第5話 いなくなった人
派手に退職願を叩きつけるようなことはしない。私は静かに消えていった。
アグネスの退職祝いのパーティはにぎやかだった。
みんなが心から、アグネスの退職を残念がり、しかし、その将来は明るいので祝福した。
アグネスは元々王妃様関係の部署で働いていたが、名門伯爵家との結婚が具体的に決まったので、きりがいいところまで余裕のある部署へということで、私の部署に異動になったのだ。さすがにアグネスに対する配慮は行き届いていた。
「王妃様の侍女は、高位の令嬢でないと務まらないので、アグネス嬢が選ばれた」
ボイル部長が三人の部下の女官たちに説明している。
「ご結婚が決まったなら、お辞めになってもよかったのではないですか?」
「そうそう。でも、王宮に二年以上務めると、勲章がもらえるからね」
訳知り顔にボイル部長がマリリンに説明していた。
「勲章ですか?」
「そう。名誉の勲章。王妃様の身辺にお仕えした事実は一生消えないよ」
「へえ。どんな勲章ですか?」
「勲章というか、金とエナメルのバッジだね。夜会へ行くと、老貴族のご婦人などがよく付けている。金だけでも売れるから、退職祝いというか、そう言う意味もある。もっとも、アグネス嬢にとってはただの記念だと思うけど、それでも王家に貢献したと言う意味では、立派なものだ」
私も持っている。バッジは二年、五年、十年、その後、十年ごとにもらえるらしい。名誉の印だ
王宮で働き続けることは難しい。例えば、私もそうだ。
「今までありがとう! そして、おめでとう!」
晴れやかな笑顔でアグネスは去って行った。
「あなたのことが心配だけど」
「大丈夫よ。これまで、本当にありがとう」
私の代わりに怒ってくれてありがとう、アグネス。
パーティは華やかで、みんなは程よく食べて飲んで、楽しく帰って行った。明日、彼らは、私が出てこないので、びっくりするだろうけど、まあ、それは仕方ないよね。
*****
「なんだ! ロビア上席は、二日酔いか! だらしないな!」
翌朝、誰もいない上席の机に向かって、ボイル部長は怒鳴った。
「アグネス様と仲が良かったから、自分と比べて卑屈になったんじゃないかしら。spそれとも飲み過ぎですかね?」
「これまで、伯爵夫人になるようなアグネス嬢が、肩入れしていたから、大目に見てやっていたんだ。これからビシバシ鍛えてやろうと思っていたんだ」
ボイル部長が残念そうに言った。やはり、三人の若い女官の前では、自分がどんなに偉いのか、権力を見せつける必要がある。ロビア上席は格好の的だった。
「さすが、部長。おっしゃる通りですわ」
マリリンは目を輝かせて言ったが、残りの二人はちょっと不安げに目を伏せた。
よく考えたら、仕事のほとんどをロビア上席がやっていたような気がする。
アグネス様もよく手伝っていた。
自分たちも最初はいろいろ教えてもらったけど、途中からマリリンが、こんなにたくさんどうして自分たちがしなくちゃいけないのかしらと怒り出した。
確かに要領がよくわからないので、確認しながらの作業だった。面倒だった。それに、必ずチェックするよう言われた。間違っていると叱られた。
「間違いたくて間違っているんじゃいないわ。わざとではないのに、どうして、うるさいのかしら。間違いを見つけたら、見つけた人が直せばいいだけじゃない? その方が早いと思うわ。いちいち言ってくるだなんて、性格悪いのよね、あのロビア上席って言う人!」
それからどうなったっけ? まあ、仕事は減りはしなかったが、増えもしなかった。
間違いの件は、ボイル部長が文句を言ってくれたので、ロビア上席が直してくれているようだった。
「間違えた人に差し戻しだなんて、非効率よ。時間の無駄よ」
マリリンは豊かな巻き毛を振って、いかにも当然と言った様子だった。
でも、同期の女官で他部署の人にその話をしたら、微妙な顔をされてしまった。
「でもね、間違いを教えてもらわないと、どこを間違えたのかわからないわ」
「でも、いちいち指摘してくるのよ。嫌がらせじゃない?」
「まあ、嫌がらせで言ってくる人もいるけど。私の上司は、怒らないわ。今度からここに気を付けるといいよって。そうやって仕事は覚えるものよって」
「きっとロビア上席は、ヒステリックな人なのね。気持ちが先立つ人もいるもんね」
慰めてもらったけど、ちょっと不安になった。ロビア上席は怒るような人じゃない。
今度から、間違いは教えてもらうことにしよう。
だけど、ロビア上席は、そのあと出勤してこなかった。




