⑥
前回のあの夜以来、傅 墨言の胸のうちは、ドス黒い苛立ちと嫉妬で渦巻いていた。
電話の向こうの「男」に対して、甘えたような切羽詰まった声で懇願していた沈 涼音の姿が、脳裏から離れない。
(あの男は誰だ? 恋人か? 彼女にあんな顔をさせ、甘えた声を出させる男がいるというのか……)
自分がただのボディガードに過ぎないと分かってはいながらも、抑えきれない独占欲が苛立ちとなって全身から滲み出ていた。
そして指定の場所に着いた墨言。
約束の路地裏に車を滑り込ませたその目に飛び込んできたのは、またしても不愉快な光景だった。
ダボダボのスウェットを羽織った涼音が、見知らぬ男二人にしつこくナンパされていたのだ。
「いいじゃん、ちょっとだけお茶しようよ! お姉さん、可愛い顔してるしさ!」
「結構です、急いでいますので」
涼音が冷たくあしらおうとするが、男たちはしつこく通せんぼをする。
その瞬間、車のドアが激しく開き、氷点下の殺気を纏った墨言が立ちはだかった。
「――失せろ」
低く、地獄の底から響くような声。
男たちの首根っこを掴む勢いで強引に割り込むと、墨言は圧倒的な体格差と刺すような眼光で二人を威圧した。
あまりの威圧に恐怖を感じたナンパ男たちは「ひ、ひぃっ……!」と悲鳴を上げて逃げ出していった。
「涼さん、乗ってください」
墨言は返事も待たず、涼音の腕を掴むと、半ば強引に車のリアシートへと押し込んだ。
バタンと乱暴にドアが閉められる。
(……なになに? なんであの人、あんなにブスッとして怒ってるわけ?)
シートに押し込まれた涼音は、眉をひそめてフロントガラス越しに墨言の背中を見つめた。
今までの冷静で完璧なプロのボディガードとは丸で別人だ。
全身から「俺は不機嫌だ」というオーラを隠そうともせず撒き散らしている。
(はあ……世の中の男って、どうして自分の機嫌くらい自分でとれないのかしら。面倒くさいわね)
心の中でサバサバと文句を吐き捨てると、涼音は早々に「関わらないでおこう」と決めた。
自分の不機嫌を周りにまき散らす男に付き合うほど、暇ではないしお人好しではない。
涼音は深くシートに背を預けると、くるりと窓の外へ顔を向け、完全に知らんぷりを決め込んだ。
一方、運転席の墨言はバックミラー越しに彼女の様子を伺っていた。
今まで墨言の周りにいた女性たちは、彼が少しでも機嫌を損ねれば顔色を伺い、媚びを売り、機嫌をとろうと必死になっていた。
傅家の御曹司としても、ボディガード会社の社長としても、それが当たり前の世界だったのだ。
それなのに、この女は――。
チラリと視線すら送ってこず、優雅に夜景を眺めて知らんぷりを決め込んでいる。
(……機嫌をとるどころか、無視か?)
自分に媚びるどころか、気にも留めない涼音の態度に、墨言の胸の中のイライラは最高潮に達した。
自分がどれほど彼女に振り回され、一喜一憂しているかなど、彼女は露ほども知らずに澄ました顔をしている。
車内には、息が詰まるほどの重苦しい沈黙が流れていた。
(いいだろう……どこまで知らん顔を決め込めるか、試してやる)
無言でハンドルを握りしめる墨言の瞳に、静かで危険な執着の火が灯っていた。




