16 護衛
中務卿が帰った後、護衛の人相書きを並べて三人は顔を突き合わせていた。
「この人相書き、全員ではないですよね」
綾は見知った護衛の人相書きがないことに気がついていた。香奈もそれに気がついていたようで、人相書きを見て呟く。
「調べによると、東宮様が手配されたのは二十人ほど、それに合わせて大納言様がご用意されたのが十人ほどです」
「おそらくですが、この方たちは大納言様がご用意された護衛だと思います。以前、大納言家で何度か顔を合わせたことがあります」
香奈が人相書きの中から十人を横に置いた。
「この方たちは多分、東宮様が手配された者ですね。東宮のお住まいになっている梨壺の警護もしていると言っていましたから」
結月が聞き出した内容で東宮が手配した警護の者も横に置いた。
残ったのは三人。その者の経歴を見るとそれぞれ、式部宮、兵部宮、中納言家と縁のある者たちだった。
「結月様、これは何か理由があるのでしょうか」
「分かりません。ですが……」
結月は口を噤んだ。
「なんですか?」
「たとえ話としてお聞きください。もし、東宮様や柾良親王様がお亡くなりになったら、直貞親王様が帝位に即かれます。そして、直貞親王様も亡くなったら、帝の弟君の式部宮様が帝位を継がれることになるのです」
綾は火事から避難したときに世話になった式部宮と桜子を思い出していた。二人は野心など微塵も感じさせなかった。
「式部宮様は帝位を望んでいるのでしょうか?」
「まだ、分かりませんが、お一人で企てるにはあまりにも大きすぎます。誰かが式部宮様を担ぎ出している可能性もあります。柾良親王様のご病気、直貞親王様の誘拐、どれをとっても式部宮様だけではことは成せません。協力者がいるはずです。その協力者を探し出すのが先決かと」
「そうですね。ここにいない護衛のこともありますし」
綾は残りの護衛のことも気になっていた。あの火事の時、助けに来てくれた護衛はどうしてこの人相書きに入っていないのか。
香奈と結月は綾と直貞親王の食事の準備のため部屋を出ていった。
大納言家にいた者なら、新しく入る護衛のことはすぐに父に確認を入れるだろう。東宮の手配したものなら尚更だ。それならこの三人の内誰かが偽の帝の印を押された書類で引き入れたはずだ。
「ここでも中納言様が関わっているのね」
「中納言様がどうかされたのですか?」
護衛の人相書きを手に呟いていた。
香奈はお昼のお膳をもってきた。
「藤壺のことに関わっているかもしれないの」
部屋の奥からは結月が出てきた。
「直貞親王はよく眠っています」
「ありがとうございます」
「結月様、いつまでもご迷惑をおかけするわけにはいけないと思っています。時期を見てお屋敷に戻られてはいかがでしょうか」
屋敷の北の方が長く家を空けるのはよくないと思った。
「何をおっしゃっているのですか。乗り掛かった舟です。最後までお付き合いいたしますわ」
結月は楽しそうに言った。
午後からもう一度、三人で人相書きを見る。
「怪しい人物はこの二人ですね」
他の護衛から聞いた話を総合的判断して、式部宮に縁のある橘時平と中納言に縁のある源弘経の二人の行動が怪しいとみた。
常茂は中納言が兵部宮を説得したと言っていた。それに華の宮の文もあった。あれはすべて嘘と片付けるには無理があるように思えた。
式部宮が中納言を調べたところ、この一年余り兵部宮と懇意にした様子もなく、中納言も常茂に会ったこともないと言っていたらしい。
「今日からこの二人の行動を監視します」
結月と香奈は張り切って部屋を出ていく。
綾も気になり柱に隠れて庭の護衛の様子を見ていた。
(配置も人数もいつもと変わらない)
大丈夫かと部屋に戻ろうとしたとき、あの護衛が立っていた。
「怪我はまだ治っていないのでしょう。部屋から出ないでください」
抱き上げられて、部屋の奥まで連れていかれた。
「足の怪我もだいぶ良くなりましたので大丈夫です」
「また、無理をするのではないのですか?」
「皆が心配するので無謀なことはしません。それにお礼がまだでした」
綾は居住まいを正して護衛の礼をいう。
「あの時、助けてくれてありがとうございました」
「貴方の警護をしていたのですが見失ってしまって、助けに行くのが遅れて申し訳ない」
潔く頭を下げる目の前の男は護衛にしてはどこかの貴族の子息のようにも見えた。
そういえば、あの人相書きに書かれていない人物がもう一人いたと思い出した。あの庭を散策した日に香奈を運んでくれたあの貴族だった。何度かこの庭で見かけたことがあった。
たぶん、中務卿の息のかかった者だろう。そして、目の前の護衛も同じような立場の者だと綾は勝手に納得してしまった。
「あの夜は予測不可能でした。仕方がありません。しかし、あなたは助けに来てくれたではありませんか」
護衛ははっと顔をあげた。
綾と目が合う。
しばしの沈黙の後、護衛は綾に近づいた。
「助けたお礼をいただきたい」
そういうと綾を押し倒し、口づけた。
腕を捕まえられていたため身動きが出来ない。護衛の唇は必死に抵抗する綾の口元から首へと移動していく。
綾は何とか護衛の手を振り払い、思いっきり頬を平手打ちした。
バチーンという音とともに綾の体から離れた護衛は頬に手を当てて綾を見つめている。
「なんてことするのですか。私は東宮妃ですよ」
袿の襟元を手で繰り寄せながら綾は叫んでいた。
「すまない」
そう言い残し、護衛は立ち去る。
後にこのされた綾は呆然とした。
東宮様になんと申し開きしたらいいのか。
綾は口元に手を当てた。
「姫様、何やら声がしたようですが、どうかされましたか?」
香奈がお茶を持って部屋に来た。
お茶を綾の前に置くと、首を傾げた。
「いやですわ。姫様、虫に刺されたのかしら。首元が赤くなっています」
(まずい、さっきの男のせいだ)
「さっき、虫がいたようで、掻いてしまったの。後で薬を貰える?」
「すぐお持ちしますね」
香奈は何の疑いも持たずに虫刺されだと信じてくれたようだ。
綾は大きなため息が出た。これでは華の宮様と変わらないではないか。このことは何としても隠し通さなければいけない。
綾はそっと庭を見るが、先ほどの護衛はいなかった。
秘密を持つということは何とも苦しいものだと感じた。




