第十四話 市場を壊すのはいつも恐怖だ
「麦が消えるぞ!!」
その噂が流れたのは、昼前だった。
そして夕方には、市場から本当に麦が消えていた。
「……またか」
俺は頭を抱えた。
西市場。
昨日まで積まれていた麦袋が、綺麗さっぱり消えている。
代わりにあるのは、人、人、人。
「買えなかった!」
「隠してるんだろ!?」
「出せ!!」
怒号が飛び交う。
完全にパニックだ。
「今回は何が原因だ?」
隣で魔王が聞く。
「デマですね」
「デマ?」
「“北部で大飢饉が起きる”って噂です」
実際には、そこまで深刻じゃない。
多少不作なだけ。
だが問題は、“皆が信じた”ことだ。
「人は、“なくなる”と思った瞬間に買い占める」
「結果、本当になくなるのか」
「はい」
市場は感情で動く。
特に恐怖は速い。
「しかも今回は誰かが意図的に流してます」
噂の広がり方が早すぎる。
酒場。
行商人。
市場仲買。
全部同時。
「十三商会か?」
「たぶん」
供給不安を煽れば価格が跳ねる。
そして高値で売り抜ける。
典型的な市場操作だ。
「で、どうする?」
「逆をやります」
最近こればっかだな。
◆
一時間後。
城下中央広場。
俺は臨時演壇の上に立っていた。
目の前には、不安げな民衆。
「聞いてください!」
ざわめきが止まる。
「まず最初に言います」
俺は大声で言った。
「麦は足りています!」
人々がざわつく。
「嘘だ!」
「市場から消えてるじゃねぇか!」
「買えなかったぞ!」
「はい、消えてます」
俺は即答した。
「でもそれ、“皆さんが買いすぎたから”です」
沈黙。
「北部不作は事実です。でも備蓄量は十分あります」
俺は数字を書いた板を掲げる。
総備蓄量。
現在流通量。
輸送予定。
全部。
「……何だこれ」
「数字?」
「公開してるのか?」
この世界では珍しい。
国家が情報を出すの。
「隠すから不安になるんです」
俺は言った。
「だから見せます」
前世でも同じだった。
情報がないと、人は最悪を想像する。
「あと」
俺は続ける。
「本日より、“一人あたり購入制限”をかけます」
ざわっ、と空気が揺れる。
「制限!?」
「ふざけんな!」
「自由に買わせろ!」
「いや、全員が買い占めたら終わるので」
当然の話だ。
「家族人数分までは保証します」
「……保証?」
「はい。絶対に配給切れしません」
その瞬間。
空気が少し変わった。
不安が、少しだけ和らぐ。
人は“確保できる”と分かると落ち着く。
「さらに」
俺は次の札を掲げた。
『価格上限設定』
市場がどよめく。
「値段固定だと!?」
「暴利は禁止します」
商人たちの顔色が変わる。
「待て!」
「そんなことしたら誰も売らなくなる!」
「赤字になるぞ!」
当然の反応だ。
価格統制は危険。
下手すると供給が死ぬ。
「だから補助出します」
「……は?」
「輸送費の一部を魔王軍が負担します」
沈黙。
「つまり」
俺は言った。
「利益は確保しつつ、価格暴騰だけ抑える」
完全固定じゃない。
調整。
そこが重要だ。
「……なるほど」
後ろから声。
ベルクだった。
「価格統制ではなく、“市場誘導”ですか」
「そっちの方が壊れにくいので」
ベルクが笑う。
だが今回は少し苦そうだった。
「本当に、既存の経済学を全部壊しますね」
「壊れてる部分を直してるだけですよ」
「それを“壊す”と言うんです」
そのとき。
広場の後方で怒鳴り声が上がった。
「こいつだ!!」
振り向く。
男が引きずり出されていた。
痩せた行商人。
「噂流してたの!」
「金貨もらってたぞ!」
ざわめき。
行商人は青ざめていた。
「ち、違う……!」
「誰に頼まれた?」
俺が聞くと、男は震えながら答えた。
「し、知らねぇ……黒いローブの奴が……」
ベルクが小さく舌打ちした。
珍しい。
「末端切りですか」
「十三商会?」
「たぶん」
つまり。
市場操作は、もっと大規模に行われている。
「……厄介ですね」
俺が呟くと、ベルクは静かに頷いた。
「ええ」
その細い目が、広場の群衆を見る。
「市場は、金だけでは動きません」
「何で動くんです?」
ベルクは答えた。
「感情ですよ」
ぞくり、とした。
そうだ。
恐怖。
欲望。
期待。
不安。
結局、人間が市場を作っている。
「だから怖いんです」
ベルクの声は静かだった。
「感情を操れる者は、市場を支配できる」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の中で、何かが繋がった。
物流。
通貨。
信用。
そして情報。
全部繋がっている。
「……新聞が必要だな」
「は?」
ベルクが固まる。
「情報を、こっちから流す必要がある」
「待ってください」
ベルクが本気で嫌そうな顔をした。
「また何か始める気ですか?」
「はい」
俺は笑った。
「今度は、“情報市場”を作ります」




