる

 配信を始める十五分前、黒田からメッセージが来る。


『麦茶って名前で入る。俺だから』


 俺はスマホを見てから、机の上の水へ目を向ける。飲み物なら本名も大学も分からない。確かに、コメントに出ても困らない名前だった。

 了解と返すと、大槻からも連絡が来る。こちらは『こはる』という表示名を使うらしい。俺が知っている彼女の名前とは別の、ネットで使っている名前だった。

 二人とも、配信で俺をどう呼ぶかには困っているようだった。


『呼ばなくても、コメントは読める。瀬川って書かなきゃ大丈夫』


 そう送ってから、俺のほうが二人を本名で呼びかねないことに気づく。

 メモの端に『麦茶・こはる』と書く。大学の課題も発表も映らないよう、ほかの紙は片づける。


 昨日は人のいる講義室で話した。

 今日はいつもの部屋で、顔を映さず話す。それなら楽なはずだったが、知っている二人が見に来ると思うと、カメラの角度を何度も確かめてしまった。

 手元と、椅子の横のしっぽまで。身体の上のほうは入らない。

 自分の映像を見ながら机を拭いていたら、既にきれいなところまで拭いている。


 夕飯は済ませた。水もある。今日は外出せず、提出する資料の修正と洗濯をしただけなので、疲れてもいない。

 始める理由は揃っていて、あとはボタンを押すだけだった。


「……二人とも、俺を見たことあるだろ」


 独り言を言ってから、そういう問題ではないと思った。

 大学で話す俺と、しっぽをどうすればいいか相談している俺を、同じ人に見られる。今まで別々だった場所が、今夜、少し重なるのだった。


     *


 配信を始めると、最初にねじまきのコメントが出た。


『こんばんは。今日は買い物の話?』


「こんばんは。そうです。一人でパン屋に行けました。あと、家の外でも、座れる場所を作れました」


 続いて麦茶が『こんばんは』と書く。

 俺はメモへ目を落とし、こんばんは、と返す。いつもの挨拶なのに、黒田へ向けて言っていると思うと少し笑いそうになった。

 こはるも来る。しばらくして糸日和が入り、画面の数字が四になった。

 初回から考えると、ずいぶん人がいる。


「今日は、鞄の中を先に見せます。買ったパンを入れる場所、ちゃんと空けてから行きました」


 中身を出した肩掛け鞄を、机へ置く。財布と水、それから畳んだタオルを並べる。病院の紙は入っていない。

 前は書類とボトルを動かしてからパンを入れたが、今回は最初から空けておいたと説明する。


『段取りができてる』


 糸日和に言われ、俺は頷く。


「そうなんです。出すものを出して、入れるところを作っておけば、会計のあとで慌てなくて済みました」

『財布は先に出す、も使えた?』

「使えました。あれ、助かりました」


 ねじまきへ答えると、椅子の横でしっぽが動く。

 画面の端へ毛先が入り、消えて、もう一度入る。クッションから落ちてはいないが、話す調子に合わせるように揺れている。


『めっちゃ嬉しそう』


 麦茶のコメントだった。

 黒田の顔が頭に浮かび、俺は思わず画面を見る。


「嬉しかったですよ。ずっと行きたかったので」

『いや、しっぽが』


 俺は横を見る。

 動いていたものが、見た途端に一度止まる。画面へ戻ると、こはるからコメントが来ている。


『見られると止まるのもかわいい』


「今、鞄の説明してたんですけど」

『聞いてる。しっぽも見てる』


 ねじまきまで続いたので、俺は笑ってしまった。

 褒められているのか、からかわれているのか。顔を映していないことは、あまり役に立っていなかった。


 笑いながら、タオルを鞄へ戻す。

 普段ならそこで次の話へ移るところだったが、今日は二人、初めて見る人がいる。なぜ買い物に困るのか、最初から説明したほうがよかった。


「片腕でしっぽを支えてるので、パンを選ぶときに、トレーとトングを持つ手が足りなかったんです。今回は、ここを空けて持ちました」


 左腕へしっぽを抱え、台所から持ってきた小さな盆を、その手で下から支える。着ているのは部屋着の短パンだ。腰のあたりまでカメラへ近づけないよう、椅子を少し引いて見せる。

 盆の上には、畳んだ布巾をパンの代わりに載せる。


『その状態で取れるんだ』


 こはるのコメントに、俺は右手で布巾を持ち上げて戻す。


「一個は取れました。でも、お店のトレーはもっと大きくて、腕も窮屈になって。二個目は店員さんに取ってもらいました」

『そっち頼めばよかったのか』

「はい。最初から無理だったら、全部お願いしてもよかったと思います」


 ねじまきから『買えたなら勝ち』と来る。

 帰ったあと、黒田にも同じようなことを言われた。俺は麦茶の名前を見たが、何も書かれていなかった。

 画面の向こうで、似たこと言ってるなと笑っているかもしれない。


 説明を続けながらしっぽを抱え直そうとして、盆が少し傾いた。載せた布巾が端へ寄る。

 俺はすぐ机へ盆を下ろす。


「こうなります。だから、途中で一回置きたいんです」

『実演が分かりやすい』

『布巾でよかった』


「パンだったら、説明してる場合じゃなかったですね」


 糸日和と麦茶へ返す。今の失敗まで含めて見せたほうが、できた部分と難しい部分が伝わったようだった。

 俺はしっぽを台へ戻し、座り直す。


     *


 新しい名前がコメント欄へ出たのは、外で座った話を始めた頃だった。


『こんばんは。おすすめに出てきて、タイトルが気になりました』


 表示名は『パンのみみ』。小さな丸い画像には、食パンらしい絵が描かれている。

 画面の数字が五になっている。俺は挨拶し、ちょうどパン屋へ行った話をしていたと答える。


『しっぽが大きいから、座るの大変なんですね』


「普通に深く座ると、後ろで挟むので。家では横へ出して、この台に載せてます」


 椅子の横を指した。

 外では横にもう一脚の椅子を置ける場所があり、タオルを敷いて支えたことを話す。通る人の邪魔にならない位置も確かめたので、しばらく座れた。

 大学や講義のことは出さなかった。麦茶とこはるも、その話には触れず聞いてくれた。


『しっぽにも席がある』


 パンのみみが書くと、ねじまきが『前回、片づけられてた席』と返した。


「それは、もう戻しました。俺の席を少し寄せて、通れるところも作りました」

『しっぽが先に席を確保してる』


 糸日和まで続いた。俺は今の配置を指で示し、両方ないと困るのだと説明した。

 初めて来た人が、常連の短いやり取りから前の話を知っていく。その中に黒田と大槻もいる。

 俺はいつもより、言葉を足しながら話す。


 パンのみみは、最初から座り方を試していたのかと聞く。

 台も何もなかったこと、椅子へ深く座って痛かったこと、横へ出す方法を教えてもらったことを話す。ねじまきが『まず外せばって言った』と書いたので、俺はまた笑う。


「それができれば、最初から困ってなかったんですよ」

『当時はそういう相談だと思ってなかった』


 ねじまきの返事を読み、俺は少し声を和らげた。


「でも、そのあと一緒に考えてくれたので。今は外にも出られるし、座れるし。本当に助かってます」


 言い終えると、コメントが一瞬止まる。

 俺は何か変なことを言ったかと思って、画面を見る。


『今、しっぽの勢い増した』


 麦茶だった。


『褒めると揺れるんじゃなくて、お礼言ってる本人が揺れるんだ』


 こはるまで書く。俺が横を見る前に、パンのみみから『かわいい』と届く。

 毛先がクッションの上を掃くように動いている。止めるつもりで手を載せたら、その手ごと少し持ち上がった。


「これは、別に、わざとじゃなくて」

『それがかわいいんだと思う』


 糸日和のコメントに、返事が詰まった。

 昨日も似たことを言われた。でも、今日は黒田も読んでいる。男同士で並んで弁当を食べていた友達の前で、俺が女の子としてかわいいと言われて、喜んでいる。

 変な感じがするのに、嫌ではなかった。嬉しいのを隠そうとしてしっぽを押さえると、それまで見られてしまう。俺は結局、ありがとうございます、と声に出して返す。

 俺は手を机へ戻す。


「説明も、聞いてくださいね」

『聞いた。外でも座れた。よかった』


 ねじまきが短く返す。

 その一行を読んで、俺はまた笑ってしまった。今日はしっぽを完全に止めるのは無理そうだった。


 画面の数字が六へ変わる。

 新しくコメントをする人はいなかったが、誰かもう一人、見ているらしい。普段は一人か二人に話していたので、その数字を確かめただけで、次に何を言うつもりだったか忘れかける。

 メモへ目を落とし、最後の行を見つける。


「あと、朝のパンを買うのは忘れました」


 コメントが続いた。


『買い物の目的』

『そこはしっぽ関係ない』

『何買ったんですか?』


「カレーパンとミルクパンです。昼に食べたくて」

『完全に昼の買い物』


 麦茶に言われ、俺は頷く。そこは言い返せなかった。

 朝用のパンはあとで買ってきてもらったと話す。誰が、とは言わなかったが、麦茶から『確保できてよかった』と来たので、俺は少し笑いを堪えた。


     *


 話が落ち着いた頃、パンのみみから質問が来る。


『座り方とか鞄の入れ方、あとで見られますか?』


 俺は配信の設定を思い浮かべた。

 これまでは、終わったら履歴を自分だけに公開していた。大学で顔を見せたことと、配信の映像を残すことは、俺の中で同じではなかった。


「映像は、今はあとから見られない設定にしてます」

『そうなんですね。途中から来たので、鞄のところも見たかったです』


 俺は机の鞄を見る。

 もう一度説明することはできる。けれど、今日見た人が忘れたときや、次に初めて来た人も、また最初から聞くことになる。

 ねじまきと糸日和に教わったことを、俺だけが覚えているのも、少し勿体なかった。


『図だけなら、残せそう?』


 糸日和のコメントだった。


「図……。写真と短い説明なら、出せると思います。鞄の中とか、台の高さとか」

『それ見たいです』

『文字ならあとで見返せるね』


 パンのみみとこはるが返す。麦茶からも『今日の布巾の実演、図にできそう』と来る。

 俺は盆を机の中央へ置き、布巾を載せ直す。


「これをパンの例にするの、分かりやすいですかね」

『パン落とさずに済んでるのがいい』


 ねじまきの返事を読み、俺は笑う。

 みんなが見たいと言っているのは、俺の顔でも、変わった理由でもなかった。困って試したことを、もう一度見られる形にする。それなら、今の俺にもできそうだった。


 いつも告知を出しているSNSに、工夫の写真も載せてみると話す。

 配信の開始や延期を書けば、ねじまきや糸日和が返事をくれる場所だった。けれど、これまでは短いお知らせが中心で、試したことを写真つきで残してはいなかった。

 アカウントへのリンクは配信チャンネルに置いてあると伝える。パンのみみは、あとで見に行くと答える。今夜、全部の工夫をまとめるとは約束しなかった。

 パンのみみが、次も都合が合えば見に来ると書く。


「ありがとうございます。次は、忘れないように買い物するところまで進めたいです」

『そこが次の難関』


 麦茶に返され、俺は笑ってから、今日はここまでにすると伝える。

 最後に鞄の入れ方をもう一度、短く見せる。パンのみみが『分かりました』と書き、糸日和とねじまきも挨拶した。

 こはるからは『楽しそうでよかった』と来る。


 俺は画面へ向けて手を振り、配信を終える。


     *


 履歴を自分だけに公開する設定へ変えると、部屋が静かになった。

 さっきまでコメントを読んで話していたので、耳にはまだ自分の声が残っているようだった。水を飲み、台の上で落ち着いたしっぽを見る。

 どうして終わってからなら、じっとしていられるのか。


 スマホを見ると、黒田から既にメッセージが来ている。


『普通に面白かった。俺らがいなくても、いつもあんな感じ?』


 俺は少し考える。


『今日はお前らいるから、ちょっと変だったと思う』

『こっちはいつもの瀬川だった。顔見えないぶん、しっぽの動きが目立ってた』


 どこからどこまでいつもの俺なのか、黒田の基準は相変わらずよく分からない。

 大槻からも、コメントを打つのは最初に少し迷ったが楽しかったと届く。次の配信で名前を呼んでもいいと言われ、俺は、こはるなら、と返す。


 パソコンへ戻り、いつものSNSを開く。

 昨日の配信告知と、糸日和へ返した短い文章が並んでいる。紹介文は配信のお知らせについてしか書いていなかったので、暮らしの中で試した工夫も載せると付け足した。

 最初に写真で紹介するのは、しっぽの台にした。


 カメラではなくスマホを持って、箱とクッションを撮る。最初の一枚には机の紙が端に入っていたので、しまってから撮り直す。今度は横から高さが分かるように撮った。

 俺は椅子へ座り、しっぽを載せた状態も一枚撮った。身体は入れず、支えているところだけにする。


『椅子に深く座ると挟むので、横に台を置いています。高さと置き場所は、座ってから少しずつ調整しました』


 書いてから、これで誰にでも合う方法のように見えないか考える。俺が試して楽だった形です、と付け足す。

 最後に、教えてもらったことを頼りに、少しずつ暮らせるようになってきたと書く。


 投稿のボタンを押す。

 自分から、今の暮らしの一部を外へ出したのだった。


 写真つきの投稿へのリンクを黒田と大槻にも送る。すぐに反応があるか気になり、一度画面を更新してから、スマホを伏せる。

 今夜はもう、机の上を片づけようと思った。


 盆を台所へ戻し、布巾を掛ける。鞄へ財布を戻したところで、スマホが短く鳴った。

 大槻からの返事だった。


『写真、分かりやすい。しっぽ、ふわふわだね』


 俺は机の横を見た。

 写真を選ぶときにも、毛が変に潰れていない一枚を選んだ。そこまで見てほしかったのかと言われると、否定しきれなかった。

 ありがとうと返し、スマホを置く。

 しっぽがまた動いたので、俺はクッションの端を押さえた。今日はもう、誰も見ていないのに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。