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エマはあれから、リリーバード夫人について調べた。
レイ・リリーバード公爵夫人、年齢は45歳。五年前に配偶者を戦争で亡くされている。子供は息子が一人、近衛騎士として王都で暮らしている。息子は騎士の傍らで公爵家の仕事をしており、夫人はその働きを支援しているそうだ。
(なんて自立した女性なんだろう。沢山苦労もされてるはずなのに、悲壮感は微塵も感じなかった。)
エマはリリーバード夫人と親しくなりたいと、素直に思った。それは、二回の人生の中で初めて生まれた感情だった。
夫人は、エマにとって理想の女性だった。外見の美しさはもちろんだが、穏やかで聡明で、何かに依存せず自立している。
エマは夫人と親交を深めるために、サロンで夫人方のお茶会を開いて招待したり、新作の感想を聞きたいと理由を作っては夫人をサロンに誘った。
その甲斐あってか、夫人から自宅のお茶会に招待された時、エマは喜びの余り思わずガッツポーズするところだった。
その日は、午後からリリーバード夫人宅に招待されていたため、サロンは13時閉店と告知していた。
午前11時に、貸し切りで予約が入っていた団体客が現れる。
「ようこそ、いらっしゃいました。」
「また来たよ〜、エマちゃん〜」
近頃よく訪れる、男性五人の団体客。女性ばかりが集まるサロンでは珍しい男性だけのお客様だ。
鍛え上げられた体躯。聞けば全員、近衛騎士であるという。
(改めて見ても大きいな、やっぱり少し怖い。)
初めて来店したときの圧迫感を、エマは思い出す。前世でも今世でも、ここまで体格差のある男性に囲まれたことはなかった。
エマは怯みながらも表情には出さないよう意識して、美丈夫たちを席へ案内する。
「エマちゃん、今日は午後から何するの?お店、午前だけなんだよね?」
「はい、少々用事がありまして、13時には閉店させていただきます。勝手な事情でご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「予定あるのか〜、残念!」
「スフィン、毎度絡むな。出禁にされるぞ」
彼らの中で、エマに絡んでくるのはスフィンという男だけだ。人懐こい笑顔の、いかにも女慣れした雰囲気の人。
「エマちゃんと俺は同い年で独身同士なんだから、話しても問題ないでしょ?」
エマもスフィンも24歳。この国では、20歳を超えれば大体の人は結婚している。24歳になっても、結婚はおろか恋人もいない人物は稀有だ。特に貴族ともなればその傾向は顕著である。婚活においては、前世の方が遥かに自由であっただろうと、エマは常々考える。
「結婚したくなったら、俺に言ってね」
スフィンは毎度、交際ではなく結婚の話を出す。
エマが曖昧に笑って返事を濁すと、彼の細い目が半月のように形を変えて彼女を捉えた。
彼のこの目を見る度、エマは詐欺師を思い浮べてしまう。どうにも胡散臭い。しかし、エマはスフィンが嫌いなわけではない。一度目の32歳の人生経験も踏まえれば、24歳なんて可愛い少年だ。
(若くて、格好良くて、騎士様で。大変モテるでしょうに、なんで私なんかに。)
王都での近衛騎士の人気は、王族に次ぐ。彼ら五人はいずれも見目は整っており、将来有望であるからひくて数多だろう。
エマは自身の容貌を、前世よりはマシと評価している。しかし同時に、この世界の美の基準は遥かに高いことも認識済みなので、総評して見た目はプラスどころかマイナスだと思っている。
加えてエマは男爵家、近衛騎士は貴族出身者で構成されるため、全員彼女よりも爵位は上だ。貿易業で成功し、金銭面では裕福であるが、近衛騎士という華々しい職業についている方々には関係ない話だろう。さらに言えば、エマは孤児で養子のため、血筋に問題アリだ。
つまり、彼らがエマに本気で交際や結婚を求む筈がない。同い年で身分の下の地味な女を揶揄っているのだ。
「君」と不意に、声が割り込んだ。
「十三時に閉めるのだろう。手際よくしなさい。時間の無駄だ」
顔を上げると、黒髪の美丈夫と目が合う。他の騎士たちとは一線を画す、鋭い眼差しに無駄のない声音。
「・・・申し訳ありません。すぐにご用意いたします」
エマは軽く頭を下げ、足早に厨房へ戻った。背後で、仲間たちが騒ぐ声が聞こえる。
「ゼクロム、お前は毎回その態度だな」
「俺のエマちゃんに優しくしろよ」
黒髪の男は、美形揃いの騎士の中でも一際輝きを放っている。顧客名簿には家名は記載なく、ゼクロムとだけ記してあった。
意思の強さが分かる瞳は男らしく、彫りの深い顔は彼を勇ましく見せている。彼が王宮を守っているならば、王族たちも安心して暮らせるに違いない。
「セリンのマカロンに、ココヒのアフォガードです。」
「おぉー!ココヒなんて珍しいな。」
「遠征の時にしか飲めないよな。苦いけど、それが良いんだよな。」
セリンは柑橘系の果実。ココヒはコーヒーとチャイを混ぜたような癖のある飲み物だ。ココヒは隣国が原産地でこの国ではあまり出回らない。エマの兄が貿易で取り扱っていなければ、彼女自身も飲むことはなかっただろう。ココヒは懐かしい味がして、エマは好きだった。
「・・・マカロン、アフォガード。聞き慣れない名だな」
ゼクロムの低く落ちた声がエマの背筋を冷やした。彼はエマから視線を逸らさずに続ける。
「それに、ココヒ。国内ではほとんど流通していないはずだ」
視線が鋭い。まるで、試されているようだ。前世の記憶のままに、今世では存在しない言葉を使ってしまったことを、エマは後悔した。
エマは一拍置いて、言葉を選ぶ。
「兄が貿易業を営んでおりまして。隣国の文献や料理書を読む機会が多いのです。こちらの菓子も、そこから学びました」
嘘ではない。
他の騎士たちは「へぇ」と気軽に流した。だが、ゼクロムの視線は、逸れなかった。
彼らはきっかり13時で退店した。居座ろうとするスフィンをゼクロムが引っ張っていく。エマは彼らの後ろ姿を見送りながら、そっと胸を撫で下ろした。
(私を監視するような鋭い視線だった。私、彼に何かしてしまったのかな)
エマはゼクロムとは数回しか面識がないが、実直な騎士様という印象を持っている。
彼が来店する度に、エマは冷たい態度を取られているが、彼の注意や忠告はその先を見据えて誰かのためになるものだ。
初めて来店した時にスフィンが騒げば、受け流しの下手なエマを注意しながらも、次回からは他の客のために貸し切りで予約してくれた。今日も予定通りに閉店できるように、スフィンとの会話を切ってくれたのだとエマは思っている。
閉店した後の、エマのルーティーンは変わらない。サロンのすぐ裏にある孤児院に、エマは両手に抱えるほどの食材を持って行った。
庭で遊ぶ10歳の女の子、ミリアにコソコソと麻袋に入れた食材を渡した。
「いつもありがとう。エマお姉ちゃん。」
「余物でごめんなさい。みんなたくさん食べてね」
サロンを開業する際にこの土地を選んだのは、エマが育った孤児院が近いからだった。
エマは運が良く男爵家夫婦が引き取ってくれたが、今も親がいない子はたくさんいる。一人が得られた幸せは、みんなで分け合うべきだ。だから、食材を多めに仕入れては毎日孤児院にお裾分けしている。
「あ、ママリさんいるけど呼ばなくていいよね?」
「うん。気を遣ってくれてありがとうね」
「気なんか使ってないよ!ママリさんがいたら、エマお姉ちゃんが怒られちゃうから嫌なの。毎日食べ物くれるだけでも有難いのに、ママリさんたら、『持ってくるならお金にしろ!』なんて言うんだもん」
「ひどいよね」とミリアは小声で言いながら、焼けた頬を膨らませてみせる。エマはそんなミリアが微笑ましく、ふふと笑った。
王都の一等地に、リリーバード公爵家の屋敷はある。サロンからは遠いので馬車に乗る。
エマは自分の口角が無意識に上がっていることに気が付かない。今日のお茶会のために、前日から菓子をせっせと準備して疲れていたのに、屋敷に着くまで睡魔は全く襲ってこなかった。
予定より早くリリーバード夫人の屋敷に着いてしまったエマを、夫人は快く迎え入れてくれた。
両手に菓子の入った袋を持つエマを見て、夫人は困った顔をする。
「あら、まあこんなに沢山。私たち二人で食べ切れるかしら。私の準備したものもあるのよ。」
「私、他にもどなたか来られると勘違いしていました。二人きりなんて、とても嬉しいです。お招き頂いてありがとうございます。あ、あの、これは使用人の方々の分です。」
「ふふふ、エマはとても可愛いわね。それに、とても気が利く素敵な女性だわ」
「リリーバード夫人に褒めて頂けるのが一番嬉しいです。ありがとうございます。」
「もう、可愛い。このまま帰したくないわ。私の娘にしたい。」
ふふふと、リリーバード夫人が笑った。
(私も、あなたの娘になりたい。前世でどんな徳を積めば、夫人の娘に転生出来たんだろうーー)
エマと夫人は菓子に囲まれながら、庭園でお茶会を楽しんだ。お日柄も良く、太陽が夫人の髪を更に輝かせる。エマは夫人の白い肌が日焼けしてしまうんじゃないかと心配で、室内に移動を提案したが夫人は首を縦に振らなかった。
「今日は聞こえないけれど、時々ね、騎士団の練習している音が聞こえるの。ここは王宮に近いから。だから、私はこの場所が好きなのよ」
息子は息子で好きにしたらいいと突き放す発言をしながらも、帰ってこない息子と時間を共有しようとする。そんな夫人の姿が、エマは尊かった。




