恋紅葉
「それでは、いってまいります」
萩は主人である桜子に頭を下げた。
「ゆっくりしてきて。こっちのことは気にしなくていいから」
ね?と桜子は小首をかしげた。
1 その姿はとても愛らしかった。
「ありがとうございます」
萩は微笑んで礼を言った。
いってらっしゃい、と桜子は手を振った。
萩が向かった先は実家だ。
実家には母が一人と召使が数人住んでいた。
昨日、病気で臥せっていた母が亡くなった。
萩は母に別れを告げるため、実家へと帰ってきた。
小さなこの屋敷は、紅葉が沢山植えられている。
母が好きで、父が植えたのだ。
今この屋敷は、紅葉で赤く染まっている。
母はこの景色を見たのだろうか?
萩は縁側に立ち、庭を眺めた。
とても美しいこの景色を心に刻んで、そうして死んでいったのならいい、そう思った。
赤い絨毯のような庭に、不自然なものがあることに、萩は気付いた。
うつぶせになって倒れている男。
とっさに、萩は庭に下りた。
そうして男に近寄る。
あちこちに傷があるようだが、死んではいないようだ。
萩は男を揺さぶった。
このままでは屋敷に運ぶことが出来ない。
出来れば起きて、歩いて欲しかった。
「ん…」
男の意識が戻ったようだった。
男は起き上がり、痛みのためか眉をひそめた。
「ここは…?」
「ここは私の屋敷よ。
あなたはここで倒れていたの。大丈夫?」
大丈夫ではない、と男は言った。
萩はため息をついて男に手を差し伸べた。
「手当てをするわ。いらっしゃい」
男の大きな手が、萩の手をつかんだ。
男は紅葉と名を名乗った。
母が好きそうな名前だ、と萩は思った。
「急に知らない男たちに襲われた。
逃げるのが精一杯だった。
逃げて、隠れて、気付いたら君がいた」
紅葉はそう言って笑った。
萩は呆れた。
「知らない男に襲われた?
原因は知っているのではなくて?」
まったく、ありえない話だと萩は思った。
こんな男早く追い出してやる。
思わず手当てが雑になる。
「痛い!もっと優しくしてくれ!」
紅葉が涙目で訴えた。
本当に痛いようだ。
「…ごめんなさいね」
萩は少し優しく手当てをすることにした。
「それより、この屋敷静かだね。
他に人はいないの?」
紅葉は辺りをきょろきょろ見渡しながら言った。
「残念なことに、ここには私一人しかいないの。
だから私が手当てをしているのよ?
もう、どうしたらこんなに酷い怪我になるのかしら?」
「だから言っただろう?急に襲われたって。
とっさに避けたから、これくらいで済んだんだよ。
もう少し遅かったらヤバかったな」
紅葉は何でもないことのように話した。
「…怪我が治るまでなら、ここにいてもいいわ。
ただし、贅沢は出来ないわよ」
紅葉の着ている服は絹だった。
いいところの坊ちゃん。
萩はそう予想した。
「いいの?助かるよ。
しばらくは動けそうもないし」
紅葉はひねった左足を見て苦笑した。
きっと明日には腫れるだろう。
萩はそっと左足に薬を塗った。
「ありがとう、萩」
お礼の言葉に、萩は首を横に振った。
そうして不思議な同居生活が始まった。
やはり、紅葉はお坊ちゃまで、萩が細かな世話をするしかなかった。
侍女だから慣れているけれど。
萩は苦笑した。
紅葉の怪我はあまりたいしたことはなかった。
左足以外は。
だが、数日でその腫れもひくのだろう。
その怪我が治ったら、この屋敷を出て戻ろうと萩は考えていた。
「紅葉が綺麗だね」
紅葉が庭を見ながら呟いた。
「ええ、綺麗ね。
亡くなった母が好きだったのよ。
庭に散る紅葉が美しいって」
萩は舞い落ちる紅葉を眺めた。
「お母さんはいつ?」
「この前よ。だからここに戻ってきたの」
「…ごめん」
いいのよ、と萩は微笑んだ。
「正直、助かったわ。
きっと一人でここにいたら泣いてばかりいた。
悲しみから抜け出せずに、ずっとここに留まっていたわ」
「萩」
紅葉が萩を手招きした。
そうして近寄った萩を抱き寄せ、優しく呟いた。
「泣いていいよ。
悲しいときは泣くものだ。
そうしないと心に悲しみがずっと残ってしまうからね。
大丈夫、見なかったことにしてあげるから」
そのあまりにも優しい声に思わず涙がこぼれた。
「…最後くらい傍にいてあげたかった」
うん、と紅葉は頷いた。
「もっと頻繁に帰ってくれば良かった」
うん、と紅葉は背中を撫でてくれた。
「寂しい思いをさせた…!」
「大丈夫。ちゃんと分かっているよ。
気持ちは届いている。
ほら、庭には萩の花もあるだろう?
きっとこの花を見て、君を思っていたはずだ」
本当だろうか?
「そうだよ」
紅葉はそう言うとぎゅっと萩を抱きしめた。
次の日には、紅葉の足の腫れがひいていた。
若いからだろうか、回復が早い。
「ありがとう。助かったよ」
紅葉は笑って言った。
怪我が治って良かった。
でも、少し寂しかった。
きっと、これで永遠にお別れ。
もう会うことはないのだ。
母の死を優しく慰めてくれた人。
「また、会えるよ」
萩の心を見透かしたように、紅葉は言った。
「そうね」
萩は微笑んだ。
何度も何度も振り返り、手を振って、紅葉は帰って行った。
その姿が見えなくなっても動けずに、ただ立ちすくんでいた。
ひらひらと、舞い落ちる紅葉。
その赤い紅葉を一枚手に取り、萩は微笑んだ。
また、会えるよ。そう言ってくれた。
だから、それを夢見て生きていこう。
萩はそっと紅葉を懐に入れた。
そうして顔を上げる。
私も帰らなくては。桜子様が待っている。
きっと心配しているだろう。
だから、早く帰らなければ。
そうしていつも通りの日常を送るのだ。




