第13話
~インカータ~
店内は完全に破壊され、血と硝煙の匂いが立ち込めている。
近衛軍第9部隊への引き継ぎ要請を終えたグレイは、ズボンのポケットから愛用している煙草を取り出した。
一本咥え、火をつけようとした——その時。
(……しぶとい野郎だ)
散乱するガラスの破片とひしゃげた家具の陰から、気絶していたはずのドルガが這い出し、店から逃れようとしているのが見えた。
グレイが舌打ちをし、とどめを刺すために一歩踏み出そうとした瞬間。
ドシュパァァァンッ!!!
空気を切り裂く異様な破裂音が、夜空に木霊した。
「——グァァァァッッッ!!?」
ドルガが悲鳴を上げ、無様に転がる。
その右脚の膝から下が、まるでザクロのように弾け飛んでいた。
グレイが魔力を眼球に集中させ、はるか遠く——約1キロメートル先の高層ビルの屋上を見上げる。
そこには、愛用の大型狙撃銃を構えながら、片手でウォッカの小瓶を煽っている同僚、レインの姿があった。
(……来てたのか。まったく、もう少し早く来てくれりゃあ、あんなデカブツと一人で殴り合わずに済んだものを)
呆れ半分にため息をつくと、手元の通信用ヴォックスが振動した。
『よう、グレイ。もう問題ねェか?』
「……はぁ。レイン、次からはもっと早く来い」
『おいおい! これでも全力で来たんだぜ!?』
「なら、次からはもっと全力で来い」
『んだとてめェ! ……ったく、助けられたってのに相変わらず素直じゃねェ野郎だぜ』
「あのタイミングで来るなら、別にいらなかったって言ってんだよ。……通信切るぞ」
スピーカー越しのレインが、やれやれとため息をつく音が聞こえた。
『はぁまったくおまえってやつは愛嬌のかけらもねぇな……それで? セレスちゃんはどうだった? 問題なさそうか?』
グレイは、砕けたガラスを避けるようにして床に座り込んでいるセレスへと視線を向け、少しだけ考える
「……実力は申し分ないだろう。経験を積めば十分に活躍できる。だからこそ、なんであんなに実力のある新人が『魔取』なんかに来たのか……謎は深まるばかりだがな」
『へえ。お前がそこまで素直に褒めるとはな。珍しいこともあるもんだ。明日は槍でもふるのか?』
レインは少し驚いたように返事する。
「……まあ、他人の事情を詮索するのは俺たちの仕事じゃない。今は事後処理が先だ」
グレイは短く話を打ち切ると、油断なく周囲の暗がりへと視線を巡らせながら、通信機に問いかけた。
「レイン念のため確認するが周囲に別の敵影は?」
『俺のスコープの範囲じゃ見当たらねぇな。問題ない』
「わかった。一旦切るぞ」
通信を切り、ようやく煙草に火をつける。深く紫煙を吸い込んだ矢先、足を引きずりながらセレスが歩み寄ってきた。
「グレイさん……お疲れ様です。犯人たちの拘束、進めた方がいいですか..?」
強がってはいるが、その顔は青白く、呼吸も浅い。アドレナリンが切れ、負傷の痛みが本格的に襲ってきているのだろう。
(……こいつの実力を見てると、ついつい新人だってことを忘れそうになってまずいな)
グレイは無言で歩み寄り、セレスの肩を軽く押さえて座らせた。
「すまない、配慮が足りなかったな。怪我をしているなら、まずは自分の手当てを優先しろ。拘束作業は俺がやるから、お前は患部に魔力を回せ。それで少しは痛みも軽減されるはずだ」
「あ、ありがとうございます……」
セレスは大人しく座り込みながらも、興奮冷めやらぬ瞳でグレイを見上げた。
「でも、グレイさん……本当にすごいです! ヴォルティスほどの強者を無傷で倒せてしまうなんて……近衛の第一大隊にだって、あそこまで強い人は一握りしかいませんよ!」
賞賛の言葉を浴びせられながら、グレイは黙々と敵の腕を拘束していく。 セレスの口は止まらない。
「グレイさんはやっぱりめちゃくちゃ強いです。なんでグレイさんみたいな人が魔取にいるんですか? グレイさんの実力なら、絶対に第一大隊にも入れ——」
「……俺は、お前が思っているほど強くはない」
拘束ワイヤーを縛る手が、ピタリと止まる。 振り返ったグレイの顔には、拭うことのできない『後悔』の色が浮かび上がっていた。
「……えっ?」
「お前はまだ、現場を知らないだけだ。近衛には、俺より強い奴なんざ掃いて捨てるほどいるさ。それに……」
グレイは自嘲気味に目を伏せた。
「実力があったとしても、俺にはあそこにいる資格はない」
言葉に込められた有無を言わせぬ凄みに、セレスは弾かれたように口を噤んだ。
「……余計なことを聞いて、すいませんでした」
「いや、気にするな。それに、俺はここを意外と気に入ってるからな」
気まずい沈黙を破るように、遠くから複数のサイレンの音が近づいてきた。 夜の闇を切り裂いて、近衛軍の装甲輸送車と医療班の車両が到着する。
「来たか。あとはあいつらに任せるとして……セレス、怪我の具合はどうだ?」
「痛みは魔力で抑えられてるんですけど、普通に歩くのはまだ難しそうです……」
「そうか。医療部隊も呼んではもらっているから、とりあえず今日はそっちに行け」
「こちら近衛軍第9部隊、サルファゴス移送班。帝都北区で違法薬物を売買していた犯罪組織スペリドの構成員確保のため到着。こちらで相違ないか?」
「問題ない」
「了解した。それでは彼らの移送を始めるので、貴官らの任務は引き継がせていただく」
「よろしく頼む。医療部隊! こっちに負傷した隊員がいる、手当てをお願いしたい」
完全武装の隊員たちが慌ただしく動き回り、セレスが医療班の担架に乗せられる。
「セレス。今日はよくやった。ゆっくり体を休めろ」
グレイは担架に乗せられ運ばれるセレスに一言だけ残し、自分は帰路につく。 見上げた空は、未だに吸い込まれそうなほど黒かった。
~魔法犯罪取締室~
深夜のオフィス。
グレイが重たい鉄扉を開けると、そこにはデスクに向かうジンの姿があった。
「グレイ、お疲れ様です。任務は終わったんですか?」
ジンはいつもと変わらぬ、穏やかで人当たりの良いトーンで振り返った。
「ああ。ドルガ含め、構成員の一部は確保した。そっちはどうだ? 近衛の方は何か掴めたか?」
「こちらの出来も上々です」
ジンは手元の引き出しをゆっくりと開けると、中からヴォックスを取り出し、机の上にことりと置いた。
「——やはり、近衛内部の裏切り者はミゲル・ボーンウィル小隊長でした」
グレイの視線が机上のヴォックスへ向けられたのを確認し、ジンは薄く、感情の読めない笑みを浮かべる。
「彼がドルガへと裏の連絡を入れる決定的瞬間を、しっかりとこの目で目撃させてもらいましたよ。ついでに……その際に使用していたこのヴォックスからも、必要なデータは既に回収済みです。これさえあれば、彼らが裏で交わした通信記録は、いつでも丸裸にできますからね」
「……? それだけだと、それは自分のものではないと言い張られたら対処ができなくないか? 軍用のヴォックスでなければ、誰の端末か特定するのは困難だぞ。場合によっては、端末と結びつけられている情報が全くの他人である可能性だってある」
グレイがジンの対処の詰めが甘いと感じて追及する。しかし、ジンは微かに口角を上げた。
「その懸念はもちろんです。なので対策も取ってありますよ」
悪びれる様子もなく、ジンはすらすらと答える。
「まず、彼がドルガへと連絡を取っている映像を抑えてあります。これだけで彼が犯罪組織に情報提供をしていたことは確定です。加えて、彼の家来に尋問をかけたことで、彼が犯罪組織に関与している裏取りもとれました。その際にドルガとボーンウィルの間で結ばれたスティムラントの売買契約も入手済みです。これで彼がどんなに言い逃れをしても、逃げることはできません」
「なるほどな。よくこの短期間でそんだけ裏取りができたな」
「いえ、以前から彼の周りは怪しいと踏んでいたので。準備は入念にしていたため、期間としては意外と長くとってます」
(さすがにこいつの情報収集能力と隠密のスキルは真似できんな……うん? いや待てよ)
グレイの脳裏に、強烈な違和感が走った。
「おい、ジン。どうしてドルガは俺らの動向が分かったんだ? あいつらの情報源がボーンウィルだとしたら、何故おまえはそれを俺たちに伝えなかった?」
ジンの手が止まる。
「答えろジン。セレスは危うく死ぬところだった。少しでも何かがずれていたら、あいつは死んでいた。何故何も答えない?」
グレイの厳しい声色に対し、ジンは困ったように、しかしどこか不思議そうな顔で小首を傾げた。
「確かに私は、ボーンウィルがドルガに連絡していることを把握していました……いえ、時系列が逆ですね」
ジンは、まるで天気の話でもするかのように、あっさりと告げた。
「私が彼に、あなたたちの情報を流したんです。間接的にではありますが」
グレイの眉が吊り上がる。
「どういうことだ、ジン……情報をおまえが流しただと?」
「ええ、そうです。確実にボーンウィルとドルガたちを同時に捉えるために必要なことでした」
一切の罪悪感も、悪びれる様子もない。
純粋な『最適解』を語るだけの透明な声だった。
「もしセレスさんたちがドルガたちを検挙できたとしても、ボーンウィルとの関連が分からなければ、彼はまた新しい犯罪を犯す可能性が高くあります。また逆に、ボーンウィルだけ検挙すれば、それを察知されてドルガたちが本気で潜伏する可能性もありました。もちろん潜られても最終的には検挙できたでしょうが、時間が今以上にかかる可能性が高かった。故に、彼らを一挙に最大効率で捉えるには、この手段が最も適任でした」
「……それが本音か?」
グレイの目線が、ジンを真正面から射抜く。 ジンは少しだけ驚いたように瞬きをし、観念したように小さく息をついた。
「そう思った理由は何ですか?」
「おまえの説明に不自然さがあった。おまえは情報を流さなければ、ドルガとボーンウィルの同時検挙は難しいと言ったが、おまえが事前に集めた情報だけでも同時検挙に充分な証拠はそろっていた。それにボーンウィルだけ捕まえれば、ドルガたちが違和感に気づく可能性があったと言ったが、それもおまえの集めた情報をもとにボーンウィルを迅速に逮捕して、すぐに部隊を動かして検挙に移れば問題なかったはずだ。だから、おまえの説明にはずっと違和感があった」
グレイの指摘を受け、ジンは感心したように微笑んだ。
「……なるほど。全部お見通しだったってことですか」
「それで、本当の目的は何だったんだ?」
「セレスさんが『魔取』に相応しいのかを、あなたに見定めて欲しかったのです」
一人の新人を死地に放り込んだ理由。それは、あまりにも身勝手で、命の重さを欠いた実験だった。
「どうしておまえがまた、そんなことを気にする?」
「魔取は非常に特殊な部署です。ここで生き残るためには、強い個の力と、自分で考えて行動する力が必要です。それを見定めるために今回、彼女には初回任務としては厳しい潜入調査をやってもらい、また戦闘も経験してもらいました」
ジンは悪びれることなく、淡々と続ける。
「この計画は事前に隊長にだけは共有してありましたので、隊長の意見でもあります」
(何故隊長はこんな危険な方法を取ったんだ? 実力を試すだけなら他にもやり方があったと思うがな……)
「なるほどな、おまえの言い分も分かったし、それが隊長の意思でもあることは分かった。だが……」
グレイは一歩踏み出し、ジンの眼球を真っ向から睨み据えた。 重く、淀んだ空気が部屋の空気を支配する。
「次はないぞ」
有無を言わせぬ絶対的な圧。
しかし、ジンはその凄みを受けてなお、微かに微笑んだまま、さらりと頷いた。
「ええ、承知していますよ」
(……底の知れない野郎だ)
「そうか……なら、俺から言うことはない。これ以上話し合うのもめんどくさいしな」
グレイは深くため息をつくと、それ以上ジンを責めることはせず、出口の方へと向かった。 そして、部屋を出る直前に立ち止まり、背を向けたまま口を開いた。
「あっ、言い忘れてたわ。セレスは魔取としては合格だ。必ず力にはなる」
ジンはグレイの言葉にただ微笑むだけだった。




