第11話 切ったのは、古い短パンです
大学から返事が来たのは、朝食を食べ終えたあとだった。
相談窓口の担当者が話を聞いてくれるという。来校が難しければオンラインでもよいと書いてあり、候補の日時には今日の午後も含まれている。
俺は何度か読み返してから、その時間を希望すると返す。昨日、思い切ってメールを送ったときには、返信を待つほうが落ち着かなくなるとは考えていなかった。
相談の時間が決まると、今度は何を見せるかが気になる。カメラへ映るのは昨日までと違う顔だ。最初から全部説明するなら耳まで映したほうがいいのか、いったん声だけで話して、あとから見せるほうがいいのか。
配信と違って、実際の俺が誰かを知ってもらわなければ、授業の相談には進めない。画面の中の自分を確かめながら、机の端にメモを置く。
母さんが来たときには、まだ一行目を直しているところだった。
「今日、お話できるの?」
「午後。オンラインで」
「早く返事が来てよかったね」
俺は頷いたが、よかっただけでは済まない顔をしていたらしい。母さんは机のメモを覗き込まず、昨日置いていった裁縫道具を開き始めた。
話す時間まで何もせず待っていたら、最初の言葉を何度も考え直すことになりそうだ。俺も試しの布と短パンを出し、今日はどこからやるのかと聞く。
昨夜、余り布で作った部分は、腰を開いて、あとから閉じられる形になっていた。それを実際の短パンの上へ重ね、しっぽを出したい位置が合っているか確かめる。
母さんは、これでよければ後ろの縫い目をほどくと言う。ずっと切らないで残してきた短パンが、ようやく別の形になるらしい。
「失敗しても、これならいい」
俺は裾の薄くなったところを指で示す。部屋で穿くために残していた服で、もともと長く使えるか怪しかった。それでも、ハサミを手に取ると少し迷う。
「戻ったら、普通の短パン買い直せばいいか」
口にすると、母さんはすぐには返事をしなかった。元に戻れないのかもしれないと思っているのだろうかと顔を見たが、母さんも俺を見ている。
「うん。戻ったら、また買おう」
その一言で、ようやくハサミを置けた。先に使うのは、縫い目の糸を切るための小さな道具だった。
母さんに教えてもらいながら糸を一本ずつ外すと、後ろの縫い合わせた部分が開いていく。思っていたより地味な作業だったが、勢いで布へ穴を開けるより、自分でやっている実感があった。
母さんが開いた端を整える間、俺は別の布で縫う練習をした。昨日よりまっすぐ進んだつもりで裏を見ると、途中で布を余計に巻き込んでいる。
「これ、取れる?」
「取れる。さっき使ったので、糸を外せばいいよ」
さっきまで壊すために使っているように感じた道具が、今度はやり直すために必要になった。俺は母さんの手元と自分の布を見比べ、針を置いてから糸をほどく。
しっぽは今日も、作業へ気を取られると下がった。でも、クッションの場所を先に直しておいたので、途中で何度も立たずには済んだ。
*
昼食を食べ、机を片づけてから大学の相談へつないだ。
母さんには、まず俺がひとりで話すと伝えてあった。部屋は狭いので台所側へ移ってもらい、必要になったら同席を頼むことにする。
担当者の名前は、水野と表示されている。画面がつながると、落ち着いた声で俺の名前と所属を確かめ、昨夜のメールについて尋ねられた。
ここでも最初は、何から話すか迷う。ただ、三浦や両親へ説明したときよりは、言葉の順番が分かっている。
「三日前までは、学生証の写真にある顔でした。一昨日の朝から身体が変わって、今は、この姿です」
学生証をカメラへ見せ、それから頭の上まで入るよう角度を変える。水野さんの視線が画面へ寄り、一度、言葉が止まる。
俺はその間に、耳としっぽもあること、病院へ行ったが原因はまだ分かっていないことを話す。見てもらうためにしっぽを持ち上げると、画面の外へ出てしまい、机を少し離す必要があった。
ひと通り説明したあと、水野さんは少し考え、まず確認したいことを順番に聞いていいかと言う。
名前や学生番号、今連絡している大学のアカウントについて確かめられる。見た目だけで本人だと断定できないのは、病院でも経験していた。分からないことを認めながら話してもらえるほうが、こちらも答えやすかった。
「今、授業について一番困っていることは、何でしょう」
聞かれて、俺は画面の脇のメモへ目を落とす。
「休んでいるあいだの課題と、いつまで休んでいいかです。すぐ教室へ戻るのは、まだ自信がなくて。でも、ずっと休むつもりで連絡したわけじゃないです」
水野さんは頷き、受けている授業を確認した。俺は今週の時間割を見せ、三浦に聞いてもらった課題についても伝える。
その中に、来週、少人数で資料をまとめる授業があった。友達と分担する予定で、俺が休み続けたら、誰かが代わりに作業することになる。
「そこは、資料の準備だけなら家でもできそうです」
「参加の仕方を相談できるか、授業の担当者へ確認したいですね」
それは今の俺が欲しかった返事だった。登校できるかどうかを、今すぐ全部決めるのでなく、できることから話せる。
ただ、担当の先生へ何を伝えるかを聞かれたところで、俺はまた迷う。
「身体の変化って言ったら、このこと全部、伝わりますか」
水野さんは、まず欠席と受診、授業への参加方法について相談し、姿の詳しい話を誰にするかは一緒に考えようと答える。必要な連絡先も、確認してから進めるという。
俺はメモに書いておいた『どこまで説明するか』という行を見る。話をしたら、次の人も、その次の人も自動的に知るのかと思っていたが、そこで止まって相談できるらしい。
「それで、お願いします」
そう答えると、水野さんは次のやり取りをメールで送ると言う。欠席や課題については、授業ごとに確認が必要だという。一度話したら全部解決するわけではなかったが、少なくともどこへ連絡すればいいかは分かる。
面談を終えてカメラを切ると、肩のあたりが重かった。母さんが台所側から戻ってきたので、話した内容を短く説明する。
「どうするか、決まった?」
「まだ全部は。でも、来週の授業で、家でもできる作業がある。そこから相談してもらう」
母さんは頷いて、机へコップを置く。俺は水を飲み、三浦にもメッセージを送る。
『大学と話した。資料まとめる授業、家から参加できるか先生に確認してもらう』
返事を待つ前に、昨日止まっていた資料を開いた。耳も、しっぽも、課題をなくしてはくれない。目次を眺めるうちに、どの部分を自分が調べるつもりだったか思い出してきた。
*
短パンの最初の試着は、夕方になった。
母さんが服の端を整え、しっぽの上で腰を留められるよう布を足していた。俺が縫ったのは、試しの布と、最後に余った端のほんの短い部分だけだ。形にしたのはほとんど母さんだったが、途中を見ていたので、どこを開ければ穿けるかは分かる。
洗面所で着替えると、しっぽを抱えて穴へ通す必要はなかった。後ろを開いたまま脚を通し、腰まで持ち上げてから留める。母さんの言ったとおり、先にしっぽの位置を確かめないと、布へ挟みそうになった。
最初は腰が少し緩く、部屋へ戻ってから留める位置を直してもらった。もう一度穿き、鏡の前で後ろを確認する。
「どう?」
扉の向こうから母さんが聞く。
「しっぽ、出せた。前は、普通の短パン」
「後ろだけ直したからね」
当たり前の返事なのに、嬉しくなった。今の身体のために、服を最初から全部違うものにしなくてもいい。使っていた服を少し直すことで、また着られるのだ。
部屋で立つ、座る、少し屈む。ひとつやるたびに、母さんは布が引っ張られる場所を見ていた。
椅子へ座ると腰の布が少し浮いたので、今日はまだ部屋の中で試すだけにすることになった。完成だと言うには直したいところが残っているが、しっぽを出しても腰が下がらないのは、昨日のスウェットよりずっと楽だった。
「一回で全部うまくいくものじゃないね」
母さんが縫い目を見ながら言う。俺は立ち上がり、しっぽを少し動かしてみる。布の端に毛が当たるが、根元を引っ張られる感じはなかった。
「でも、これ着て、机で課題できる」
口にすると、母さんも手を止める。それから、うん、と昨日より少し明るい声で答えた。
配信で見せてもいいかと聞くと、母さんは少し考える。俺が、着た姿ではなく服を机へ置いて、直したところだけ映すと説明すると、分かったと頷く。
母さん自身は映りたくないし、声も入れないでほしいという。俺はそれでいいと答え、母さんが外へ食料品を買いに出ている間に、短く報告することにした。
着替えて短パンを机へ広げ、カメラに入る範囲を確かめる。タイトルには、『しっぽを出せる短パン、試作できました』と入れる。
配信を始めて少しすると、知らない表示名の人が来る。最初のコメントは、『これ何の企画?』だった。
俺は返事を考えて、短パンの後ろへ目を落とす。何かの企画だと言ったほうが、説明は簡単なのかもしれない。ただ、俺はこの服を着て生活するために作ってもらったのだ。
「しっぽがあると、普通の服がうまく着られなくて。それで、直し方を相談してる配信です」
『衣装改造?』
「服を直してるのは、そうです。今日は、家族に手伝ってもらいました」
嘘にはならない範囲で答えると、次に『自作のしっぽ?』と聞かれる。俺は少し黙ってから、しっぽ自体の作り方を説明する配信ではないことと、今日は服の話だけしたいことを伝える。
その人は『なるほど』とだけ返し、少しして視聴者の数字が減る。期待したものではなかったのだろう。
見に来た人に喜んでもらわないといけないような気がして、もう少し説明すべきだったかと迷う。でも、何を聞かれても話せる状態ではない。
カメラへ向けて短パンを持ち上げると、次のコメントが来る。
『切る前に聞いてたやつですね』
糸日和だった。見覚えのある名前に、俺は布を机へ戻す。
「そうです。まだ外では使えないんですけど、部屋で座るところまで試せました」
後ろが開く部分と、穿いたあとに腰を留めるところを順番に示す。母さんが直してくれたこと、自分はまだ糸通しで手間取ることも話す。
糸日和は、座ったときに引っ張られる場所を聞く。俺が紙の上に印をつけると、すぐに作り直すのでなく、どの動作でずれるか先に確かめるとよさそうだ、と返ってきた。
「立ってると、いい感じなんです。座ったり屈んだりすると、少し違って」
『動く服ですからね。まず、どこが変わるか分かったのは進歩だと思います』
その返事を読んで、まだ完成していない服を見せてもよかったのだと思える。うまくいったところだけ報告するのでは、次に困っていることを聞けない。
短パンを裏返し、俺が最後に縫った部分を映すと、糸日和から『縫い始めました?』と聞かれる。
「昨日から。ここだけ俺が縫いました。まだ曲がってますけど」
『最初はそうなります。私も、ほどくほうが長かったです』
俺は少し笑う。さっきまで、道具も使えない初心者が見せていいものかと思っていたが、向こうにもそういうときがあったらしい。
今日切ったのは古い短パンで、着る人は俺。そう考えると、縫い目が少し曲がっているくらいで、誰かへ申し訳なくなる必要はなかった。
話しているうちに、スマホへ母さんが帰るという通知が来る。机の画面には出さず、俺は糸日和へ礼を言って配信を終える。履歴は今日も自分だけに公開する。
短パンを畳んでいると、大学から面談後のメールが届いていた。授業について確認する項目と、次の連絡先が整理されている。
三浦からも返事があった。
『じゃあ、俺らで決めてた担当のとこ、まだ空けとく。できそうなら連絡して』
俺は資料の目次をもう一度見た。教室へ行けると決まったわけではないし、先生からの返事もまだだ。それでも、俺が調べるつもりだった部分は、まだ俺の場所として残っている。
『今、資料読んでる。できるところからやる』
そう返すと、玄関の外で母さんの足音がした。俺は針をケースへしまい、机の脇に短パンを置いてから立ち上がる。
今日の服は、まだ完成していない。大学のことも、戻り方も、返事を待つものがたくさんある。それでも、母さんへ扉を開けたら、話したいことは困りごとだけではなくなっていた。




