⑦
重苦しい沈黙が続く帰りの車内。
突如として涼音のスマートフォンが賑やかな着信音を鳴らした。
面には親友の『林 萌萌』の名。
「ちょっと電話に出るね」
涼音が出た瞬間、車内に萌萌の怒りと泣き声が混ざった悲鳴が響き渡った。
『うわぁぁん! 涼音ぇぇぇ! また浮気されたぁぁ! あいつ、別の女とデートしてたのよぉ!』
「ちょっと萌萌、落ち着いて! ……って、あんた今どこにいるのよ!?」
『うぐっ……クラブ……悲しくて一人で飲んでるの……寂しいよぉ、今から来てよぉ……!』
「ハァ……分かったわ、すぐ行くから!」
頭を抱えながら電話を切った涼音は、気まずそうに運転席の墨言へ視線を向けた。
「ごめんなさい、傅さん。○○クラブまで目的地の変更をお願いできる? 送迎の契約はここまでだけど……」
すると、今まで不機嫌のどん底にいたはずの墨言が、バックミラー越しに冷たくも素早い口調で遮った。
「私が付き添います。夜のクラブなど、女性だけで行くにはあまりにも危険だ。警護の時間を延長しましょう」
「えっ、本当!? 助かるわ! 当然、延長料金はちゃんと払うからね?」
不機嫌を気遣うでもなく、契約として「延長料金払うからね」とパッと表情を明るくして素直に甘えてくる涼音。
その可憐で飾らない笑顔に向けられた瞬間――墨言の胸の中のイライラは、綺麗さっぱり消し飛んでしまっていた。
(……くそ。俺はこんな一言で機嫌を直しているのか?)
自分でも呆れるほどのチョロさに苦笑しつつも、墨言は彼女の魅力に完敗したことを密かに認めるしかなかった。
◇
クラブに到着すると、店内は派手なコールと熱気に包まれていた。
テーブル席で号泣している萌萌を見つけた涼音は、急いで隣に駆け寄った。
「萌萌! 大丈夫!?」
「待ってたよぅ!やっと来てくれた。私の親友! ううっ、なんで私の彼氏はみんな浮気するのよぉぉ!」
泣きじゃくる親友を必死に宥め、話を聞いてあげる涼音。
だが、事態は思わぬ方向へ転がる。
萌萌を慰めているうちに、雰囲気に流された涼音は、テーブルの上に置かれていた無色透明のグラスを「お水」だと勘違いして、うっかり一気に煽ってしまったのだ。
(しまった――っ!?もしかして、これお酒じゃ)
離れた席で見守っていた墨言が異変に気づき、素早く駆け寄った時にはすでに遅かった。
グラスの中身は度数の強い酒は、涼音ののどを通り終えた後だった。
「親友。あんた今それ飲んだの!?」
萌萌も彼氏の浮気どころではない顔で青ざめた。
「大丈夫、大丈夫よぉ……」
とろんとした目になった涼音は、ふにゃりと甘い笑みを浮かべると、突然萌萌に抱きついた。
そして、萌萌の顔を両手で包む。
「萌萌は可愛くて良い子なんだから、そんなクズ男捨てちゃいなさいっ! だーい好き!」
チュッ、チュッと萌萌の頬や額など顔中にキスを贈り始める涼音。
普段のサバサバした凛とした姿からは想像もつかない、完全な「甘えん坊怪物」の出現である。
「ひゃあぁっ!? やめ……っ!ボディガードさん、 彼女お酒飲むとこうなっちゃうの!」
萌萌の悲鳴を聞いた墨言は、驚きつつも涼音の脇に手を差し挟み、引き離そうとした。
「涼さん、友達から離れなさい」
すると、獲物を切り替えた涼音は、くるりと振り向いてそのまま墨言の胸の中に飛び込んできた!
「ん……? ふーさんだぁ……」
ギューッと力一杯墨言の腰に抱きつき、上目遣いで見つめてくる。
墨言が息を呑んだ瞬間、涼音は背伸びをして、彼の頬にチュッと柔らかく甘いキスを贈った。
「傅さん、いつも守ってくれてありがと……ありがとぅ……」
「……っ!?」
雷に打たれたようにフリーズする墨言。
不意打ちすぎるキスと甘い抱擁。そして、切望した甘えた声。
頭では「酔っ払いの過ちだ」と分かっていても、全身の血が激しく沸き立つ。
(……役得、だな)
墨言は心の中で自分に言い訳をしながら、逃がさないと言わんばかりにその華奢な身体を強く抱きしめ返した。
「ちょっと! ボディガードさん!? ドサクサに紛れて何抱きしめ返してるのよ! 私の親友から離れて!」
叫ぶ萌萌の声を子守唄代わりに、満足した涼音は墨言の胸の中でぐっすりと眠りに落ちてしまった。
◇
結局、その夜は萌萌のマンションまで二人を送り届けることとなった。
翌朝。
萌萌の部屋のベッドで目を覚ました涼音は、酷い頭痛とともに、昨夜の記憶を徐々に思い出していた。
クラブでカクテルを飲み干したこと。
萌萌に抱きついて顔中にキスをしたこと。
そして――頼れるボディガードの傅さんに抱きつき、あまつ頬にキスをしたこと……!
「……っっっ!!!」
ベッドの上で跳ね起き、両手で顔を覆った涼音は、天井を仰ぎながら絶望の叫びを上げた。
(やってしまった……! プロのボディガードになんてことを……! 抱きついて、キスまでしちゃったじゃないのよ私ぃぃぃ!!)
毛布を頭からかぶり、布団の中でジタバタと足を暴れさせながら、涼音は人生最大の大反省会を始めるのだった。




