第四話:塩の生産(国家のスイッチ)
翌朝、俺は海沿いに立っていた。
潮の匂いが濃い。風は重く、少しだけ湿っている。
そして――目の前には、ただの“海岸線”が広がっていた。
「ここだ」
側近が恐る恐る口を開く。
「殿下、本当に……ここで塩を?」
「他にどこで作るんだ」
俺は即答した。
背後には、まだ誰も手を付けていない塩田予定地。
正確には“放置された湿地”だ。
設備もない。技術もない。予算も薄い。
(つまり、最悪のスタート地点ってやつだ)
でも逆に言えば、いじり放題だ。
俺はしゃがみ込み、地面の泥を指でこする。
「まず確認」
「この海水、濃度は?」
側近が戸惑いながら答える。
「測定は……過去に行われた記録では平均的とされています」
「平均ってことは“使える”ってことだな」
俺は立ち上がる。
「なら工程は単純化できる」
側近が顔を曇らせる。
「単純化、とは?」
俺は指を三本立てた。
「三段階だ」
「①濃縮」「②結晶化」「③分離」
そして海を指差す。
「この国は今まで“自然乾燥だけ”でやってたんだろ」
側近がうなずく。
「はい。天日による蒸発のみです」
「そりゃ効率死ぬわ」
俺は即答した。
「まずは“流れ”を作る」
その日のうちに、作業が始まった。
――と言っても大規模ではない。
ただの溝だ。
海から引いた水を段階的に流す、単純な構造。
側近が不安そうに見ている。
「殿下、それは……ただの水路では?」
「そうだ」
俺は迷わず言った。
「でも“順番”が違う」
最初の区画は浅く広い。
次は狭く深い。
さらに次は、石灰質の層を敷いた区画。
「蒸発速度を段階で変える」
「不純物を先に落とす」
「最後に結晶化だけ残す」
側近は黙ったまま作業を見ている。
やがて一人の作業員が呟いた。
「……これ、ただの水路じゃないのか?」
「いや」
俺は即答した。
「“塩を作る装置”だ」
その瞬間、空気が変わった。
誰も理解していないのに、なぜか“意味だけは伝わった”顔になる。
数日後。
最初の結果が出た。
桶の底に、白い粒が残っていた。
「……塩だ」
側近の声が震える。
「天日だけではない、純度の高い結晶……」
俺はそれを指でつまむ。
舐める。
しょっぱい。
普通の塩だ。
いや――
「悪くないな」
俺は小さく笑った。
「これで輸入は止められる」
側近が息を呑む。
「殿下……これは国家予算の一割を削減できる可能性があります」
「一割どころじゃない」
俺は海を見た。
「ここ、まだ拡張できる」
「規模を十倍にする」
「いや、百倍でもいける」
側近の顔が引きつる。
「百倍……ですか?」
「塩は金になる」
俺は淡々と言った。
「生活必需品を握るってのは、国を握るってことだ」
風が吹く。
海が揺れる。
その瞬間、この国に初めて“収益の構造”が生まれた。
そしてその夜。
城に報告が上がる。
――塩の自給、成功。
――輸入依存の解消見込み。
王宮は一瞬だけ静まり返ったあと、ざわついた。
「たった数日で?」
「誰がそんなことを……?」
誰も理解していない。
だが一つだけ確かなことがあった。
この国は、まだ死んでいない。
そして――
誰かが初めて、“回る仕組み”を作り始めていた。
海沿いでは、次の区画の工事が始まっている。
俺はその様子を見ながら呟く。
「次は港だな」
塩の流れは、まだ始まったばかりだった。




