ダルマの真実 2
勝利の余韻に浸る暇もなく、レイは橋から身を乗り出した。浮かび上がる姿はどこにもない。飛び込もうと手すりに足を上げたそのとき、ユリの声が飛んだ。
「待って、レイ!」
ユリが指さす方向を見ると、ゼロツーがゼロワンの身体を支え、湖から上がるところだった。
レイは落ちている刀を拾い上げてから駆け寄る。
「殺ったみてえだな」
「ああ。ありが――」
礼の言葉をゼロワンが目で制す。
「勘違いしてんじゃねえ。あれが最善手だっただけだ。行くぞ」
レイの手から奪うように刀を取り上げ、ゼロワンは自らの足で桟橋へ向かう。虚番の面々はそれに続き、マルスがレイの肩に手を置いた。
「お疲れ。お前、あんなに強かったか?」
「いや、まあ……」
瞬劫雷切があってこその力だが、説明するのも面倒なので曖昧に濁した。だが、それだけではない。レイの瞬劫はこの刀を手にしてから意識的に使えるようになったし、連続でも使えるようになった。身体能力も上がっているように思える。もし、この刀に特別な力があると知られれば、間違いなくレイの手から奪われるだろう。そうなれば、また五〇番に戻ってしまう。ハルナを守るためにはこの力が必要だ。
先の一戦で信頼を得たのか、ハルナを人質に取っている限り問題ないと考えたのか、レイは刀の所持を許された。
ここから先はアカギ神社の領域だ。ダルマ弁慶のような強敵が守っている可能性は十分にある。レイの存在は虚番にとって遊ばせておくには惜しい戦力だった。
桟橋を渡り、境内に足を踏み入れる。途端に四方八方から視線を感じた。だが、見回しても人影はない。
「何だこりゃ」
気味悪げにゼロワンが目を細める。周囲を窺う彼も、視線の正体を見つけることはできなかった。
広い境内の奥に厳かな雰囲気を漂わせる本堂。鮮烈な朱色は、血塗られた色にも見えた。
ダルマは本堂に安置されている。
本堂の前に辿り着くも、視線の正体は姿を現さない。
ゼロツーの指示で虚番の一人が賽銭箱の横にある黒塗りの扉へ手をかけた。だが、どれだけ彼が力を入れようと、扉は開く気配がない。まるでパントマイムでもしているようだ。痺れを切らしたゼロツーは、この中で一番体格のいいマルスにも命じる。
「っ――びくともしないぞ」
ついに自らも手をかけたゼロツーは何度か試して首を振った。
「駄目ですね。ぶち壊してみますか」
「無駄ですわよ」
それは背後から届いた。一斉に全員が振り返り、臨戦態勢を取る。
そこにいたのはハルナによく似た少女だった。ハルナより少しだけ大人びていて、切れ長の目が凜とした力強さを放つ。白い法衣に金の刺繍。背面にはグンマの紋章である鶴が舞う。
「リネ、お姉様……」
そこにいたのはハルナの姉、第一王女のリネだった。
「そこは王家の血を継ぐ者にしか開けることの許されない、神聖な領域。無理に開けようとすれば、いくつもの牙があなたたちを切り裂きますわ」
威圧的なリネの言葉に対し、ゼロワンは切っ先を向けて口端を吊り上げる。
「王女様が一人で来るたあ、不用心じゃねえか?」
「ええ、まったくその通りですわ。ねえ?」
瞬間、マルスの頭が宙を舞い、首から血飛沫が噴水のように上った。司令塔を失った身体が力なく崩れ落ちる。
――それを行ったのは、両の手に握られたククリナイフ。
「ユリ……どうして……」
その問いは重なる悲鳴によって掻き消された。ゼロワンの刀が仲間であるはずの隊員たちを次々と屠っていく。
「兄様、何をしているんです!」
「お前は黙って俺に従ってろ」
ユリとゼロワンは、ゼロツーとレイ、ハルナを残して他を屍へと変えた。
裏切り。その言葉が真っ先に浮かんだ。
レイはハルナに駆け寄ろうとするも、ゼロワンの刃に阻まれた。
「死ねクソが」
迫る来るゼロワンの一撃は、しかしククリナイフによって受け止められた。
「あ? 何すんだてめえ」
「ゼロワンこそ、何するの? レイは私が貰うことになってるはず」
しばしの睨み合いの末、ゼロワンはつまらなそうに舌を打つと、刀を収めた。
「てめえも、忘れてねえよな? 計画の邪魔をしなけりゃって条件付きだぜ」
「分かってる。邪魔はさせない」
何が何だか分からない。戸惑うレイに、ユリは微笑みをたたえた。
「安心して、レイ。大丈夫だから」
「どういう――」
レイの発言を遮るように、リネの高笑いが響く。
「目的のためなら仲間すら殺すのね」
「仲間じゃねえ。それに、てめえも同じだろうが」
「私もグンマ民を仲間などと思ったことはありませんわ。重い枷でしかない」
その言葉に悲鳴のような息を漏らしたハルナは、声を絞り出すように言った。
「リネお姉様、これは一体どういうことなのですか?」
リネは実の妹の顔を見て、嘲るように笑う。
「ハルナは本当に馬鹿ですわね。この状況を見てもまだ察せられないのですか?」
「はめられたんだよ、てめえは」
引き継いだゼロワンの言葉に、ハルナは顔を青白く染めた。震える唇を懸命に動かし、言葉をひねり出す。
「ですが、私を殺すだけなら、いつだって」
「ただ殺しては、私が咎人になってしまうじゃない」
リネは微笑を浮かべながらも、酷く冷えた声で言い放った。
「ですから、あなたにダルマ強奪の汚名を着せることにしたの」
え――。ハルナの声が途切れた。胸に握り締めた手が白んでいく。
「とても面倒だったのよ? あなたのいる場所とダルマのありかを流して、お父様に見つからないように裏取引をするのは。おまけに日本から送られてくる戦力は何度も全滅して。ようやく成功しそうだわ」
「私を殺すために、そこまで?」
「あなたにそこまでの価値があると本気で思っているのかしら? だとしたら、本当に救いようのない馬鹿だわ。あなたを殺すことなんて、目的の一つでしかない」
言いながら本堂の扉を開け、中に消えるリネ。戻ってきた彼女が抱えていたのはガラスドーム。紫色の液体が詰まったその中に浮かぶのは、人間の頭部だ。白銀髪をたゆたわせ、静かに瞼を閉じているその顔は今にも目を開きそうなほど生気を宿している。だが、それは首から下が存在しない。
「これさえなければ、この国は終わりよ。長きにわたる役目から解放され、私たちは自由を得る。これであの人と結ばれることができる」
リネはそれをゼロワンに手渡した。受け取ったゼロワンが首を捻る。
「これがダルマか? 人間の頭じゃねえか」
「ええ。ダルマというのは、隠語として使っている言葉ですわ」
「ってこたあ、この頭の正体を知られたくねえわけか」
「ええ。もしもグンマソウシが生きている、なんて知れたら、大騒ぎですもの」
ハルナが息を呑む音が聞こえたが、それはレイも同じだった。ハルナから聞いていた話では、グンマソウシが生きていたのは遙か昔。それこそ、千年単位ではなく、万年単位、あるいはそれよりも前かも知れない。それが今も生きているなど易々と信じられることではない。また、グンマソウシは大樹となったのではなかったか。
「ああ、ハルナには言ってなかったわね。神に破れたグンマソウシは頭だけが残ったの。そして彼は魔法によって自らの時間を止め、グンマの核となった」
リネは目を細め、憎たらしげにソウシの頭を見る。
「この状態で生きていると言っていいのかは甚だ疑問ですけれど。まったく、いい迷惑ですわ」
ゼロワンはガラスドームを一度地面に置いて、手近の死体からバックパックを取り外す。その中にガラスドームを入れて、自ら背負った。
「んじゃ、貰ってくぜ」
「ええ。ただし、気をつけなさい。ここは魔の群れる地、グンマ。核を失った今、それを取り戻そうとする力が働くはずよ。ここから先、私は手を貸せないから、そのつもりで」
「分かってる。行くぞ」
徐に歩き出したゼロワンをゼロツーが追いかける。未だ納得できていない表情だったが、逆らう気はないようだった。
「待って」
走り出そうとしたハルナの腕をリネが掴み、抱き寄せる。
「どこへ行くのかしら?」
「離してください! 止めなければ――」
「心配ないわ。あなたはここで死ぬのだから」
リネは力尽くで本堂の扉の向こうへハルナを引きずり込むと、内側から扉を閉ざした。
「ハルナ!」
扉へ駆け寄ろうとしたレイをユリが止める。
「ユリ、離してくれ」
「駄目。レイは私と来て」
「後にしてくれ。ハルナが殺され――」
乾いた音が弾け、視界がブレた。じわりと広がる熱に、自分が頬を打たれたのだと知った。
「レイ、私を見て。私だけを見て」
頬を挟まれ、強制的に視線を合わせられる。真っ直ぐ向けられた瞳には涙が溜まっていた。
「ダルマを持ってここを出たら、すぐに国外へ飛ぶの。その先で私たちは人間の資格と、一生遊んで暮らせるお金を貰える。そうしたら、取り戻そう? 私たちが奪われてきた時間を。普通の男と女として、二人で生きていこう? 幸せになろう?」
「外国って……」
「日本にいても私たちは一生今のままだよ。あいつらは最初から私たちを人間として扱う気なんてない。これだけの力を得た私たちを、野放しにすると思う?」
確かにユリの言う通りだ。この力は表社会では脅威になり得るし、表沙汰になって困るのは政府だ。組織を抜ければ当然、情報漏洩を防ぐために秘密を闇に葬るだろう。抹殺という手段で。生きるためには飼い殺しにされることを覚悟しなければならない。
それならば別の国へ行った方がまだマシだ。こちらにはダルマがある。大枚をはたく国は数え切れないだろう。
ユリの提案は魅力的だった。血と悲鳴に彩られた人生を捨て、笑って暮らせる未来があるのかもしれない。結婚して、子供を作って、幸せな家庭を築くことができるのかもしれない。ユリには幸せになって欲しい。笑っていて欲しい。もう誰も殺すことなく、自分を傷つけることなく、日向を歩いて欲しい。
その気持ちは本心から出てきたものだった。
だが、レイは静かに首を横に振った。溜まった涙が一筋、彼女の頬をこぼれ落ちる。
「悪い、行けない」
どうして。ユリはそう尋ねなかった。代わりに彼女はレイの胸に額を埋め、嗚咽を漏らす。
「私じゃ、駄目なの?」
「…………悪い」
レイは彼女の肩を掴んで引き離す。ポロポロと涙を流す彼女は、俯いたまま顔を上げない。
ユリには幸せになって欲しい。
けれど、自分が想像した未来にいたのは、ユリではなかった。
隣にいたのは、隣で笑顔を浮かべていたのは、ハルナだった。
再び頭を下げてレイは扉へ走る。
もう、彼女は止めなかった。




