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その4

「九尾」

大天狗の低い声が、夕焼けに染まる木立にこだまする。

「なんだ」

九尾が返事をすると、景色が変わった。すでにそこは狐の里だ。

そこからの道のりは大天狗も慣れているので、まっすぐ九尾の屋敷に向かった。


通されただだっ広い座敷の畳の上に、九尾が寝そべっている。

はあ、とため息をついて、大天狗は胡座をかいて座るが、九尾は背中を向け、体を横たえたままだ。

「凛の居場所は、お前もわかってるんだろう」

大天狗の眉間に皺が寄っている。彼とて、親しい友の愛娘が心配なのだ。

「うちの山の烏が、あの子が町にいるのを見たという」

ああ、と九尾も返事をした。

「知っている。猫と一緒だ」

「猫?」

思い当たらず首を傾げる大天狗に、九尾は、化け猫だよ、と面倒そうに言ったが、聞いた彼はかなり驚いたようだ。

「化け…?なんでだ?」

「偶然知り合ったんじゃないか?」

お互い呼び寄せることも多いからな、という九尾の言葉は、化ける性を持たない天狗には理解できない。

「うちのやつが巡回してるときは、わからなかったようだが」

「そりゃあ、昼間は猫だからな」

ますますわからない。

だが、もっと理解できないのは、今の九尾だ。


「迎えに行かないのか?」

九尾は、黙っている。

「危ない目に遇うかもしれないぞ」

まだ、黙っている。

「あの器量だ。既にどこぞの旦那に見初められてるかもな」

九尾の耳が、ぴくりと動いた。

「まあ、俺も、お前にもなびかない凛がどんな男なら惹かれるのか、興味はあるな」

尾が少し持ち上がり、行灯の炎が揺らめく。

「とっかえひっかえ女を抱く育ての父とは違う、誠実な男なら良いが」

すでに、狐の尾がぱたぱたとせわしなく動いている。

「…それとももう、すでに誰かのものになっているか」

ぱたん、と尾が垂れた。

「重症だな」

「…お前案外、人が悪いな」

「人じゃないしな」

「獣は、情が厚いんだぞ」

「それは知っている」

大天狗は静かに言う。

「九尾を見てるからな」


行灯の炎が照らした狐の尾は、綺麗な金色だ。

九尾が凛を拾った当時のことを、大天狗も覚えている。

拾った瀕死の狐が回復するまでずっと付ききりで、傷が癒えたあとはひたすら変化を教えこんだ。


変化を覚え少なからず妖力を蓄えた狐は、獣より寿命が伸びる。

幸い、凛は覚えがよかった。そして、今までずっと一緒に暮らしてきた。

「凛は、自力でここに来たんだ」

九尾が言う。

「親狐の気配も、匂いすらなかった。瀕死の子狐がただ一匹、なんの巡り合わせか山を越えて俺の里にたどり着いた」

ああ、と大天狗は頷く。

「凛は、俺が妻にするために拾ったのではない。凛が、生きるために俺を探しだしたんだ」

九尾は、ゆっくりと体を起こした。大天狗と同じ位の背丈だが、体つきはやや細く、男性にしてはしなやかな動作で胡座をかいた。

「俺は、凛を好きなんだ。強く、美しい凛が。俺の腕に収まらない自由な凛が」

垂れた目尻が、さらに下がる。

「矛盾してるか」

いや、と、友の短い言葉を受け、九尾は苦笑した。

「生きる術を身につけたあいつを敢えて手元に置いていたのは、俺の身勝手だ。従わせる権利も、従う義務も本来は、無い。男女の関係ならどうかと15で寝所に呼んだが、できなかった」

大天狗は、目を丸くした。

「九尾…お前本当にそのつもりで寝所に置いていたのか?」

「最初はな」

しかし、と九尾は俯く。

「触れても、着物を剥いでも、肩や胸に口付けても、じっとしていてな。そういう気持ちにならないようにしているのか、本当にそういう気持ちにならないのか。とにかくそんな凛のことは抱けなかった」

九尾が静かに話すのを、大天狗は無言で見ている。

「想像してるのか。言っておくが、凛は平らに近いが少しはあるぞ」

「いや、それを想像していたわけではない。多少は気になるが、うん…」

今度は、二人とも無言になるが、沈黙を破ったのは九尾だ。


「まあ、狐の姿でも人の姿でも、ずっと俺があいつの面倒を見てたからな。風呂も寝るのも一緒だったから、凛も俺の体は見慣れて今更なところもあるのかもしれん」

「普段と閨では、違うだろう。驚いたんじゃないのか」

「それが3年の間に何回も続けば、さすがの俺も萎える」

「…それは萎えるな」

だろう、と九尾は深いため息をついた。

「あいつは魅力的だし、俺は凛を抱きたいと思った。しかし、凛が俺のことを男として見ないなら、無理強いはできん」

ううむ、なかなか難しいな、と大天狗は言い、九尾も頷く。

「拒まないなら、構わないんじゃないか?深く考えなくても、凛は十分お前を慕っているのだし」

「だったら尚更抱けないだろう」

はあ、と大天狗はため息をついた。

「九尾がこんなに真面目だと思わなんだ。うちのは、お前が凛をその気にさせるために寝所で見せつけてるんじゃないかと言っていたが」

そこなんだよ、と九尾も頭をかきむしる。

「見せつけてるわけじゃあないが、結果的に、凛と無理に同衾する必要もなくなってしまったというか。そして俺も、それは他の女で満足できてるから」

「それで5人もはべらすなら、好いた女1人にしろ」

「ことごとくうるさいな」

「真っ当だろ。九尾に常識が通じるのかはわからんが」

さて、とそこで大天狗は話を切り、立ち上がった。

「ともかく、凛の居場所がわかったから、俺は俺で動くぞ。化け猫と一緒なら尚更放っておけん」



毎度、と、陽気な声が響く。

凛は、里では買い物なぞしたことはなかったが、九尾がせめてと持たせてくれた金で、猫に教えられるままに店主とやり取りをする。

最初は頓珍漢なことを言ったりしたが、数日のうちに慣れてきた。

「皆、親切なのね」

凛は手元の包みを軽くかかげる。いつも、買った分量よりおまけの方が多い。

「皆に親切なわけじゃあ、ねえさ」

猫はたまに、わからぬことを言うが、まけてもらえるのは素直に嬉しい。ありがとう、と店主に凛が笑みを返すと、さらに何かを上乗せされることもあった。

時折、猫が中空を眺める。

「なに?」

凛も同じ方向を見るが、特に変わったものは見えない。

いや、と猫は短く答え、また歩きだす。

猫が見ていたあたりから、(すす)けた臭いがした。


「神隠しが、またありました」

大天狗のもとに、巡回役の烏天狗が報告に来た。

昼日中(ひるひなか)の町中で、お遣いのためにほんの数件先に行ったはずの子供が、いつまで経っても戻らない。

天狗の山に手を合わせに来た人間は、我が子がいなくなった子細を語りながら泣いていた。

「盆に来た者たちが、供として連れていくのか」

「それにしては、小さな子供ばかりで」

ふむ、と大天狗は思案する。

「ほかに、共通点は」

長の問いに、烏天狗は即座に答えた。

「あります」


巡回役が去ったあと、大天狗は自宅の縁側から、憂えた顔で夜空を眺めた。

「厳つい顔つきに似合わず、珍しい表情をしているな」

いつの間にか、九尾が庭先に立っている。

「凛を探さないのか」

「言っただろう、居場所はわかっていると。猫と一緒だ」

「猫の主人も、流行り病で亡くなったんだったな」

「そうだ、神隠しにあった子供たちの親と同じく、な」

お前は本当に色々わかっているな、と、大天狗は九尾に向かって苦笑する。

「わかっていても、手出しはしない主義だ」

九尾の表情も、そこはかとなく悲しげだ。人の儚さを何百年も見てきた彼にしかわからないことが、あるのかも知れない。

「言ったろう。いずれ収束すると。未練は、絶ちきるためにあるんだ」



あばら家に、月明かりが差し込む。

今日は満月だ。

「行くか」

猫はそう言うと、後ろ足ですくっと立った。手拭いを被り、勢いよく扉を開ける。

月の光を全身に浴びて、化け猫は軽やかに町に繰り出した。


そのあとをゆっくり付いていくのは、化け狐の凛だ。

この夜の散歩にも慣れてきたが、さすがに連夜歩き通しで疲労がたまったのか、ふらついて木にもたれかかった。

「おいおい、大丈夫か?」

大丈夫、と顔をあげる。

「あんたは元気ね」

「まあな。元が野良だからな」

凛も、体を一揺(ひとゆ)すりして、呼吸を整えた。

よし、と歩く様は、人とは違う。いつもより妖艶な空気をまとい、足音を立てずに猫を追いかける。

こちらも、月の力の影響があるのかもしれない。


もう何日経ったろうか。


「今日凛に声を掛けてきたのは、大店(おおだな)の息子だ。九尾のもとに帰らないなら、いっそ人間の嫁になってしまうのはどうだ?」

まさか、と凛が呆れたように返す。

昼間町を歩くと、自分の容姿に自信があるような若者が声を掛けてくる。凛は軽くいなすが、それでも諦めず追いかけられることも度々あった。

見物(みもの)だったな」

猫が、さもおかしそうに躍りながら笑った。

凛の腕を掴んで強引に振り向かせようとした男に、小さな雷一閃(いっせん)

怪我はないが、痺れて記憶と足元が覚束なくなった男を一瞥し、凛は悠々とその場を去っていった。

「人間の男っていうのは、粗野ね。あんな触れ方をする者は里にはいないわ」

へえ、と猫が言う。

「そりゃ、九尾の娘にはみんな優しいだろ。一番優しいのは九尾本人だろうが」

「娘みたいに育ててくれたからね」

そうじゃなくてな、と、猫はにやにやしている。

「たまには強引にされたほうが、女もその気になるだろう?」

「なにそれ?」

「生娘にはわからないか」

はは、とも、にゃあ、ともわからない笑い声をあげて、猫は夜道を歩いていく。

「俺の主人は、お前みたいに美人ではないが、小柄で可愛らしかったよ。拾った俺を大事にしてくれた」

これの飼い主は、女だったのか。

「問屋の丁稚と恋仲になって、将来を誓いあっていた」

うっとりした顔で、躍りながら思い出を語る。

「ある時、急に恋に落ちたんだ。すぐにわかったよ」

猫は、にやりと笑った。


凛は、月を見る。

妻になれ、と九尾は言った。

抱かれるなら、拒む理由はない。凛は、九尾が好きだ。

しかし、ただ好きだと言うだけでは夫婦になれない気がするし、寝所に通う女性達への嫉妬も無い。

何よりも、九尾に触れられても体が反応しないことが、九尾の申し出を受けることを躊躇させた。

「情熱的なご主人ね」

人間のほうが、もっと複雑な感情を持っているのだと思っていたが、飼い猫にわかるくらい率直に感情を(あらわ)にするのか。

「ああ、互いの雇い主に話をして、世帯を持たせてもらう相談もしていた」

猫が追想する。

「だが、そこから先は、病で叶わなかった」

流行り病は、薬がきかない。そもそも下働きの女を熱心に看病してやる雇い主はそういない。

恋人はというと、自分の店に迷惑がかかることも思案し、苦渋の末に縁を切った。そして、女はこの世を去った。

生まれた村の外れにひっそりと葬られるのを、猫は最後まで見守っていたらしい。

だから猫は村にも行ったのか。凛は合点がいった。


「ねえ」

地面に映った細長い影に、凛は声をかけた。

「あんたが化け猫になった理由って、なに?」


影が、月明かりの下で伸び縮みする。

「丁稚の代わりに、ご主人と恋仲になりたかったとか?」

「それはないな」

凛の影が、小さくなる。


「俺は、ただ主人の近くにいるだけで幸せだったんだ。それが、あっさりいなくなっちまった」

月に照らされた獣が2匹、誰もいない街道を歩いていく。

「幽霊でもいいから会いたい。そばにいたい。だが猫の姿じゃ、無理なのか。そう思っていたら」

くるりと猫が体をくねらす。

「気づいたらこんなよ」

にやり、と笑う顔はもののけのそれだが、不思議と怖さは微塵も感じられなかった。


「主人は病で去ったから、未練があって、もしさまよってるようなら、会えるんじゃねえかって」


影が、なくなった。

先ほどまでは無かった雲が、月を隠している。

夜道を覆う影に、二つの小さな獣の影は飲み込まれていく。


「そうしたら、今度はずっと一緒にいられるんじゃねえかって」

猫の言葉は、闇に吸い込まれた。

煤けた臭いがする。

迎え火が燃える、臭い。

「人の姿じゃなく、猫の姿のままでな」


静寂が、あたりを包む。

「…猫?」

凛の呼び掛けに、返事はない。

ざわっ、と風が吹く。

凛は狐のままだ。小柄な体は力が弱いが、身軽さを優先としそのまま駆ける。


闇が。


凛は疾走した。

闇が追ってくる。

つかまってはいけない。つかまったら、戻れなくなる。

「あっ」

何かにぶつかった。

しまった。背後からは、影がすでに迫っている。

「九尾様…!」

咄嗟に叫んだ。

「なんだ」

穏やかな声が答えた。しかし、声の主は目の前にはいない。

同時に、背後を稲光が照らした。

「なるほど、確かに毛艶が綺麗な狐だ」

光に照らされた凛を見て、自分を抱いた人影が感心したように言った。厚い胸板の偉丈夫は、厳つい顔に似合わぬ優しい表情をしている。

「だろう?」

当然、といった口調は、先ほどと同じく聞きなれたもの。光の残像が歩いてくる人影に遮られ、揺らめいている。

九尾は、大天狗の腕の中にいる凛を抱き上げた。

「無事か」

優しく、耳元で語りかけてくる。

はい、と答えようとして、違和感を感じた。

声がでない。

「…凛?」

意識が、朦朧とした。

熱が、里へ、という慌ただしい会話が聞こえる。

そして、人の声に紛れ、猫の鳴き声が聞こえた。


ああ、出会えたのね。

薄く目を開けると、この世のものではないであろう女の姿と、その胸に抱かれた猫が見えた。

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