選んだもの、選ばなかったもの。それでも 2
次の瞬間、空が瞬き、轟音を迸らせる青光が地面を穿いた。
突如目の前に現れた厄災に、彼らは散開しようとする。だが、できなかった。
黒ダルマを視界に捉えた馬は即座に足を止め、棹立ちして乗主を振り落とすと、そのまま引き返すように駆けていってしまったのだ。
不測の事態に目を見張る一行だが、立て直しは早い。ダルマを背負うゼロワンを最後列にして陣形を組み立てる。刀や銃を抜く彼らの表情には絶望が色濃く浮いていた。
両者睨み合ったまま、動きを見せない。
「ハルナ、俺を近くに下ろしてくれ」
「駄目よ。仲間だと思われたら、黒ダルマはレイにも攻撃してくるかも知れないわ」
「ダルマを手放せば終わるかもしれない。だったら、その方がいいだろ?」
「それはそうだけれど……じゃあ、私も」
「駄目だ」
「言ったはずよ? 私はレイのために生きる」
「ああ。だから、空から戦況を見ててくれ。危なくなったら拾ってくれると助かる」
「そんなの……私だけ安全なところにいるなんて」
「下にいるのは手練ればかりだ。ハルナを庇いながらは戦えない」
それでようやく納得したのか、ハルナは小さく頷いた。
「無理はしないって約束して」
差し出された小指に、レイはふっと笑みを漏らした。
「ああ、約束する」
レイが自らの小指を絡ませると、ハルナが謳う。
「指切りげんまん、嘘吐いたら、こんにゃく生芋食~わす、指切った」
思っていたフレーズと違い、レイは面食らった。
「針千本じゃなくていいのか?」
「針なんて一本だって喉を通らないじゃない。その罰自体が嘘になってしまうわ」
「それでこんにゃく芋の生を……食べると何かあるのか?」
「下処理前のこんにゃく芋にはシュウ酸カルシウムが含まれていて、多量に摂取すると呼吸困難を起こして死んじゃうの。窒息死するまでに酷い痛みと灼熱感、吐き気を伴うというから、まさに地獄よ。昔は拷問や刑罰に使われていたと聞いているわ」
ハルナはとびっきりの笑みを浮かべて、レイを振り返る。
「だから、約束は守ってね、レイ」
「あ、ああ……」
無理したら生きて帰っても確実に死ぬのでは、という疑問を飲み込んで、グリフォンを低空飛行させる。ハルナから念押しの言葉を背に受けながら、レイは飛び降りた。
一〇メートルほどの落下衝撃を殺しきって着地したレイ。そこへ複数の視線が向く。
「レイ!」
喜びを浮かべるユリだが、すぐ頭上に飛ぶハルナの姿を認めて、顔を強ばらせた。
「一緒に行く……わけじゃないんだよね?」
「ああ。ダルマを置いて逃げろ。そうすれば命は――」
言い終わる前に、剣戟の音が弾けた。鍔迫り合いを演じる二人――ゼロワンとレイは互いに視線を合わせる。
「邪魔すんじゃねえよ」
「あれに勝てるわけないだろ。死にたいのか?」
鋭く尖った双眸がレイを射抜く。
「生きるためにやってるに決まってんだろうが。ダルマを持ち帰れなけりゃ今までと同じ生活が続くんだ。んなの、死んでんのと変わんねんだよ!」
純粋な膂力で押し返されたレイは、追撃をいなして距離を取る。深追いする気はないのか、ゼロワンはそれ以上追ってこない。
ゼロワンの後方に視線を走らせたレイは、その眼を見開いた。
「ヒドラとケルベロス部隊は全滅したはずじゃなかったのか?」
正体不明だった四人。その肩にはヒドラとケルベロスの紋章があったのだ。
それを受けたゼロワンはこともなげに言う。
「したぜ? 正確には四人生きてるわけだが、そもそもこいつらがグンマーに着いてすぐに隊を皆殺しにしたんだ。同じことだろ? それに影で動くには死んだことにすんのが手っ取り早いからよ」
ダルマを盗る組とその後の逃走経路を確保する組がいた。だからここまでスムーズに逃げてくることができたのだ。死んだことになっている者であれば自由に動き回ることができる。脳にチップが埋め込まれていないために生存確認ができず、地上と異なり監視カメラがなく、衛星にもここは映らない。それを利用したというわけだ。
「なあ、何でてめえは俺たちの邪魔をすんだ? てめえだって人間として普通の暮らしがしてえだろ?」
何で。そんなことは決まっていた。
「ダルマを失えば、この大陸は日本に落ちる。そうしたら――」
「それが何だってんだ?」
「は? 何言ってんだよ。そうしたら、多くの人が――」
「死ぬ。で、それがどうした? 見ず知らずの、その他大勢が死ぬだけだろうが。俺らの人生に関わらねえ奴らなんざ、生きていようが死んでいようが変わんねえよ」
視界に入らないものは存在していないのと同義。それは乱暴な極論だ。自業自得で死ぬのならいい。だが、その大勢は何も知らない、普通に生きている人だちだ。自分の利益のためなら彼らが死んでも構わないというどこまでも利己主義な考え方は悪だ。否定されるべき、阻止されるべきことだ。
しかし、レイはゼロワンの言葉を一方的に切り捨てることができなかった。
「邪魔するってことは当然、俺たちを殺す覚悟があるってことだよな?」
ゼロワンはアクセルを摂取する。その身体が白い靄を纏い、瞳が血の色を滾らせる。
「殺れんのか、てめえに。顔も知らねえモブを見殺しにできねえてめえに、知った顔の俺らを殺れんのか!」
ゼロワンが足を踏みしめると地面が砕かれる。それを推進力へと変えたゼロワンが姿を消した。
瞬劫。首を飛ばしに来た刃を辛うじて弾き、空いた胴へ蹴りを放つ。入った。だが、ゼロワンの身体はびくともせず、彼の腕がレイの足を固定する。
「んだその弱っちい攻撃は!」
足を掴み上げられ、宙に浮かされたレイ。次の瞬間、その身体を地面に叩きつけられた。全身を吹き飛ばすような衝撃が駆け抜け、肺に溜まっていた空気が全て押し出される。窒息に喘ぐ暇なく、レイの腹部をゼロワンの蹴りが捉えた。黒ダルマとは真逆の方向へ数十メートル飛ばされ、岩を砕いてようやく止まった。
体中が軋み、悲鳴を上げる。たまらず込み上げたものを吐き出すと、砂の上に赤い水たまりができた。
レイは鉛のように重くなった身体に鞭打って立ち上がる。口を拭いながら、ゼロワンの強さを改めて思い知る。
先の戦いでは渡り合っていたかに見えた。だが、それは初見だったからなのだろう。
勝てないと、頭の中で警報が鳴る。それでも、レイは地を蹴った。
対するゼロワンは背負っていたバックパックをゼロツーへ手渡すと、それを迎え撃つ。
放つは互いに最速の一撃。振り抜く手元さえ視認できない一振りが、瞬きの合間に三合。飛び散る火花は二人の動作に比べて明らかに遅く、何もない場所へ現れることもしばしば。
激しい打ち合いは、互いが一歩下がったことで休止となる。
「もうボロボロじゃねえか。そんなんで俺を殺せんのか?」
涼しい顔で刀を構えるゼロワンに対して、レイは玉の汗を浮かべて肩を激しく上下させていた。回復が追いつかない。このまま刀を交え続ければ、先に力尽きるのはレイの方だ。
だが、終わりは唐突に訪れた。
「ゼロワン! 黒ダルマが――」
声を上げた男の胸を黒い腕が貫いた。縋るようにゼロワンへ手を伸ばす男を、黒ダルマはそこら辺に放った。
感情を読み取ることのできない表情。その目の先にはゼロツーがいた。
瞬間移動でゼロツーの眼前に現れた黒ダルマ。ゼロツーはバックパックを背負ったままアサルトライフルをその顔目掛けて連射する。
弾丸の雨はしかし、黒ダルマに当たる寸前で見えない壁に阻まれた。潰れた弾丸が虚しく地面に積み重なっていく。
「あの野郎!」
レイのことなど完全に眼中にない様子で、ゼロワンは背を向けて疾走する。
ついに弾が尽き、禍々しい黒がゼロツーへと伸びた。
ゼロツーは刀を抜きざまに一閃。抜刀術の要領でその腕を切り落としにかかる。だが、刃は高音を弾かせただけで、一筋の切り跡すら付けることが叶わなかった。鋼鉄の表皮はゼロツーの二撃も難なく防ぎ、三撃目で刀身を掴んだ。ゼロツーが力を込めてもびくともせず、黒ダルマはただ握りつぶすように拳に力を込めた。
細かな破砕音が響き、刀身が割れる。真っ二つに折れて落ちていく刃先のついた方を、ゼロツーの驚愕で見開かれた目が追いかける。
日本刀を素手で握りつぶすなどあり得ない。そう思ってしまったゼロツーに大きな隙が生まれる。
黒ダルマは手刀のように指先を固め、彼女の心臓目掛けて槍を放つがごとく繰り出した。
それを視界に捉えたゼロツーが遅れて反応するも、間に合わない。
死を覚悟した彼女だが、そうはならなかった。
「――兄様!」
「下がってろ!」
手槍を弾き落とし、返す刀でその頭に一閃する。だが、惜しくも障壁に阻まれた。さらに攻撃を加えようとしたゼロワンだが、足下に生じた微かな揺れを捉えて、咄嗟に横へ跳んだ。先ほどまでゼロワンのいた場所を鋭く尖った円錐の岩が下から貫いた。
黒ダルマは殺意を送るゼロワンのことなど見向きもせず、ゼロツーを追う。影のような黒い外套がはためき、空気を裂く音が放たれた。
ゼロツーにはそれが見えていない。。だが、彼女は直感で身を捩る。同時、左腕に深い傷が走り、鮮血が噴き出した。
痛みに顔を歪める暇なく、ゼロツーは直感を頼りに二撃、三撃を避ける。しかし、それでバランスを崩したゼロツーはうつ伏せに地面へ転がった。
好機を逃すまいと四撃目を放とうとした黒ダルマの側頭部を弾丸が弾いた。振り返る黒ダルマの視線の先には虚番のメンバー。彼らの一人がライフルで頭を撃ち抜こうとしたのだ。狙い通り直撃したものの、外套に穴を空けた程度で、その頭部には凹みすらない。
彼らに向けて黒ダルマの手が構えられる。しかし、すぐに後ろへ振り払った。
「ちっ――」
ククリナイフの両刀を難なく受け止められたユリは、膂力で押し返そうと足を踏みしめる。一歩足りとも動かないのを見て取るも、ユリはやめなかった。
ユリの攻撃を受け止めるのとは逆の手を構える黒ダルマの下へ、さらなる刃が襲いかかる。 ゼロワンだ。首への視認不可能な速度の一撃。風を切る音よりも速い刃は、頭突きのように繰り出された額で受け止められてしまう。
「かてえな畜生!」
背後からの援護射撃も黒ダルマの身体に穴を空けることは叶わない。
ゼロワンは宙で器用に身を捩ると、腰から長方形の箱を取り出した。それを黒ダルマの後頭部に押しつける。それは粘土のように形を変え、貼りついた。
それを認めたユリが素早く離れ、ゼロワンもすぐに跳んだ。そこへ一瞬遅れて射撃音が響き、粘土に針が突き刺さる。同時、青みを帯びたオレンジの眩い閃光が放たれ、轟音が響いた。黒ダルマの身体を爆炎が包み込み、黒煙の中に姿を消す。
やったか。誰かが歓喜を抑えきれない声で言った。だが、その期待は黒煙を裂く風によって裏切られた。
現れた黒ダルマはその頭に亀裂が走っているものの、変わらずその場に立っていた。焼け落ちた外套の下からは枯れ枝のように細い身体。その表皮を禍々しい黒に染めている。
紫の入れ墨が光を発した次の瞬間、周囲に紫電が迸った。広範囲にまき散らされたそれは、ゼロワンたちを地面に繋ぎ止めた。意思を妨害されているかのように、身体が言うことを聞かない。再び黒ダルマがゼロツーに目を向ける。ゼロツーは表情を硬くして、息を漏らした。恐怖に突き動かされ逃げだそうとする身体は、微動だにしない。ただ死を待つだけの時間。
黒ダルマの腕がゼロツーの胸へ狙いを定めた直後、彼女たちを黒い影が覆った。雄々しく急降下をしたそれは黒ダルマを鋭い爪で薙ぎ払った。その背中から影が飛び降り、ゼロツーの背中からバックパックを奪い取る。
「レイ、やったわ」
誰もが紫電によって動きを封じられている中で、ただ一人ハルナだけが無事だった。今が好機と行動に移した結果、彼女は見事にダルマを取り返した。
ゼロワンやユリがハルナの下へ向かおうとするが、まだ動けない。
このままグリフォンに乗ってハルナが逃げれば、こちらの勝ちだ。
レイのその考えを嘲笑うかのように、紫電が宙を裂いた。直後に轟く空を焼く音。熱せられた空気が膨張し、衝撃波をまき散らす。
地面に音を立てたグリフォンは力なく横たわり、ぽっかりと空いた黒穴から白煙を上げていた。見開かれた瞳には光がなく、嘴から血が流れ出る。
黒ダルマが狙いを定めたのはゼロツーではなく、ハルナだった。やはり狙いはダルマ。だが、ハルナがダルマを手にしたことで既に終わったはずだ。ハルナを狙う意味がない。
グリフォンを殺された衝撃でその場に立ちすくむハルナの眼前に黒ダルマが転移する。そこでようやく自分も殺されそうになっていることに気づいたが、逃げようとした足は恐怖でもつれ、尻餅をついた。
「っ――やめなさい」
ハルナの声に黒ダルマは反応を示さず、黒い手を伸ばす。目を見開くハルナの視界に銀光が瞬いた。硬質なものが弾き合う音が響き、黒ダルマの手が押し返される。
「――レイ!」
他の誰よりも早くに回復したレイがギリギリ間に合った。二撃目を障壁に阻まれ、レイは即座にハルナを抱えて距離を取る。
「何やってるんだ!」
「ごめんなさい……けれど、取り返――」
「死ぬかもしれなかったんだぞ!?」
びくりと身体を震わせたハルナを見て、レイは自分が思っていた以上に大きな声が出ていたことに気づいた。胸の内からふつふつと湧き上がる感情に戸惑いを覚えながら、それでも沈めることが出来ずにいた。
「レイ、痛いわ」
「……悪い」
いつの間にか握っていた彼女の手首を離すと、指の跡がくっきりと赤く刻まれていた。
「ありがとう。私のことを心配してくれたのね」
言いながらバックパックを背負うハルナ。それを持っていたら黒ダルマに狙われる。レイは止めようとしたが、それは閃光のごとく振るわれた一刀によって遮られた。




