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近衛騎士の休日は交代制のため、不定期だ。さらに公爵家の公務もある多忙なゼクロムは、丸一日休める日などない。
それでも、彼はサロンに週に一回は訪れていた。
「いらっしゃいませ。……ゼクロム様、おひとりですね。こちらにお掛けになってください」
昼食時、一名で予約していた。貸切はしていない。
以前は騎士仲間たちと来ていたが、最近は一人で来店している。わざわざ予定を合わすのは面倒だし、一人の方が会話がしやすく探りやすい。それに、毎回スフィンを連れて来ては彼女に迷惑だろうと感じたのだ。
「……ココヒを一つ。それと、何かあるか?」
「今日は、アネーブのフロマージュをご用意しております。甘すぎなくてさっぱりしていて食べやすいですよ。」
「……じゃあ、それを頼む。」
ゼクロムはココヒを気に入っていた。あれを飲むと、仕事の効率が上がるのだ。集中力が高まって、溜まっている書類がいつもより早く捌ける。だから、ゼクロムはサロンに来る度にココヒを注文していた。
「お待たせいたしました、ココヒとアネーブのフロマージュです。」
「あぁ、ありがとう……」
ココヒは温かく、ほんの少し甘い。初めてココヒを飲んだ時に、ゼクロムは角砂糖を一欠片入れたのだが、それを見ていたのだろうか。二回目に注文した時には、この味になっていた。
アネーブのフロマージュも、アネーブの酸味とチーズの濃厚さが合っている。フロマージュというこれまた珍しい名前だが、これはうまい。
ゼクロムは改めてサロンを見渡した。貴族の夫人や令嬢が客のほとんどを占めている。しかし、中には老紳士や強面男性の一人客もいる。
(あれは、偏屈で有名なトーマス侯爵じゃないか?あんな人物までこのサロンにハマっているとは、不思議だ)
ゼクロムは異国の文化を取り入れたであろう怪しげなサロンが流行ることに疑問を持ちながら、本心ではその理由に気付いていた。
(あのオーナー、一人ひとりに違う給仕をしている。あの令嬢には甘いがダイエットに効果のあるロハマンカを、夫人にはとびきり甘いサランへを、老紳士には温かそうな飲み物と消化の良い蒸し物を。…一体どうしてこんなことを?)
客の好みに合わせて、予約の時点で何を作るか決めているのだろうか。いや、それでは手間がかかりすぎる。何か目的がなければそんなことはしないだろう。ということはやはり…。
給仕は済んだというのに、エマは立ったまま動かない。少し不安そうな顔をしている。ゼクロムは訝しみながら彼女に問いかけた。
「…なんだ?」
「……あの、もしよろしければ、デネボラ牛のステーキサンドも一緒に如何ですか?」
「菓子だけでなく、料理も提供しているのか…?」
「いえ、普段はしていないのですが、今日は……その、ゼクロム様は甘いものだけでは足りないのではないかと思いまして」
エマは言いながら、指先をそっと胸の前で揃えた。
「……前に、訓練でお疲れだとおっしゃっていましたよね。甘いものより、塩気のあるものの方が良いかと思って……」
ゼクロムは一瞬、言葉を失った。
(……覚えていたのか)
あの日、何気なく漏らした愚痴。「訓練の後は甘いものより肉が欲しい」そんな取るに足らない一言を。 エマは覚えていたのだ。そして、わざわざ自分のために料理を用意した。
「……迷惑だったでしょうか」
エマが不安げに眉を下げる。ゼクロムは慌てて首を振った。
「いや……そうではない。……ありがたい」
自分でも驚くほど、声が柔らかくなっていた。エマはほっと息をつき、微笑んだ。
「では、すぐにお持ちしますね」
その笑顔に、ゼクロムの胸がわずかに熱くなる。
(……何だ、この感覚は)
監視のために来ているはずだ。男爵家もエマも怪しい。これは任務のはずだ。
(……俺のために、料理を?そんな必要はないはずだ。やはり、俺の妻の座を狙っているのか…?)
疑いと、別の感情が胸の中でせめぎ合う。やがて、香ばしい匂いとともに皿が運ばれてきた。
「お待たせしました。デネボラ牛のステーキサンドです。……熱いうちにどうぞ」
ゼクロムは無言で一口かじった。肉の旨味が広がり、パンは香ばしく、ソースは控えめで上品。訓練後の身体に染み渡る味だった。
「……うまい」
その一言に、エマの顔がぱっと明るくなる。
「よかった……!」
その笑顔を見た瞬間、ゼクロムは胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚に襲われた。
(……任務だ。これは任務だ)
そう言い聞かせながら、ゼクロムは小さく息を吐き、ステーキサンドをもう一口かじった。
ゼクロムは、エマに二つの疑念を抱いていた。
ひとつは、公爵家当主への婚姻を狙っての行動。母の懐に入り、息子であるゼクロムを懐柔するための接近。これまで幾度となく見てきた典型的な手口だ。
だが、サロンでの彼女の態度は、その推測と一致しない。ゼクロムに媚びる様子はなく、必要以上に距離を詰めようともしない。むしろ、他の客と同じように接している。
(……俺を狙っているのなら、もっと分かりやすく動くはずだ)
その矛盾が、ゼクロムの中で引っかかっていた。
そして、もうひとつの疑念。これは、サロンに通い始めてから生まれたものだ。
(パンとステーキを合わせる料理は、この国でも珍しくない。だが、ステーキをパンで挟み、同時に食べるという形式は……聞いたことがない)
ゼクロムはステーキサンドを持つ手に、無意識に力を込めた。
(この国の料理文化ではない。)
サロンで提供される菓子や飲み物は、どれもこの国では一般的ではない。材料の一部は隣国からの輸入品で、流通量も限られている。それらを安定して仕入れ、加工し、客ごとに提供内容を変える。
その手間と技術は、普通の令嬢が持つものではない。
ゼクロムの胸に、冷たい推測が浮かぶ。
(エマ・ハーヴェストは、隣国のスパイかもしれない)
ハーヴェスト商会は隣国との貿易で急速に栄えた家だ。そのため、隣国との戦争で家族を失った市民からは強い反感を買っている。そして、幾度となく騎士団内ではスパイ疑惑をかけられていた。
その商会から資金を受け、隣国の食文化を扱い、貴族の情報が集まるサロンを運営する令嬢。
状況だけ見れば、疑う理由はいくらでもあった。
(……母上に近づいたのも、そのためか?)
胸の奥が、わずかに痛んだ。
それが何の感情なのか、ゼクロム自身まだ分かっていない。




