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その5

盆の明けに送り火が焚かれると、町や村では不思議なことが起きていた。

神隠しにあった子供が、戻ってきたのだ。

泣いて喜び、天狗の山に報告へきた者の話によると、帰ってきた子供にはなんら怪我もひもじい様子もなく、ただ、にこやかに笑っていたという。


会えたよ。


突然いなくなった親しき人に。

流行り病で亡くなった家族に。

それは、我が子や近しいものを想い、盆の短いひとときを一緒に過ごしたいと願ったこの世ならざる者たちだ。

別れも言えず去らなければならなかった想いを、迎え火の力を借りて伝えに来た。

短い再会の後、送り火が消える頃に未練は断ち切られ、子供たちは生者が暮らす日常へ帰されたのだ。


そして、踊る猫をその後見た者は、誰もいなかった。




薄衣の肌触りには、覚えがある。

それを通して感じる温もりも。

獣である小さな自分を労り、わずかな動きもわかるような、優しい触れ方だ。

「変わりましょうか」

気遣うような話し方は、大天狗の妻である烏天狗だ。

「いや、まだいい」

耳に慣れた、九尾の声。

ちょっと疲れているのかな。そう思い耳を動かすと、九尾の手がぴくりと動いた。

「凛…」

呼ばれて目を開けると、こちらを見ている九尾と視線が合う。

泣きそうな表情を見て、逆に凛は笑ってしまった。

そうそう、大天狗様が言っていた。九尾様は泣き虫なんだって。

凛、ともう一度九尾が名前を呼ぶ。

言葉にならない声に、はい、と凛は頷いた。

優しく、そして今までにないくらい強く、凛は九尾に抱き締められた。


「凛が、目を覚ましました」

妻からの報告を聞き、大天狗も安堵の息を吐く。

「そうか。10日か。長かったな」

「ひょっとしたら、もう少し前から罹患していたのかもしれませんからね。あの家に以前住んでいた者も、流行り病で亡くなっていたようですから」

物ごいがいなくなった空き家に、猫はそのまま暮らしていたが、家や建具から病気がうつるのはなんら不思議ではない。たまたま、妖力を持った獣2匹は病にすぐ負けなかったが、数日の暮らしの中でやはり影響を受けたに違いなかった。


「九尾は」

「泣いてます」

ははは、と大天狗夫婦は大笑いした。

「九尾も、たまには感情を出したらいい。そもそも里中の女狐が文句も言えない位、一人にあんなに執着しているんだからな。当の本人に自分の気持ちを誤魔化し続けるなんて土台無理だろう」

「あら、あなたも案外、人が悪い…」

「人じゃないからな。お前も」

「そうでした」

ふふふ、と、人に近い容姿を持つ異形の夫婦は笑い合う。

「凛は、どちらでしょう」

狐か、人か。

「九尾の前では、ずっと化けていたな」

「そういうことですよね」

「あまり深く考えなくても、いいと思うがな」

「それだけ凛のことが大事なんですよ。それこそ、凛が気付かないくらい優しくしてましたから」



九尾は、何も言わなかった。

いや、言えなかったのだ。大人どころか何百年も生きているのに、嗚咽を漏らして泣いている。

「…九尾様」

ううっ。

「九尾様ってば」

うううっ。

「私、話を聞かない方は嫌いです」

九尾の嗚咽がぴたりと止んだ。

凛はいま、狐の姿だ。綺麗な狐色の色艶をした毛並みは、病気がすっかり平癒したことを現している。


凛に問われるままに、九尾は答えた。

流行り病に罹っていたこと。

10日あまり目を覚まさなかったこと。

ようやく峠を越したこと。

猫が、主人の元に行ったこと。

「あの世に…?」

九尾が頷く。凛は、複雑な心境だが、猫はそれを望んでいた。死んだ主人と会いたい、また一緒にいたい、というのは、すなわち自分も三途の川の向こうにいくことを意味する。

主人に生き返って欲しかったわけではないのだ。

そして、寄り添う自分は猫の姿でありたいと願い、その通りになった。

猫は、いとしい主人への未練を絶ちきるのではなく、未練を無くす為に、自ら主人の懐へ飛び込んで行ったのだ。


「凛は」

九尾が言う。

「狐の姿でいるほうが、余程好きだろう。変化と、それに伴う妖力は、生き延びるための手段だ」

猫の言葉を思い返す。

主人を探すために化け猫になり、人の姿を模してるだけだからさ。

「俺に合わせて、別に無理して人型でいる必要はない」

いまさら獣の姿になれど、すぐに寿命が尽きるわけではない。そもそも、幼い狐が余力を振り絞り生きることを求めたのは、本能だ。

「これからは、好きにしたらいい。狐のままでかまわない」

その先の言葉は、今まで九尾が口にしたことはなかった。

「どんな姿でもいいから、そばにいてほしい」

そして、もう一度きつく凛を抱き締めた。

弱いものを慈しむ抱擁とは違い、欲されているのが伝わってくる。


凛は、深く息を吐き、ひとこと言った。

「嫌です」

「え?」

九尾の間抜けな相づちに、凛は笑った。

そして獣の体を軽く揺する。九尾の腕の中に、艶やかな髪を腰まで伸ばした、人型の凛が現れた。座っていた九尾の膝に乗る格好で、慣れたようにおさまっている。

「…着物は着なくても」

腕を緩め、冗談めかして九尾が言うと、これまたからかうように凛が言う。

「脱がせればいいじゃないですか。お得意でしょう?」

いやはや…と九尾が苦笑する。

「私は狐の姿のほうが好きですし、性に合ってます。でも」

凛は、腕を九尾の首に回した。

「あなたと同じ姿で、近くにいたい。これは、私の意思です」


心臓の音が、触れた肌から伝わってくる。

「しかし、幾度かお前を抱こうとした時は、そんなそぶりは無かったぞ」

「九尾様が、優しすぎるんですよ。いつまでも子狐じゃありません」

「そうか…」

九尾が溜め息を吐く。

「深く考えるな、と大天狗に言われたが…やはり考えすぎていたんだろうな…年を取ると頭が固くなってどうも良くない」

「他の女には考えなしにする癖に」

「あれは…」

ぐうの音も出ない。

「俺は、お前が遠慮してどこにも行かないのも、俺を置いてどこかに行ってしまうのも、どちらも怖かったんだ。お前はどんどん成熟していく。女として抱きたいが、子狐のようにずっと無条件でそばにいてほしかった。矛盾してるか」

「いいえ」

九尾の手が、凛の着物の襟元からするりと入る。

凛の口から、喘ぎ声が漏れた。

手の動きに合わせて仰け反る凛を、九尾はそのまま優しく組み敷いた。

「私も、子供でした」

九尾を見上げながら凛が言う。

「自分が思っていた以上に大事にされていたことを、猫に教わりました」

猫か。九尾は笑う。凛も、手を九尾の胸元にすべらせる。


「お前を手離したくない。それだけで良かったんだな」

唇を重ねた。

すでに凛の体は、肩から腰にかけて露になっている。その全身に九尾が指と舌を這わせると、凛の体が都度、震えた。

「相変わらず、綺麗な体だ」

「今さら、何を仰いますやら」

いつもの軽口は、じきに聞こえなくなっていった。





春の草原を、2匹の獣の影が走る。

大きいほうが1本尾に対して、小さな獣の尾は3本。

「まったく…親子だなあ」

九尾は溜め息を吐いて、狐に姿を変えた妻子を眺める。

ふいっと風が巻き起こり、小さな狐は女の子に姿を変えた。

父様(とうさま)!」

勢いよく抱きついてきた娘をいとおしそうに受け止め、同じく人の形に戻った妻を見た。

「たまにはあなたも一緒にどうですか?」

腰までの長い髪に、艶やかな仕草。しかし微笑を浮かべた表情は、母親のそれだ。

「いや、俺はいい…皆が驚くだろうし」

ふふ、と凛が面白そうに笑う。

「後生のお願いですよ、あなた」

「お前はいつもそれだな」

九尾は、苦笑して言った。

気の強い妻には、何百年生きている化生(けしょう)も頭が上がらない。


後生か。

自分が生きている時間は、獣たちの寿命の何十倍、いや、それ以上の長さだ。

凛と過ごせるのも、あとわずかだということも、それこそ、九尾には何故かわかっていた。

「後生です、九尾様」

笑いながら、凛は九尾の隣に座る。

「お前も、わかるのか」

「はい。これでも長く生きたほうだと思います。元はただの狐ですから」

そうか。そう呟いた九尾の顔は、すでに泣きそうだ。

不思議そうな顔で、姫が父の頭を撫でる。


「ううっ…」

嗚咽を漏らす夫を、凛はあきれ顔で見た。

「いい年して、本当にもう…」

「だってなあ…ううっ」

「どうせ私がいなくなったら、また他の女を囲うんでしょうに」

反論できずに黙る九尾だが、凛の眼差しは責めるものではなく、むしろ安堵したようだ。

「九尾様」

静かに、お互い視線を交わす。

「私は(せい)に執着はありません。あなたと添い遂げるなんて無謀な望みも、そもそも抱いていません」

母が伸ばした手を握り、姫は両親の間で笑顔になる。

「いつになるかわからないけど、後生ではあなたと同じ時間を生きたい。短くても、儚くても、残された者が悲しみにとらわれないように」


猫が、踊る。

迎え火が町を、村を彩る。

それは、この世を去った者を想う未練の現れだ。

「あまり泣かれると、私が迷いますから。泣かないでくださいね」

凛は、笑った。

「後生の、お願いですよ」



後生の願い・了



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