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グンマー大戦  作者: WW
第8章
22/31

選んだもの、選ばなかったもの。それでも 1

 *


 アカギ神社の境内にユリの姿はなかった。


 早く追わねばグンマの外に逃げられてしまう。そうなればこの大陸が落ち、世界地図から日本が消えるだろう。急く気持ちに足を速めるレイだが、後ろをついてくる足音は次第に遠ざかる。桟橋を渡り森へ入る手前で、レイは足を止めて振り返る。息を切らしたハルナが遅れて辿り着いた。激しく上下する肩と顎から流れ落ちる汗が彼女の限界を知らせていた。


「ハルナ、姉と神社で待ってろ」

「いいえ、私もついていくわ」

「だが……」


 言い難そうに口を噤むレイに、ハルナは無理を押し通したような笑顔を貼り付けた。


「私なら大丈夫よ。まだ走れるし、足手まといにはならないわ」


 言葉とは裏腹にハルナの膝が笑っている。彼女は一国の王女であり、訓練を受けた兵士ではない。登山と戦闘による肉体疲労、魔法による精神疲労。極めつけに実の肉親に殺されそうになったのだ。

 もう何もかもが限界のはず。それなのに、ハルナの瞳に宿る力強い光は衰えを見せない。


「……本当は今すぐにでも膝を突いて、目を閉じてしまいたい。気を抜けば糸の切れた操り人形のように倒れてしまいそうよ」


 それでも彼女は顔を上げ、前を向いた。


「けれど、お願い。私は行かなければならないの。どうしても、やらなければならないことがあるの」


 決して逸らされることのない眼差しに、レイは頷くしかなかった。


「わかった」


 レイはそう言うとハルナの身体を抱きかかえた。


「こ、こんなときにお姫様抱っこなんて、レイ、あなた一体何を……」

「向こうは虚番の中でもダントツに速い連中だ。ハルナの足じゃ逃げられる」


 レイの腕の中で縮こまるハルナは、わずかに頬を染めて呟いた。


「そ、その……重く、ないかしら」

「問題ない。重いものを運ぶ訓練は受けている」


 無言で胸を叩かれたレイは、その意味を尋ねるように首を傾げ、ハルナの顔を覗き込む。


「早く行って」

「ああ。だが、今のは……」

「訓練したのでしょう? 早くその成果を見せてちょうだい!」


 怒気を孕んだ声にレイはますます首を捻る。だが、急がねばならないのは事実だ。疑問を棚上げして、レイは全力で走り出す。


「ばか」


 その小さな呟きは、吹き荒ぶ木枯らしによって連れ去られた。



 *



 下山は上がりよりも楽だった。傾斜を下がるからというのもあるが、霧が晴れていたことが大きかった。おかげで視界が開け、魔物を避けて進むことができる。


 ユリたちが辿ったであろう道筋にはいくつもの死骸が転がっていた。鋭利な切り口と、一撃で仕留める正確性。先陣を切っているのはゼロワンだろう。

 足を緩めることなく追っているが、一向に背中は見えない。道を阻む魔物を相手取りながら進む彼らの方が足が遅くなりそうなものだが、それほどに神社で時間を食ってしまったということなのだろう。


 ノンストップで山を下り切った頃にはさすがのレイでも息が上がっていた。眉を八の字に曲げて不安を見せるハルナは、休憩を提案する。だが、レイは首を振ってグリフォンの下まで駆け抜けた。


 グリフォンは忠実にも最初に止まったところに伏せていた。レイたちの姿を見つけた彼は、すぐに喜びのような鳴き声を上げて二人に走り寄る。


「ハルナ、操縦は任せる」

「分かったわ。レイは休んでて」


 ハルナの後ろに乗ったレイは、彼女の腹部に手を回して身を委ねた。

 大地を疾走し、大きく翼を振り上げる。すぐに浮遊感が襲い、地面が遠ざかる。背後に小さくなっていくアカギ山は、登る前よりも剣呑な雰囲気が和らいでいるように見えた。


 見える範囲にユリたちはいなかった。山道の状態から、下山したことは確実だ。ダルマを得た今、この場所に長居する必要はない。即座にグンマから離脱する道を選ぶだろう。脱出経路は東西南北にそれぞれ一カ所ずつある。ここから一番近いのは東だが、そちらに行った確証がなかった。時間的に行けるのは一カ所だけだ。外せば、逃げられてしまう。

 どこへ行くべきか思考を巡らせるレイだが、ハルナは一直線に南を目指し始める。


「待て。慎重に行き先を予測しないと……」

「何を言っているの? あっちよ」


 当然でしょ、という顔をしてハルナはやはり南を指さす。

 何か根拠があるのだろうか。その疑問を口にする前に彼女が言った。


「感じるの。とても強い力があっちに移動しているわ。こんなの初めてよ。だからきっと、ソウシ様の首はあっち」


 レイは何も感じなかった。感じるのはハルナがグンマー民だからか、それとも血族だからか。いずれにせよ、今ある情報はハルナの感じる強い力だけだ。運に任せるよりはよほどいい。


「わかった。急ごう」


 マエバシを過ぎて、さらに南下する。追いつくまでまだ時間が掛かりそうだったので、レイはハルナの耳に口を寄せた。


「追いつけそうか?」

「ええ。けれど、ギリギリね。あっちも速いわ」

「走ってる、わけじゃなさそうだな」

「馬に乗っているのかもしれないわ。けれど、いったいどこから……」


 事前に準備していたのだろう。だが、間に合うのなら問題ない。


「ところで、本堂での話だが――」

「嬉しかったわ」

「え?」


 レイの言葉を遮って、ハルナが言った。


「私を選んでくれて、嬉しかった。本当はね、怖かったの。あの人――ユリさんと一緒に行ってしまうんじゃないかって」


 ユリとの話を聞かれていたのだろうか。前を向いたままの彼女の表情をレイは窺うことが出来ない。


「行くわけないだろ。ユリのことを大切に思う気持ちに変わりはない。だが、ハルナと一緒にいたいと思った」

「私のことは大切?」

「ああ」

「私の方が大切? …………いえ、今のはやめておくわ。こういうことは比較の問題ではないものね」


 どちらの方が大切かと問われれば、レイはハルナだと即答できる。だが、先ほど言ったようにそれでユリのことが大切ではないことにはならない。だから、ハルナの言葉はその通りだろうと、レイは思った。


「ねえ、レイ」


 返事をすると、ハルナは間を空けてから言った。その躊躇いから決意のようなものを感じて、レイは喉を鳴らした。


「私、生きていてもいいのよね?」


 何を馬鹿なことを。そう言いかけて、レイは口を閉ざした。

 考えてみれば、ハルナはその存在を否定され続けてきた。姉に遠ざけられ、両親にそれを良しとされ。アカギ山でユリに殺されそうになり、アカギ神社で姉に殺されそうになった。日本政府はハルナを連れ帰るように命令していたようだが、研究のためだろう。


 純粋に彼女の生を願い、隣にいた人間は誰もいなかった。


 レイは言葉を選んで口を開く。ハルナを不安にさせないようになるべく早く、けれど慎重に。


「分からない」


 ハルナが息を呑んだのが分かった。身体が震えているのは、揺れのせいではないだろう。


「それを決める権利は、俺にはない」


 レイには分からなかった。レイはグンマーからダルマを持ち帰るために生きてきた。だからその存在価値に反している今の自分は、生きている価値などない。ここに来る前の自分であれば、あるいは死を選んでいたかもしれない。価値がないのなら、不要なら、消えてしまった方がいい。


「だが――」


 今は違った。生きていたいと思った。ハルナと一緒に、生きたいと思えた。


「俺はハルナに、生きていて欲しい」


 すぐに言葉は返ってこなかった。

 たっぷりと時間を空けてから、ハルナが口を開く。


「じゃあ私は、レイのために生きるわ」


 その声は震えていたが、どこか嬉しそうに聞こえた。


「ああ、ありがとう」


 レイは回した腕の力を強めた。彼女の温もりが、身体を包み込むように広がっていく。


 心の満ちあふれる時間は、しかし、ずっとは続かなかった。


「いたわ!」


 声を張り上げたハルナの指が、遙か前方の点を捉える。地面を這うように進む蟻のようなシルエットは少しずつ形を変え、馬に乗る人間になった。

 その数――七つ。


 ダルマを持って逃げたのはゼロワン、ゼロツー、ユリの三人のはずだ。それ以外は彼らの手で消された。だが、残りの四頭にも人が乗っているように見える。

 一緒に逃げているということは仲間に違いない。あの三人でも勝率はゼロに近いというのに、四人加われば絶望的だ。

 レイはここまで棚上げにしてきた疑問を口にする。


「どうやって止める?」

「…………黒ダルマを呼ぶわ」

「呼べるのか?」


 確かに黒ダルマの力を持ってすれば、ゼロワンであろうと敵ではないだろう。だが、ハルナの表情は冴えない。


「こういうときのために、緊急コードがあるの。けれど――」


 そこで言葉を切ったハルナは、振り返ってレイの目を見た。眉根を下げて切実感を漂わせる彼女は、声色を落として言った。


「緊急コードで呼び出した黒ダルマは私の言うことを聞いてくれないわ。ダルマを取り返すという至上命令のみに従う。だから、ユリさんたちの……命の保証はできないわ」

「それはハルナの気にすることじゃない」

「けれど……」


 まるで自分のことのように悲しげな表情を見せるハルナに、レイは息を吐いた。


「万が一のときには、俺が何とかする」


 それは気休めだった。黒ダルマに勝つ方法なんて分からない。そもそも存在しないかもしれない。それでも、少しでも彼女の憂いを取り除きたかった。


 やがて集団の頭上に追いついた。ハルナが祈るようにして胸の前で手を組むと、その身体が白色に包まれる。

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