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 母に親しい令嬢ができたと聞いた時、ゼクロムは珍しいと感じた。

 母は他者に対して慈しみを持って接するが、一定の距離を保つ性質がある。特に若い令嬢と急速に親しくなることは、これまで一度もなかった。


 五年前の戦争で父が戦死して以来、母は公爵家で一人暮らしを続けている。ゼクロムが実家に戻らないのは、母の負担を避けるためだ。ゼクロムは父と容姿が酷似しており、母がそれを見るたびに何を思うかを考えると、戻ることができなかった。

『ゼクロム、あなたは父上に本当によく似ているわ。あなたを見ていると、あの人に会えた気がして嬉しい』

 その言葉が本心のすべてではないことも、ゼクロムには分かっていた。だから距離を置いた。それでも、母を一人にして心配がないわけではなく、使用人を通じて様子を確認し、贈り物を届けている。


 そんな母が、数週間で一人の令嬢と急速に親しくなり、屋敷に招くほどの関係になった。

 相手はハーヴェスト男爵家の養女、エマ・ハーヴェスト。男爵家は急速に財を築いた成金として評判が悪い。ゼクロムも例外ではなく、警戒対象として認識していた。成金の家にありがちな虚飾、権力志向、婚姻による地位上昇の企図。その養女であるエマも同様の性質を持つと推測していた。

 母に接近する理由としては、公爵家当主への婚姻を狙った行動が最も合理的だ。ゼクロムはこれまで、同じ目的を持つ令嬢たちを冷たく突き放してきた。今回も同じだと考えていた。


 だが、初めてサロンで彼女を見た時、その印象はあっさり覆された。裕福な家の娘とは思えないほど、飾り気がない。身につけているものは上質だが控えめで、宝石も最低限。化粧も薄く、派手さは一切ない。

 おまけに、立ち居振る舞いも落ち着いている。客に対して過度な愛想を振りまくこともなく、かといって無礼でもない。必要な言葉だけを選び、簡潔に応対している。態度に無駄がなく、感情の起伏も小さい。


 ただ、時折見せる表情が妙に素直だった。驚けば目を丸くし、困れば眉を下げ、嬉しければ頬が緩む。隠そうとして隠しきれない、そんな表情だった。

 ゼクロムは職業柄、人の嘘や虚勢を見抜くことに慣れている。だが、エマにはそれがほとんど見られなかった。


(……これが、あの男爵家の令嬢か)


 さらに、サロンの運営方法にも特異な点がある。

 貴族が多く訪れる店でありながら、価格設定は高価ではなく、平民でも支払える範囲に抑えられている。利益を最優先にする商売としては不自然だ。

 また、閉店後、店先で平民と思われる市民に菓子や茶を振る舞っている姿を数度確認した。貴族向けの店としては異例の行動であり、階級意識の希薄さが見て取れる。

 確かなことは、彼女が身分に関係なく同じ態度で接しているということだ。


(……あの男爵家の娘が、なぜここまで質素で、なぜ平民にまで気を配る?養女であることを気にしているのか?)


 総合すると、エマ・ハーヴェストは成金の娘という一般的な評価とは一致しない。


(…それに、俺に対して媚を売るどころか気にかける様子もない。俺の見当違いか?…いや、未亡人の公爵夫人に接近するなんて普通の令嬢はしない。それに、サロンに出ている珍しい菓子……もしや…)


 男爵家の不自然な繁栄、サロンの異国文化の導入、母への接近。警戒すべき要素は依然としてある。

 しかしゼクロムは、母が彼女と親しくなる理由が少しだけ理解できる気がした。



 ーーーー



 ゼクロム・リリーバードの朝は早い。早朝にランニングと筋力訓練を隔日で行う。汗を流し、簡素な朝食を自炊して済ませても、まだ外は薄暗い。

 寮の食堂はこの時間には開いていない。だが、ゼクロムは不満を抱かない。自分のことは自分でやる。それが彼の生き方だった。

 朝礼までの時間は、公爵家当主としての書類仕事に充てる。午前は訓練、午後は会議や領地運営。一日が終わる頃には、身体も頭も限界に近づく。

 それでも、ゼクロムは手を抜かない。父の死後、家を支えるのは自分しかいないという自負があるからだ。

 

 朝日が昇り、騎士たちが訓練場に現れ出す。ゼクロムは特別に与えられた小さな執務室で書類仕事をしていた。そんな彼に、団長が声をかけた。


「ゼクロム、最近サロンに足繁く通っているそうだな」


 ゼクロムは手を止め、立ち上がって姿勢を正す。


「監視のためです。サロンには珍しい菓子が多いので、少し調べております。男爵家の動きが怪しいと、以前から報告がありましたので」

「……そうか。俺も以前から気になっていたんだ。サロンはお前に任せるぞ。ハーヴェスト商会は、こちらで調べることにしよう」


 団長は、ゼクロムの亡き父と親しかった。そのため、ゼクロムが騎士団に入団した時から、よく気にかけてくれた。上官と一騎士の関係になって、気さくさは薄れたが、今でもこうして時折話しかけてくれる。


 ゼクロムは折のいいところで手を止め、訓練場に行く。すると、親しい騎士たちからも、同じ質問が飛んできた。


「ゼクロムさぁ、あのサロン、相当気に入ってるんじゃないのか?」

「お前が女の店に通うなんて珍しいぞ」

「スフィンなんか毎回浮かれてるしな」


 ゼクロムは眉一つ動かさず返す。


「任務だ」

「はいはい、任務ね〜」

「スフィンは任務じゃなくて金目当てだろ」

「スフィンの家、没落寸前らしいな」


 ひそひそと、仲間内だけの会話が続く。スフィンの家、ケンブル侯爵家の金銭問題は、騎士団内では周知の事実だった。

 問題は、金銭面だけではない。女性関係も派手で、泣かせた女は数知れず。それでも、仲間たちは彼を見捨てない。いつか痛い目を見ると分かっていても、放っておけないのだ。

 ゼクロムはそんな仲間たちを横目に、淡々と装備を整える。

 そこに、衣服と髪型の乱れたスフィンが慌てた様子で入ってきた。


「あぶね〜!!訓練遅れるところだった〜!!」

「いや、遅れてるぞ。お前昨日も寮に帰って来なかっただろ」

「今日も朝帰りかよ、お前そろそろ怒られるぞ。昨日は誰とお楽しみだったんだ〜?」


 スフィンが訓練に遅刻するのは珍しいことではない。侯爵家への仕送りのために貴族の夫人や令嬢に身体を使って融資を依頼しているという噂が流れるほどだ。その噂を知って、本人は笑って否定していたけど、仲間は追及こそしないが事実だろうと踏んでいた。


「真面目に取り組め。訓練も大事な職務だ、分かってるだろ、スフィン」


 ゼクロムが厳しい口調で言う。スフィンは忙しなく動いていたシャツのボタンを外すの手を止めて、彼を見上げる。


「……分かってるよ。」


 スフィンは少し悔しそうな表情を見せた。常に軽快な彼には珍しい。彼は着替えの手を再開させる。先ほどよりやや乱暴な動作で、シャツを脱ぎ訓練着に袖を通した。


「……お前には、俺の気持ちなんて、わかんねぇよ…」

「おい、どういう意味だ」


 小声でつぶやいたスフィンは、逃げるように朝礼の列に入った。話の続きをするには、時間がない。朝礼に参加するため、ゼクロムは彼の後ろを追いかけた。




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