死待人
「……ろ、起床の時間だ」
……?
「起きろと言っている、3番。起床の時間だ」
これは夢の中か...…それとも現実か……?
寝ぼけ眼のまま起き上がると、変わらずそこはコンクリート製の檻だ。
「今日は……何日ですか?」
「11月10日だ、それがどうかしたか」
「いいえ……なんでも……」
「早く掃除しろ……ったく、いつまで寝てやがんだ」
看守はぶつくさと文句を垂れながら歩き去った。
夢の中ではないようだ。というか、事件から丁度一週間になるのか……
今朝見たのは明晰夢だった。例の事件からここに来るまで……その経緯で起きた出来事の数々は、どうやら僕自身が思っているより心に深い傷を負わせていたのだった。
未だに胸のあたりが痛む……おそらく肋骨が何本か折れているのだろう。それを労りながら、寝床代わりの粗末な布の上で起き上がる。
いつも通り布を畳み、脇に寄せ、箒で少し掃き、用具を片付ける。
重い腕輪に難儀しながら、乱雑に置かれてあった新しい服に着替え、看守のチェックを待つ。
「……暇だなぁ」
視界の端には数日分の新聞と、子供向けの絵本が積まれてある。看守連中の当てつけかは分からないが、僕が頼んでもいないのに毎日置いていくのだ。
新聞に関しては、最初2日分は読んだが、以降は全然読んでいない。
【凶悪能力犯罪から一週間 遅れる処分】
【有力議員の息子、現在も意識不明】
【独占取材! 若き凶悪犯の素顔】
【特集:ラッチフォード殺戮事件 特別法の可否】
今日の一面も僕の話ばかりだ。中には30年くらい前の大事件と結びつけようとするものもあった。
特別法……以前まで存在を知っていた程度で詳しくは知らなかったのだが、この国には「特定の能力犯罪」に対してのみ適用される、特殊な法律が存在する。
「未成年が能力によって起こした傷害及び殺人事件では、少年法或いは通常刑法は適用せず、その危険性次第で任意の処罰を下して良い」
要するに、子供が能力で大きな事件を起こしたら、少年法での減刑とかも無く、どんな刑を下しても構わないという結構ヤバい法律だ。
法律に詳しい訳ではないけど、子供心にもこの法律が歪んだ事情の下に存在している事くらいは理解できた。
そんな法律が生まれたのも理由あっての事。
僕の両親がまだ小さかった頃、「ラッチフォード殺戮事件」という1人の少年による大規模能力犯罪が起こった。
能力の暴走によって殺人の罪に問われた子供が居て、当時は少年法を適用して減刑処分が下された。しかしその数年後、その子が能力を意図的に悪用してさらなる大殺戮を引き起こした……という事件だ。
犠牲者の数は3桁にも登り、個人が起こした犯罪では前代未聞の「人道的災害」として今でも語り継がれている。つい最近も、この事件をテーマにした映画が制作されたはずだ。
新聞記事の中ではラッチフォード殺戮事件の遺族を自称する見慣れた顔が、例のごとく特別法を擁護する見解を訴えていた。
「貴方の身近な大切な人、罪のない人々を守るためにも、このような殺人鬼の卵を残してはなりません!」
ため息を吐いた。
「罪のない人間を追い詰めてるのは、一体どっちだって話だよ……」
当事者の言う事に全く耳を傾けないで、死刑を扇動するあんたの方がよっぽど凶悪な殺人鬼でしょうが……
そんな声を聞いてくれる人も、もう居ないけどさ。
新聞を放り投げて仰向けに寝転ぶ。無力感と虚しさで涙が出そうになった。
でも泣くのは癪だから唇を噛んでこらえた。
今の僕は、死を待つばかりの身だ。
* * *
それからまた数日が経った。 どうやら新聞が予言した通り、僕の処分の裁定は難航しているらしく、取り調べで聞かれることも代わり映えしなくなっていった。
何度も訊かれる同じ質問、何度も座らされる冷たい椅子、何度も聞く看守の怒鳴り声、罵声、沈黙……絶望の果ての、虚無。
僕の心はもう無事じゃ済まなかった。心は壊れそうになっていた、いや……もうこの時には壊れてしまったのかもしれない。
そしてある日。
「3番、さっさと支度しろ」
「今日はどこに……行くんですか」
看守の一人が着替えを持ってきた。その後ろには物々しい銃器を構えた兵士が続いている。
看守は質問に対して「聞いてどうするんだよ」とでも言いたげに顔をしかめたが、一応答えてくれた。
「とんでもない犯罪を起こしておきながら無実を主張してるクレイジーな野郎の話を、どうやらお偉いさんが聞きたいそうでな。だからお前は首都まで移送される事になった」
代わり映えのしない灰色の薄い古着を着る。袖を通そうとしたがまた金属製の腕輪が引っかかり、もどかしさも一緒に振り解いた。
看守と兵士数名に連れられて、足の重い拘束具を引き摺りながら留置所の廊下を歩く。やがて幾日ぶりかの地上一階に登り、幾日ぶりかの太陽に相見えた。
「……眩しっ」
「ほら、グズグズするな。さっさと歩け」
背中を銃口でつつかれながら、護送車までの道を急かされる。
冬の訪れを告げる様な一陣の風が頬を掠めた。不意に頬を裂いたあの刃物の冷たさを思い出した。
護送車の中には空調が無く、網状の窓から寒風が好き放題に吹き込んで来ていた。
身体を縮めて我慢しようにも、腕輪と椅子が鎖で繋ぎ止められているのが邪魔だ。仕方なくそのままでいた。
それから何時間が経っただろうか。
連日の栄養不足のせいか、耐え難い空腹に苦しんでいた所、ようやく目的地に着いたようだ。
鎖が外され、また小銃に急かされながら護送車を降りると、もうそこには太陽は見えず、空はどんよりと鈍色をした雲に覆われていた。
こんこんと雪が降っている。その一つが僕の手の甲に落ちて、溶けて消えた。




