六条桜2
季節は目まぐるしく過ぎてゆく。
桜子は裳着を済ませ、大人の女性へと成長した。
それと共に、桜子への恋文が増えたのを信春は知っていた。
桜子は信春の妻になる女性だ。
だからそのことを信春は苦々しく思っていた。
大人になっても桜子は、信春に顔を隠すことはしなかった。
昔のように抱きつき、甘える。
そんな桜子を愛おしいと思う。
誰にも渡したくないと思う。
「六条の桜の森を知っているかい?
とても桜が綺麗だというよ」
そんな信春を見て、殿上してから知り合った夏野が言った。
「六条の桜?」
「京の外れにある桜の森のことだよ。
美しい桜が咲くのだそうだ。
愛しい姫君を連れて見に行くと想いが届くという」
そう言うと夏野は面白そうに笑った。
「お前も行ってみるといいさ」
「どうしてそんなことを言うのだ?」
「誰かを想って悩んでいるのだろう?
顔に書いてある。
悩むくらいなら行動を起こせよ」
夏野の言葉に信春は苦笑した。
「そうだな、誘ってみよう」
ちょうど桜の綺麗な季節が巡って来る。
綺麗な桜の下で自分の想いを告げるのも良い。
「ありがとう、夏野」
信春はゆっくり微笑んで友人に礼を言った。
「なんの。宮中一の色男を悩ませる程の美女に興味があるだけさ」
「…桜子には会わせないぞ」
むっとした信春を見て、夏野は笑った。
「お前がそんな顔をするなんてな!
いやぁ、桜子殿は偉大だ」
信春に現を抜かしている女房達に見せてやりたい。
夏野はそう思ってまた笑った。
「六条の桜が…」
「六条の桜とは何?」
桜子はおしゃべりをしている女房たちに聞いた。
「桜子様!」
驚いた彼女らは、お互いを見合い、言うかどうか迷った。
「教えてちょうだい」
桜子がそう言うと観念したように、一人の女房が口を開いた。
「六条に桜の森があるのです。
その森に好きな人と一緒にいくと想いが通じる、と言われています。
ちょうど桜が咲き始めた、という話をしていたところだったのです」
六条の桜の森。
きっと美しいのだろう。
「お気をつけなさいませ、桜子様。
どこぞの輩が誘ってくるかもしれません」
萩が桜子を気遣うように、後ろに立っていた。
「平気よ。誰の誘いにも乗らないわ。
お兄様以外は」
桜子は憮然と答えた。
最近、公達から手紙が届くようになった。
信春はそれを知っているのだろうか?
桜子は信春の妻になることを願っているというのに。
だから手紙は迷惑でしかなかった。
それから数日後だった。
宮中から戻ってきた信春が桜子言った。
「桜子、一緒に六条の桜を見に行かないか?」
桜子は息が止まるかと思った。
まさか本当に信春が誘ってくれるとは、思ってもいなかった。
「ええ、行きたいわ。お兄様。
連れて行って!」
御簾の内側で桜子が身じろぎする音が聞こえた。
そう言うと桜子は御簾から顔を覗かせた。
嬉しそうに笑っている。
その姿を愛おしいと思った。
信春は桜子に手を差し伸べた。
薄紅色の桜子の小さな指先が、信春の手に乗る。
二人は見つめあい、微笑んだ。
六条の桜の森は京の少し外れにある。
かつて六条と呼ばれた少将が愛する人のために、そこに屋敷を建て桜を植えたという。
今は屋敷の跡すらも存在せず、ただ桜の森が広がるばかりだった。
桜の森は満開だった。
薄紅色の桜が今を盛りと咲き誇っていた。
二人はその桜並木を歩いた。
「お兄様、綺麗ね」
信春を振り返って桜子が笑う。
その顔を信春は眩しそうに見た。
「ああ、綺麗だ」
桜子が。
本当に美しくなった。
「桜子」
名前を呼ぶと桜子は首を傾げて信春を見た。
「どうしたの、お兄様?」
愛おしい。
その思いが溢れてきて、どうしようもなく、桜子を抱きしめた。
始めは驚いた桜子も、やがて信春に身を任せた。
「お兄様、最近公達から手紙がよく来るのです」
「ああ」
知っている。だから桜子を独り占めしたかった。
「桜子はお兄様以外の妻になるのは嫌です」
そう言って桜子は信春を見上げた。
そっと頬に手を伸ばす。
信春は桜子の手を握り締めた。
目を閉じて静かに告げる。
「私も桜子以外の女性を妻にするのは嫌だ」
ずっと、守ってきた。
愛しんできた。
桜子は緩やかに微笑んだ。
「お兄様、大好きよ」
「桜子、私も愛しているよ」
そうして信春は桜子を抱き上げた。
降りしきる桜が美しかった。
「来年も、再来年もずっと一緒に桜を見に来よう」
「はい、お兄様」
桜子が信春の肩に顔を埋めた。
信春は空を見上げた。
視界は全てが桜だった。
桜が風に吹かれ散っていた。
それはとても美しい光景だった。




