↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
男だった俺の、しっぽのある暮らし  作者: あわいしゅん
第2章「いつもの場所に、今の俺で」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/36

第17話 瀬川、お前なのか

 講義で出された発表課題の打ち合わせに参加したとき、俺のカメラは切ったままだった。

 画面には三浦と黒田、それから大槻の顔が並んでいる。この講義では、四人程度のグループで資料をまとめ、次の講義で発表することになっていた。三浦と俺に黒田が声をかけ、近くに座っていた大槻も加わって、この四人になった。

 先週までは空き時間を合わせ、大学で机を囲んでいた。俺が通えなくなってからは、資料を共有して文章で相談していたが、そろそろ声に出して説明の順番を確かめたい。今日はそのために、夕方から通話をつないだ。

 黒田は、三浦と同じく大学で知り合った男友達だ。短く切った髪のまま画面へ身を乗り出し、共有した資料を読んでいる。思ったことをすぐ口にするので、俺とは文章の言い回しでよく揉めるが、終われば一緒に飯を食うくらいの仲だった。

 大槻はこの講義を履修している女子学生で、一緒に課題を進めるようになってから話す機会が増えた。肩にかかる髪を耳へ掛け、手元のノートと画面を交互に見ている。俺と黒田の話が脱線すると、今決めたいのはここだよ、と資料へ戻してくれる。何度か一緒に作業するうち、その一言を聞くと、俺も少し姿勢を直すようになっていた。

 いつもの三人が揃っている。今は自分の名前だけが表示された四角を、三人の顔の横で見ていた。


「瀬川、聞こえる?」


 黒田に聞かれ、俺はマイクを入れる。


「聞こえる。資料、今開いた」


 黒田の手が止まる。大槻も、画面へ少し顔を近づける。

 三浦が俺の名前を呼ぶより先に、黒田が言う。


「……誰?」


 喉の奥が詰まった。

 母さんにも、三浦にも、身体が変わったと話してから声を聞いてもらった。病院では最初からこの姿で受け答えしていた。何も知らない人へ声だけを聞かせるのは、今になって初めてだった。


「瀬川。俺だよ」

「いや、名前は瀬川になってるけど。今、本人いる?」


 黒田はふざけているわけではなかった。後ろに誰かいるのか確かめるように、画面を見ていた。

 俺はマイクの表示へ目を落とす。切れば、今までどおり文章でやり取りできる。声の調子が変わったので、今日はチャットで参加する。そう書いても、資料の話は進められるだろう。


 でも、来週もそうするのか。

 その次も、俺がいない場所で、俺の資料だけを使ってもらうのか。


「瀬川。無理に今、説明しなくていい」


 三浦が言う。黒田と大槻の目が、今度は彼へ向いた。


「三浦は、何があったか知ってるの?」


 大槻の声は落ち着いていた。三浦は一度俺の表示を見てから、知ってる、とだけ答える。

 代わりに説明はしなかった。その間に、俺は膝へ手を置く。


「病院、行ってるって書いたじゃん。身体のことで」


 二人が頷く。


「あれ、風邪とかじゃなくて。見た目と声が変わった。今の声、俺の声」


 黒田は眉を寄せる。大槻は何か言いかけて、口を閉じる。

 この説明で信じてもらえると思ったわけではない。信じられない話なのは、最初に鏡を見た俺が一番知っていた。


「カメラ、つけてもいい? びっくりすると思うけど」


 返事を待っている間、自分の心臓の音が分かる。

 黒田が頷き、大槻は、いいよ、と答える。俺は録画も画像の保存も、ほかの人への転送もしないでほしいと頼んだ。二人が分かったと言ってから、カメラを入れる。


 久しぶりに、配信の手元用の角度を変える。

 画面の四角に、自分の顔が出る。パーカーのフードは下ろしていたので、耳まで全部映る。

 黒田が椅子から少し浮く。


「え、待って」


 俺は手を止める。大槻の視線も、明らかに耳へ向かっていた。


「瀬川、お前なのか」

「そう。これ、俺」


 黒田は画面と三浦を交互に見る。三浦が頷くと、また俺へ戻る。


「何かの加工? じゃなくて?」

「加工じゃない。女の身体になって、耳としっぽが生えた。起きたらこうなってた」


 言った途端、あまりに説明になっていなくて、俺自身が困る。

 原因は分からない。戻れるかも分からない。昨日、紹介された病院で診察と採血を受けた。そのあたりまで話すと、黒田は黙って口元へ手を当てた。


 大槻が、しっぽもあるの、と聞く。

 俺は椅子の横から先を持ち上げ、肩の横へ出す。身体を捻ったせいで耳が少し動き、大槻が小さく息を吸う。


「今、動いた」

「耳? 自分じゃ見えてないんだけど」

「うん。ごめん、そこばっかり見て」


 謝られると、何と答えればいいか分からなかった。見ないでと言いたいわけでもない。見るだろうと思ってカメラをつけたのに、実際に見られると、身体のどこへ力を入れればいいか分からなくなった。

 俺はしっぽを台へ戻す。


「こっちも、どこから話せばいいか分かんない」


 大槻は頷く。その横で、黒田が顔を上げる。


「三浦は、いつから知ってた?」

「最初の日。瀬川から連絡が来た」

「じゃあ、一週間近く?」


 三浦が頷く。黒田の目が、俺へ戻った。


「俺らには言えなかった?」


 胸のあたりが冷たくなった。

 責められると決まったわけではない。声も強くなかった。それでも、答える前に、言い訳にならない言い方を探してしまった。


「誰に言っても信じてもらえるか分かんなかった。三浦にも、最初は動画の加工だと思われたし。病院行って、服用意して、それで……」


 話しているうち、順番を全部並べようとしていることに気づく。何を先にしていたかで、二人に説明しなかったことが消えるわけではなかった。


「ごめん。お前らにだけ隠そうって決めてたわけじゃない。でも、会うのは怖かった」


 黒田は目を伏せた。

 少しして、今の言い方は悪かった、と言う。


「資料は来るし、三浦は普通にやり取りしてるし。俺だけ、何も分かってなかったんだなって思って」

「私も知らなかったよ」


 大槻が言うと、黒田は、そうだけど、と小さく返す。

 俺は二人の顔を見る。大槻も平気なわけではなさそうだった。いつものように話をまとめようとして、何度も俺の耳へ目が戻っていた。

 黒田だけが驚いているわけでも、三浦だけが全部分かっているわけでもなかった。


「知らないことは、俺にもまだある」


 俺が言うと、黒田はゆっくり頷く。


 資料の話へ戻るまで、予定より時間がかかった。

 俺は最近の生活を少し話し、服や座り方に困っていたことも伝える。三浦が弁当と服を持ってきてくれたと話すと、黒田は、じゃあ飯は食えてるんだな、と言う。


「今日、一人でパン屋行った」

「そこは普通に行くんだ」

「普通には行けなかった。トレー、途中で店の人に預けた」


 俺が笑うと、黒田も少し笑う。顔を見せてから初めて、画面越しの空気が軽くなった。

 大槻が共有資料を開き、今日決めたいところを画面に出す。俺はカメラを切らずに、担当した部分を説明した。


 ここは意味が重なっている。ここには引用が要る。黒田の指摘はいつもと同じだったが、結論が強すぎると言いかけて、彼は一度口を閉じる。


「何?」

「いや。いつもの感じで言っていいのかなって」

「そのための打ち合わせだろ。変なとこあったら言って」


 黒田は頷き、じゃあここ、と一文を指した。俺は言い返して元の資料を開き、結局、直すことにした。

 今の顔だと、普段の言い方までためらわせるらしい。気を遣ってくれたのは分かるけれど、同じ資料を作る相手として話してもらうほうが、俺は楽だった。

 耳を見られているかどうかを忘れた頃、黒田が言う。


「それ、さっきから直すって言って、同じ文残してる」

「気に入ってんだよ。この文」

「じゃあ、別のところ削れよ」


 大槻が吹き出し、三浦が頷く。

 俺は画面を見て笑う。声は違うが、黒田に言い返しているのは、ちゃんと俺だった。


     *


 打ち合わせの最後に、大槻が明日の予定を聞く。

 俺が特に外出の予定はないと答えると、彼女は黒田を見て、それから俺へ向き直った。


「一回、会って話せる? 資料の続きもあるし」


 すぐには返事ができなかった。

 今、画面へ顔を出したばかりだった。明日には同じ部屋に二人がいる。その距離を考えると、俺の手が膝の上で止まる。


「大学まで来いって話じゃないよ。三浦が行っていいなら、私たちも一緒に行けないかなって」


 大槻は続ける。三浦は明日の午後なら空いていると言ったが、俺の返事を待った。

 黒田が、やっぱり急すぎるか、と言う。

 俺は机の横の箱を見る。ここなら座れる。着替えも、水も、疲れたら横になる場所もある。知らない場所へ三人に会いに行くよりは、ずっと考えやすかった。


「部屋、狭いよ」

「知ってる。前に四人で入っただろ」


 黒田が答える。

 そうだった。以前、課題の続きでここへ集まったことがある。床に座った黒田が、テーブルの脚へ膝をぶつけて文句を言った。

 あの部屋へ、今の俺が戻ってきただけでもあった。


「じゃあ、来て。しっぽの箱は、どかせないけど」


 黒田が笑う。


「そこまで含めて、今どんな感じなのか教えて」


 俺は頷く。明日の午後、三人が来ることになった。

 通話を切る前に、今日の話は俺が自分で伝えるまでほかの人へ広めないでほしいと、もう一度頼んだ。黒田は真顔で分かったと言い、大槻も頷く。

 三浦だけが知っている状態は、そこで終わる。


     *


 翌日、玄関のチャイムが鳴ったとき、俺は部屋の真ん中に立っていた。

 机は片づけ、床には座る場所を空けた。自分は椅子を使うので、来客用に敷くものを出す。そこまではできたが、三人に何を着て会えばいいかは、最後まで迷う。

 結局、グレーのTシャツと巻くスカートにした。部屋着の短パンでもいいのかもしれないが、今日はそちらのほうが落ち着いた。


 扉を開けると、先に三浦がいた。その後ろに、大槻と黒田が並んでいる。

 昨日、画面で見せたはずなのに、二人の足が止まった。


「……おはよう、じゃないな。入って」


 俺が言うと、黒田が瞬きをした。


「声、ほんとに昨日のままなんだ」

「そりゃそうだろ。一晩で戻ったら、先に連絡する」


 黒田はそうかと笑い、靴を脱いだ。大槻も挨拶して続く。

 三浦が最後に扉を閉める。廊下に三人分の靴が増えたところを見て、俺はようやく、来てもらったのだと実感した。


 部屋へ入ってすぐ、黒田がしっぽの台を見つける。


「これが箱?」

「そう。そこ、俺が座るときに使う」


 彼が一歩横へ避ける。俺はしっぽを前へ回して通り、椅子へ腰を下ろす。

 大槻がその動きを目で追い、何か言いたそうにした。俺は、聞きたいことあったら聞いて、と伝える。答えにくいことは、そう言うつもりだった。


「服、そこから出せるようにしたの?」

「スカートは巻くやつだから、重なってる間から。短パンは母さんと直した」

「そっか。普通のズボンだと無理なんだ」


 大槻は自分の腰の後ろへ手を当て、少し考える。その反応を見て、俺は初日に短パンを引っ張って困ったことを思い出す。

 黒田のほうは、しっぽからなかなか目を離せなかった。


「触っていいかって聞くのも、変だよな」

「聞くのはいいけど、今日はやめといて。まだ慣れてない」

「了解」


 黒田は手を膝へ置く。それ以上、近づけてこなかったので、俺も安心してしっぽを台へ下ろせた。


 三浦が鞄から資料を出し、黒田もパソコンを開く。

 大槻は買ってきた飲み物を床の低いテーブルへ並べる。俺が冷蔵庫の水もあると言うと、次に来たときに出して、と答える。

 次があるように言われて、俺は少し顔を上げる。

 彼女はもう、資料のページをめくっていた。


 作業を始めると、部屋はすぐ狭くなった。

 黒田が足を伸ばしかけ、しっぽの箱の手前で止める。大槻がパソコンの線を避け、三浦が資料を俺へ渡す。俺も椅子を動かす前に、後ろを見る。

 いつもと同じ四人でも、前と同じ座り方にはならなかった。

 ただ、十分ほど経つと、誰も座る場所を確かめずに話し始める。


 まとめの構成を直している途中で、俺は語尾を巡って黒田と揉めた。大槻が二案とも読んでみようと言い、三浦が画面へ並べる。

 俺は自分の案を声に出す。次に黒田が読む。比べると、黒田のほうが短く伝わる。


「……そっちでいい」

「今の間、長かったな」

「気に入ってたんだよ、昨日から」


 三浦と大槻が笑う。黒田も笑いながら文を直す。

 そのとき、彼の足元へしっぽの先が少し滑った。俺が戻そうとすると、黒田が先に膝を引く。


「悪い。ここ、もうちょい空ける」

「俺が落とした。大丈夫」


 短いやり取りで済んだ。しっぽがあることを、毎回最初から説明する必要はなかった。


 作業が一段落すると、大槻が発表の日程を確かめる。

 この講義の担当の先生からは、俺がまとめた資料を三人に発表してもらう形でもよいと案内されていた。自宅からの課題参加を相談したときに、発表当日のことも確かめてもらっていたのだ。今日は、俺が話す予定だった部分を誰に頼むか決めるつもりだった。


「瀬川のところ、私が読む?」


 大槻に聞かれ、俺は資料へ目を落とす。

 昨日までは、そのつもりでいた。大学へ行って、講義を一緒に受けている人たちにこの姿を見せることまで考えると、途中で手が止まったからだ。

 今は三人とも、この部屋にいる。俺が話したところで驚いて作業が止まる時間は、もう過ぎていた。


「まだ、本番で行けるとは言えないんだけど」


 三人が顔を上げる。


「その前の練習、俺も行きたい。教室じゃなくてもいいから、大学で一回、試したい」


 自分で言ってから、心臓が速くなった。

 校門を通り、建物へ入り、知っている人とすれ違う。その場面が、一度に頭へ浮かぶ。大槻は日程の画面を見て、次の練習までに相談できる時間はあると言う。


「私たちは付き合えるよ。場所は、先に確かめよう」

「入口で固まったら、引き返すのもありにしようぜ」


 黒田の言い方で、少し笑える。


「引き返したら、発表は?」

「そのときは俺らがやる。今までの予定に戻るだけだろ」


 行くと言った瞬間に、必ず成功させなければならなくなったわけではなかった。俺は頷き、水野さんへ相談するメールを、その場で書く。

 黒田と大槻にも事情を話し、自宅で打ち合わせができたこと。次は大学で、四人で発表の練習をしてみたいこと。移動と座る場所について相談したいこと。

 三浦が横から日程を示し、俺が打ち込む。送信する前に読み返して、希望の日を入れる。


 メールを送ると、黒田が机の端に置いていた紙へ目を向ける。


「しっぽのメモ?」


 前に書いた寸法の紙だった。俺は紙を手元へ戻し、生活の工夫を配信で相談していると、三人に話す。

 三浦は知っていたが、大槻と黒田は初めて聞く。大槻が、だから箱の高さまで考えてるんだ、と言う。黒田は俺のカメラを見る。


「これで? 今の姿、出してる?」

「顔は出してない。名前とか大学とかも。手元と、困ったものだけ」

「見てもいい?」


 俺は少し迷う。

 画面の向こうで話す俺まで、黒田たちに見られるのは、また別の恥ずかしさがあった。


「今度、やるとき考える。学校の話は、コメントに書かないでな」

「分かった。瀬川って呼ぶのも駄目か」

「それも駄目」


 黒田は真面目に頷き、俺は笑う。配信の名前を教えるかどうかは、今日は決めなかった。


 三人が帰ったあと、俺は水野さんへ送ったメールをもう一度開く。

 返事はまだ来ていない。大学へ行くことも、練習で座れる場所も、まだ決まってはいなかった。

 それでも、俺の担当を誰かに渡す話だけをしていた昨日とは、予定が変わっている。


 配信のメモに、パン屋の報告の下へ新しい一文を書いた。


『知り合いに、今の姿を見せました』


 詳しくどこまで話すかは、配信を始める前に考えようと思った。黒田の驚いた顔も、大槻が次に来たときと言ったことも、今は俺の中へ残しておきたかった。

 机の上には、四人で直した資料がある。俺は発表で読む予定の段落を開き、小さく声へ出した。

 聞き慣れない声だったが、昨日、三人に聞いてもらった声でもあった。途中で止めず、段落の最後まで読んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。