第九話 帳簿に載らない金
倉庫は地獄になっていた。
怒号。
悲鳴。
剣戟。
飛び散る血。
中央諸国連盟の兵士たちが、取引相手だったはずの商人を次々と斬り殺していく。
「証拠を燃やせ!!」
「生き残らせるな!」
完全に口封じだ。
「ちっ……!」
俺は崩れた木箱の陰へ飛び込む。
その頭上を矢が掠めた。
「財務顧問殿!」
ベルクが叫ぶ。
「伏せてください!」
次の瞬間。
轟音。
魔王だった。
黒い外套の男が、一歩踏み出す。
それだけで空気が歪む。
「邪魔だ」
低い声。
直後。
前列の兵士たちがまとめて吹き飛んだ。
「がっ――!?」
「壁に……!」
倉庫の壁へ叩きつけられ、鎧ごと潰れる。
いやもう魔法とかじゃない。
災害だ。
「……だから潜入向いてないって言ったんですよ」
「効率的だろう」
「全部壊れている時点で効率悪いです!」
完全に正体隠す気なくなっているし。
だが、そのとき。
「魔族だと!?」
敵兵の一人が叫んだ。
「まさか、魔王軍が――」
言い終わる前に、ベルクが短剣を投げた。
喉を正確に貫く。
「騒がれると困ります」
血を払うベルク。
動きに一切迷いがない。
「……慣れていますね」
「商人ですから」
いやその説明で済む?
絶対済まないだろ。
◆
戦闘は数分で終わった。
というか、ほぼ魔王が終わらせた。
倉庫内には、転がる死体。
沈黙。
そして焦げ臭い匂い。
「加減してくださいよ……」
「死んでおらん者もいる」
「床が溶けています」
魔王は気にした様子もない。
むしろ興味は別に向いていた。
「で?」
赤い瞳がベルクを見る。
「“上”とは何だ」
空気が変わる。
今まで余裕を崩さなかったベルクが、初めて少しだけ黙った。
「答えろ」
「……経済同盟です」
「何?」
聞き慣れない言葉だった。
「正式名称は、“大陸商業協約機構”」
ベルクは静かに言う。
「国家を跨ぐ巨大商人連合です」
嫌な予感しかしない。
「人間国家も?」
「加盟しています」
「魔王領も?」
「ええ」
思わず頭を抱えたくなった。
つまり。
「敵味方関係なく、裏で繋がっているのか……?」
「戦争は不安定ですから」
ベルクは淡々としていた。
「だから市場側は、“最低限の秩序”を維持する」
「そのために兵糧を融通している?」
「戦争が急に終わると困るので」
最低だ。
でも合理的すぎる。
魔王軍が勝ちすぎてもダメ。
人間側が滅びてもダメ。
だから裏でバランスを取る。
「……帳簿に載らない金か」
俺は呟いた。
表向きの国家予算。
税収。
軍費。
そんなものより遥かに巨大な資金が、水面下で動いている。
「はい」
ベルクは頷く。
「国家は“表”。市場が“裏”です」
その瞬間。
魔王が笑った。
「面白い」
いや全然面白くない。
「余の知らぬところで、余の戦争が管理されていたとは」
声は笑っている。
でも目は笑ってない。
かなり危険なやつだこれ。
「怒らないんですか?」
俺が聞くと、魔王は鼻で笑った。
「怒ってどうする」
「いや普通怒りますよ」
「感情で金は動かん」
……この人、本当に王様向きなんだよな。
脳筋に見えて、現実を理解している。
「問題は」
魔王の視線が細まる。
「誰が頂点にいるかだ」
ベルクが沈黙する。
数秒。
やがて、ゆっくり口を開いた。
「“十三商会”です」
「十三?」
「協約機構を実質支配する十三の巨大商会」
港湾。
通貨。
輸送。
保険。
傭兵。
奴隷。
穀物。
鉄鋼。
あらゆる市場を分担しているらしい。
「つまり世界経済そのものか」
「ええ」
ベルクは頷く。
「国家が戦争している間に、彼らは世界を繋げていった」
背筋が寒くなる。
それ、もう国家より強いじゃないか。
「で、お前は?」
魔王が聞く。
「その末端か」
「地方代理人ですね」
ベルクは苦笑した。
「南部港程度では、幹部にもなれません」
あれだけ巨大な商会で?
どれだけ化け物組織なんだ。
「なるほど」
魔王は静かに言った。
「なら潰すか」
「待ってください」
俺は即座に止めた。
「絶対ダメです」
「なぜだ」
「今この組織潰したら、物流全部止まります」
それこそ世界恐慌だ。
食料も止まる。
市場も死ぬ。
国家が崩壊する。
「まず代替を作る必要があります」
「代替?」
「市場です」
俺は言った。
「今の世界、“あいつらしか物流を回せない”のが問題なんですよ」
独占。
それが最大の武器。
「つまり」
ベルクが目を細める。
「あなたは、“商会に依存しない経済圏”を作る気ですか?」
「はい」
気づけば、自然に口が動いていた。
「国家でも市場でもない」
「もっと大きな流通網を作る」
沈黙。
そして。
ベルクが、初めて心底驚いた顔をした。
「……正気ですか?」
「たぶん」
「それができれば」
ベルクは呟く。
「本当に世界が変わる」
その瞬間だった。
倉庫の奥。
燃えかけた帳簿の山から、一枚の紙が落ちる。
そこに描かれていたのは――
魔法陣だった。
「……これは?」
嫌な予感がした。
経済組織の帳簿に、なぜ魔法陣がある?




