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秘密の夜歌  作者: 天丹
5/8

⑤

バーのステージで歌う涼音を、客席の最前列で熱を帯びた瞳で見つめる傅 墨言(フー・モーイエン)。


その姿は周囲から見れば「彼女に首ったけな熱烈なファン」、あるいは「彼女を囲うパトロン」そのものだった。

だが、その圧倒的なオーラと威圧感のおかげで、他の下心を持った客たちは誰も近寄ることができない。墨言は文字通り「盾」となり、彼女を守り抜いていた。


しかし、そんな鉄壁のガードをすり抜ける最悪の男がやってきた。


その夜、客として店に足を運んでいたのは、なんと涼音の婚約予定者である韓 宇辰(ハン・ユーチェン)だった。

もちろん、派手なメイクとウィッグで別人になりきっている涼音に、宇辰が気づくはずもない。


ステージの上の儚げで妖艶な歌声に一発で心を奪われた宇辰は、ニヤニヤとした卑しい笑みを浮かべ、ステージ袖の控室へと押し入ってきた。


「お姉さん、最高だったよ! 俺の愛人にならないか? 金ならいくらでも払うぜ」


「……(最悪。よりによって、このクズ男が……!)」


涼音は内心で舌打ちし、冷めきった声できっぱりと拒絶した。


「お断りします。お引き取りを」

「冷たいこと言うなよ、もったいぶるなよ!俺の女になれば、いくらでも金はやるし、我が儘も聞いてやる」


しつこく腕を掴もうと迫る宇辰。その瞬間、控室のドアが音を立てて開き、冷徹な殺気を纏った墨言がすっと滑り込んできた。


「――離せ」


低い、地獄の底から響くような声。

墨言が宇辰の肩を掴み、力任せに引き剥がす。


圧倒的な体格差と凄まじい威圧感に気圧された宇辰は、青い顔で「なんだお前……っ!」と悪態をつきながら、逃げるように部屋から飛び出していった。


ガチャン、とドアが閉まると、涼音はドッと疲れたように息を吐き出し、ソファに崩れ落ちた。


「はあ……っ、本当に最悪! あんなクズ、どこをどう切り取っても救いようがないわね」


(私の結婚相手があんな最低男だなんて、思い出すだけで吐き気がする!)


眉を釣り上げ、毒を吐くように愚痴をこぼす涼音。


いつもは冷静で儚げな彼女が、怒りで頬を膨らませて必死に牙を剥いている姿を、墨言は腕を組んでじっと見つめていた。


(……可憐な兎だと思っていたが、ちゃんと噛みつきもするんだな)


怒ってすらいちいち絵になるその可愛らしさに、墨言の胸の奥で甘い熱が疼く。


「……お疲れ様でした。あんな男、二度と近づけませんよ」


少し柔らかくなった声で墨言が声をかけると、涼音は「ふんっ」とそっぽを向いたが、どこかホッとした表情を浮かべた。


◇


帰り道の車内。


張り詰めていた緊張が解け、静かに夜景を眺めていた涼音のポケットで、突如としてスマートフォンが激しく震え出した。


画面に表示された兄の名前を見て、涼音の血の気が一気に引いた。


『兄・沈 景淮(シェン・ジンホワイ)』


「っ……!」


慌てて電話に出ると、受話器の向こうから低く冷たい兄景淮の声が響いた。


『涼音。夜の十時を過ぎているというのに、お前が部屋にいないのはどういうことだ?』


「……! ええと、その、ちょっと散歩というか……友達とちょっと」


『散歩ねえ。夜の街をウロウロして、まさか男とでも一緒か?』


電話越しの鋭く探るような兄の問い詰めに、涼音は冷や汗をダラダラと流しながら青ざめた。


ここで夜のバイトがバレたら、両親に言いつけられて一巻の終わりだ。


助手席でそのやり取りを聞いていた墨言は、低くかすれた声で「……男か」と呟いた。


(恋人からの電話か? あんなに焦っているということは……)


胸の内に、黒々とした嫉妬の炎が燃え盛る。


「違うわよ! 違うの、友達が失恋したから慰めてたの!すぐに帰るから! だから部屋で待っていて! お願い、怒らないで……っ!」


バレたら終わりだという恐怖から、涼音は普段のサバサバした性格を完全に忘れ、甘えるような切羽詰まった声で兄に必死に懇願した。


「っ……すぐ戻るから、切るね!」


通話を無理やり切ると、涼音は青ざめた顔で窓の外を見た。


指定された降車場所に車が停まるやいなや、ドアを開け、一目散に夜の街へと走り去っていっていった。


車内に残されたのは、重苦しい沈黙。


バックミラーの向こう、必死の形相で走り去る涼音の背中を見送りながら、傅 墨言の瞳に危険な光が宿った。


「……他の男に、あんな可愛い声で甘えるのか」


低く呟いた墨言の拳が、ガツンとハンドルの中心を激しく叩きつけた。


怒りと嫉妬に歪むその顔には、もはや最初の冷静なボディガードの面影など微塵もなかった。



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