ダルマの真実 1
獣道すら絶え、草木の生い茂る場所を掻き分けて進む。レイは後ろ手に親指を縛られていた。自分の足で歩かされているため、逃げることは容易い。だが、隊列の最後尾には同じように拘束されたハルナがおり、その背中には冷たい銃口が突きつけられている。レイが動きを見せれば、彼女の命はない。もちろん、ハルナを生け捕りにするという任務を受けている手前、彼らがハルナを殺すことはないだろう。しかし、それは殺さないだけであって、殺せないわけではない。警告のつもりで放った弾丸がハルナの心臓を貫くという可能性だってゼロではないのだ。
ごくわずかでも可能性が残されている以上、切り捨てることができなかった。
瞬劫雷切は虚番の隊員が持っている。彼はハルナと先頭にいるレイの間にいた。
遭遇する魔物はどれも凶暴だったが、さすがはここまで生き残った精鋭なだけあり、尽くを駆逐していった。
道中、レイはダルマの奪取を辞めるように諭した。この作戦が世界を滅ぼす結果になると。しかし、その推測をゼロツーは一蹴する。
「どうせそこの女がそう言ったんですよね? 言葉のまま信じるとは、フィフティーは本当に甘々です。嘘の情報で私たちを撹乱させ、戦意をそぎ落とし、その隙を一網打尽にする作戦かも知れませんよ?」
ハルナはそんなことしない。その思考を見透かすように、ゼロツーは続ける。
「だいたい、どうして万能な演算器が、凶悪な怪物が蔓延るこんな場所に保管されていると思います? グンマーにとって、ダルマは生命線なんですよ。ダルマさえ奪えばグンマーの機能は停止します。そうすれば、私たちが危険を冒してこんなことをしなくてもよくなるんです」
それはレイに知らされていない情報だった。近くにいたマルスも同様に驚愕を浮かべる。
「それに、これだけの犠牲を払っておいて、手ぶらで帰れるわけがないです」
マルスの補足によると、派遣された五〇名の中で生き残ったのはここにいる一〇名だけだという。ステュクス部隊のマルスとユリ、カロン部隊のゼロワンとゼロツー、他三名。それからニクス部隊の三名だ。ヒドラとケルベロスは全滅したそうだ。
「そういうわけで、大人しくしていてください。邪魔さえしなければ危害を加えません」
もう会話をする気はないようで、ゼロツーはレイから離れた。
ゼロツーの言ったことが本当であれば、ダルマを奪取した段階でグンマーは力を失い、地上を滅ぼすことができなくなる。それはハルナの言っていることと反しているように思えた。
振り返ってハルナを見ると、思い詰めた表情と目が合った。多少回復したのか、顔色が戻り始めている。真っ直ぐと向けられた瞳から伝わってきた。ハルナは嘘などついていない。
そうであるならば、グンマーはまだ何か攻撃手段を持っているということか。答えの見つからない問いを頭の隅に置いて、レイはマルスに声をかける。
「ところで、マルス。ユリのことだが……」
隊列の真ん中あたりを歩くユリは翳りのある表情をしていた。一見すると茫然自失だが、魔物への対処は適切な動きを見せる。それは目の前の敵を殺すという身体に染みついた反射かもしれない。
「ああ。お前が川に落ちてからずっと元気がなかったが、お前の連れてる女を見て余計に元気をなくしたみたいだな」
「いや、そうじゃなくて」
もちろんそのことも気にしているレイだが、聞きたいのは自身が川に落ちた際に、心臓を握り潰されたはずのユリがどうして生きているのか、ということだった。
すると、マルスは何でもないことのように言った。
「ユリは心臓が二つあるんだ。話を聞いたときは、あのクソマッドサイエンティストども! と思ったが、皮肉なことにそのおかげでユリは生きてる。あのタイミングで治癒能力が戻ったおかげもあるだろうがな」
マルスはそのときのことを思い出したように、顔を顰めた。
「あのあと黒ダルマがすぐに消えてくれたからよかったが、そうでなかったら俺もあそこで死んでたかもしれん」
マルスが生きていたことはレイにとっても幸運だった。もし、マルスがいなかったら、レイはあの場で撃たれていた可能性だってある。
それにしても、とレイはマルスの話を反芻していた。
心臓を体内で二つ稼働させるという実験は、まだマウスの段階だったはず。並列なのか直列なのかは不明だが、鼓動の同期や血管との接続、血圧など様々な問題があることは容易に想像がつく。
政府が秘密裏に人体実験を行っていることは知っているし、レイ自身もその結果生み出された個体だ。グンマーからダルマを奪取するという任務の裏には、虚番の性能テストという側面もある。虚番という異分子が存在を許されているのは、人類のさらなる発展の礎となるからだ。
心臓が二つあれば、片方が心停止してももう片方が動くことによって、血液循環が止まることがなくなる。そうなれば、脳に障害が残るリスクが低くなる。また、運動能力も上がるだろう。寿命も延びるかも知れない。
どんなに素晴らしい技術であっても、ユリが危険な実験体にされていたことに憤りを感じた。だが、今はそれよりもダルマの奪還を止めることが先だ。
レイは思考を切り替える。どこかのタイミングでハルナを助け、ダルマ奪取の妨害をしなければならない。
傾斜が緩やかになり、前方の木々の先に光が垣間見えた。
抜けた先に広がるのは湖。終末の炎を消すという伝承のあるアカギ大沼の水は、鏡面のごとく澄み渡る。その水面に浮かぶ朱色の桟橋。支えのないそれはまさしく宙に浮いていた。
山頂はまだ先だが、目的地は橋を渡った先にある神社だ。
周囲を警戒しつつ、桟橋の前に到達した。そこで一行を待ち受けていたのは僧侶のような袈裟を纏った巨躯。縹色の帽子の中には、汚れのない純白のダルマ。
「ダルマ弁慶……」
誰かが言った。橋で待ち受けるその姿は、武蔵坊弁慶を彷彿とさせる。
ダルマ弁慶は橋の中腹で薙刀を振るった。背丈と同じく二メートルほどある全長。その刀部が空を裂き、地面を舐めるように烈風が吹き抜ける。それだけでダルマ弁慶の膂力を思い知る。
桟橋は狭く、通るにはダルマ弁慶を倒すか、その横をすり抜けなければならない。水中に何が潜んでいるか分からないため、泳いで渡ることもままならない。
ゼロツーの指示でアサルトライフルによる一斉照射が始まった。銃弾の嵐がダルマ弁慶を飲み込む。だが、その身体に傷の一つもつくことはなかった。それどころか、衣服にも弾痕はない。怪訝な表情を浮かべるゼロツーが眉間に一発撃ち込む。すると、銃弾はダルマ弁慶に当たる直前で静止した。否、何かによって防がれた。黒ダルマも使用していた透明な障壁だ。
「ちっ、またあれか」
ゼロワンは銃を放り捨て抜刀する。
「兄様」
「二度目の下手は踏まねえよ」
吐き捨てるように言って、ゼロワンは駆け出した。その身体を白い光が覆い、すぐに姿が消えた。アクセルを使用した全力の初撃。
次の瞬間、剣戟の音が響き、橋下の水面に波紋を広げる。目にもとまらぬ一撃をダルマ弁慶は柄で受け止めた。力が均衡したかに見えたのは一瞬。ダルマ弁慶は片手で横薙ぎに振るう。その衝撃で水面が爆ぜ、水しぶきが雨のように降り注ぐ。
ゼロワンは地面に伏せることでかわしていた。起き上がると同時、切っ先をダルマ弁慶の腹部目掛けて突き出す。だが、それは障壁で防がれた。
舌打ちもままならず、ゼロワンは自らの首を刎ねようとする刀刃を凌ぐ。一撃の重さに顔を顰めながらも、流れるように刀を相手の手首へ通す。刃が触れる刹那、ダルマ弁慶は身を引いて避けた。それを好機と受け取ったか、ゼロワンは間合いを詰める。袈裟に振り下ろした一刀は障壁に阻まれた。
ダルマ弁慶との一進一退の攻防を演じ、隙を見て素早く後退する。ダルマ弁慶は追いかける素振りを見せず、その場に仁王立ちで留まった。
「障壁があんのは攻撃してこない間だけだ。障壁は硬すぎて攻撃が通らねえ。相手の攻撃中に仕掛けろ」
努めて冷静に言うゼロワン。だが、血のように赤く燃えたぎる瞳には苛立ちが宿っていた。彼の速度を持ってしても仕留められなかったのだ。
「兄様、私も――」
「無理だ。お前の速度じゃ足りねえ」
「しかし……」
なおも食い下がるゼロツーに、ゼロワンは顔も向けずに呟く。
「盾はいらねえんだよ」
「…………」
それはゼロツーを黙らせるには十分だった。
ゼロワンは強い力を持つが故に暴走することが多いものの、相手の実力を測れぬほど愚かではなかった。特に、戦場において生き残るための嗅覚は人一倍強い。
だからこそ、彼は自らが弾きだした最善手に顔を顰め、舌を打った。苛立ちを隠そうともしないその態度は、カロン部隊の生き残りたちを強ばらせた。
最速である彼と、一時的とはいえ肩を並べることのできる存在がたった一人だけいる。
「おい、フィフティー。一度しか言わねえから黙って従え。俺が攻撃を誘う。その隙にてめえが最大速度で両断しろ」
「に、兄様! それは――」
ゼロワンはゼロツーを目で制し、同様に反論の色を浮かべる面々に言い放つ。
「他に俺の速度についてこれる奴がいるってんなら、そいつでも構わねえぜ」
誰もが言葉を詰まらせる。その中で、ユリが前に出た。
「私が行く」
「話になんねえ」
「レイはあの女と通じてる。刀を持たせたら、全員を殺しにかかるかもよ」
「そんときは返り討ちにすりゃいいだろうが。そもそも、その女を人質に取ってんだから問題ねえ」
「でも……」
言い淀むユリの胸ぐらを掴んで、ゼロワンは凄みを利かせた声を放つ。
「それとも、戦わせたくねえ理由でもあんのか? まさか、こいつを庇って――」
「違う」
その言葉で方針は決まった。
レイは瞬劫雷切を受け取り、抜刀する。ユリの言う通りにこの場で暴れるつもりはない。全員を相手取って勝てるなどと思っていないし、まだそのときではない。チャンスがあるとすれば、ダルマを前にしたとき、あるいは奪取した直後だ。目的のものを目の前にすれば、気が緩む瞬間が必ず訪れる。そのときにハルナとダルマを奪い返し、離脱する。あとは山を抜け、グンマー城にでも投降すれば身柄を保護して貰えるだろう。ダルマを守ったのだから、その場で斬り殺されたりはしないはずだ。それにハルナは王女。彼女の口利きも期待できる。
刀を振って手に馴染ませながら、ダルマ弁慶を見据える。
レイにとってダルマ弁慶は倒すべき敵ではなく、むしろ倒したくない障害だ。しかし、ゼロワンの言う通りハルナを人質に取られている以上、従わざるを得ない。
俯くユリの横を過ぎる瞬間、レイは彼女だけに聞こえるように言った。
「心配するな。勝ってくる」
「――っ」
息を呑むユリを、レイは振り返らない。
「ヘマすんじゃねえぞ」
「そっちこそ、ちゃんと凌げよ」
売り言葉に買い言葉。視線で激しい火花を散らす二人。一時的な共闘と言えど、仲間になったわけでないことは共通認識のようだ。ダルマ弁慶がいなければ斬り合いを始めそうな一触即発な雰囲気の中で、二人は双眸を尖らせて刀を構えた。
「行くぜ」
レイが頷くより早く、ゼロワンは地を蹴る。あっという間に距離を詰め、障壁に斬りかかるゼロワン。それにレイが続く。
ダルマ弁慶は半身に構えた薙刀を唐竹割に振り下ろす。瞬間、橋を叩き割らんばかりの轟音と衝撃が駆け抜けた。迫り来る鎌鼬のような斬撃の波を、二人は桟橋の手すりに身を躍らせて避けた。それを待っていたかのように、ダルマ弁慶は薙刀を真一文字に右薙ぎする。並々ならぬ膂力によって攻撃を無理矢理に繋げたのだ。
レイは身体を地面に叩きつけるように避け、ゼロワンは宙へ跳んだ。その着地点にはダルマ弁慶が待ち受ける。円を描くように回される薙刀は右切り上げの軌道をなぞる。
その一撃をゼロワンは真っ向から受けて立った。刃がぶつかり合い、二人を渦巻くように疾風が走る。押し合いでは地に足をつけるダルマ弁慶の方が圧倒的に有利。ゼロワンの身体が再び宙へ舞い上がった。
空中で身動きの取れないゼロワンは翼をもがれた鳥のようなものだ。しかし、ゼロワンの口角がつり上がる。身を翻しながらダルマ弁慶の追撃をいなし、反対側に着地した。圧倒的な戦闘センスがなせる技だ。
レイとゼロワンでダルマ弁慶を挟み撃ちにする形となった。どちらかを相手取れば、もう一方に背中を向けることになる。
足を爆発させたかのように、二人は同時に突っ込んだ。
嵐のような二振りの斬撃を、しかしダルマ弁慶は正確に打ち払う。幾合もの打ち合いに火花が舞い散る。顔色一つ変えないダルマ弁慶に対し、二人は額に汗を滲ませる。
ゼロワンのトップスピードにもレイの瞬劫にも引けを取らない速度で応戦するダルマ弁慶。それは異形の怪物に他ならない。
瞬劫の連続使用による疲労がレイの太刀筋を鈍らせ始め、ゼロワンの身体から白い光が宙へ溶けるように消え始める。
先に尽きたのはゼロワンだった。発光が消え、瞳の色が夜空のような群青を取り戻す。攻撃速度が見るからに落ち、ダルマ弁慶の打ち払いに耐えきれずにゼロワンは一足下がる。
ダルマ弁慶はそれを見逃さない。レイの攻撃を柄で弾き、その勢いのままにゼロワンの首へ刃を振るう。
ゼロワンの反応が遅れた。アクセルの効果が切れ、一時的に能力が低下しているせいだろう。
その一振りは、確実にゼロワンを狩る一手。
しかし、ゼロワンは獰猛な笑みを浮かべた。日本刀を捨て、頑丈なコンバットナイフでその一撃を受け止める。当然ながら受け切ることはできなかった。ゼロワンの身体はバットで打たれた球のように叩き飛ばされ、水面を跳ねて大きな水飛沫を上げた。
だが、一瞬でもダルマ弁慶の動きを止めたことは勝利への大きな一歩となる。
すでにレイはダルマ弁慶の懐に潜り込み、刺突の構えを取っていた。ダルマ弁慶の攻撃モーションが終わるより一手早く、鋭い光を放つ切っ先がその喉を貫いた。動きを止めたダルマ弁慶の頭をそのまま上に両断する。
それとともに身体が消失し、乾いた音を立てて割れた頭が湖に沈む。僧侶のような袈裟だけがあとに残った。




