17 人相書き
「姫様。左近中将様が来られました」
香奈が兄、良智を部屋に案内してきた。
「元気そうじゃないか」
「何とかね」
家ではいつも着崩した直衣姿しか見ていなかったので、きちんと束帯を着ている兄は立派な公達に見える。
良智も母からしっかり教え込まれているので綾以上に武道は出来る。ただ、本人は父に似て、出世欲もなければのんびりとした性格のため、周囲からは家柄だけだと侮られて見られている。
「足、怪我したんだって? 母上から薬を貰ってきたよ」
「ありがとう」
良智から薬を受けとり、香奈に渡す。
「ところで、突然、なんの用だ?」
チラチラと結月を見ながら話す良知はどこか落ち着かない様子だ。
「こちらは中務卿の北の方、結月様です」
一応、兄には紹介しておく。
「これは!」
良智は体の向きを変えて、挨拶をしている。
その姿を見ているとやはり自慢の兄だと言える。
「兄さま、今日は少しばかりお力を貸していただきたいと思い、お呼びしました」
「なんだい。改まって」
にっこり笑う兄の前に香奈は硯と紙を置いた。
「えっ?なにこれ?」
「兄さまにこれから伝える内容の人相書きを書いてもらいたいの」
「また、何か企んでいるのか?」
「企んでいないわ。ただ、私を連れ去った者にしっかりと挨拶はしないといけないでしょう」
「挨拶って」
そういいながらも、決して反対と考えていないようで、筆を手にしている。こういうところは母親譲りと言うか、綾と同じで負けん気が強い。
綾は何としてもあの侍女を問い詰めたいと考えていた。きっとあの侍女がすべてを知っているはずだから。
綾は覚えている限りのことを兄に伝えた。
出来上がった人相書きは、雰囲気をとても捕らえられている。
結月と香奈も覗き込んでいる。
「見たことありますか?」
二人に確認してみるが、わからないようで二人とも首を横に振っている。
「この人、どこかで見たことがあるな」
良智は顎に手を当てて考え込んでいる。
「どこで!」
綾は良智に詰め寄った。
良智は少し考えたが思い出せないようだ。
「ごめん、思い出したら連絡するよ」
「そうして」
綾は短めに言う。
「あまり、面倒なことに首を突っ込まない方がいいんじゃないのか」
「話は聞いているわよね」
綾は半分脅しのように兄を見た。
「聞いているよ。藤壺女御様のことだろう。大変だと思うけど、綾に何が出来るのだ?」
「その藤壺女御様のことで中納言様が関わっているらしいのよ。兄さま、四の姫とはどうなっているの? 宴に出てお話が出来たのでしょう。母様から聞いているわよ」
中納言家の四の姫の婿探しと噂されていた宴に出た兄の良智は中納言に気に入られ、宴では四の姫と話が出来たと喜んでいたらしい。
「そうだよ。うまく言っている。先日も四の姫がお部屋に招いてくれて話が弾んだよ」
「中納言様は藤壺女御様のことには関わっていないと言いたいのでしょう」
「関わっていないよ。宮中でも何度かお会いしてお話する機会があるけど、とてもお優しい素晴らしい方だよ。あの中納言様が藤壺女御様を陥れるようなことするはずないじゃないか」
「だからよ。それを証明したいの。協力して!」
一年程前、更衣が産んだ姫を巡って藤原成彰が東宮に試合を申し込んだ。
その更衣は心労が祟ってなくなり、更衣の弟である中納言様が内親王を引き取ったと聞いた。
綾はもしかしてその恨みがあるのではと考えていたが、もしかしたら思い違いをしているのかもしれない。
「挨拶したいだけとは思えないのだけど何かあったのか?」
ニヤニヤと笑いながら綾を見ている。中務卿から何か聞いているのかもしれない。
「なにもないわよ。ただ、そろそろのんびり昼寝がしたいだけ!」
綾は嘘ではない返事をした。
「あまり、問題を起こさないでくれよ。父上は綾が行方不明と聞いて倒れて寝込んでいるのだから」
「えっ?? 父様、寝込んでいるの?」
「そうだよ。綾が行方不明だと分かったときに中務宮様が母上の文を読んでいいかと確認に来られて、その時、倒れてそのまま寝込んでいるよ。あまり、父上を困らせないでくれないか」
「困らせるつもりはなかったのよ」
そう困らせるつもりはなかった。連れ去られたのは偶然で、あの場に出会わなければこんなことにならなかった。
「うん。中務宮様から事情は聴いている。承香殿も長く患っているから東宮様もご心配されているのだよ」
「聞いていたんだ」
「中務宮様が家に来られた時に聞いたんだ。その話を聞いて父上は倒れられたんだけど」
良智は気まずそうに頬を人差し指で掻いた。
「母上は行方不明になったのは綾のせいだから気にしなくていいと仰って、中務宮様を驚かせていたよ」
結月がクスクス笑っている。何となく気まずい気配になってきた。
コホン。コホン。
綾は気を取り直して聞く。
「東宮様もご心配されているって、兄さま東宮様とお話されたの?」
「そうだよ。今回のことは自分にも責任があると仰って、すまないというお言葉までいただいたよ」
「東宮様に責任なんてないわよ。このことは中務宮様から頼まれたことで私が引き受けたんだから」
良智は大きくため息をついた。
「東宮妃である綾が、一公達のお考えだけで女御様の殿舎へ侍女として入ることなど出来るはずもないだろ。当然、今上帝でもそれは難しいよ」
「では、東宮様もご存じの話なの?」
「決められたのは帝だけど、東宮様の許可を取られているはずだよ。実際、東宮様は綾が式部宮様のお屋敷に運び込まれた後、お見舞いに行かれたらしいから」
「えっ?私お会いしていないわよ」
「綾が眠っているときに行かれたようだよ」
「寝ているときって、もしかして私が目覚める前ってこと?」
「そうだと思う。あの後、東宮様は後宮内で怪しい者たちを洗い出すために動かれているから」
「あの時、私、ボロボロだったのよ。そんな姿をお見せしたの?」
一応の恥じらいを見せる。御渡りすらない状況でも、やはりきれいな姿で会いたかった。
それなのに、火事場から逃げてきた薄汚れた姿を見られたなんて、恥ずかしさのあまり気を失いそうになる。
「別にいいんじゃないか。普段の綾を見せておいた方が、東宮様も衝撃が少な…」
ドン!
綾は傍にあった脇息を床に叩きつけた。
兄の言葉に一瞬で正気に戻った。
結月は良智の前にある茶器と茶菓子を、香奈は綾の前にある茶器と茶菓子を素早く部屋の隅に移動させている。
綾は良智に掴みかかろうとしたが、結月と香奈に全力で止められる。
「姫様、落ち着きましょう」
結月と香奈に羽交い締めにされ叫び続ける。
「衝撃ってなに? 兄さま、酷い!」
「酷いもんか、その姿を初めから知っていた方がいいと言っているんだよ。そうしたら免疫が出来るだろ」
「免疫ってなによ!」
「綺麗に着飾った綾を見てからじゃあ、綾の本当の姿を見るとびっくりされると思うんだ」
香奈と結月が声を殺して笑っている。二人の体が小刻み震え、涙をこらえているのか眦に光るものが見えた。
プルプルと怒りで体が震えてくる。
「もう、帰って!!」
綾は叫んでいた。
兄、良智はアワアワしながら帰っていった。




